人間らしく

日記です

何時まで続く、この低利子社会・・・

2018年09月30日 05時53分01秒 | 日記

 先日、「ATM」で貯金通帳に記帳したところ、3円の利息が付いていた。
これにも恐らく「消費税」が課されていたのだろうと想った。
預金利息が5%の時代だと、恐らく数千円の利息が付いていたと思われる。
この差額はいったいどこへ消え去ったのだろうか。
想像するに、恐らく会社の「剰余金」になったんだろうと邪推した。
この低利子時代の出口戦略も見えないまま、消費税アップが待ち構えている。
ツイツイ「何時まで続く泥溝ぞ・・・」と云いたくなってしまった。
会社は潤っているのに、庶民の暮らしは少しも楽になったとは思えない、棲みにくい世の中だ。
庶民の暮らしに「灯り」と、「累進課税」の強化を願いたい。



                 七 色 ネ オ ン の 街 銀 座


情報過多の時代には・・・

2018年09月29日 05時22分07秒 | 日記
欲しい情報が「何時でも」「何処でも」「必要な時」に得られる社会が実現した。
コンピュータと通信の融合、スマホの登場、進化するソフトウェア等により実現できたが、情報過多の社会になってきている。
情報過多の社会では、必要な情報を適切に取捨選択することが求められる。
電車やバスに乗っても何処でも、人々はスマホに夢中になっている。
挙句の果てには自転車に乗って「ながらスマホ」により、交通事故を引き起こす始末で、殺人事件にもなっている。
これには、利用者に必要な情報は何かを選別させて、マナー(TPO)の厳守を課す以外に防ぐ方法はない。
情報過多は一方では便利で楽しいかも知れないが、他方では迷惑も待ち受けている。
情報過多にどのように向かい合うか、厳しい選択が求められている。
情報は人為の産物、「空気」「水」のように扱ってはならない。



                    夜 の 銀 座

核家族化と高齢者・・・

2018年09月28日 06時30分12秒 | 日記

 戦後「核家族化」が急速に進んできた結果、古来の日本の家族制度に変化を及ぼしてきた。
若者には開放感があったが、老人の「孤独死」、お墓の管理、空き家の増加等の問題が深刻になってきている。
中でも対策が遅れたのは、老人の処遇だったように思う。
定年制の延長、介護システムの定着等の対策は為されてきたが、家族関係には触れてこられなかった。
老人には、それまで培ってきた経験と豊富な「智慧」がある。
これらを後世の人達に伝えることと、特に孫達を善導する役割がある。
折角体験してきた「智慧」というを、無為にしているように思えてならない。
子育てに「老人パワー」を上手く活用できないものだろうか。
「歴史は繰り返す」と云われるが、老人たちの智慧を結集すれば、必ず何か成果があると思う。
棲みにくい世の中にも、明るい「兆し」が見えてくるだろう。
いかにして「老人パワー」を活かすかがこれからの課題になると思う。



                 蝶 々 夫 人 の 像


狭き門より入れ・・・

2018年09月27日 05時03分02秒 | 日記

 教科書で「狭き門より入れ・・・広き門には滅びの道が・・・」と習った記憶がある。
現代のわれわれは、「広き門」ばかり求めようとしてはいないだろうか。
楽をしながら、得するのは、一見して合理的なように見えても、長期的に見れば得とは限らない。
そのことを弁えて、岐路に際して行動しているだろうか。
安易な選択の方が気楽で済むが、老いてからの判断が重要のように思える。
広き門には滅びの道が、大きな口を開けて待っている。
これからは「余禄の人生」になると思うが、慎重にことに当りたい。
「楽」すれば「苦」ありを忘れずに・・・。



                 何 想 う イ ン コ


年長者に活躍の【場】を・・・

2018年09月26日 05時06分07秒 | 日記

 先週【敬老の日】があった。真に敬老する心は存在しているのか、些か疑わしい。
元来、東洋では「年長者」を尊ぶ風習があった。
日本では、人口の急激な高齢化によって、次第次第に年長者を敬う心が失われつつある。
高度経済成長期までは、高齢者は優遇されてきたが、少子化とともに冷遇され始めた。
他方、高齢者を支える若者に対する待遇は見直され、改善されてきた。
高齢者は単に、経済的優遇だけを望んでいるわけではない。年長者を敬う心を求めているのではなかろうか。
年長者側にも、年長者としての使命と役割があるはずだ。
社会に役立つ年長者の有り方をもっと真剣に考える必要がある。
年長者の人生経験・智慧を生かせる社会を、そして粗末にしない社会をであって欲しいものだ。



                清 楚 な コ ス モ ス


国連の役割は・・・

2018年09月25日 05時49分53秒 | 日記

 国連の事務総長のルテーテルさんが、元事務総長のアナンさんの追悼式で、多国間協調」を訴えたという。
これは明らかに、一国主義の台頭を牽制した発言だろう。
相次ぐ紛争で、国連の果すべき役割は増加してきているのに、大国のエゴで阻まれる所以だろう。
国連は本来世界の指導的立場で取り仕切っていく組織だが、大国の「拒否権発動」により歪められている歴史がある。
世界情勢が混とんとしている現在、その調停機能が果たせているのか疑問だ。
一歩高い位置から、次々に起こる紛争を解決できるように改革できないものか。
常々思うことは、大国のエゴとゴリ押しに左右されないことだ。
こんな時こそ、日本の役割が重要に思えてならない。




                 浦 上 天 主 堂


平和教育について・・・

2018年09月24日 05時23分34秒 | 日記

 日本は「核禁止条約(N・P・T)」に参加しなかった。
唯一の被爆国である日本が、率先してリードすべき条約を忌避するとは考えられない。
核保有国に同調して、これに反対するとは、暴挙と云わざるを得ない。
方針の転換を強く望みたい。いずれ後悔する時が来るように思う。
子供たちへの「平和教育」に対する姿勢も、全国各地で違っているようだ。
被爆地広島や長崎県と他とでは、比べようがないほどに格差があるようだ。
わが娘たちは、転校するたびに痛感したという。
選挙に関する関心と同様に、子供の時からの「平和教育」の徹底を強く望みたい。
「平和」は心の有り様が大切だ。人を憎まない・人と争いをしない教育が大切だ。
「核の抑止力」だけでは真の平和は望めない。



                原 爆 ド ー ム の 夜 景


日本人の政治的関心の薄さを憂う・・・

2018年09月23日 05時24分14秒 | 日記

 スウェーデンの選挙の投票率は、約87パーセントと聞いた。
昨年の我が国の衆議院選挙の投票率は、約53パーセントであった。
この日本の投票率の低さは、何を意味するのだろうか、毎回選挙への関心の低さに驚く。
地方の選挙では、30パーセント台で当選している現実は、恥ずかしくて仕方ない。
確かに出たい人はいても、是非送り出したい候補者は、少ないからだろうが、そんな無責任なことで良いのかと言いたい。
聞けばスウェーデンでは、子供の頃からの選挙に対する教育と関心が高いといわれている。
日本では、投票時間の延長など小手先の改善は図ってきたが、無関心層が多いのか、諦めている人達が多いためなのか。
無関心層が多いのだとすれば、与えられた選挙制度の所為か。民主主義の根幹に関わる問題である。
送り出したい人が出馬し易いように、選挙の有り方を抜本的に見直す必要がある。
選挙人の意識も変えないとだめだと思う。日本人の投票行動を注視したい。



                阿 蘇 の 米 塚




人間に最も大切なものは【人徳】・・・

2018年09月22日 05時20分58秒 | 日記

 若い頃、現代人にとって大切なのは理性であると思ってきた。
理知的人間が理想像であったように思う。故に「論理的思考」を重要視してきた。
しかしながら、理屈通りにいかないのが人間の常だと気付いたのは、実存主義の思想に触れてからだ。
この世に存在する被造物は、同一なものは存在しないという。野山や自然にしても、木の葉にしても、まして人間においてをや・・・。
或る時期から、人間観が変わってきたように思う。
人間のアイデンティティーに目覚め始めたのだろうか。
以来、物を見る目や考え方に変化があったように思う。
人間にとって大切なのは「理性」より「仁・徳」だと思うようになった。
「理性的思考」も大切だが、最終的には「徳」の積み重ねにあるようだ。



               鳴 門 大 橋 と 渦 潮



災害から略奪はなかった・・・

2018年09月21日 05時07分06秒 | 日記

 日本は災害国家と云われるが、今年は、豪雨災害・台風・北海道地震と立て続けに自然の猛威を受けた。
心を痛める暗い、悲しいニュースが多い中で、ドサクサに紛れた「略奪」が出なかったのは、嬉しい。
これだけは日本の誇るべき、不思議な現象である。
災難に合った人達を物心両面から支えようとする助け合い精神の素晴らしさに驚く。
ボランティアの活発な活動にも、頭が下がる。
国民がこぞって、助け合う姿は清々しいく、「略奪」のない社会に誇りを持ちたい。
これこそ先人から受け継いだ美しい伝統だ。



                 阿 蘇 中 岳 の 噴 火 口