秋田ぐらし akita life

日常のできごと、面白いこと、おいしいこと、いろいろ

イザベラ・バード 豊岡から小繋に向かう

2017年05月16日 | 日記
 イザベラ・バード一行の旅は豊岡から先、困難を極めた。
「豊岡からわたしたちはとても難儀な旅をしました。その日雨は絶え間なく降り、煙雨のなかでは地平にそびえる低い山々、松の生えた砂地、灌木、水のあふれた稲田以外、ほとんどなにも見えず、深さ1フィート[約30.5センチ]のぬかるみと化した道路に沿ってある村落が変化していくくらいのものでしたが、このあたりの人々の衣服はとくにぼろぼろで汚いものでした。」と書いてあるが、ここでも道中の悪い印象はバード自身が言うように「北部日本を旅するのは体力のある人にかぎられます。疲労は避けがたく、天候でそのひどさをさらに増します。わたしが土地土地から受けた印象もきっと天候に左右されているでしょう。灰色のもややどしゃぶりの雨に包まれた湿地にある村落は、同じ村落でも明るい陽光を浴びたときよりもはるかに快さが劣ります。」と、通過する村々の印象はまさにバードの体調と、天気の影響が印象を左右している。今、旅をしているバードは持病の背中の痛みと、30年ぶりの大雨の中で、ずぶ濡れである。この旅はイザベラ・バードにとってはものすごいダメージであったと思う。それが影響して悪いイメージをもってしまったのであろうと思う。そんな中、「美しい山腹にある士族(サムライ)の村檜山は例外で、立派な家屋はそれぞれ離れてたっており、美しい庭、大きな屋根のついた門、芝を植え石垣のある段地があって、閑静で快適そうなたたずまいでした。」と檜山の美しさをたたえている。
旅の途中、イザベラ・バードたちは、出会った子供たちに猿と猿回しにまちがえられたエピソードを書いている。
「ある村の大きな村のそばで、わたしたちは荷馬に乗った伊藤を先頭に馬で田んぼの字畦道を進んでいるとき、学校帰りの子供たちおおぜいに出会いました。子供たちはわたしのそばまで来ると悲鳴をあげながら向きを変えて逃げ出しました。なかには溝に飛び込んだ子供もいます。馬子が子供たちを追いかけ、いちばんうしろの男の子をつかまえてこちらへ引っ張りました。男の子が怖がってあばれるので、馬子は笑いました。男の子が言うには、伊藤が猿回しで、わたしが大猿、そしてベットの棒を舞台の足場だと思ったとのこと!」
と他から見るとコントのような場面であるが、子供たちは生まれてこの方、見たこともない欧米婦人に出会ったのだからその驚きようは大変なものであったであろう。
この後、イザベラ・バードの『日本紀行』には宿泊の記載がないものの、土崎港から虻川そして豊岡までの行程を鶴形にて書いたとあるので、宿泊の記載、宿や村の印象など一切書かれていないのだが、鶴形に泊まったものと思われる。バードが泊まったと思われる当時、鶴形は水陸交通の要所として栄えていて、舟宿、御番所などあり、旅人の宿泊は充分に可能な集落であった。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« イザベラ・バード豊岡(三種... | トップ | イザベラ・バードの見た久保... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事