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世界から見た日本と東洋の美 6 燃えた壁画  PACSって?

2024-07-09 21:27:44 | 日記
A.白鳳の絵画
 昭和24(1949)年1月26日、奈良県斑鳩町の法隆寺金堂から出火し、国宝の十二面壁画の大半が焼損した。電気技師が点検のためにつけた電気の主スイッチを切り忘れたことに加えて、単純なミスが重なったことが原因だったとした。 同事件は1月26日の「文化財防火デー」制定のきっかけとなった。しかし、翌年1950年7月、京都の鹿苑寺金閣が放火で全焼、1956年10月延暦寺大講堂が放火で全焼と続いた。戦後の混乱期、文化財の保護体制は十分ではなかった。
 法隆寺金堂壁画は、金堂の外陣土壁に描かれた12面の仏像画で着色された壁画、7世紀後半から8世紀初めに描かれたと推定されていた。焼け残った一部が収蔵庫に保管されているだけでなく、火災前に模写が行なわれていた。金堂は1967年に解体修理して復旧したが、壁画は1967年に画家によって復元した絵をはめ込む形で再現された。絵画は歳月とともに変色や破損が避けられず、とくに壁画は建物と一体なので法隆寺金堂の壁画が戦争に耐えて残ったのも貴重だが、燃えてしまったのはたいへん残念なことだった。その写真や模写で見る限り、これは優れた美術作品であった。

「さて絵画に移ろう。
 もし『法隆寺金堂壁画』が残っていたら、人々はこれを観察することによって、この時代の深い仏教文化の根底を見て取ることが出来たであろう。ジョットより七世紀も前に、生きた人々の顔の表現を見ることが出来ただろうに、と惜しまれる。しかし残されている写真からもある程度その秀抜さを認識することは出来るし、また出来るだけその価値を明確にしなければならないのである。
 まず第一号壁の「釈迦浄土変」はもっとも注目に値する。これは釈迦三尊に十大弟子を加えたものであるが、第六号壁画の「阿弥陀浄土変」があまりに有名になり、法隆寺の壁画といえば、この図ばかりが大きく掲げられるが、絵画としては第一号壁画の方が自由であり、空間性が強く、よりすぐれたもののように感じられる。これは第六号壁画の色彩が剥落し、線描だけが残ったことに起因しようが、しかしこの二壁画の作者が異なることは確かだと思われる。調査では、すべての三尊像が同じ輪郭で、同じ型紙によっていることがわかったが、それにもかかわらず、その内容は異なるのである。
 何よりも第一号壁画の作者は自然さを尊び、人間性の写実にすぐれているようだ。例えば釈迦の左隣りの十大弟子の一人は、その切長の目と大きな鼻で、決して形式にはまったものではない。この顔を見ていると、より理知的で進取的な当時の僧侶の顔が蘇ってくるようだし、右側の菩薩のさらに右の弟子像も、誠実な人柄がわかるほどだ。西洋ではこの写実性はジョットまで待たねばならず、八世紀はじめの表現としては驚異的といってもよい。この技術はむろん唐から来たもの、と注釈がつくが、たとえ渡来人であろうとなかろうと、職業化したすぐれた画家の表現が日本で示されたことが重要である。この画家による第二号壁の「半迦思惟菩薩像」もまた自由な肉体の動きを感じさせ、第三号壁の「観音菩薩像」もやや肉体を右に向けながら自然さを保っている。前者の膝の上においた右腕の短縮法は、そこに充分空間を感じさせ、後者の右に向いた両足は立体性を表現している。
 何よりも空間表現で釈迦像をめぐって存在し、あたかも明確な遠近法を使用したかのようにその台座が描かれている点が興味深い。前段の丸い花鉢も写実的に楕円を示しているし、上の円蓋も同じように遠近法を知らなければ描けないかのように短縮法が使われている。この空間感覚は左右端の弟子たちの像がさらに前面に描かれていることによって助長されている。これらの弟子たちの顔も、一人ひとり描き分けられ、性格賦与されているが剥落してよく窺えない。
 確かに第六号壁の「阿弥陀浄土変」の図はその描線が明快で上品な印象を与える。しかし残された写真でも、その色彩の剥落が大きいためか、立体的空間が顕著にあらわれていないのである。とくに中央の結跏趺坐する阿弥陀が、中央からの正面観が顕著で、着物のひだも形式性が強すぎ、折角の蓮華の斜め上からの立体的な表現も目立たなくなり、全体が平面的となっている。これは左右の観音・勢至菩薩の描線も同様で、その描線の力強さも、第一号のような三次元性を生み出すに至っていない。むろんこの図にその色彩が残っていたら、第一号壁の「釈迦浄土変図」よりも緊張感あふれる場面になっていただろうが、よく言われる「威厳と気高さ」も、首の線にもみられるような形式性にやや負けている。
 第九号壁画は写真でも剥落が激しくよく見てとることが出来ないが、恐らく第十号壁画と同じ画像であろう。第十号壁画の「薬師浄土変」を見ると、第一号、第六号と異なった画家が、両方の折衷的な画風で描いているように見える。穏やかな柔和な描き方は、例えば薬師如来の左側にいる。第一号壁画と全く同じような画相の僧侶の顔にも見られ、同じ顔の型で描きながら、眼は短く、鼻もそれほど高くはない。背後の異形の弟子たちの、そのグロテスクな顔にも、穏やかさが見てとれる。この画面は写真でも全体に汚れ、色彩もかなり剥落し、比較するのはむずかしいにしても第一号、第六号の壁画と異なった手のものと見られる。
 第十二号壁画の「十一面観音」もこの第十号の画家と同じ、やや形式的な穏やかさをもっているように見える。第六号の菩薩と、よく似た第十号の菩薩は同じ型で描かれながら、第六号の切長の細い眼や、額がやや細くなる顎のプロポーションと違って、眼は短く太く、額と顎が同じほどの太さとなっている点が異なっている。
 ここに三人の画家がおり、それぞれおおらかさ、厳しさ、そしてその折衷の穏やかさをもった特色があるようだ。それぞれを仮に「釈迦の画師」そして「薬師の画師」と呼んでおきたい。それほどこれらの画師たちは、その名を呼ばれる権利をもっているすぐれた画家たちである。
 よくこの図がアジャンター壁画と比較される。確かに同じ仏教絵画として服装や形式に共通するものが多い。それはインド的な風俗を描いている、といってよいであろう。それらが唐経由でもたらされたが故に、顔の方はインド人より極東人的になったといえよう。服装の方は写実性よりも装飾性が勝っているのに対し、額には逆にリアリティが感じられるのは、その極東の地、日本で「仏教」の神髄が絵画という形で表現されたことを意味しているように思える。
 いずれにせよ1949年(昭和24年)の火災は、このような絵画を永久に失わしめた、という意味で二十世紀世界の最大の過失のひとつなのである。わずかに残された「飛天像」は、その飛んでいる天人の流れるような天衣と体、足の裏の表現が秀逸で、原作の表現の豊かさを感じさせ、ますます壁画そのものの見事さを予想させるのである。また外陣小屋に残った「山中羅漢図」の老人の顔の       は、人生の年輪の深さ、淡さが表現され画家の卓抜さを感じさせる。この図も弟子たちの描き方から第一号壁画の「釈迦の画師」によると思われる。
 この図がアジャンターと同じように、フレスコ画法で描かれたと考えることも、東西美術の同等の進展を感じさせて興味深い。火災の後、像の輪郭線にそってくぼんだ線があらわれて、フレスコ画のインナジオーネ(引刻線)による技法であることが知られたからである。この画法は西洋のローマ時代にも用いられたと考えられ(ポンペイの壁画もそうである)、それがアジャンターにも法隆寺にも表れたと考えると、この用法が壁画制作法として広く知られていたことを示している。フレスコ画法が、壁さえ崩壊しなければ、半永久的に保持されることは、ポンペイ壁画もミケランジェロの壁画も、今でも鮮やかな色彩や線を見せていることに示される。法隆寺壁画も、今世紀まで保持されたのは、この用法によると考える他にない。しかし火災にあった後これが分かった、というのも皮肉といえば皮肉である。
 この三人の画師が他にどんな図を描いたかは不明であるにしても、金堂の天井画に残る落書きの自由な筆致が、下の壁画の画師たちからの影響を感じさせる。筆致は画師たちが描いたにしては稚拙で、おそらく建築装飾師たちによるものと考えられるが、当時の人びとの顔が描かれたいるようなのは、画師たちが決して大陸からの粉本の写しではなく、自らの写実を基礎にしていたことを予想させる。
 このような『法隆寺壁画』の技術は「刺繡釈迦如来説法図」(奈良国立博物館)のような存在で、決して例外的なものではなかったことが推察される。この刺繡による「釈迦説法図」は繧繝によって色を変化させたり、色彩もゆたかで太いもの細いものを使い分けており、相良繍と鎖繍を組み合わせていたりして大変高度な織物技術といえる。織物では線が形式化されるものの、この表現が絵画での見事な表現を充分予想させるのである。
 これらに比べると同じフレスコ画でも『高松塚古墳壁画』は表現の深みに欠ける。しかし団扇や蠅払い・如意などをもって四人の女性の歩む姿はこの時代の画家がいかに空間表現に長じていたかを窺わせる。三人が前を見て歩き、一人がふりかえっているが、この変化ばかりでなく人物の体を重ねることによって深みを生じさせ、あたかも遠近法を知っていたかにさえ見える。これはギリシャの壺絵の、人物を重ねることによってのみ奥行きを出す空間処理方法と似ているとはいえ、進んでいる。やや上方から見て、前後に配置する方法であって『永泰公主墓壁画』などに見られるような唐画の影響によるものであるが、下ぶくれの顔の表現やその服装から、唐よりも朝鮮半島経由のものであろう。このような自在な表現がさまざまな墳墓に描かれたことは、この時代いかに絵画的表現がすぐれていたものであったかを予想させる。西壁の男性群像には正面向きの人物とプロフィールの人物が描かれるが、その緑色の着物は単純な事でありながら、体の量感を感じさせている。とはいえ、二十世紀に、『法隆寺壁画』が焼失し、『高松塚古墳壁画』が発見されたのであるが、やはり前者の方がはるかに高い表現を持っており、後者によって決して代償されるものではないことは確認しておこう。
 また「当麻寺曼荼羅」(当麻寺)は、約四メートル四方の巨大な浄土変相図であり、綴織(織成)の高度な技法によって作られている。残念ながら破損が著しいが、その転写本から見ても、そこには遠近法に近い建物表現があり、中央の釈迦像に収斂していく空間構成は壮大である。個々の人物像の表現も画一的なもののヴェラエティがあり単調さに陥っていない。これや『釈迦霊鷲山説法図』(ボストン美術館)の存在は、この時代の絵画のレヴェルの高さを示している。」田中英道『日本美術全史 世界から見た名作の系譜』講談社学術文庫、2012年、pp.98-107. 


B.新たな「家族」のありかた
 「イエ」の継承存続を優先した戦前の民法や家父長的な家族観は、戦後の憲法と民主化のなかで、男女の自由な意志による結婚で形成される夫婦と子を、家族の基本形と考えるものとなった。しかし、いまや結婚(異性婚)という制度や血縁による親子関係というものが、現実には多様化し、これまでのような家族では対処できない問題が出ている。これは日本だけではなく、世界各国の課題で、とくに少子高齢化が急速に進む国では、今までの制度だけでは収まり切れない問題を、新しい家族として選択できる工夫が考えられている。それがフランスではPACSとして定着するという。

「愛知発「新しい家族のかたち」 PACSは国を動かすか  編集委員 秋山訓子
 フランスに「PACS」(連帯市民協約」という法制度がある。事実婚の夫婦も法律婚に準じた法的保護が受けられる。2022年には異性婚のうち、4割以上がPACSを選んでいるという。
 愛知県が、少子化対策の一環として「日本版PACS」の創設を知事会で呼びかけ、国に働きかけを始めている。
 この取り組みが愛知県で始まったのは、22年から副知事を務める古本伸一郎氏が大村秀章知事に提案したことに始まる。両氏は共に元衆院議員で、国政を知っている。古本氏はトヨタ労組の組織内候補として03年に旧民主党から衆院選に立候補。6期務めて01年の衆院選に出馬せず政界を去った。
 もともと自動車など産業政策や税制などが専門の古本氏。少子化対策に本格的に関心を持つようになったのは18年だ。
 さらにさかのぼる民主党政権時代、民主党は高校の無償化を導入。自民党は「ばらまき」と激しく批判した。古本氏は言う。
「だから自民党に政権が戻ったら当然廃止されると思っていました。ところが、安倍政権は廃止どころか幼保の無償化まで行った。正しい政策は政権が代わっても続くと思ったんです。そして今の日本に普遍的に必要な製作というのは少子化対策だなと」。フランスの少子化対策が成功したという記憶があり、勉強しようと調査に出かけた。
 その前の年、小池百合子・東京都知事も絡んだ「希望の党」騒動で、旧民主党の流れをくむ野党勢力が分裂する混乱があり、取り組んできた政治活動への迷いも生じていた。「政治とは何だろう。自分は世の中の役に立てているんだろうか。永田町を少し離れて考えてみたいという気持ちもありました」
 フランスでは少子化対策の手当支給などを運営する公共機関の全国家族手当金庫をたずね、少子化対策の説明を受けた。ベビーシッターの補助やシッターへの社会保障などいくつかの鍵があったが、それを補完したのがPACSだったという。「目からうろこだった。子どもを産み育てるパートナーのあり方に選択肢をつくることと、それを社会がどう受容するかも大事だと。それにフランスでは女性が出産後も働き続けられる環境を社会がつくった結果として出生率も上がることが証明されていた」。以来頭の隅にずっとPACSがあった。
 国政を引退後、大村知事に声をかけられ、副知事に就任。愛知の将来を知事と話すなかで、トヨタがあり自動車産業で働くために人びとが転入する愛知県も19年をピークに人口が減少しているという話になった。そこで少子化対策としてのPACSを持ちかけてみた。大村氏は「前から興味はあったけど、民法改正が必要で、難易度は高いよね。でも手当だけでは少子化は解決しない。やれることは総てやってみよう」ということになって、知事会で大村氏が「日本版PACS」創設について述べて賛同を呼びかけ、斎藤健法相(当時)にも要請した。古本氏は言う。「愛知県は、男性の生涯独身率が高い課題もある。大村さんが真剣に人口減少を憂える知事だから言い出せた」。県民の意識を探ろうと、23年の秋に県内の20~49歳の男女3千人に少子化に関する意識調査をし、3割から回答を得た。
 独身者のうち、法律上の欠陥をためらうことがあると回答したのは55.1%。そのうち「法律上の結婚に準じた届け出・登録制度など別の制度を利用してみたい」との回答は11.6%、「利用するかどうかはわからないが関心はある」との回答は42.6%、併せて54.2%、過半数だった。今年4月には、県でできる範囲のことからやろうと愛知県ファミリーシップ宣誓制度を導入した。都道府県では、異性カップルも対象とした全国で初の試みだ。同性・異性に関係なくパートナーとその子どもなどが家族と約束した関係であることを宣誓し、県が受理して証明する。県営住宅の入居ができ、県立病院での面会許可や手術の同意、身元引受なども可能になる。同性カップルに寄り添う政策でもある。5月には、全国知事会の子ども・子育て政策推進本部の意見交換会で大村氏が、少子化対策の観点から婚姻をめぐる現状と課題に関する研究会の立ち上げを提案、数人の知事から賛同を得たという。
 実現する公算は?と古本氏にたずねると「ハードルは高いですが知事は全県を代表している存在だと思います。その知事会で、例えば47都道府県中40が賛同したら国も動くのではないでしょうか。地方初の動きに触発されて、国会も党派を超えて動けば意外と早いかもしれません。婚姻率の低下が少子化の真因とわかっているわけですから国も本気度が問われる。人口減少を肌身にしみて感じているのは自治体。特に市町村は切実です。そのためにはできることは何でもすべきだと思うんです」。
 自治体初で国の政策を変える。確かにハードルは高いが、自治体が国に先行する例はこれまでもある。ずいぶん前だが、1997年に環境アセスメント法が制定された時のこと。私は当時、横浜支局で横浜市政の担当をしていたが、横浜市や川崎市は法に先行して独自にアセスを行っていた。方が施行されると、対象とする事業が自治体独自のアセスよりも緩くなりかねないと担当者が懸念していた。
 また、今、愛知県は液体水素で走る車への補充を市中の水素ステーションで行う実証実験を支援しているが、そもそも液体水素の補充を規制する法律がない。「テクノロジーが法律を追い越しているんです。だから、経産省とも協議し日本初の実証実験を行える仕組みを国と県、事業者の3者でつくりました」と古本氏。米国でも州の法律が連邦の法律になることは珍しくない。古本氏が、林芳正氏が官房長官になる前にPACSの話をした時には「(愛知発で国が変われば)まるで米国だね。米国みたいになれば日本も変わるよね」と言われたという。
 こんなふうにもっと地域から声が上がって国をたきつけ、政策競争になるといい。特に今のように国政が機能不全を起こしているように見える時には。」朝日新聞2024年7月1日夕刊2面。
参考までにAnother Note.
PACSは、Pacte Civil de Solidarité(通称PACS邦訳は連隊市民協約)は、1999年11月15日にフランスで民法改正によって施行された「異性あるいは同性の自然人たる二人の成人による共同生活を組織するために行われる契約」、平たく言うと「準婚姻制度」です。〈Clair Paris Blogより〉
①締結及び解消手続き・・・ 締結は必要書類を揃えて公証人に依頼、または本人たちが市役所にて手続きを行うことで終了。解消はどちらかが申し立てることで解消でき、煩雑な条件や手続きがない。
②社会保障関係・・・ どちらかが社会保険に加入していない場合、パートナーの社会保険(医療、死亡等)による保証を受けることができる。また、出産や子どもに関する家族手当(Allocations familiales)についても結婚と同様に受給できる。
③税制関係・・・ 所得税の共同申告が可能。また、民法上の法定相続人に含まれないため遺言書が必要だが、遺言によって相続人となった場合は相続税が免除される。贈与税に関しても一定の控除あり。
④財産関係・・・ PACS締結後に所得した不動産や車などの財産は共有とする。ただし、相続や贈与によって得た財産には適用されない。なお、PACS締結前の財産は、特別に定めない限り所有者に帰属する。相続については法律婚と異なり、パートナーへの法定相続、遺留分はなく、遺言書が必要となる。
⑤その他・・・パートナー間の扶養義務や救護義務、生活維持のための必要な負債への連帯責任を負う。・住居について、賃貸契約をしていたパートナーが離別または死亡した際、残された者が継承できる。・共同での養子縁組不可(カップルの片方のみとの関係であれば可)

さて、PACSは少子化には効果がありそうだが、これが日本で実現するだろうか。戦前の「イエ」制度に帰りたいという時代錯誤の日本会議なんて連中もいるからなあ…。
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