人間らしく

日記です

救急車の警報が耳につく

2017年04月30日 07時24分27秒 | 日記
 3月は「寒暖の差」が大きい。
私が入院した日は、3月1日だった。
毎日、毎日救急車の警報が絶えなかった。
最初はあまり気にかけなかったが、次第に気になるようになった。
寒暖の差が激しい日には、脳の発作が起こりやすいようだ。
自分のことのように感じた。
自分も、同じように、「脳梗塞の発作」が起きたに違いないと思った。
季節の変わり目は、寒暖の差が激しい。
健康の時には、感じないが、後になって気が付いた。


                 銀 閣 寺 ( 京都 )

脳(アタマ)は人間の指令所

2017年04月29日 04時36分51秒 | 日記
 脳は人間の指令所である。
水をたっぷり蓄えたえたバケツのようなもの、水分(血液)が十分有れば隅々まで満たされる。
身体は自由に活動ができる。
言葉は「話せる」し、「手先・足先」まて「胴体」も自由に動かすことができる。
しかし、どこかに狂いが生じれば、人間らしく行動できない。
「立つこと」「座ること」「歩くこと」もできなくなる。
まさに、「脳」は人間の指令所なのだ。
コンピューターのCPUだ。
今回は、それを体感した。
身体を横にすれば(寝る)と、楽に安定する。
水分(血液)が不足すれば「立てなくなり」ボーとして思考能力は無くなり、「立ちくらみ」が起こる。
初めて実感としてわかった次第である。
特に「脳梗塞」の人には、水分補給は欠かせないそうだ。




平 安 閣 (京都)

血圧と脳

2017年04月28日 05時50分35秒 | 日記
 「脳神経外科」の入院患者は、「脳梗塞」や「脳溢血」などの患者さんが多い。
これらの患者さん達は、「脳」のいろんな場所が罹災されているようだ。
勿論、毛細血管に影響していることが多い。
特に、「脳梗塞」の人は、血圧が高い方が毛細血管に良い影響があるらしい。
常織的に考えれば、高血圧の方が、血流にとって好ましいはずだ。
私の場合は、通常の血圧は120ミリ~80ミリの範囲だが、当時上が170~180はザラであった。
この時、初めて、気が付いた。
「血圧」のやや高いのはかえって私にとって良いことだと。
通常、上が130台~140台が、体調が良いようだ。素晴らしい発見であった。



                     宮 島 の 夕 日


血液は巡る

2017年04月27日 04時33分44秒 | 日記

 血液は体中を昼夜を問わず巡る。
病を得てからは、それが よく解かるようになった。
酸素と栄養を必要な場所に運ぶ。
毎日、毎日ご苦労さんなことだ。
特に、食後は胃腸に多く巡り、脳に供給される量は少なくなるようだ。
体調が、経験的に教えてくれる。
人体は不思議に上手くできている。



                       瀬戸内の夜明け


人間らしいナース

2017年04月26日 15時08分44秒 | 日記
ナースは人間らしい。
入院当初、ナースは約束を守らないと思っていた。
約束時間が来ても、守ってくれない。
イライラして待っていると,
遅れてやってくる。
よくよく観察していると、
誰かのところで、予定していた「処置」「治療」、「相談ごと」・・・で手間取っているようだ。
だって、人間相手のお仕事だもん、予定は未定である。
その理解ができていない私には、「時間厳守」が鉄則だ。
苦情を言ったところ、「謝る」だけであった。
「時間厳守」こそぜったいと考えていた私が間違いだった。
「人間相手」のしごとには、時には、狂うことがある。
この病院では「病院時間」があるのだ。私が感じた瞬間から、考えを変えました。
「××時間」は、悪い習慣である、と考えていた私が間違っていたのです。
「パンクチュアル」は間違っていた。


                         音戸の風景(2)

       

私の泣きごと

2017年04月25日 06時36分41秒 | 日記
 なんといっても、一番辛かったのは、眠れないことだった
睡眠不足が続くことくらい辛いことはなかった。
夜になると、「今日は眠れるだろうか」と不安に駆られた。
そんな連夜だった。
続いて不安なのは「便秘」だった。
ずっと続き、まるで「肥溜め」のようだった。
恐怖は連日続き、嫌な思いをした。
帰宅できれば、解消できるのにと思った。
なにせ、運動はしない上、連日の睡眠不足には参りました。



                        音戸を往く


病院内では言葉は不要

2017年04月24日 05時48分14秒 | 日記
 約1カ月の入院生活だったが、顧みると、使った言葉は少なかった。
「ありがとう」「すみません」でほとんど用が足りた。
このことから、教科書・福音書で習った「ヨハネ伝」を思い出した。
曰く「初めに言があった、言は神であった、、、 」が「言葉は院内では少なくて済む…」であった。
ほとんどの場合、「ありがとう」と「すみません」で済んでしまう。
医療の分野では、国際化が進むのではないかと思った。


                       音戸の瀬戸

「人間」は自然の産物

2017年04月23日 07時43分22秒 | 日記
 いつも、思うことだが、「人間」は自然の産物・生き物」であると・・・・・
今回ほど、それを痛感したことはない。
退院後、10日ほど経ったころ「どうも体調がおかしい」と感じたとき、連日低気圧が襲って来ていた。
ドクターに訊いたところ、「人間」は、やはり自然の影響を受けるそうだ。
このことから「人間は気候の影響をモロに受ける」ようだ。
常日頃感じていたことが当たっていたようだ。
これからは、自然をよくよく考えないといかん、と思った次第である。 



                        大山の風景


ナースは天使

2017年04月22日 12時55分16秒 | 日記
 患者はいろいろな人がいる。
「わがままな人」、「他人を顧みない人」、「孤独な人」、「無関心な人」など様々だ。
敏感症な私は、よく観察しているとナースも様々だ。
だが、いかなる場面でもナースは、沈着・冷静である。
どんな時でも、「ナースコール」があれば、嫌な顔を見せず駆けつけてくれる。
これぞまさに「ナイチンゲール」精神そのものです。
若い人も、ベテランも、皆様そうでした。
訓練の成果か、「志」か素晴らしいことです。
感心しました、「ナース」は天使でした。  
 


                  音戸の瀬戸公園にて

「自由」は宝

2017年04月21日 08時51分57秒 | 日記
入院当初は、「不自由」そのものであった。
身体は自由が利かず、したいことはできず、思いはままならず、「不自由」そのものであった。
人間の基本「立つこと」「座ること」「歩くこと」がままならず、何もできなかった。
この時ほど、不自由なことはなかった。
「人間」自由に立ち回れることほどありがたいことはないと感じた瞬間であった。
「囚人」のことや「不自由」な人のことを思う時、「自由」に行動できることほど、素晴らしいことはないと思った。
頭では判っていたが、初めて身体で理解できました。
普通にできることが、どんなに素晴らしいことかが解りました。



                長崎港の夜景