人間らしく

日記です

錦織選手の健闘を讃える・・・

2019年01月22日 08時40分57秒 | 日記
 昨夜、全豪オープンテニスの男子ベスト16の試合を観戦した。錦織選手の素晴らしい大逆転劇に酔い痴れた。
午前中に大坂なおみ選手の逆転劇を見たばかりで、男子は錦織選手の楽勝を予想して観戦した。
第1~第2セットは、予期せぬ結果で負け続け、重苦しい雰囲気となり、敗戦になると観戦を諦めかけた。
第3セットに入り、タイブレークをものにして、微かな勝利の可能性を期待した。
対戦相手の圧力に押されながら、第3セットを勝利したではないか。
彼の実力からすれば最終セットは勝利すると思ったが、対戦相手も、最後まで粘ってきた。
タイブレークの10ポンマッチとなり、6対8で絶体絶命のピンチに追い込まれたところ、最後の最後に大逆転勝利をもぎ取った。
スポーツに限らず、何事も最後まで諦めてはならないことを学んだ。彼の人生で忘れえぬ想い出になることだろう。しばし興奮は冷めなかった。



               夕 日 に映 え る 久 住 連 山


我が青年時代(2)・・・

2019年01月22日 05時33分03秒 | 日記

 20歳台の青年時代を要約すれば、以下のようになる。
(1) 前半は、研修時代の充実した人生である。
   友人に恵まれ、東京の華やかな文化に触れたことである。終生この喜びは私のとなった。
   部活において、スポーツではバドミントン・卓球に、
   文化面では「男声合唱」「詩吟」「ブラスバンド」「演劇」「新聞部」と欲張りすぎるほどであった。
(2) 新しい「家庭生活」に入ったことである。 
   パートナーに恵まれたが、裸一貫の貧しいスタートであった。温かい家庭が実現できた。  
   一家団欒は私の長年の「夢」であった。共稼ぎの出発であった。
   結婚費用は借金で済ませ、我が家には所謂三種の神器は無かった。初ボーナスで白黒テレビを買った記憶が懐かしい。
(3) 現場機関での仕事が始まった。何もかも初仕事であったが、戸惑いつつも新鮮であり、吸収することができた。
   事務系の人間にも拘らず、技術者のような素養を養うことができた。それが後年役立つこととなった。
   仕事に関するグローバルな視野が広がったことだろう。置かれた場所で咲かせてもらった気がする。



             海 か ら の レ イ ン ボ ー ブ リ ッ ジ  



   


我が青年時代(1)・・・

2019年01月21日 05時31分14秒 | 日記

 私の少年時代は不遇にして悲惨であった。
社会人となってからは、兄弟はそれぞれ職に就き、ようやく人並みの生活ができるようになった。
研修の場・学園生活は快適であり、充実していた。
周りは同じように苦労してきた仲間だったが、生涯の友が何人か出来た。
まさに下り坂の人生が、上り坂に変わってきたようだった。
卒業後の仕事は、トラヒックによる設備管理、設備計画の仕事、データ通信のシステム設計等幅広く従事させてもらった。
会社内では本流の仕事ではなかったが、広い視野が養われたように思う。
この経験が後年の民営化に役立つこととなった。お客様指向の仕事に役立ったからだ。
20代は「種まく時代」30台は「実りの時代」40~50台は「収穫の時代」になったように思う。
仕事も家庭も順調に進んだ時代だった。  《以下続く》



                  厳 島 神 社 の 本 殿



我が少年時代(5)・・・

2019年01月20日 05時41分40秒 | 日記

《前日に続く》 恥を忍びながら少年時代を懐古してみたが、未だに消し去ることができない心の傷が残っている。それは
【1】幼くして亡くした母への思慕である。そのせいか未だに母性愛に憧れがある。
   その代役を果たしてくれているのが妻だ。私の無理な要望をも素直に受け入れてくれる最高のパートナーだ。感謝なことだ。
【2】両親、祖父母に十分に孝行ができなかったことだ。17歳で別れて以来、26年ぶりに再会できたのは、重病の知らせを受けた時のことだ。
   再会は、双方とも涙も無く実にクールであった。帰宅して、家族の前で号泣したことを覚えている。
   あとにも先にも、辛くて悲しい時に涙したことはなかったが、この時だけは感情を抑え切れなかった。
【3】兄の若すぎる不運な死である。両親の長所を一人占めしたような兄だった。学業は元よりスポーツは万能で、尊崇した兄だったが、無念だった。
【4】3回もチャンスがあったにもかかわらず、一度も修学旅行に行けなかったことである。校内に残っての自習は辛かったし寂しかった。
   養成訓練の最後に、1週間にわたる北海道一周の修学旅行は私にとって最高の想い出となった。
まだまだ、辛い切ない思い出は多々あるが、何をおいても肉親との別れが一番辛いことだった。
少年時代には、得るものも多かったが、失うものも多かった。



                 朱 色 に 映 え る 厳 島 神 社


  


我が少年時代(4)・・・

2019年01月19日 06時39分11秒 | 日記

 《前日に続く》  高校は祖父母のお蔭で卒業できたが、就職難の時代が待っていた。
卒業の1カ月前まで就職は内定せずに、やっと決まったのが「電電公社」だった。
入社して、仲間に聞けばみんなそれぞれ苦労した人のようだった。
縁故も伝手も無く採用してくれた電電公社に今でも感謝している。
学校は大学進学を勧めてくれたが、家庭のことを考えて「就職」の道を選んだ。
進学できなかったのは不本意だった、入社後電電公社には2年間の大学相当の有給の養成訓練があることを知り、約4年間受験勉強をした。
宿直勤務の合間を利用しての勉強だった。金銭のかかる遊興・娯楽とは無縁であった。
その間、実家の家計は一層苦しくなって、可能な限り仕送りを続けた。
養成訓練に合格して「東京」での2年間の寮生活が始まった。
文化の果てる地からの上京故、あらゆる文化を吸収すべく、コンサート、観劇、画廊巡り、観光等、地方ではできないことを精力的に励んだ。
それが後年大いに役立ったように思う。  《以下続く》



               厳 島 神 社 の 回 廊






我が少年時代(3)・・・

2019年01月18日 07時09分29秒 | 日記

 《前日に続く》 父親は明治気質の九州男児だった。子供の躾には、結構厳しかった。
未だに覚えているのは、①高い理想と・志を持て②貧しくてもプライドを持て③卑怯な真似はするな④愚痴はこぼすな等である。
そのお蔭で何とかグレずに済んだようだ。
12歳の折り、可愛がってくれた父方の祖母の不慮の死以来、17歳まで父と二人で生活してきた。
炊事・洗濯等家事一切を任された。世帯ずれした「おませな児」に育った。
生活は困窮を極め、母方の祖父母の世話になって、高校を卒業させて貰った。
また、近隣の大人たちも、成長に手を貸して下さった。
悪さをすると、①子供は正直で素直が大切②他人には迷惑を掛けるな③弱い者イジメはダメ等諭された。
これらがすべて今の私の支えとなっているように思う。《以下翌日に続》



                  寄 り 添 う 鼠


我が少年時代(2)・・・

2019年01月17日 07時27分16秒 | 日記

 《前日につづく》 3人兄弟であったが、兄と弟は祖父母の所で幼時から育てられた。
祖父母が見るに見かねて、私を呼び寄せて、面倒を見てもらうことになった。
小学校~高校を卒業するまでに7校、転校の連続だった。
転校は辛かった、「イジメ」にあうし「仲間外れ」には悩まされた。
家庭的にも恵まれなかった。母は3歳で死別、4才から12才までは継母の世話になった。
その継母も貧乏に耐えかねたのか、父とは離別してしまった。
夫婦喧嘩が絶えなかった。子供にとっては辛く悲しいことだった。
母親のいる一家団欒の暮らしを見ては羨ましくて仕方なかった。
祖父母のお蔭でどうにか「高校」を卒業することができた。 《以下続く》




                夜 明 け の 大 山



我が少年時代(1)・・・

2019年01月16日 05時21分22秒 | 日記

 我が少年時代を記すのは、気恥ずかしい限りであるが、「自分史」の1ページとして記す。
私の少年時代は、貧しく、悲惨であった。経済的にも、家庭的にも・・・。
太平洋戦争の被害者であった。戦前(幼年期)には比較的裕福に育って、幼稚園を卒業した。
しかし、父親が軍需工場に徴用されてからは、徴用先の近くで「疎開」させられて、悲惨な生活が始まった。
何よりも経済的な辛酸を舐めさせられた。
父親は世渡りが下手で、戦後の混乱期を要領よく時流に乗れずに、惨めな一生を終えることになった。
その原因は、父親の不器用さにあったように思う。頑固一徹理想家、で芸術家肌であったように思う。
世の変化に合わせられなかったのだろう。兎にも角にも、経済的に貧乏で悲惨であった。
或る時は、食べるに困り、住む家もなく引っ越しを繰り返し、丁稚奉公までさせられた。
高校も授業料を滞納して、一時期休学になってしまった。
この時代の苦労が、今になって、強い生命力になっているように思う。《以下続く》



                  紅 葉 散 り て


グローバリズムについて再び問う・・・

2019年01月15日 05時22分33秒 | 日記
 これまで2~3回「グローバリズム」について、批判してきた。
「グローバリズム」はアメリカから、世界に向かって始めた経済政策であり、「強い者勝」の金融資本主義である。
その御本尊が自国優先に方針を変えて、TTPは脱退するは、バリー協定から離脱するはで、大混乱を招いている。
わずか1%の人間が、世界の富の90%の富を私有する事が許されるはずがない。
何度も言うが、「自国ファースト」は「エゴのエゴ」であることを忘れてはならない。
富裕の国アメリカも、約束事を保護にして「エゴ」丸出しの国に成り下がったように思えてならない。
幾ら競争が激化しようとも、約束事は守り抜いてほしいものだ。
昨今の韓国もいずれは約束事を守れない国として、信用を失墜していくことになるだろう。
世界のリーダーは、歴史に耐え得るだけの信義を実践してもらいたいものだ。
神様と世界は、彼らの挙動を見守っている。



                   長 崎 の 平 和 の 像


高齢化は進む・・・

2019年01月14日 06時29分15秒 | 日記

 時に街に出て、辺りを見れば、高齢者の多いことと、杖付く人の多いことに気が付く。
以前、ある先輩から80才の大台に乗れば、身心とも衰えてくる、その覚悟はしておきなさいと忠告された。
確かに八十路を迎えれば、身体の諸機能が衰え、気力も萎えがちになる。
思えば、八十歳まで生きようとは、考えてもみなかった。
子供が成人式を迎えて社会人になれば、それで良しとしてきたが、長生きしたものだ。
それが何時の間にか、八十路の坂を越してしまった。
人生100歳時代が始まったことを、街の片隅にも観かけるようになった。
これからどれだけ社会の変化が続くのか、、期待と不安が入り乱れている。
長寿は人間にとって果たして幸せなものかどうか、時々考え込むことがある。



                  安 芸 の 国 の 神 楽