食の旅人

~ 食べることは生きること、生きることは旅すること、そうだ食べることは旅すること~
  野村洋文

明日~新たな診療報酬点数

2018-03-31 06:47:54 | 日記

明日から新年度。 年はじめより、年度はじめに、浮足だってしまうのは僕だけでしょうか? さて、明日から新たな診療報酬点数になります。 2年に1度、改定されますが、医療を供給する側からすると、点数を新たに覚え直さなければならないので、面倒臭いというのが正直なところです。 ただ、細かい数字、点数の向こう側には、政府の医療システムに対する青写真が見え隠れしており、その息遣いを嗅ぎ取るのは面白いし、勉強になります。 ところで、我が国の医療制度は、国民が平等に医療を受けられる点で、世界に誇るべきシステムだと思います。 完璧なシステムなど構築できるはずがなく、枝葉末節をだせば、きりがありませんが、アメリカのように株式会社が病院を経営し、保険会社が医療を支配する国と比べるまでもなく、本質的、総合的にみて間違いなく世界一でしょう。 無尽や頼母子講といった相互扶助が、いにしえより存在する我が国の精神構造だからこそなせる業でしょう。 近年、在宅医療にその保険機能が重点化されておりますが、よい流れだと素直に思いますし、また、超高齢化の進展に比例し、確実に増えてゆく医療費を鑑みれば、医療の供給面を効率化したいとする行政の考えは至極当然なことでしょう。 在宅医療と切っても切り離せないのが、地域医療、地域包括ケアシステムです。 この枠組みにおいて、他分野の方々と、潤滑に事を進めてゆくうえで、歯科になお一層に求められるのは、幅広い医学的知識と教養だと感じます。 そこまで昇華させなければ、周囲からの信頼と尊敬は得られないと思います。 新宿2丁目のおかまのように、内々で、歯のことだけで盛り上がっているようでは話にならない、というのが僕の管見であります。 あしからず。

 


モンテカルロ

2018-03-30 15:18:19 | 日記

モナコ、と言えば、カーレースとカジノが有名ですね。 あと、自動車事故でお亡くなりになったお妃でしょうか。 モナコは元々、イタリアの都市国家ジェノバにより、中世につくられました。 以後、イタリアに支配されたりフランスに支配されたりしながら、その存在意義は、大国の政治に翻弄され続けます。 日本の幕末期の頃、モナコの大公シャルル3世は、国家の財源としてカジノに目をつけました。 それから得られるお金により、以後、国民に税を課す必要がなくなりました。 カジノが建設された一帯は、シャルルにちなんで、モンテカルロ(シャルルの山~ フランス語でシャルルはイタリア語でカルロと同義。 モンテは山 )と名付けられました。 ネットでカジノ法案の記事が目に留まり、とりとめもなく書き込んでみました。 あしからず。


パリ大学の思い出

2018-03-22 15:23:03 | 日記

6年前、フェイスブックで意気投合した、パリ大学東洋学科の准教授にお誘いを受け、大学生のプチセミナーで、「三島由紀夫」についてトークしました。 予想だにせずうけた記憶があります。 話の内容というより、僕という人物がうけたのでしょう~爆! その際、パリ大学の構内を案内していただきまして、歩きながら、彼女がぼそっと発した言葉が今でも頭の片隅に残っております。 「 フランスでは(とおっしゃったのか、パリ大学ではとおっしゃったのか、忘れましたが)、歯学部という学部はない。 もちろん、歯科医師( Dentist )はいる。 けれども、医学部の一環として、教育、実習を受けている 」  Yahooニュースに「 名大と岐阜大が経営統合に 」とありましたので、強引に連想し雑感として、書き込んでみました。 あしからず。 


無力~雑感

2018-03-20 20:35:11 | 日記

ベタな切り口ですが、ネット上で、多くの人が有名人や、出る釘的な人の言動や不品行を批判して、たびたび「炎上」が起きています。 背景には、社会の中で無力感を感じる人が増え続けているからではないでしょうか。 その無力感を、人を批判して忘却する。やっつける相手が有名であればあるほど、自分が社会の中で有力だと錯覚できますので、有名人の不品行は実は、嬉しいのでしょう。 昔は、公衆便所の落書きで済んでいたことが、大勢の目に触れるようになり、批判する側の快感がはるかに強くなってしまったのかもしれません。時に、その批判が有意に働く場合もありますが、善意の区別なく、主観的な価値意識の中で、好き勝手に発信してしまう人たちが無数いることも、根深い問題です。 僕らは、ずれたり重なったりしながら、日常を生きております。 そのなだらかな起伏を、ネットというフィルターが、ある意味において、強い凹凸に変えてしまっている。 そう思わざるをえません。 また、一部の人たちがネット上で交わしている議論の内容を「世論」として、時に、マスコミが取り上げることの危険性を、もっと、強く認識するべきだと感じます。 マスコミと、ネット上の意見には適度な緊張感が必要だと感じます。 そういえば、最近、「世論」という言葉を聞かなくなりました。 ネット上では意見が溢れ出ており、「世論」という強調的な言葉はいらなくなってきたのかもしれません。 ある方のFB上の投稿で、今日が、「オウムサリン事件から23年目」だと知りました。 思えば、巨大ネット社会がうごめき出す前夜とも言うべき、さらに、無力感が漏れ始める年に起きた、重大事件。 ふと、思い起こし、とりとめもなく書き込んでみました。 あしからず。