平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

富田メモ(7)

2006年08月03日 | 富田メモと昭和天皇
④のその次には

「=奧野は藤尾と違うと思うが
  バランス感覚のことと思う
  単純な復古ではないとも。」

とありますが、これは誰の発言でしょうか。

実は富田氏は「=」という記号をその上でも使っていました。①の「=(2)については記者も申しておりました」というところです。この文章は明らかに富田氏の発言です。

とすると、「=」という記号は、富田氏が昭和天皇に申し上げた自分の言葉をメモするときに使った記号であると推論することができます。つまり、昭和天皇が藤尾元文相にも言及されたので、それに対して富田氏が、奥野氏と藤尾氏の違いについて自分の考えを申し上げ、そのことをメモしたものと推測されます。その発言は、「奥野氏には藤尾氏と違いバランス感覚があり、単純な復古主義とは言えないかと思います」という内容であったと思われます。

昭和天皇には、富田氏の発言が奥野氏を擁護するように聞こえたのかもしれません。そこで、天皇はご自分のお気持ちを率直に吐露することにしたのでしょう。

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 私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
 だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ
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まず固有名詞の説明から――

「松岡」は日独伊三国同盟を締結した松岡洋右元外相(故人)です。
「白取」は白鳥敏夫元駐伊大使(故人)で、松岡洋右の片腕として、三国同盟の締結を推進しました。
「筑波」は筑波藤麿・靖国神社元宮司(故人)です。1966年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取りながら合祀を見合わせました。
「松平」は、終戦直後の最後の宮内相、松平慶民氏(故人)です。「東京裁判対策や『独白録』の聞き取りなどに当たり、天皇退位論が高まった時も「退位すべきではない」と進言した有力な側近だった」(朝日新聞、すでに引用した記事)
 ※その後、宮内省は宮内庁になりました。
「松平の子」は、慶民氏の息子で、1978年に筑波氏のあとに宮司になった松平永芳氏(故人)です。

松平慶民氏は、昭和天皇の率直な大戦回顧録である『昭和天皇独白録』の聞き取り役の一人でした。天皇の独白をつぶさに聞いた松平慶民氏が、天皇の平和への強い意志を知り、「平和に強い考があった」ことを昭和天皇は確信していたのです。

ところが、その息子で靖国神社の宮司になった松平永芳氏は、「親の心子知らず」だと昭和天皇は断定しています。

松永氏は宮司になった直後の1978年10月にA級戦犯を合祀しました。松平氏はその経緯を、雑誌『諸君』92年12月号に掲載の「誰が御霊を汚したのか――『靖国』奉仕十四年の無念」という文章の中で語っています。この文章は『靖国神社をより良く知るために』(平成四年十二月二十五日、靖国神社社務所発行)というパンフレットの中にも収録されています。論文全体はインターネットにアップされてはいませんが、その主な内容は「Web版正論」でも知ることができます。

「誰が御霊を汚したのか」を読んで私が最初に驚いたのは、松平氏がまったく神職の教育を受けておらず、軍人からエンジニアという経歴の持ち主であったということです。神学校で学ばない牧師、仏教大学やお寺で修行をしない僧侶というものは考えられません。通常の神社では、やはり神職養成の学校に行かなければ、宮司になることができません。

ところが靖国神社だけは、一切の宗教的訓練がいらない「無免許宮司」が可能な神社なのです。

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神職を養成する学校へ行かず、講習も受けたことのない人が靖国という別格官幣社(べっかくかんぺいしゃ)、勅祭社(ちょくさしゃ)--勅祭社というのは特に勅使を差遣され、幣帛(へいはく)(神への捧げもの)を奉られる神社のことだが、そういう社格の高い神社のトップにどうしてなれるのだろうか。それは靖国が神社本庁に属していないからである。つまり靖国は独立王国のような存在で、独自の規則と社憲によって運営されている。そこには「宮司は神職でなければならない」という決まりはない。
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   「Web版正論」

もちろん、神学校で学んだから立派な牧師であるとは限らないし、仏教大学を出た生臭坊主も大勢います。しかし、宗教や信仰の世界にまったく無縁だった世俗の人が、63歳で宮司になり、戦没者のみたまを祀る中心者になったということは、霊や魂の世界を多少は知っている人には、違和感をおぼえざるをえない事態です。すなわち、そういう人物ははたして神やみたまの真の心を感受できるのか、ということです。

松平氏は自分の宮司としての霊的資格について考えたことはなかったようです。

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・・・・宮司になって考えましたのは、何かの決断を要する場合、御祭神の意に添うか添わないか、ご遺族のお心に適うか適わないか、それを第一にしておこうということです。
 靖国神社がよそのお社と異なるところは、古事記や日本書紀に出てくる「何々の命(みこと)」といった古くからの神様をお祀りしているんじゃない。自分の父親や兄弟が祀られている、わが子、わが夫が祀られている、そういう神社だということです。・・・・
 私は「無免許宮司」ですが、祭式は、所作が決まってますので、習えば苦にならない。あの装束だって、どうせ百年前は、われわれの祖父たちが着けていたような衣裳ですから、違和感はない(笑)。一等の問題は、ご遺族と相接するとき、どうしたら一番お気持ちにお添いできるか、ということでした。
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  「誰が御霊を汚したのか」

そもそも神道にはキリスト教神学や仏教の経典に相当する難しい教義もありません。どうやら神社の宮司という職は、形の上からは見よう見まねで簡単になることができるようなのです。

松平氏は「御祭神の意に添うか添わないか」を考えたといいますが、それは結局は氏自身の信念、氏のイデオロギーに合致した「御祭神の意」でした。精進潔斎し、禊ぎし、鎮魂帰神し、自分を「空」にしたところから感受される神の心ではありません。氏はそもそもそういう修行をいっさいしたことがない俗人だったのです。

松平氏のイデオロギーはこういう観念でした。

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・・・・いわゆるA級戦犯合祀のことですが、私は就任前から、「すべて日本が悪い」という東京裁判史観を否定しないかぎり、日本の精神復興はできないと考えておりました。それで、就任早々書類や総代会議事録を調べますと、その数年前に、総代さんのほうから「最終的にA級はどうするんだ」という質問があって、合祀は既定のこと、ただその時期が宮司預りとなっていたんですね。私の就任したのは五十三年七月で、十月には年に一度の合祀祭がある。合祀するときは、昔は上奏してご裁可をいただいたのですが、今でも慣習によって上奏簿を御所へもっていく、そういう書類をつくる関係があるので、九月の少し前でしたが、「まだ間にあうか」と係に聞いたところ、大丈夫だという。それならと千数百柱をお祀りした中に、思いきって十四柱(A級戦犯)をお入れしたわけです。
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   「誰が御霊を汚したのか」

松平宮司は、「東京裁判史観を否定し」、「日本の精神復興」を行なうために、あえてA級戦犯を合祀したのです。東京裁判史観を否定するためには、東京裁判で戦争犯罪人とされた人々の名誉回復をしなければなりません。東京裁判史観を否定するためには、A級戦犯の合祀は絶対に必要です。これは、自分のイデオロギーを貫くために靖国神社を利用したことです。もちろん、松平宮司と同じイデオロギーの持ち主――奥野誠亮氏や藤尾正行氏――はそれに賛同するでしょうが、それに賛同できない人々は反発するでしょう。そのイデオロギーの正否は別として、現在の日本では賛否両論のある観念です。

北海道大学教授の高井潔司氏はこう述べています。

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・・・・それ以上に注目したいのは、合祀の裁可は戦前、靖国神社側から上奏して天皇から受けていたことだ。松平宮司のいうように、靖国側では現在もこのプロセスを踏襲している。しかし現在では一宗教法人に過ぎない靖国神社に対し、宮内庁が公式にそのような手続きに関与できないはずだ。恐らく形式的に名簿を宮内庁に送り、戦前に手続きを倣って進められているに違いない。もちろん裁可はしていないはずだ。
 ということは、A級戦犯の合祀は、宮内庁で裁可も却下もできないことを悪用して勝手に進めたことになる。そうしたことも、昭和天皇の不快感を高めたのであろう。「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と」と述べられたのも、そのためだろう。
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http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2239822/detail?select_id=0

A級戦犯の合祀という非常に重要な問題を松平宮司は、昭和天皇の御心も斟酌することなく、自分のイデオロギー的信念を貫くために強行したのです。神の心を感受する能力のない松平氏は、最低限、昭和天皇の御心が奈辺にあるか、侍従たちに謙虚に尋ねるべきであったでしょう。

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1 コメント

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Unknown (近衛町69)
2006-08-03 22:13:16
神職は別に免許いりません。国籍とかも関係ないので留学生とかでもなれます。もともと神職はそれほど・・・



一部の伝統的な神社は皇族とか華族が氏子(もとは氏寺)が伝統的に就任しますが祭られてる神の氏子が基本らしいです。熊野神社とか身分を問わない神社が中世に流行ったそうですが殆どは鎮守とか地元の氏神を八幡信仰とかに習合してます。
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