原城跡に着き、ふと後ろを振り返ると
豊かな畑地と 遠くには「冠雪した雲仙の山々」が見える。
こんなのどかな景色の地に 確かに原城はあった。
いよいよ城跡の石垣を昇る
天草四郎時貞の像
四郎の墓碑がある場所
わずか16歳で無残に散った命
近くには、その無念さ痛ましさを慰めるように「水仙の花」が咲く
島原の乱で
幕府軍から皆殺しにされたキリシタンや農民たちは推定2万5000人ともいわれる。
この地を掘れば、今でも、人骨がそこかしこから多数出るという。
この「櫓台石垣」側は崖で すぐ下は海。ここは自然の要塞だったようだ。
幕府軍は、この石垣側を 特に攻めあぐんだといわれている。
今は 青い海が静かに広がる。
原城を後にしたら、再び「島原半島ののどかな景色が広がり 遠くに雲仙普賢岳の姿も」
あの山々は、原城の惨劇を その昔 どんな想いで見ていたんだろうな・・
自然災害よりも恐ろしいのは、人間同志の戦さ かもしれない
豊かな畑地と 遠くには「冠雪した雲仙の山々」が見える。
こんなのどかな景色の地に 確かに原城はあった。
いよいよ城跡の石垣を昇る
天草四郎時貞の像
四郎の墓碑がある場所
わずか16歳で無残に散った命
近くには、その無念さ痛ましさを慰めるように「水仙の花」が咲く
島原の乱で
幕府軍から皆殺しにされたキリシタンや農民たちは推定2万5000人ともいわれる。
この地を掘れば、今でも、人骨がそこかしこから多数出るという。
この「櫓台石垣」側は崖で すぐ下は海。ここは自然の要塞だったようだ。
幕府軍は、この石垣側を 特に攻めあぐんだといわれている。
今は 青い海が静かに広がる。
原城を後にしたら、再び「島原半島ののどかな景色が広がり 遠くに雲仙普賢岳の姿も」
あの山々は、原城の惨劇を その昔 どんな想いで見ていたんだろうな・・
自然災害よりも恐ろしいのは、人間同志の戦さ かもしれない
原城には出かけておりません。
天草を回っていると
原城のことは良く出てきますし、
模型もありました。
天草四郎の終焉の場ですから
次回、長崎を回るとき行ってきます。
写真
参考になりなりました。
建物は何も残ってなかったのですね。
ありがとうございます。