散らばりそうなのでタイトルつけて分かりやすくしてみました。前回が1ということで…。
今回作るのは品川にいたクモニ13030。 関東にはこのタイプのクモニはこれと033番の2両だけなので写真が少ないのが困りもの…それでも両者の違いをはっきり区別できるくらい集まったので,撮影された方々には感謝感謝です(^-^;)
さてそんな同車は何と言っても後位側にあるジャンパ栓受けが箱型なのが一番の特徴。
この件は以前原口さんにご教示頂いたのでこちらでも紹介致します。
ジャンパ栓収めの箱に付いては当時芝生さんがまとめており、引用すると
初期型の床下海山両方配置−自連付の30形から昭和8年頃の大鉄40形まで見られる。42形は新製時から車体に栓納めを装備。
初期型−? 床下の箱を前面下部へ(海山2ケ配置)木造車に見られる。
箱型−東鉄形、昭和13年大鉄へ貸渡しの34形が初見か?50形鋼体化改造車にもみられ、本来箱型ではなく、車体側に設置しているはずの車両(41形や60形など)の戦後の姿にも多く見られる。
箱型−豊川分工形(仮称)上部に傾斜があり、の元富士身延の1200や、三信の5800、伊那松島にいた18011や18051(画像有)など。
があり、昭和30年代前半にはほとんど無くなっているのですが、クモニ13030のみ箱を遅くまで残していたことが、掲示板で注目されました。その後の議論で、クモニ13030が付けていたのは上記の「箱型−東鉄形」で、なぜ遅くまで残ったかは、東鉄と大鉄でジャンパケーブルの芯の本数が異なっていた頃に大鉄に新製投入され、昭和32年に東鉄に転属した時に有り合わせの部品でジャンパ栓を東鉄仕様に工事した時に廃物利用の箱で一時しのぎをしたところ、その後も改造されず、そのまま残ってしまった、という説が出ました。また、「国電界のシーラカンス」の表現もありました。
どうやってこの箱からよく見るジャンパ栓受けの形状に進化したか気になりますね~。
このジャンパ栓収め箱,模型化するにあたって普段サッと流してしまいがちな昭和20年代頃の写真見て勉強しましたが,030の写真含めイマイチ形状が分からず,寸法諸々てきとーにアレンジしておきました。
ジャンパホースを取り出す際は上蓋が開くのかなーなんて思いまして,一応蝶番的なものを付けてあります。
尾灯はボナのナナサン用。キツめに入ったので接着はプラの流し込み用を使ってます…プラが溶けて固定されるのかなーとw
パンタのつく前位側ははっきりした写真が見つからなかったのですが,そこまで違いはないだろうということで同属を参考に…ただカギはずし線が運転士側に下りてたのを確認できたのでそのようにしておきます。
033やナナサン等普通は助士側に下りてるのでこれも同車の特徴の一つになるのかな?(やはり運転士側にあるとフックが壊れた時にカギはずしの引き紐がフラフラして運転の支障になるから…なのか?)
一通り工作を終えて定石通り箱に組み立て~GMの旧国の中でも新しい部類なのでさほど苦労しない! と思いきや,特に屋根-妻のマッチングが悪い(-_-;) 1mm近く開く隙間は光硬化パテで簡単にやっつけときました。
側ー妻は接着こそし辛いですが,シルヘッダーの高さだけ気にして貼り合わせ,箱にした後の仕上げは軽くペーパーなでるだけで大丈夫な様子。
ただ何故か縦樋上の漏斗の高さが合ってないのでこれは削ってプラ板から作り直す予定…。
四隅の仕上げが思ったほど楽なので,早速配管開始!
あっという間に常磐無線の配管完成! 配管自体は0.25mm線です(0.2でもよかった?)
配管は想像(でも多分合ってるハズ!)ですが,アンテナの配置は写真から確認出来たので間違いないかと。
ちなみに033番は少し位置が違います(最盛期の国鉄車輌:配給電車の回で確認。車内の骨組みの違い??)
常磐無線はトレジャータウンのものなんですが,お持ちの方はご存じの通り,製造の都合なのかなんか変な形してるんですねコレ(-ω-;)
今でこそ関水のASSYがありますが(それでも整形は必要。。),ウチは喜び勇んで特用パックなんて買ってしまったので今更鞍替えなんてできないー!
そんなわけでこっちもドリルレースして整形しました。そろそろ大丈夫かなーと撮ったんですが,写真で見るとまだ歪ですね…もう一回やり直し予定。。
今回作るのは品川にいたクモニ13030。 関東にはこのタイプのクモニはこれと033番の2両だけなので写真が少ないのが困りもの…それでも両者の違いをはっきり区別できるくらい集まったので,撮影された方々には感謝感謝です(^-^;)
さてそんな同車は何と言っても後位側にあるジャンパ栓受けが箱型なのが一番の特徴。
この件は以前原口さんにご教示頂いたのでこちらでも紹介致します。
ジャンパ栓収めの箱に付いては当時芝生さんがまとめており、引用すると
初期型の床下海山両方配置−自連付の30形から昭和8年頃の大鉄40形まで見られる。42形は新製時から車体に栓納めを装備。
初期型−? 床下の箱を前面下部へ(海山2ケ配置)木造車に見られる。
箱型−東鉄形、昭和13年大鉄へ貸渡しの34形が初見か?50形鋼体化改造車にもみられ、本来箱型ではなく、車体側に設置しているはずの車両(41形や60形など)の戦後の姿にも多く見られる。
箱型−豊川分工形(仮称)上部に傾斜があり、の元富士身延の1200や、三信の5800、伊那松島にいた18011や18051(画像有)など。
があり、昭和30年代前半にはほとんど無くなっているのですが、クモニ13030のみ箱を遅くまで残していたことが、掲示板で注目されました。その後の議論で、クモニ13030が付けていたのは上記の「箱型−東鉄形」で、なぜ遅くまで残ったかは、東鉄と大鉄でジャンパケーブルの芯の本数が異なっていた頃に大鉄に新製投入され、昭和32年に東鉄に転属した時に有り合わせの部品でジャンパ栓を東鉄仕様に工事した時に廃物利用の箱で一時しのぎをしたところ、その後も改造されず、そのまま残ってしまった、という説が出ました。また、「国電界のシーラカンス」の表現もありました。
どうやってこの箱からよく見るジャンパ栓受けの形状に進化したか気になりますね~。
このジャンパ栓収め箱,模型化するにあたって普段サッと流してしまいがちな昭和20年代頃の写真見て勉強しましたが,030の写真含めイマイチ形状が分からず,寸法諸々てきとーにアレンジしておきました。
ジャンパホースを取り出す際は上蓋が開くのかなーなんて思いまして,一応蝶番的なものを付けてあります。
尾灯はボナのナナサン用。キツめに入ったので接着はプラの流し込み用を使ってます…プラが溶けて固定されるのかなーとw
パンタのつく前位側ははっきりした写真が見つからなかったのですが,そこまで違いはないだろうということで同属を参考に…ただカギはずし線が運転士側に下りてたのを確認できたのでそのようにしておきます。
033やナナサン等普通は助士側に下りてるのでこれも同車の特徴の一つになるのかな?(やはり運転士側にあるとフックが壊れた時にカギはずしの引き紐がフラフラして運転の支障になるから…なのか?)
一通り工作を終えて定石通り箱に組み立て~GMの旧国の中でも新しい部類なのでさほど苦労しない! と思いきや,特に屋根-妻のマッチングが悪い(-_-;) 1mm近く開く隙間は光硬化パテで簡単にやっつけときました。
側ー妻は接着こそし辛いですが,シルヘッダーの高さだけ気にして貼り合わせ,箱にした後の仕上げは軽くペーパーなでるだけで大丈夫な様子。
ただ何故か縦樋上の漏斗の高さが合ってないのでこれは削ってプラ板から作り直す予定…。
四隅の仕上げが思ったほど楽なので,早速配管開始!
あっという間に常磐無線の配管完成! 配管自体は0.25mm線です(0.2でもよかった?)
配管は想像(でも多分合ってるハズ!)ですが,アンテナの配置は写真から確認出来たので間違いないかと。
ちなみに033番は少し位置が違います(最盛期の国鉄車輌:配給電車の回で確認。車内の骨組みの違い??)
常磐無線はトレジャータウンのものなんですが,お持ちの方はご存じの通り,製造の都合なのかなんか変な形してるんですねコレ(-ω-;)
今でこそ関水のASSYがありますが(それでも整形は必要。。),ウチは喜び勇んで特用パックなんて買ってしまったので今更鞍替えなんてできないー!
そんなわけでこっちもドリルレースして整形しました。そろそろ大丈夫かなーと撮ったんですが,写真で見るとまだ歪ですね…もう一回やり直し予定。。
あれから調べてみたところ、弘南の箱型は豊川分工タイプ(?)の傾斜が付いたものが多く確認でき、元富士身延の車両が在籍してることと関係があるのではないかと感じました。
ただ一方で設置位置が偶数方に変更されており、もしかしたら弘南独自に製作したものである可能性もぬぐい切れず謎は深まるばかりです…。