人間らしく

日記です

フォロー・スルーの大切さ・・・

2019年06月30日 05時42分35秒 | 日記

 ゴルフでは撃った後の姿勢「フォロー・スルー」が大切だ。
ナイスショットは、美しいフォームになっている。片手を放す等乱れると、悲惨な結果となる。
ゴルフに限らずアフターサービス等、後々までよく面倒を見ることが大切だ。
「終わり良ければすべてよし」といえよう。
他人様の面倒見の良い人は、責任感が旺盛で、頼りになる。
何事もその場さえ凌げば、それで良しでは困る。特に、人事案件においては・・・。
事後の気配りが強く求められる。「愛」があってのことだ。



                    晩 鐘 ・ 祈 り




意地を通せば、窮屈になる・・・

2019年06月29日 12時51分55秒 | 日記
「妥協」について記述したが、「自説」を貫き通すことは至難なことだ。 漱石の「草枕」に、「智に働けば角が立つ、情に棹差せば流される、意地を通せば窮屈だ」は真理のようだ。 「妥協」せぬことは、「意地」を貫き通すことに外ならない。 他人と一切妥協しないとなると、そこには必ず他人と「衝突」が起きる。 このバランスの取り方が、人生の岐路となることがある。 どのように「折り合い」を付けていくかが「カギ」となる。 安易な「妥協」は避けるべきだが、己の「原理・原則」だけはハッキリ持つべきと思う。 基本となるスタンスが、重要であることは言うまでもない。                                           晩 鐘 ・ 祈 り                                    

妥協するということは・・・

2019年06月29日 05時23分03秒 | 日記
 自らの思いを曲げることを「妥協」と云ってきた。今にして思えば、 「若気の至り」であったようだ。
自分の主張を曲げて、相手の考え合わせ、従うことのように考えていた。
しかし人と人が交われば、そこには必ず「葛藤」が発生する。
この「葛藤」を解決するには、「折り合い」を付ける必要がある。
他人との折り合い=「妥協」なのかもしれない。
「妥協」あってこそ、世の中丸く収まり、穏便に事が運ぶ。
「唯我独尊」の信念居士にも「妥協」が求められる。
「自説」を曲げずに貫き通すことも、事と次第によっては貴重だ。
政治家の変節感は、見苦しいし恥ずかしいことだ。
一般庶民にとっては、、「過ちて即ち改むるに憚る事勿れ」というのは、良い意味で「妥協」なのだろう。



                 可 憐 な 紫 陽 花


ブログ投稿800回を記念して・・・

2019年06月28日 05時05分29秒 | 日記

 今日のブログ投稿で、800回を数えた。
2017年4月25日に投稿開始して以来約2年3か月、よくぞ続いたものだと驚いている。
早朝5時に起床して、約30分ほどブログを書くことが、生活の習い性になってしまったようだ。
当初は「病床日記」として始めたが、欲が出て「エッセイ」「社会批評」「回顧談」等に発展してしまった。
収録した「ファイル」も5冊を超え、今では生きてきた証になっている。
読者も増えて、毎日100人を超す人が読んで下さっている。
これを励みに、これからも日々発生する出来事を含めて、記録を続けていこうと思う。
何時まで続けられるか、自信は持てないが、これからも精進して自分史の作成に励みたい。



               落 穂 拾 い (大塚国際美術館にて)

                  


愛社精神は何処へ・・・

2019年06月27日 05時22分04秒 | 日記
 本年の通常国会は、終了して、いよいよ参議院議員の選挙を待つこととなった。
この国会では、盛んに「働き方改革」が審議されてきたが、法案成立には至らなかった。
我が国は、久しく「終身雇用」「年功序列賃金」が基本だった。
近年、少子高齢化が進み、人手不足、非正規社員の増加、外国人労働者の雇用等労働環境はめまぐるしく変わってきた。
さらに、過労死の問題、ロボット・AI(人工知能)の導入等が加わって、労働市場が一気に流動化してきた。
大手企業による「兼業の容認」もあって、「働き方」を抜本的に変える必要に迫られてきた。
この先、どのように展開していくか、想像もできないが、ガラッと変わることは必至と見た。
長年慣れ・親しんできた「終身雇用」を懐かしむ日が来るのだろう。
愛社精神や忠誠心は、失わないでほしい。



             広 島 平 和 祈 念 公 園 の 遺 影




名曲喫茶の想い出は・・・

2019年06月27日 05時18分34秒 | 日記
 前日に続いて、「名曲喫茶」の想い出を記しておこう。
何かの用事で、片田舎から都会に出て行った時は、時間が許せばいつも「名曲喫茶」で時を過ごした。
聴きたい曲をリクエストしておけば、順番に聴かせてくれた。
その際、音楽を聴くことはもとより、レコードのジャケットを読むのが楽しみだった。
作曲家の紹介、曲目の解説、作曲にまつわるエピソード等、楽しく読ませてもらった。
その結果が、音楽を愛好する助けとなった。
ベートーヴェンが難聴で最後に指揮をとった「第九交響曲」の解説を忘れることはできない。
解説者によると、聴衆の止まない拍手に応えられずに、キョトンと佇んでいたエピソードは今でも、鮮明に覚えている。「名曲喫茶」は青春の証だった。
「名曲喫茶」が少なくなったのは、寂しい限りである。



                 咲 き 誇 る 紫 陽 花




人はなぜ、哲学的思考を求めるのか・・・

2019年06月26日 05時43分39秒 | 日記
 高度経済成長の頃には、「名曲喫茶」が持て囃されてきた。
個人の憩いの場、商談の場としても活用されてきた。 
「名曲喫茶」は安らぎの場でり、癒しの場でもあった。
そこでは快適な音楽を楽しみながら、寛いできたように思う。
時代とともに、「名曲喫茶」は次第に下火となってきた。
最近の情報によると、都会では「哲学喫茶」が登場し始めたと聞く。
店内に一人だけの小さなスペースが多々用意されており、そこでは、静かに「哲学的思索」に耽るそうだ。
正解のないテーマを密かに考える絶好の場に成り得るのかもしれない。
「令和時代」の新たなチャレンジだろう。一人で静かに思索に耽ること、大いに結構だ。
人々は何かを真剣に求め始めているのだ。



                長 閑 な 舟 遊 び

良薬は、口に苦しというが・・・

2019年06月25日 05時28分53秒 | 日記
 良薬は口に苦しという格言がある。確かに苦い薬には、効能がありそうに思える。
苦が口=苦言にも、相手を思い遣る心が伝わってくる。
近年、この言葉が反故になってきているように思えてならない。
表面的には、綺麗な言葉で取り繕ってはいるが、心が伴っていないことが多い。
心ある「真の忠告」には、苦言を呈することがよくある。
「巧言令色鮮なし仁」というが、時には、愛のある厳しい苦言も必要だ。
後々、真意が判って貰えるように思う。時には、苦言を呈し、聴きたいものだ。
世の中、綺麗ごとだけでは済まない。



                梅 雨  に 咲 く 菖 蒲

心の闇は、凡人には理解できない・・・

2019年06月24日 05時12分01秒 | 日記
 最近頻発して事件は、凡人には理解できないことが多発している。
どのような動機で殺傷に及んだのか、理解しにくい。
事件を起こした当人の精神状態が極めて異常でその動機が判らない。
恐らく事件当事者は、「心に闇」を抱えていたのだろう。
評論家や精神科医や心理学者が、色々と事件の動機を推察するが、判然としない。
事件を起こした当人にしかわからないからだろう。何故このように、動機不明の事件が多発するのだろう。
社会のどこかに、「心の闇」が鬱積しているのではないかと、心配する。
社会の病巣を癒すことはできないものか。
「心の闇を照らす灯り」は無いものか。現代人は心を癒す術が乏しくなってきているのかも知れない。



               雨 に 咲 く ア ヤ メ

和を尊ぶことは世界スタンダード足り得るか・・・

2019年06月23日 06時07分40秒 | 日記
 我が国には聖徳太子以来「和をもって貴し」としてきた。
ことを丸く円満に治めるため、「マーマー」「ナーナー」と腹芸で済ませてきた。
この精神が、世界で通用するか試される時が来たようだ。
人間社会には、白・黒だけでは解決できない問題がある。曖昧な「グレー・ゾーン」が存在するのだ。
時として、欧米流の「白・黒」を理路整然と付ける必要もあるが、その基本的な約束事も行き詰まってきているように思う。
今こそわが国特有の「和をもって貴し」とする精神が必要な時ではないか。
物事には、デジタルで測りがたい事象があり、アナログ的な発想も要るのではないか。
日本的発想の原点である、「和の精神」が国際的スタンダードたり得るか、試されている。



               唐 津 ・ 虹 が 浜 の 防 風 林