平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

富田メモ(6)

2006年08月02日 | 富田メモと昭和天皇
中曽根首相はその後、雑誌『正論』の平成13年9月号で、靖国神社の参拝を取りやめたのは、胡耀邦中国共産党総書記の失脚を防ぐためだった、と述べています。

トウ小平の改革開放路線の推進者であった胡耀邦は、中国の経済発展のために日本との友好関係を重視しました。1983年11月に訪日し、中曽根首相と首脳会談を行ない、日中関係の進展を目指しました。しかし、彼の進歩的な政治姿勢と親日的な態度は、共産党内の保守派の反発を招いていました。1985年の中曽根首相の靖国参拝は、共産党内における胡耀邦の立場を明らかに悪化させました。胡耀邦が失脚することは日本にとってマイナスになるとの判断で、中曽根首相は翌年の靖国参拝を取りやめたというのです。

しかし、中曽根首相の靖国参拝の取りやめにもかかわらず、胡耀邦は1987年1月に失脚します。胡耀邦が引き続き権力の座にとどまっていたならば、日中関係も現在とはかなり異なっていたものになっていたでしょう。

さて、富田メモの次のパラグラフは、その中曽根首相の靖国神社参拝に言及しています。

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4.28 ④
  前にあったね どうしたのだろう
  中曽根の靖国参拝もあったか
  藤尾(文相)の発言。
 =奧野は藤尾と違うと思うが
  バランス感覚のことと思う
  単純な復古ではないとも。
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「前に(も)あったね どうしたのだろう 中曽根の靖国参拝もあったか(=が)」というのは、奥野氏の4月22日の靖国参拝とその後のインタビュー記事に触発されて、3年前の中曽根首相の靖国参拝ことを想起している言葉でしょう。「この前の中曽根首相の時といい、靖国神社をめぐっては、どうして政治家のこういう強硬な発言がなされ、国の内外で問題が起きるのだろう」という昭和天皇の想いと解釈されます。

次の「藤尾(文相)の発言」の藤尾とは、1986年第3次中曽根内閣で文部大臣に就任しながら、入閣直後の7月に歴史教科書問題で問題発言をし、最終的には中曽根首相によって罷免された藤尾正行氏のことです。

インターネットで出回っているもう一つの「捏造説」は、富田メモは、昭和天皇の発言ではなく、「中曽根総理大臣の靖国参拝を中止したことが話題になっていた当時の、藤尾(元)文相の発言」だという説です。

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藤尾氏と奥野氏、同じタイプのタカ派と呼ばれていましたが、実は靖国参拝を推進する奥野氏と違い、藤尾氏は靖国参拝をしていないのです。
また「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」にも参加していません。
つまり、藤尾氏のこの発言は同じタイプと言われるが行動が異なる奥野氏のことに触れるとともに、自分(藤尾氏)が何故、靖国参拝をしないのか、その理由を発言したものなのです。
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http://oiradesu.blog7.fc2.com/blog-entry-1359.html

という解釈です。

中曽根氏が8月15日の参拝を取りやめたのは、昭和61年8月です。藤尾氏が文部大臣の座にあったのは昭和61年7月22日~9月8日です。ところが、富田メモは「63.4.28」、すなわち昭和63年4月です。「中曽根総理大臣の靖国参拝を中止したことが話題になっていた当時の」というのは当てはまりません。

さらに、メモの内容は、どう見ても藤尾氏の思想とは一致しないのです。

現在、「新しい歴史教科書をつくる会」の内紛が話題になっていますが、愛国主義的な歴史教科書を作成しようという試みは、『新しい歴史教科書』(扶桑社)が最初ではありません。昭和61年には、「日本を守る国民会議」編纂の高校用歴史教科書『新編日本史』が作成され、教科書検定も合格しました。ところが、その内容に不適切な内容があるとの朝日新聞の報道に触発されて、中国と韓国から強い抗議が寄せられ、検定合格後に4回も書き直されるという異常事態が起こりました。

藤尾氏は、文部大臣に就任した直後の昭和61年7月25日に、『新編日本史』に触れて次のように発言しました。

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 東京裁判が客観性を持っているのかどうか。勝ったやつが負けたやつを裁判する権利があるのか、ということがある。世界史が戦争の歴史だとすれば、至るところで裁判をやらなきゃいけないことになる。そうなら、同一基準で審判されるべきだ。
 ・・・・〔教科書検定のことで〕文句を言っているやつは世界史の中でそういうことをやっていることがないのかを、考えてごらんなさい。
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  (朝日新聞、昭和61年7月27日朝刊)

※この発言を最初に報道したのは産経新聞ですが、産経新聞を参照できなかったので、朝日新聞からの引用にしておきます。

この発言に対して韓国外務省が、

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発言が事実とするならば、韓国の国民感情の次元で、決して見逃すことができない重大なことだ
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   (朝日新聞、同)

と反発しました。

藤尾氏は自分の真意を『文藝春秋』同年10月号(発売は9月初め)でより詳しく語りました。雑誌がつけたタイトルは、「”放言大臣”大いに吠える」。以下にその要点を箇条書きします。

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・侵略、侵略というが、はたして日本だけが侵略という悪業をやり、戦争の惨禍を世界中にまき散らしたのだろうか。〔イギリスの〕阿片戦争は、人道上許すべからざる最も悪質な侵略戦争だ。
・戦争において人を殺すことは、国際法上では殺人ではない。
・自分は韓国や中国のことは一言も言っていないのに、産経新聞の記者がそういうふうに書いたので、騒ぎが広まった。
・南京事件と、広島・長崎への原爆投下を比べれば、どちらが規模が大きく、意図的で、かつ事実として確実か。原爆の場合は、アメリカ大統領の決定である。
・東京裁判は事後立法による一種の暗黒裁判、日本を軍事的に弱体化させるための政治的パニッシュメントだ。
・「新編日本の歴史」(と藤尾氏は呼んでいる)は、文部省、外務省、中曽根サイドによって手を入れられたが、外交的配慮で歴史の事実を曲げることは許されない。
・日清・日露戦争は日本の安全を守るための戦争。日韓の合邦にもそれなりの歴史的背景があるし、伊藤博文と高宗の合意の上で成立した。だから、韓国側にもある程度の責任がある。
・昨年行なった閣僚の靖国神社の公式参拝を、外国から文句をつけられたからといってやめるのは軟弱外交だ。
・A級戦犯の合祀がまずいというのは、問題のすり替え。A級戦犯の合祀をやめることで事態を解決しようとした中曽根の姿勢は間違っている。
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間近に韓国訪問を控えていた中曽根首相は、自分を呼び捨てにして真っ向から批判したこの「放言大臣」を罷免しました。

このような藤尾氏が、「A級が合祀されて以来参拝していない それが私の心だ」などと言うはずはないのです。言うのなら、「A級が合祀されて以来参拝するようにした それが私の心だ」でしょう。したがって、「藤尾正行説」も間違いであることがはっきりしました。

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