食の旅人

~ 食べることは生きること、生きることは旅すること、そうだ食べることは旅すること~
  野村洋文

夫婦別姓

2010-02-19 06:56:26 | 日記
 夫婦別姓

 僕のように保守色の濃い人間は、反対の立場をとる。 一方で、左よりの方々は、民主党政権下において、夫婦別姓法案が可決し、民法が改正されるのを、手薬煉引いて待っている。


 これに関しては、与党内でも、外国人参政権法案同様、見解が分かれるところであり、一枚岩にはなっていない。


 保守側が主張するところの反対理由を挙げると、家族崩壊につながる、慣習を破ることは古来からの伝統破壊につながる、、、、、などであるが、、、、、


   、、、、、実は、、、、、



  日本は伝統的に、夫婦別姓の国であったのだ。



 、、、、、、昔、日本では、、、、、、、


 源頼朝と北条政子   足利義政と日野冨子   みな夫婦別姓であった。


 庶民も、夫婦別姓であったが、日常における姓の使用習慣はなかった。


 、、、、では、いつから夫婦同姓になったのだろうか?、、、、、


  、、、、答え、、、、、、明治維新からである。


 開国まもない明治政府は、鹿鳴館外交に代表されるように、おもいっきり見栄を張り、西洋化政策を推し進めていた


 そして、野蛮国に見られないようにと、当時まで続いてきた夫婦別姓を禁止し、欧米型の夫婦同姓を強要したのである。


 欧米のようにキリスト教色が濃い国では、夫婦の絆を強調するべく、夫婦同姓、をとっていた。


 それに対して、中国、韓国、日本など、儒教色が濃い国では、血縁に重視が置かれたために、夫婦別姓、を名乗ってきたのである。


 さらに、中国では、現代に至る開放政策の流れの中で、「夫婦同姓」が流行したという。


 こちらの方が、欧米風で、自由な感じがし、かっこいい、ということだったらしい。


 それも今では下火になり、古来からの慣習である、「夫婦別姓」に戻っている。


 、、、、、以上、、、、、、


 上記した事をきちんと理解せずに、革新系が夫婦別姓を唱えているから、感情的に我が国の伝統云々を持ち出して反論するのであれば、まさに、竹に木をつぐ、がごとき愚行である。


  論語読みの論語知らず、と罵倒されても、いたしかたがない。。。。。


 、、、、、そして、、、、、

 
  夫婦別姓の大好きな、社民党の福島瑞穂大臣あたりが、、、、、


 「 私は夫婦別姓に賛成です。なぜならば、その姿が、日本の古き良き姿だからです 」


 と発言してくれさえすれば、 保守側は、諸手を挙げて歓迎するのであるが、、、、

 
、、、オバマ大統領の広島訪問、 胡錦涛国家主席の靖国神社参拝、同様、推して知るべし、 である。


 


 

 

缶きり

2010-02-17 05:48:10 | 日記
 キャンプに、缶詰は持っていけど、缶きり、を忘れてきてしまった。。。。。。


   よく、笑い話、後日談、に登場するネタである。


  1810年、、、、、、


 日本から、もたらされた「茶筒」にヒントを得た、イギリスのある卸売業者が、「缶詰」
を発明する。


 かさ張らず、即席で食べられる、携行食品として、「缶詰」は、特にイギリス軍隊で欣喜された。


 アメリカにおいても、大量生産がなされるようになり、「缶詰」が、南北戦争において、北軍を勝利に導いた、ともいわれるほどの活躍であった。



 、、、、、、しかし、、、、、、


 缶詰を開ける技術が、当時、まだ伴っていなかった。


 缶詰には、「ノミとオノであけてください」とだけ、書かれており、非常に使い勝手の悪い、代物だったのだ。


 、、、やがて、、、、、


 「缶詰」の発明から、60年の歳月が経った1870年。 アメリカ人の手により、「缶きり」
は誕生するのである。。。。。。



 同じような誕生秘話で、ホチキスの尾に付いているピン剥がし、を想起するが、簡単な物でも、発明、に至る歴史は、はからずも、長い場合が多分にしてある。


 まさに、「コロンブスの卵」である。

 
 自分自身、柔軟な姿勢で物事に取り組んでいこう、と心掛けてはいるのだが、、、、、

ムッソリーニ

2010-02-16 07:32:29 | 日記
 1929年、世界恐慌が起きる


 この恐慌に対して、イギリス、フランスなど、広大な植民地を保有する国は、その従属国に恐怖の負担を強き、自国の勢力が及ぶ範囲での貿易拡大をはかり、外部からの輸入に関しては、高関税によりシャットアウトした。 (いわゆる、ブロック経済体制)


 これにより、植民地をあまり持たず、経済的基盤も貧弱であった、日本、ドイツ、イタリアの経済危機は、より深刻なものとなった。


 これら3国では、その危機を、軍事産業の拡張、軍事力による海外市場獲得政策で切り抜けようとする政策がとられる。


  そして、国家が一丸となる、全体主義、つまり、ファシズムが台頭した。


 ただ、 日本史の観点から論ずれば、戦争への道は、子細に及ばず、なのであるが、世界史の舞台から俯瞰すると、おおよそ上述した流れが妥当だと感じる。


 ( あれこれ述べても、下手の長談義、になってしまうので、、、、、、)


  、、、、そして、ムッソリーニ、、、、、、


 イタリアを、疾風怒涛の世界大戦に、巻き込んでいったファシズムの張本人であるが、、

 
 以外や以外、現在、大方のイタリア国民は、彼に対して負のイメージは持っていない


 
 「ムッソリー二の顔写真入りTシャツ」 「ムッソリーニのラベル付きワイン」


 などなど、、、、、ローマに行けば、ムッソリーニの顔に、常時出くわせる。

 
 イタリア人は、当時ヨーロッパの三等国だった自国に、今日の繁栄を与えてくれた恩人として彼をとらえており、日本人が東条に、ドイツ国民がヒットラーに抱く感情とは、似て非なる、ものなのである。


 実際、以前、イタリア出身の知人にムッソリーニについて質問したら、「大好きだ」という返事が返ってきたし、かのチャーチルも、当初、「世界一の政治家は、ムッソリーニだ」と述べている。


 、、、、、、そして、、、、、


 「東京裁判」というビデオを反芻する度に、歴史が持ちうる大きな負荷、というものが、感傷的な響きを持って、僕の中に、伝わってくる。


 


 


 

エル・シド

2010-02-15 06:40:01 | 日記
 ドン・キホーテは知っていても、エル・シドの名前を知っている方は、そう多くないと思う。


 ドン・キホーテは小説の登場人物だが、エル・シドは、実在した人物である。


  スペインでは知らぬ人はいない、中世最大の英雄なのだ。


   、、、、、、エル・シド、、、、、、



 スペイン王、フェルナンド1世が亡くなると、長男サンチョと、次男アルフォンソとの間に、領地争いが勃発する。


 サンチョを殺害したアルフォンソは、権力を掌握し、彼につかえていた武勇の誉れ高いエル・シドを、国外追放する。


 そして、エル・シドは、以後、妻と子供と共に、みじめな旅を続ける。。。。。


 そんな、石をもって国を追われたエル・シドに、手をさしのべたのが、イスラム王国サラゴサだった。


 、、、、、さて、、、、、、


 スペインが位置するイベリア半島では、当時、イスラム国家とキリスト教国家が、時に敵対し、時に手を結ぶ、というような混沌とした状況が続いていた。


 シド、というアラビア語に、エルというスペイン語の定冠詞をつけて呼ぶ「エル・シド」という名前が、当時の状況を象徴している、、、、、、


 、、、、、、そして、、、、


 イスラムによる度々のスペイン攻撃にたいし、エル・シドは、恩義のあるイスラム側ではなく、迫害を受け続けたアルフォンソ側に立ち、その危急を救うのであった。


 しかし、それほどまでしても、アルフォンソは、エル・シドの帰郷を許さなかった。


 エル・シド、、、、、最後はバレンシアの地で寂しく生涯を閉じるのである。


 、、、、『 パエーリャ 』 を食される時、思い出してほしい、、、、、、


 この料理が、元来、イスラム料理であったことを。それが意味する処のスペインの歴史を、、、、、 そして、エル・シドのことを、、、、、、


 以前、スペイン生まれの知人に、エル・シド、の物語を話し、感激されたことを、ふと思い出した。

メダル数

2010-02-13 06:26:32 | 日記
 バンクーバー五輪。


 テリー伊藤氏、 アサヒ芸能、 などの信憑性の高い評論を参考にし、日本選手団のメダル獲得数を予想してみた。


 
 女子フィギュア            浅田真央 1位

 男子フィギュア            高橋大輔 1位

 男子ノルディック複合         日本チーム 1位

 女子スピードスケートリレー      日本チーム 1位

 モーグル女子             上村愛子 1位


 
 カーリング女子(2位)、 

 フィギュア女子(安藤、3位)、 

 フィギュア男子(織田、3位)

      
 その他、ショートトラック、 ジャンプ団体、 クロスカントリー女子、、、、など予測不可能な競技の、棚ぼた、を期して、、、、、

 
       、、、、、、以上、総合判断により、、、、、


 
      金、銀、銅 のメダル総数   =    27 個  




       2月末まで、眠れない夜が続く