人間らしく

日記です

納得のいく説明責任を・・・

2017年09月30日 06時04分37秒 | 日記

 衆議院が突然解散された。大義のない解散だったように思う。
解散する理由には「大義」が必要だが、納得できる説明はなかったように思う。
最も必要とされる「説明責任」が不十分なのは、許されないだろう。有権者はどのように受け止めただろうか。
説明責任は、後付けの理屈として聞く以外にない。どのようにでも言い訳は出来る。
 相次ぐ不祥事には、説明責任どころか、説明もせずに逃げ回った国会議員もいた。
説明があっても、納得いくものではなかった。
有権者には、「説明責任」が、納得されることが、必要であり、かつ、十分な要件である。
有権者諸氏には、どれほど納得されたことだろうか。
納得のいかない説明は、説明責任を果したことにはならない。



         シ ナ イ 山 か ら 見 た 夜 明 け


有権者よ、洞察力を・・・・・

2017年09月29日 04時25分19秒 | 日記
議員の不祥事があいついでいる。
情けないことだ。有権者に問題は無いか、問いかけたい。
ただ単に、議員の資質の問題にするには、短絡過ぎると思う。
有権者に問題はないかが、一番問題だろう。
 フダンから注意深く観察しておれば、議員の資質を見抜けないはずがないと思えるのだが・・・。
マスコミは面白く、おかしく取り上げるが、有権者は自らのことと厳しく反省すべきではないだろうか。
 自己犠牲を議員には強く求めたい。
地域のため、お国のために自己犠牲をする議員が少しでも増えれば、世の中は明るくなるでしよう。
 今の議員諸氏は自己保身ばかりだ、人徳に欠けているように思えてならない。
風にそよぐ芦のように、フラフラした政治姿勢では困る、よくよく人柄を見抜いていこうではないか。



             シ ナ イ の 山 々

戦争はガキのすること・・・

2017年09月28日 05時48分44秒 | 日記

 北朝鮮と米国の言い争いは、ガキどもの喧嘩のようだ。
喧嘩は後で考えると、、どっちもどっちだったことが多い。
どちらかが譲れば喧嘩にならない、譲り合って話し合いをすればよいと思われるのだが・・・・・。
思惑が妨げになっているようだ。ツマラナイ意地の張り合いが「戦争」の原因になる。
ただ「圧力」だけでは、治まらない。と知るべきだ。
「戦争」は、国と国との喧嘩である。それを避けられないようでは、広島の子供たちに恥ずかしくはないか。
「戦争」で得するものは誰もいない、ただ「悲惨」さが残り、死の商人だけが儲けるだけである。
有史以来、戦争は無くならないが、人類も、少しは賢くなりたいものだ。
いくら科学が発達しても、世の中が進んでも、戦争を無くそうとしないのは、人間の限界だろうか。
子供たちに恥じない地球にしたいものである。



         ツ タ ン カ ー メ ン の 像

 


プライドこそ、人間のアイデンティティー・・・

2017年09月27日 06時36分27秒 | 日記
 父は明治生まれの頑固者であった。
祖父を10歳の頃無くし、幼くして「写真」技士となった。
技士になった当時は珍しい存在で、「先生」呼ばわりされていたようだ。
したがって「プライド」の高い人間であったようだ。
戦後は事業を何度も失敗して、いろんな仕事をしてきたが、どれも失敗の連続であった。
戦争が父の人生を狂わせたようだ。他人からは、甲斐性なしと罵られたようだ。
 しかしながら、どんなに貧乏していても、「プライド」だけは捨てなかった。
私は、高校2年生から、授業料にも困窮して、祖父母(母方の)に面倒を見てもらった。
父の末路は無残であったが、看護士から伺ったところによると、貧しても「プライド」だけは失わなかったようだ。
それだけが救いであった。「プライド」こそ人間のアイデンティティー・・・・・。


人生は旅人のよう・・・

2017年09月27日 04時38分22秒 | 日記

 人生は旅に例えられるが、旅そのもののように思える。
俳人・芭蕉も言っているように、見知らぬ土地を目指す「旅」のようだ。
 交通機関が発達してからは「旅行」と言われるようになり、私には「旅」と言った方が馴染むようだ。
 「旅」は未知に対する不安と期待があるが、人をして自由かつ気宇雄大にしてくれる。
芭蕉の句にあるように、「夢は、枯野を駆け巡る・・・」と他人との交流も、盛んにしてくれる。
心が開かれて、自由奔放になり、寡黙な人をも饒舌にしてくれる。社交性が呼び起されるのだ。
他人との出会いの場も増え、を作るチャンスにもなる。
 行楽シーズンの今、元気ならば「旅」に出かけたいところだが・・・残念でならない。
「旅」は人生だ。よき旅を続けたいものだ。



          ス フ ィ ン ク ス の 像


杞憂たらんことを・・・

2017年09月26日 05時45分19秒 | 日記

 
 人間は「知」の動物と言われる。
「知」から「知識」にし、さらにこれを「知恵」から「智慧」にまで高められる。
常に進歩・発展を求めてやまない人間の営みである。
これだけ便利で、快適な生活に馴染んでしまうと、オーバー・ランになっていないか心配だ。
これが単なる杞憂であればよいのだが・・・・・
 エデンの園でアダムとイヴが、神から禁じられていた「智慧の実」を喰ってしまった結果ではないかと思うことがある。
人間は、飽くなき欲望と進化を求めてやまないが、求め過ぎは、いかがなものか。
原始の社会の良きことを学び治すのも一考ではないか。
暇にあって、そんな愚考もしてみる昨今である。



       ウィツイー美術館の天井画


人はなぜ恥ずかしがるのか・・・

2017年09月25日 04時16分42秒 | 日記

 看護士から「脳梗塞」を患った人は、感情が鋭敏に研ぎ澄まされる、と言われた。
云われてみると、確かに、涙もろくなったように思う。
懐かしい知人友人に逢っただけで、涙が溢れ出てくる。
テレビの人情ドラマ、スポーツ観戦での感動、などなど、自分でも驚くほど涙脆くなった。
確かに罹病以前と比べて、変化したことに気付く。
時に、恥ずかしくもあり、覆い隠したくなることもあり、快復後はどのように変化するのだろうか。
些か気になるところである。
人は何故、「涙すること」を恥ずかしがるのか、不思議でならない。



       ダ ビ デ の 像


何時の世も・・・・・

2017年09月24日 04時15分03秒 | 日記

 昔、「今の若いものは・・・・・」と言われて、怒りに近い抵抗感を持ったものだ。
労働組合の保護が行き届いていた所為か、≪「戦地」に行った兵隊さんのことを考えてみろ≫と言われたものだ。
考えてみれば、何時の世も変わらないものだ。老人は、若い人達を批判的にみる。
今、私たち世代から見れば、若い人達の行動を見ると違和感を覚えることも多いのではないだろうか、
そんな時、私は≪今の若いものは・・・・・≫と批判された言葉は、その時の反省として、禁句としている。
何時の世も、常に世代間の溝は巡り巡ってくる。そんな心境で世の移り変わりを観ている。
批判だけはしたくないものだ。

          

             ミ ラ ノ の 大 聖 堂




単純明快なコミュニケーションを・・・

2017年09月23日 06時47分51秒 | 日記

 今から約30年ほど昔に、「言葉による伝え方」についても講習を受けたことがあった。
その時の強烈な記憶が、今だに忘れられない。
それは、自分の言いたいことを「ひとこと(短い言葉)」で言い表しなさい、ということだ。
「一言」で単純明快に表現するようになれれば、他人様に真意が伝わりやすいという。
間違いなく、本質を突いた言葉だと思い、今なお鮮やかに記憶に残っている。
単純・明快に「一言」で言うことにより、自分が相手に伝えたいことが明確に強く伝わるからだ。
何となく、ダラダラと喋っては、何が云いたいのか伝わりにくい。
「一言」で言うことが、意外にコミュニケーション上、大切なことだ。


         街 の 花 屋 さ ん ( ロ ー マ )


言葉遣いについて(3)

2017年09月22日 05時27分38秒 | 日記
≪前日に続いて、言葉遣いについて」
 言葉の使い方は、世につれ、流れがあるようだ。
近頃は、スマホの影響か、省略化した言葉が多々使われているようだ。
一昔前には、カタカナ文字「外国語」が、多く使われて、顰蹙を買ったものだ。
 私も現役時代には、カタカナ文字、例えばスタンス、シチュエーション、××ベースなど得意がって使ったものだ。
今思うと、近年、日本語は乱れに乱れてはいないか、と思う。これも「国際化」の表れか。
それにしても、「言葉」は、もっと大切にしないといけないと思う。
フランス語を見習う必要がある。
フランスでは、毎年、「言葉」の是非を国家的審議機関(アカデミー)に諮問されるという。そこで、初めて正しい言葉として認められることになる。
正しい、美つくしい言葉を使い続けたいものだ。



       ピ サ の 斜 塔