平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

(11)富田メモ

2006年08月08日 | 富田メモと昭和天皇
私はこれまで、富田メモの真偽を検証しつつ、その背後にかいま見える昭和天皇の真意をさぐってきました。これまでの検証によって、この言葉の語り手は昭和天皇以外にはありえない、というのが私の結論です。このメモは、これまで側近らの証言によって推測されていた昭和天皇のお気持ちを明確に示す物証です。

靖国神社問題をどのようにするかは、国民一人一人に投げかけられた課題です。

その際、次のような問題を明確にしておく必要があります。

A. 心の問題か?

小泉首相は次のようにコメントしました。

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[東京 20日 ロイター] 小泉首相は、昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示していたとされる問題で、自身の靖国参拝に影響はあるかと聞かれ「ありません。それぞれの人の想いだからだ。強制するものではない」と答えた。官邸内で記者団に語った。
 小泉首相は、今後の参拝について「心の問題だ。行ってもよし、行かなくてもよし、誰でも自由だ」と明言を避けた。また、どのような追悼施設が望ましいかとの質問には「国としてどのような施設がいいのか、様々な意見があると承知している」とし「今後検討されていくものだ。今どういうものがいいかというのは結論が出にくい」と述べた。
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A級戦犯が祀られている靖国神社への参拝を「心の問題だ」と言えるのは、私人たる一国民です。しかし、首相として参拝することは、「日本国は東京裁判史観を否定する」という主張につながります。とくに中国に対しては、日中共同宣言を否定することになります。個人や評論家が東京裁判史観を否定するのは自由です。A級戦犯に尊崇の念を表するのも自由です。しかし、首相が靖国神社参拝という形でそれを行なうのであれば、その根拠を関係諸国に明確に説明しなければなりません。その説明なしに「心の問題だ。心の問題を批判するのはおかしい」というのは通用しません。

靖国神社はどこの町にでもある神社の一つでもないし、キリスト教や仏教のような宗教法人でもありません。きわめて政治的な装置なのです。政治家がそこに参拝するということは(参拝しないということも)、心の問題だけではなく、あるイデオロギーを支持するかしないかという、明白に政治的な行為でもあるのです。小泉首相の「心の問題だ」というのは、言い逃れです。こういう不誠実な対応が中国、韓国との外交関係を悪化させた一面があったことは否定できません。

B. 天皇の政治利用か?

富田メモを根拠に靖国神社問題を論ずること(公式参拝に反対したり、A級戦犯の分祀を求めたり、べつの慰霊施設について論じたりすること)は、天皇の政治的利用だ、という意見が、靖国派の中から強まっています。たしかに、それは一種の天皇の政治的利用です。

ところが、靖国派も天皇を政治的に利用していたのです。

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昭和天皇は、自らの名の下に日本が戦った第二次世界大戦とその犠牲者について、誰よりも深い哀悼の想いを抱いておられたはずだ。戦いで、或いは東京裁判をはじめとする戦争裁判で、犠牲になった全ての人々の慰霊を何よりも大切な務めだと思っておられたはずだ。だからこそ、陛下は靖国神社に関して悲痛ともいえる和歌を残している。

「この年の この日にもまた 靖国の みやしろのことに うれひはふかし」と詠まれたのは、昭和61(1986)年8月15日である。前年の85年、中曽根康弘首相が靖国神社を公式参拝し、中国がそれを非難した。氏は中国の非難を恐れてその後は参拝を中止した。右の歌はそのような政治の軋轢のなかで翻弄される靖国神社と、合祀されている“A級戦犯”をも含めた全ての人々に対する深い想いを表現したものだ。

昭和63(1988)年8月15日、崩御の4ヵ月半前にも和歌を詠まれた。

「やすらけき 世を祈りしも いまだならず くやしくもあるか きざしみゆれど」

何の兆しがあるかの解説は、無論ない。だが、世の中の靖国を巡る空気は、たしかに柔らいでいたのではないか。
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   櫻井よしこ、『週刊新潮』 '05年6月9日号、日本ルネッサンス 第168回

櫻井氏はじめ靖国派は、A級戦犯の合祀を憂えていた昭和天皇の歌を、まったく逆の意味に解釈して靖国神社公式参拝を推進しようとしていたのです。その上、世界平和を祈る「やすらけき・・・・」の歌を、靖国神社問題に絡めるのはこじつけとしか言いようがありません。

しかし、昭和天皇の真意はその逆だったのです。すでに引用した朝日新聞の記事ですが、

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 87年の8月15日。天皇は靖国神社についてこんな歌を詠んだ。
 この年の この日にもまた 靖国の みやしろのことに うれひはふかし
 徳川氏によると、この歌には、元歌があった。それは、靖国に祭られた「祭神」への憂いを詠んだものだったという。
 「ただ、そのまま出すといろいろ支障があるので、合祀がおかしいとも、それでごたつくのがおかしいとも、どちらともとれるようなものにしていただいた」
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「元歌」を出せば、昭和天皇の真意は一目瞭然となります。

靖国神社という政治的テーマを歌っている歌の解釈は、どのような解釈をするにせよ、解釈するという行為そのものが政治的行為になり、天皇の「政治利用」にならざるをえません。

天皇制を支持するにせよ反対するにせよ、そもそも天皇制という制度そのものが政治的です。天皇は多かれ少なかれ政治的役割をまぬがれえません。

昭和天皇は、立憲君主として、戦前も自分の意志を政治に直接反映させることは控えましたが、しかしそういう政治的行為を一切しなかったわけではありません。昭和天皇はことあるごとに、中国大陸の問題を平和的に解決すること、アメリカとの戦争を避けることを政治家や軍人たちに要請しました。しかし、それは常に間接的な要望にとどまり、専制君主として自分の政治的意志を貫くことはありませんでした。

そういう陛下が直接、政治的決断を下したのは、二・二六事件と終戦の時です。二・二六事件については、軍事クーデターであり、岡田首相は暗殺されたと思われていて(実際には助かっていた)、内閣が機能しなかったので、立憲君主制を守るために昭和天皇が自分の意志を発動しました。終戦の時は、一刻も早く日本の進路を決しなければならないときに、閣議が分裂して結論を出せなかったからです。

もちろん、立憲君主制を軽々に破り、何でもかんでも天皇の意志を聞くということはあってはならないことです。しかし、政治が機能不全に陥り、日本国民が右するか左するか決めかねているとき、その決断を陛下におまかせするというのは、あってもいいことだと思います。

現在の日本は明らかに靖国問題で暗礁に乗り上げています。戦死した一般の兵隊や軍人を追悼するということに反対する日本人はいないと思います。靖国神社は戦没軍人を追悼する場として確立しています。もし、靖国神社に対する中国・韓国の非難を受けいれて、首相が靖国神社の参拝をやめたり、神社がA級戦犯を分祀したら、これは中韓の外圧に屈したことになります。外圧に屈したという屈辱感は、鬱屈した恨みを醸成し、ますます反中・嫌韓のナショナリズムを煽ることになるでしょう。それは極東の平和を脅かしかねません。

しかし、昭和天皇のご遺志を尊重する形で改めるのだ、ということにすれば、これは外圧に屈したことにはなりません。それどころか、中韓に昭和天皇の意義を認めさせることにもつながります。

※神道では、特定の御祭神を分けて取り除くというようなことはできないのだ、という教義上の議論がありますが、ここでは立ち入りません。参考:

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A級戦犯合祀問題を解消するため、A級戦犯のみを分祀するという案が挙げられることがあるが、祭神の宗教的位置づけや、靖国神社には戦没者の霊魂を取り扱う「位牌(物質的象徴)」がなく、分祀の対象(実物としての位牌)が存在しないため、そもそも分ける事ができないといった理由から、靖国神社が分祀を受け入れることはないと考えられている。しかし、それは分祀したくないものたちが、本来A級戦犯を廃祀したうえで別に祭ればよいという意味で分祀できるとする分祀意見を字面だけを曲解したものでしかなく分祀は可能だという意見もある。事実過去に徳川による豊国大明神廃祀など多くの神社において政治的廃祀は実行されてきた歴史的事実がある。 また、靖国神社においても間違って合祀されたとして祭神簿から抹消された実例は多々ある。有名な例としては横井庄一や小野田寛郎の例がある。彼らは戦死者として靖国神社に合祀されていたが、後年、生還すると、「死亡していない以上、もともと合祀されていなかった」と靖国神社は柔軟な対応をしている。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%95%8F%E9%A1%8C#A.E7.B4.9A.E6.88.A6.E7.8A.AF.E3.81.AE.E5.88.86.E7.A5.80

私は「富田メモ」は、二・二六事件と終戦に次ぐ、第3の御聖断となりうると思います。

いずれにせよ、「何と言っても、大戦のことが一番厭な思い出であります。戦後国民が相協力して平和のために努めてくれたことをうれしく思っています。どうか今後共そのことを国民が良く忘れずに平和を守ってくれることを期待しています」という昭和天皇の遺言を、私どもは深くかみしめ、今後の日本のあり方と諸外国との関係を築いてゆかなければならないと思います。そして、日本一国の平和にとどまらず、

「やすらけき 世を祈りしも いまだならず くやしくもあるか きざしみゆれど」

というお歌に示された、世界平和の実現を望む昭和天皇の遺命を果たすように努力しなければならないと思います。

富田メモについての考察はひとまずこれで終えたいと思います。

なお、8月末までこのブログは休みにさせていただきます。


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