ほんま日記

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ほんま日記

2015年01月24日 | ほんま日記
本日は、非常に天気もよかったので、
ひきこもるのももったいないなということで、
以前から行きたかった三十三間堂に行ってきました。

内容としては、非常に素晴らしいもので、
圧倒されっぱなしでございました。
みなさんご存知、千体の観音様がいらっしゃいまして、
それぞれのお顔や雰囲気がちがうのが、
それは常識なのかもしれないですが、
なにぶん、なにも知らない素人でございますので、
このことは、たいそうな発見でございました。

さらに、その千体の観音様の前方に、
風神・雷神と二十八部衆の像が並んでございまして、
それぞれの像の力強さ、ときおり覗くユーモアさ、
そして一抹のかなしさのようなものを感じまして、
いたく感心きしりでありました。

それは人間味という言葉で代弁されるのかもしれません。
当然ですが、作るのは人間であります。
しかし、作者は、それを貫き通すなにかを持っていた。
そんなことを感じさせる、強烈なものでした。
その根源には信じる力みたいなものがあると思いますし、
像の先に見える作者の顔というものを想像しながら、
その熱量とふれあっていたんでしょうか。
そんなことを、書きながら思っております。

その風神・雷神と二十八部衆の像でございますが、
こちらは鎌倉時代の彫刻でありまして。

以前、六波羅蜜寺に空也上人像を観に行ったときに
教えてもらったことなんですが、
空也上人像などの、鎌倉時代の彫刻は、
玉眼を用いて写実性を追求しているんですね。
空也上人像を下から見上げてみると、
水晶でできた眼がきらっと光るのを確認できます。
六波羅蜜寺には、他にも平清盛座像など、
鎌倉時代の彫刻をはじめとする、
いろいろな時代の彫刻に出合えます。
こちらもまた、印象的な体験で、
強烈に記憶に残っております。

今日見てきた風神・雷神と二十八部衆の像についても、
同様に玉眼を用いて、非常に凄まじいリアリティで、
目を合わせるのも少し怖じ気づいてしまうのですが、
そこをなんとか、一体一体、
目を合わせて観ていたのですが、
終盤にさしかかるところで気づいたのが、
頭を下げないと、目を合わせることができないのですね。

これって、なんとも含蓄に富んだ話だと思うのですが、
いかがでしょうかねぇ。
印象的な体験だったので、ここに記しておきます。