今日、7時40分前後に大きな地震が数回あった。
その後の地震の状況は、次のとおり。
7時39分。7時43分。7時46分。7時48分。8時04分。8時7分。10時58分。
次のURLは、富士山が噴火した時の富士山降灰可能性図拡大図。
都内でも、2~10センチの降灰があるとなっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Predicative_map_of_Mt.Fuji_volcanic-ash-fall.jpg
宝永大噴火の詳細は、ここを参照:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E6%B0%B8%E5%A4%A7%E5%99%B4%E7%81%AB
宝永大噴火の後は、太平洋側からみると、右側に大きな噴火の後で、えぐれた所。
富士山の噴火は、頂上から噴火するわけでもなく、宝永大噴火の時は、富士山の中腹からマグマが湧き出て、噴火した。
このWikipediaから、噴火当時の状況を引用すると次のとおり。
この噴火により江戸でも大量の火山灰が降った。当時江戸に居住していた新井白石はその著書折りたく柴の記に降灰の様子を記している。
- 「よべ地震ひ、この日の午時雷の声す、家を出るに及びて、雪のふり下るごとくなるをよく見るに、白灰の下れる也。西南の方を望むに、黒き雲起こりて、雷の光しきりにす。」
江戸でも前夜から有感地震があった。昼前から雷鳴が聞こえ、南西の空から黒い雲が広がって江戸の空を多い、空から雪のような白い灰が降ってきた。
また大量の降灰のため江戸の町は昼間でも暗くなり、燭台の明かりをともさねばならなかった。別の資料では、最初の降灰はねずみ色をしていたが夕刻から降灰の色が黒く変わったと記されている(伊藤祐賢『伊藤志摩守日記』)。
相当な被害状況であることがわかる。
この大噴火は、宝永4年11月23日(1707年12月16日)に始まった噴火。
噴火の始まる49日前の10月4日(10月28日)に推定マグニチュード8.6〜8.7と推定される宝永地震が起こった。この地震は定期的に巨大地震を起している2箇所の震源域、すなわち遠州沖を震源とする東海地震と紀伊半島沖を震源とする南海地震が同時に発生したと考えられている。地震の被害は東海道、紀伊半島、四国におよび、死者2万人以上、倒壊家屋6万戸、津波による流失家屋2万戸に達した。
富士山の噴火の前には、地震があった。
今回の地震が、噴火の前兆でないことを祈る。
また、この記事からは、南海地震が起きたときは、富士山が噴火する可能性があるとも読める。
休題:
細かい灰はどこにでも侵入するため、電気製品や電子機器の故障の原因となると推定されている。すなわちスイッチ類の接点不良や火山灰堆積による冷却不良が原因で過熱故障を起こすなど、様々な障害を及ぼすと予想されている。
車、パソコン、スマホ、TV等は、使えないかもしれない。