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写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ

いまドストエフスキー 11 第二のカラマーゾフの兄弟 

2023-04-07 16:49:21 | 日記
A.未完の小説なのか?
 1881年2月9日に、ザンクトペテルブルグで59歳の生涯を閉じたフョードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーは、世界文学史に名を残すロシアの文豪だけれど、ロシア語という言語は旧東欧圏では広く学ばれたとはいえ、ロシア語原文でドストエフスキーを読める人は、英語やフランス語、あるいはドイツ語に比べぐっと少ないだろうと思う。ぼくたち日本人も、多くは翻訳でロシア文学に触れてきた。はじめは英語に翻訳されたものから日本語に移し替えたりしたらしいが、やがて優れたロシア語の翻訳者が出て、ドストエフスキーやトルストイの大長編小説もみな日本語で読めるのもありがたいことではある。ただ、その翻訳も時代を反映するわけで、広く普及した米川正夫訳、あるいは江川卓訳は、亀山郁夫の新訳と読み比べるとたしかに古臭く、ドストエフスキーに取りつく若い読者には壁になるかもしれない。
 とくに、最後の『カラマーゾフの兄弟』は、長大かつ複雑な話なので、手っとり早く筋書きと要点を知りたいという気の短い読者には、最後まで読み通すのは苦痛かもしれない。じっさい、ぼくも何度か挑戦しながら『カラマーゾフの兄弟』は、途中で放り出してしまっていた。

 「「カラマーゾフの兄弟」は、未完の小説である。
 続編すなわち「第二の小説」をめぐっては、作者本人と同時代人によるごく断片的な情報しか残されておらず、そのおおよその輪郭さえ定かではない。ドストエフスキーと同時代に生きたジャーナリストは、作家の口からと称して、主人公のアリョーシャはやがて皇帝暗殺者となり、処刑台に送られると語ったと日記に書いている。ソ連時代の研究者レオニード・グロスマンやドミートリー・ブラゴイ、最近では、アメリカの研究者ジェームズ・ライスらがアリョーシャ=皇帝暗殺者説を主張しているが、わたし自身はそう簡単には片付かないだろうと考えている。そもそも、皇帝暗殺未遂や政府要人テロの嵐が吹きまくる1870年代ないし1880年代の初めに、そこまで「物騒な」テーマを取り上げること自体可能だったか、という根本的な疑いが残るからである。逆に言えばある意味でこの疑問に尽きる、といっても過言ではない。
 注意深い読者なら、ドストエフスキーが小説の序文に書いた内容を覚えておられるにちがいない。そこでは、「わたしの主人公」がだれにも知られることのないアレクセイ・カラマーゾフという人物である、との断り書きがなされている(「(アレクセイ・カラマーゾフは)どういった人たちにどんなことで知られているのか?」)。皇帝暗殺者が、たとえ未遂犯であれ、無名であるはずはない。
 では、続編すなわち「第二の小説」において、皇帝暗殺に類似した事件はまったく起こらなかったのか。少なくとも、アリョーシャが革命家になるという作家自身の発言や同時代人の証言をどう扱えばよいのか。作家は、友人のジャーナリストどころか、妻のアンナ夫人でさえ、それに近い内容の証言を残していたではないか。
 問題を複雑にしているのは、ドストエフスキーの死から二か月後の1881年3月に、アレクサンドル二世が、「人民の意思」の革命家たちに暗殺されている事実である。つまり、「第二の小説」の完成を、どの時点に想定するかで、根本から内容が変わってくるということだ。
 だから、可能性と現実性の問題を混同してはまったく議論が成り立たないことになる。
 まず、可能性の問題として議論を進めるが、その前にひとつ確認しておかなくてはならないことがある。序文に書かれた次の文章である。
 「この小説が『全体として本質的な統一を保ちながら』おのずとふたつの話に分かれたことを、わたしは喜んでいるくらいだ」
 かりにこの一文をまともに受け止めるなら、「第一の小説」は、何らかの点、いや「本質的な統一」とは何だろうか。まず、ここから議論を出発させなくてはならない。かりに、「第一の小説」全体を、「父殺し」の問題と規定することが許されるなら、当然、「第二の小説」でも、その主題は蒸し返されるはずである。では、「だいにのしょうせつ」において、「父」とはだれになるのか。
 ほかでもない、ロシア皇帝である。
 すでに述べたように、1879年に連載のはじまった『カラマーゾフの兄弟』(「第一の小説」の舞台は、十三年前、すなわち1866年の物語と規定されていた(これは拙著)。『『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する』で全面展開した主張である)。思い出してみよう。ドミートリー・カラコーゾフによる最初の皇帝暗殺未遂事件が起こったのがこの年のことだった。「本質的な統一性」が意識されていたとすれば、ドストエフスキーは、当然、十三年前のこの事件へと読者の連想を誘いたかったはずである。
 『カラマーゾフの兄弟』を執筆中、ドストエフスキーは、たえずテロ事件を見聞していたこともあり、かりに「第二の小説」で皇帝暗殺をモチーフとする目論見であれば、それなりに神経を尖らせながら事態を見守っていたことだろう。テロの時代にどのようにしてテロを描くことができるのか。自らの作家としての影響力から考え、テロを扱った小説が新たなテロを誘発する危険性はないのか。皇帝暗殺のモチーフを扱うことが、疑似的に皇帝暗殺を図ることを意味することになりはしまいか。事実、『罪と罰』の連載開始からまもなく、この小説をそのまま引き写したような事件が起こった。ドストエフスキーはあたかも自らの影響力を恐れるかのように、前作「未成年」に登場する革命家たちに対して、たとえ一言の甘い口約束も与えなかった。
 では、どのようなかたちで皇帝暗殺のモチーフを扱うことは許されるのか。このように問いを重ねていけば、この時代、皇帝暗殺をテーマとすることがいかに困難だったかが理解されると思う。そして少なくとも1881年3月の皇帝暗殺事件以降には、何があっても皇帝暗殺を描くことは不可能となり、テーマそのものも流産し、皇帝暗殺とはまるきり異なる小説が生まれるにいたっただろう。
 わたしはここで完全に袋小路にはまり込む。」亀山郁夫『ドストエフスキー 謎とちから』文春新書、2007.pp.242-245.

 もしドストエフスキーが1881年2月に死なずに、あと1年か2年生きていたら、次なる続『カラマーゾフの兄弟』が書かれて、まったく新たな長編小説が登場したかもしれない、というのは夢物語だけれど、亀山氏はここでいろいろな空想と推測を思いめぐらせて、かなり楽しんでいる。ぼくたちはその後のロシアの実際の歴史を知っているから、彼の死の36年後!に皇帝権力は倒れて社会主義の革命が起こることと、どうしても結びつけたくなる。もちろん、ドストエフスキーはマルクス主義者や社会主義者ではないし、若き頃の連座して死刑宣告されたペトラシェフスキー事件の革命運動も、たぶんに牧歌的なフーリエ主義だから、ロシア革命に結びつくものではない。しかし、もっと19世紀ロシアという世界の行く末にたち籠める暗雲を考えると、ドストエフスキーの小説世界には、20世紀いや21世紀のいまも、その全体性においてなにごとかを予感させるのだろう。
 亀山郁夫氏はその後、この構想をみずから小説化して『新カラマーゾフの兄弟』を上梓しているが、ぼくはまだ読んでいないので、評価は控える。


B.息の長い右翼運動のもたらしたもの
 冷戦が終結し、ソ連が崩壊する1990年頃、つまり今から30年ちょっと前、これからは世界はひとつのグローバル世界になり、経済成長と豊かな社会が世界に広がると楽観的な見通しをする人も多かった。その頃に、日本ではある秘かな企みが動き出していた。はじめは妙なことを言い出す人もいるな、と思って笑っていたのだが、今考えれば、彼らはじわじわと力を養い戦略を立て、「戦後民主主義」「東京裁判史観」「自虐的学校教育」を覆す運動を始めていた。そのことの威力にぼくたちが気がついたころには、安倍晋三という人が権力の頂点に達していた。それを支えたのは、旧統一教会や日本会議や神道政治連盟などの右翼と宗教と保守政治に根を張った勢力だった。それが地方議会でも、いかに浸透しているかというお話。

 「身近で遠い?地方議会: 地道な運動 法を「無効化」 斎藤正美さん 社会学者
 地方議会は国会などに比べて注目されず、地味なイメージがあるかもしれません。しかし、多くの人は気付かないところで、重要な役割を果たしていることがある。ジェンダー平等などに反対する右派の運動の研究を通して、わたしはそのことを知りました。
 1999年に施行された男女共同参画社会基本法は、性別に関係なく、個人が自由に生きていいという方向の趣旨の法律です。2000年代に入ると、法律を具体化する条例づくりが各地で進みました。ところが、その条例づくり過程で、「男らしさ女らしさを一方的に否定することなく」といった文言を入れるなど、基本法の趣旨に逆行する動きが各地で起きました。
 当時、地元で条例の策定に2年間関わっていた私の耳にも、いくつかの不穏な情報は入ってきました。しかし、それらは「点」にすぎず、全体像が分かりませんでした。
 「条例によって基本法を無効化する」という大きな意味に気付いたのは、後になって全国の情報を把握してからです。そのために、議会を使った。俯瞰してとらえて初めて、見えるものがあります。
 そもそも、地方の動きというのはそれひとつではスルーされがちです。例えば「議員が男女共同参画をバッシングする講演会を開いた」という事実があったとしても、それだけでは大きな意味があるように見えないし、報道もされません。私は、旧統一教会の関連団体である「世界日報」の編集委員が、自治体の男女共同参画推進員になっていると学会で発表したことがあります。基本法に対する旧統一教会の否定的な姿勢を知る人たちが集う学会でしたが、それでも一自治体で関連団体の人が共同参画を「推進する」立場についていたことへの反応は鈍かった。
 だから、安倍晋三元首相の銃撃事件をきっかけに地方の小さな動きにも関心が集まるようになったことは、私には社会の価値基準が変わったかのように映ります。地方議会での勉強会でも全国ニュースになる。しかし、その関心が旧統一教会だけでは足りないし、一時的なものにしてはいけないはずです。
 望む社会のために議会を動かすのは政治の常道です。右派は地道にそれを続けてきた。日頃から議員にあいさつに行ったり、イベントに参加してもらったり、議員との信頼関係を築いています。勉強もしているし、議員のために汗をかくこともいとわない。
 男女共同参画では、各地で条例の方向が変わった結果、ジェンダー平等は後退してしまいました。地方議会といえど、社会を変えることができる。右派が目指す社会を「嫌だ」と思う人々が、右派と同じように地方議員とつながり、運動することも必要なのです。」朝日新聞2023年4月6日朝刊、15面オピニオン欄。
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