~“赤い花なら曼珠沙華 阿蘭陀屋敷に雨が降る~ 濡れて泣いてる ジャガタラお春 未練の波止場に あ~ァ雨が降る~” ▲ この歌詞を見て、すぐにメロディーが浮かぶか、或いは、歌える人々は、日本の総人口の約25~6%を占めるに至りました。 慶賀にたえないことであります。
▲ 華やかな彩りの“赤い花”を道端や田の畦等で見かけますと、「ついに今年も秋が来てしまった~」と、月日の流れの速さを感じてしまいます。
荒れ畑の 葛生ひ茂る ひと隅に 炎(ほむら)たつごと 咲く曼珠沙華 ー夢蔡ー
▲ <川を渡ると、そこは彼岸であった。そこは、「悟りし者」のみのが許される地である。曼珠沙=朱華によって祝福される。>
ー“曼珠沙華”は、仮の名であります。【ヒガンバナ】が正規の名称であります。ご案内の通り、秋の彼岸の頃に咲くことから付けられました。その華やかさとはうらはらに、どこかもの淋しく感じるのは、咲く時期によるものだろうか?
ーーMEMOー-ーーーー
路の辺の 壱師(いちし)の花の灼然(いちしろ)く 人皆知りぬ我が恋妻を (万葉巻 11-2480) *注 柿本人麻呂の考案=「物に寄せて想いを述べる歌」の一首
▼ 意訳 「道の端の“いちしの花”では無いけれど、いちじるしく・・はっきりと世間の皆様が,知ってしまいましたョ~。わたしの恋女房のことをネ~」
▲「“万葉集”に「イチシ」と言う植物がある。私はこれをマンジュシャゲだと確信している。これはいままでだれも説破したことのないわたしの新説である。・・歌の灼然(いちしろ)の語は、このマンジュシャゲの燃ゆるがごとき赤い花に対し、実によい形容である。」 牧野富太郎 「植物知識」より)
▼ 【ヒガンバナ 】 日本各地の平地・里山に自生する。(←中国原産・稲作の渡来に着いて来た・説あり) ○ 球根には、毒性があるが、粉にして水にさらすと食べられるようである。昔々に“飢饉”の時の非常食したと言われている。平穏時には、食さないように、墓地などに植えたとされる。 従って、俗称が怖いー「シビトバナ・ジゴクバナ・キツネノシリヌグイ・シタマガリ・テクサリバナ・・・・etc」
ー万葉の時代に、燃え立つように咲く花を素材にして{ 恋 歌 」を詠じられたのは、まだ、「ヒガンバナ」の毒性など考えてもみなかった為だろう。詩的な情緒が裏では、一般庶民の生活はけっして楽ではなかった。(←参 山上 憶良「貧窮問答歌」)▼ 異常気象にでもなれば、すぐに作物の不作となるり、「飢饉」に直結する。「市辺(あたり)に 餓人おおし・・」続日本紀) 食物の不足は、餓死を意味した。
草枕 旅の宿りに誰が夫か 国忘れたる家待たまくに (旅先の宿りで、いったい誰なのだろう。故郷に帰ることもなく、臥せっているのは?家では家族が帰りを待っているだろうに。) 「柿本人麻呂、香具山の屍を見て、悲なしびて 作る歌一首」
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曼珠沙華 みんな腹だし 秩父の子
最近の人気 俳人 金子 兜太 の句である。
ヒガンバナ・・曼珠沙華は、今日では、白、黄色など改良され、園芸種に昇格している。有名群生地は観光の対象でもある。「飢饉」は死語となった。
行く道の 赤く曲がるや 曼珠沙華 ー夢蔡ー
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