最近、サンドイッチマンのテレビ番組「秘境路線バスに乗って飲食店を見つける旅 」をみた。
和歌山県の熊野地方が舞台だった。2014年11月から長く行っていない和歌山県。2011年に行って撮影した写真データーを思い出した。折角、息子が新しいパソコンに旧パソコンの写真データーを移してくれたこともあり、この際、思い切って記事にすることにした。
2011年3月末に訪れた「旧・熊野大社の跡地」
熊野本宮大社 旧社地「大斎原」・・・神が舞い降りたという大斎原。
熊野本宮大社はかつて、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にあった。(この写真の場所)
当時は、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だった。
江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりだった。
音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域に訪れた。
ところが明治22年(1889年)の8月に起こった大水害が本宮大社の社殿を呑み込み、社殿の多くが流出したため、水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社がある場所に遷座した。
かつて多くの人々の祈りを受け止めた大斎原には、流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠が建てられている。
大斎原は、現在の熊野本宮大社から500mほど離れている。熊野本宮大社から道路を隔てて、大鳥居(高さ約34m、幅約42m)が見える。その背後のこんもりとした森が大斎原。熊野本宮大社から徒歩10分ほど。
すごい脚力ですね・・
~昨年、熊野古道を二日間歩いて・~南紀一周して来ました~。
びっくりです。まあ年間、毎朝、1万歩歩いている方ですから・・
歩いて熊野古道を感じるのと、目的舘に車で行くのとは、感じるものが相当違うことになりそうですが・・
私も、この熊野本宮大社 旧社地「大斎原」に行ったとき、現在の熊野本宮とは、また違った「荘厳な神の聖地、明治の初期まで古くから長くここが特別なお参りの地であった空気感」を肌で感じました。
田辺で・・熊野神社 闘鶏神社を詣でて
南紀一周して来ました。
懐かしい・・写真で 思い出を新たにしました
那智勝浦で古道を二時間かけて登り・・
イギリス人の老夫婦と片言の英語で話を
しながら杉並木を・・いい体験でした。
この先体力が落ちていく中で・・いいタイミングと
今では懐かしく・・そして田辺の居酒屋で
地域の見知らぬ会社社長からごちそうになった
いい思い出もあります。