人間らしく

日記です

ついに、迎えた八十路・・・

2018年03月31日 05時35分12秒 | 日記
 今日3月31日は、私の誕生した日である。
遥か彼方と思っていた八十路がついにやってきた。感慨ひとしおである。
嬉しいやら、悲しいやら、複雑な感情が入り乱れている。
よくよく考えれば、よくぞ戦時中から、戦後の悲惨な時代を生き抜いてこられたものだ。
若かりし頃、家庭的にも経済的にも恵まれずに、今日の日を迎えられたことに、なにより感謝しなければならない。
幸せという形は目にできないが、大過なく今日を迎えられたことに感謝したい。
心の底から、大空に向かって「ありがとう」と叫びたい。
これからの余生は、少しでも世のため、人のためにお役にたてればと願っています。



                 ア ン ネ の バ ラ 可 憐 に


昔とった杵柄は今・・・

2018年03月30日 04時52分04秒 | 日記

 自転車は、一旦、乗れるようになれば。生涯その乗る感覚は忘れないという。
スキー、スケートも同様である。所謂「昔とった杵柄で」ある。
繰り返し、繰り返し身に着けた技は、生涯自分のものになるということのようだ。
私は、毎日「ブログ」を記していて、昔、新聞の編集に携わったことを想い出した。
編集には「記事の穴埋め」「コラム欄の作成」など文字数の調整が求められる。
今でもその時の感覚が残っているようだ。
身体で覚えた以外にも、頭で覚える技もあるのですね。
そんなことを想いながら、今日もブログを書き綴っている私である。



                ベ ゴ ニ ア の 群 れ


井戸端で会話を・・・

2018年03月29日 06時25分29秒 | 日記

 日本が貧しかった頃、「縁側」「井戸端」「床几」等が各家庭にはあって、人々の社交の場になっていた。
核家族化と新築ブームによって、それらが無くなってしまった。
それらは人々の社交の場と、楽しい語らいの場を奪い取った。
人々の近所付き合いや人情が薄れてしまってきているのは、寂しい限りだ。
「井戸端」で互いに交流し、「床几」で暑さを避けて将棋・囲碁をするチャンスを奪ってしまった。
便利で棲みよい家庭を作った結果だろうが、何とも昔が懐かしい。
「花見の習慣」が日本に残っているのは、せめてもの慰めである。
得るものがあれば、失うものがあることを忘れないでいたいものだ。



                    桜 華 や ぐ


口先だけの「現場第一主義」では・・・

2018年03月28日 06時16分55秒 | 日記
 何か大事件・大事故が発生すれば、その時だけ「現場第一主義」と反省の弁が述べられる。
企業・組織の幹部は事件・事故の重大さに気が付いて発せられる言葉だろう。
言うまでもなく、企業・組織を支えているのは「現場」である。
日常そのことを忘れてしまってはいないか。
私は、現役時代は約7割は管理機関で過ごしてきた。
その頃の経験では、幹部になればなるほど自らの出世・保身の意欲が強いと思われた。
現場は日常的には「無視」されがちであったように思う。
本気で「現場第一線」を重視している企業は待ち受ける「苦難」にも対処できるだろう。
企業・組織を想う社員達が危機を凌いでくれるだろう。
「現場」を軽く扱う企業・組織は衰退していくことだろう。



               ハ ナ ニ ラ


モーツアルでお茶を・・・

2018年03月27日 05時57分06秒 | 日記

 クラシックは「モーツアルト」に始まり、「モーツアルト」に終わるといわれる。
生物に「モーツアルト」を聴かせれば、イキイキとして成長が早まるという。
確かにモーツアルトの作品には、長調のものが多く、流れるような軽快感があり、心が癒される。
私は「ヨハン・シュトラウス」のワルツから聴きはじめた。
これがクラシックに入門する決め手だったが、今は「モーツアルト」に嵌っている。
この年になれば、「自然」と親しめる音楽が心地良く、心が落ち着くということか。
暗くて、深刻な音楽は避けるようになった。
音楽とは、楽しく聴くに限る。音楽よありがとう。



              と も に 咲 き 揃 う


最近のコンピュータ事情について・・・

2018年03月26日 05時15分51秒 | 日記

 古き世代の人達は、最近の「コンピュータ化」には、対応できないという。
「ATM」の操作、電化製品の取り扱いには「コンピュータの基礎知識」が必要であり、カナ文字が多くて、理解しにくいという。
時代が変わったことを痛感するが、追随していくしかないだろう。
それにしても、一般人にも分かるようにしてほしいものだ。
若人達の生活パターンも変わってきて、スマートホンが主役を占めるようになった。
また、「仕事」「遊び」の境がなくなりつつある。
仕事とは、本来は楽しんでやるものかもしれない。
時には浦島太郎になったような錯覚を覚える今日この頃である。



                  ロ ベ リ ア


未病について・・・

2018年03月25日 05時47分20秒 | 日記
 「未病」とは聞きなれぬ言葉であるが、病気を未然に防ぐことだ。
病院は何時行っても、満員の盛況であるが、診療時間は短く、待ち時間は長い
意外なことに生活指導はほとんどしてくれない。自分で主訴する以外にない。
 病気は事故や細菌によるものを除けば、大半は「生活習慣」によるものが多い。
したがってこれを防ぐには「未然」の内に病原を断つこと、即ち「未病」の発想が必要ではないのかと思う。
対症療法でなく、人間としての暮らし方に起因する対策が最も大切なのではなかろうか。
病院内で待ちながら、いつも想うことだ。病人を減らす手立てはないものか。
厚生省には「未病の精神」を求めたい・・・。



               真 白 き カ ト レ ア

報道にも独自の主張を・・・

2018年03月24日 04時54分32秒 | 日記

 新聞やテレビには報道の自由が保障されている。報道各社とも寄って立つ基盤があるだろう。
視聴者は、それぞれの価値観によって、報道機関を選んでいる。
日本の報道機関は、視聴者に対して各社とも迎合しているキライは無いだろうか。
新聞においては各社の特徴が垣間見ることができるが、テレビにおいては、まるで集中豪雨の如く、同じような番組が流されている。
ニュース・ソースも当局発表のものが圧倒的に多くて、物足りない。
 米国の報道を見れば、各社とも、特徴が出ていて面白い。
ニュース・キャスターの突っ込みも鋭くて、興味が持てて、考えさせてくれる。
単なる報道ならば、ひと工夫あって欲しいものだ。
各局とも、同じコメンテータが各社を巡回している。異なった人でも良いのではないか。
毎日の報道は、大変苦労されているだろうが、報道機関の奮起を期待したい。



       北 斎 の 世 界






人体の不思議・・・誕生の神秘・・・

2018年03月23日 06時41分34秒 | 日記
先般公開されたNHKスベッシャルで「人体」の誕生を見せてもらった。
受精から始まって、一人の人間が生まれるまでのプロセスを知ることになった。
一人の人間は、受精から誕生まで素晴らしく緻密なプログラムにより誕生しているのですね。
受精からまず「心臓」が造られて、情報物質が次から次へと働いて、「人体」が形成されていく。
驚くと同時に、身の回りに存在している植物の「発芽」も同様に神秘的な世界を想像した。
一粒の種も、「死ねば実を結ぶ」というが、理解することができたように思う。
出産した母が、無償の愛を注ぐ意味が分かったように思う。
人間を初めとして、自然を大切にする意味が伝わってきた。
生きとし生きるもの須らく、愛しく思えるこの頃である。



              胡 蝶 蘭 優 雅 に


人事権は「忖度」を招く・・・

2018年03月22日 04時52分37秒 | 日記

 先頃、「権力のあるところに忖度あり・・・」と記した。
現在の政治主導による官邸の人事権は、泣く子も黙らすシステムである。
丁度向日葵の花が太陽に向かって咲くように、高級官僚は官邸を意識して、仕事をするのは必然である。
そこに「忖度」が発生するのは、理の当然である。
それにも拘らず「知らぬ、存ぜぬ」では国民の納得はいかないだろう。
まして、総理の奥様が学校法人の「名誉校長」ともなれば、言い逃れは出来ないだろう。
「官」主導の優秀なる官僚国家も、政治家にとっては好都合の「政治主導」を望みたいだろう。
しかしながら、何事も行きすぎは禁物である。
政治は、天下国家の行く末を見なければ、いずれは破綻するだろう。
人事は人間の弱みの極みであることをお忘れなく・・・・・。



                梅 見 事 に 咲 く