電話は、格段の進化を遂げてきた、距離と時間を超越した感がある。以前は、遠距離通話は高額だったので、極力、手紙を多用した。
近年、電話は電電公社の民営化により、数社が競い合うようになり、使い勝手がよくなってきた。
使い易くなった電話は、人間関係にまで関わるようになってきた。
朋が遠方にいても、気軽に会話できるようになった。旧交が復活できたのは電話によるところが大きい。
電話の普及に携わった人間としては、その成果を見届けることができ、恩恵を享受させて貰っている。
電話、インターネット、SNS等コミュニケーションツールは限りなく発展して、人間関係にまで影響を及ぼすようになってきた。
犯罪等に悪用するのは、厳に慎んでもらいたい。「旧き縁」は「電話」により保たれている。
タ ワ ー ・ ブ リ ッ ジ
当初は、中国・武漢にとどまり軽微に済むと見られていたが、予想に反して、次第に勢いを増し、幾何級数的な拡がりを見せている。
第一次世界大戦当時に流行した「スペインかぜ」を思い起こさせるものとなりつつある。
聞くところによると、死者は約5000万人~1億人、感染者は5億人以上で、世界対戦をも終結させる程の猛威を振るったといわれている。
新型ウィルスの発症は、人類が最初に経験した感染病だった。
文明が発達した今日でも、「手洗い、ウガイ、マスク」と、人と接触しないこと以外に防ぐ手立てがないという。
何としてもこの世界的な危機を一日も早く脱したいものだ。2020東京オリンピック成功の為にも・・・。
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ツ タ ン カ ー メ ン 像
「去るもの日々に疎し」と言うが、別離は人を引き離すのが世の常である。親しい間柄でも、賀状か暑中見舞いの交換するのが普通だろう。
ところが、縁は異なもの不思議なもの、私はこのところ30年~50年間ご無沙汰していた何人もの人達と旧交が復活している。
出会った時の印象が強烈だったのか、惹かれ合う何かがあったのか、それは判らない。
しかし、50年間もの空間を埋めてくれたのは、何か見えざる不思議な「ご縁」があったようだ。神業としか考えられない。
インターネットで偶然発見した旧友、病気見舞いしてくれた仲間、苦難を共にした仲間等々不思議な縁で繋がっている。
電話が一役買ってくれているのだろう。安価で便利になったからだろう。
離れて初めて判る「人情」、過去を大切にすべしと痛感している、ただただ感謝あるのみ・・・。
鳥 取 ・ 浦 富 海 岸
講師として研修所で教鞭を執っていたころのこと、訓練生から予期せぬ質問が飛び出すことがあった。
人の理解は100人100様だ、人それぞれに違った理解をするものだと気が付いた。
教える側が気付かずに、逆に教わることになる。つまり、教えることは、教わることを学んだのだ。
逆転の発想をしないと、本当の姿は見えてこないようだ。
応用動作の利かない「マニュアル」頼りのサービスで、真のサービスができるのか、不図、疑問に思った。
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青 海 島 の 奇 岩
中高年なった時以来、自分では厳重にケアしてきたつもりだったが、今思うと杜撰だったように反省している。
生来、「甘いものを好み」特に、「果物」には、眼がなかった。
「腎臓」に弱点があったので、「塩分」には特段の注意を払ってきた。家族は「薄味」に慣れていたほどだ。
テレビ・コマーシャルにあるように、現代人の食生活は「塩分・糖分・油分」の過剰な食生活になってきている。
「果物」は健康食品と錯覚していたのが、過ちの始まりだった。
「果物」には、「果糖」が多分に含まれているのだ。気が付くのが遅すぎたということか。
生活習慣は、歳とともにジワリジワリと浸透してくる。反省することしきりである。
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冬 の 木 立
老いてなお、己の果たすべき役割を、見つけ出そうと、汲々といている、何か他人様のお役に立ちことは無いものかと。
あるとすれば、これまでに経験してきた知恵意外に思いつかない。
ともすれば、昔を懐かしむ回顧に終始しそうだ。焦ることはないと言い聞かせつつ、気が休まらない毎日だ。
ともかく、このまま老いさらばえるのは、芸がないと思うこの頃だ。
先ずは元気を取り戻すことから始めようと思う。
この世に生を受けたからには、何か「役割」があるはずだ。
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鯉 達 優 雅 に
己を放棄することは至難の業だ。超犠牲的精神の持ち主か自己保身を捨て去らない限りは難しい。
現役の終盤、私は自己放棄ができていたように思う。己の私欲と保身とは縁を断ち切れていたからだ。
如何なる場合に於いても、自己擁護と責任回避はしなかった積りだ。
配下が仕事で苦しんでいるとき、決まって云ったのは「自己を捨てろ」と言って助言したものだ。
今にして思えば、厳しいことを言ったもんだ。
自己から脱却すれば、気持ちは楽になるし、解決の道が開けるからだ。
致命的な失敗を招けば、正直に謝罪する以外はないし、辞職願を出す覚悟ができていたからだろう。
サラリーマン社会になってから、 「無責任時代」が罷り通っているように思えてならない。
特に政治家が秘書の所為するのは、如何なものか。
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萩 ・ 武 家 屋 敷 跡
毎朝起床して洗顔⇒朝食と無意識のうちに行っているが、いわゆる生活習慣は、無意識になっている。
3年前に「脳梗塞」を患って以来、生活習慣を多少は変えてきたように思う。
今にして思えば、中途半端だったように思う。先頃、病院で「定期診断」を受診したところ、結果が芳しくなかった。
主治医は「外科の医者」であり、検査結果は伝えてくれるものの、生活指導、食事指導等は全くないので不安が募っていた。
このまま、漫然と暮らしていると、「危険」と判断して、生活習慣を全面的に見直すことにした。
先ずは「食習慣を変える」、「生活習慣」を抜本的に改めることでした。
「食事」は玄米を中心にした日本古来の自然食に、適度な運動と摂生に努め、自然治癒を期待することにした。
その成果は時の経過を見ないと判らないが、期待して待つことにしている。
萩 の 黎 明
第2次世界大戦中に、ナチス・ドイツからユダヤ難民を救った人達がいた。テレビでスピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」を観た。
日本では「杉原千畝」さんが余りにも有名だが、他にも協力した日本人が居たことを知った。
一人は、「小辻節三」さん、杉原の発行したビザで、ユダヤ難民の国内脱出を手助けしたという。
他の一人は、「樋口季一郎」さん、元陸軍中将で、北満で大勢のユダヤ難民を救ったという。
彼らは、日・独・伊の三国同盟の中、ドイツ・日本政府の圧力にも関らず、勇気ある決断で、人道を優先してユダヤ難民を救ったのだ。
日本にも、腹の座った偉い人物がいたものだと感銘を受けた。
困難な中で、勇気を持って行動できた人に改めて感動した。
シ ナ イ 山 へ の 道
人前で唄うことや意見を発表することには、勇気が必要である。しかも、自発的で積極的な姿勢が求められる。
私は人前で話すことは、大の苦手で引っ込みがちであった。自意識が強かったからだろう。発表する時には、声が震えるほどだった。
三十路になった或る日のこと、偶然、上司の事情により、講師の代役を命じられた。
これは、自分の弱点克服のチャンスと捉え、覚悟を決めて臨むことにした。半日のレクチャーだったが、自分なりの策を凝らして臨んだ。
そのヒントは、ベートーヴェンの「運命」の曲想にあった。まずは冒頭に、受講生に向けて強烈なインパクトのある第一主題を放つことだった。
相当強烈な衝撃だったらしくて、受講生も緊張して聞いてくれ、まずは成功したようだった。
以後、約100回ほど、講義に出掛けたが、消極的な姿が無くなり、人前で話せるようになった。また、重要な会議等でも大いに役立つこととなった。
チャンスはそう度々あるものではない、この時、積極性が何より大切と痛感した。
平 櫛 田 中 美 術 館 に て