平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

富田メモ(5)

2006年08月01日 | 富田メモと昭和天皇
奥野国土庁長官とは、1987年(昭和62年)11月6日に成立した竹下登内閣で国土庁長官に任命された奥野誠亮(おくの せいすけ)氏のことです。奥野氏はその当時、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の会長で、昭和63年4月22日(春の例大祭)に靖国神社に参拝したあと、記者会見を行ないました。

※「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」は、1978年4月に結成された「英霊にこたえる議員協議会」から発展したもので、1981年3月に結成された。初代会長は竹下登氏。

奥野氏の靖国参拝とその後の記者会見の様子は、4月22日の夕刊から23日の朝刊にかけて報道されました。各紙の見出しはこうです。

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朝日:奥野国土庁長官、靖国神社参拝批判を批判 侵略者は白色人種だ 1988.04.22 東京夕刊 18頁 2社 (全485字)
読売:靖国参拝で公私を問うな 奥野国土庁長官が強調 1988.04.23 東京朝刊 3頁 (全260字)
毎日:奥野発言に韓国紙一斉反発 1988.04.23 東京夕刊 2頁 2面 (全210字)
毎日:奥野国土庁長官がトウ小平氏の発言を批判 1988.04.23 東京朝刊 3頁 3面 (全552字)
読売:奥野国土庁長官の靖国神社参拝発言 韓国各紙も反発
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http://d.hatena.ne.jp/rna/20060725

昭和天皇はこのような報道を読み、それを踏まえて4月25日の記者会見で、「大戦はつらい思い出」という予定稿を「大戦は一番いやな思い出」に変えたのです。「大戦は一番いやな思い出」は明らかに「大戦はつらい思い出」よりもネガティブな感情が強まっています。昭和天皇は奥野氏の発言を看過しえないと感じたのです。

それでは、昭和天皇は、奥野氏の発言のどのような部分に問題を感じたのでしょうか?

朝日新聞1988年4月26日が奥野氏の発言要旨を詳しく伝えています。

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 奥野国土庁長官の22日の記者会見での発言要旨は次の通り。

 (奥野氏が靖国神社に参拝したのは公人としてか私人としてか、の問いに)それは占領軍に聞いてみて下さいよ。占領軍は昭和20年12月に「公務員の資格で、いかなる神社にも参拝してはならない」と禁止指令を出した。再び米国に立ち向かえるような体制はとらせない、とにかく団結を破壊したい、ということだった。神道は祖先を氏神さまとして祭ろうというもので、人はみな死ぬと神になる。氏神さまの頂点にあるのが天皇家だ。

 参拝が公人か私人かでいま問題になっているが、戦後43年たったのだから、占領軍の亡霊に振り回されることはやめたい。中国はいろいろ誤解しているが、共産主義国家だから宗教への理解が少ない。だんだん理解してもらえるのではないか。トウ小平氏の発言に国民みんなが振り回されているのは情けないことだ。中国の悪口を言うつもりはないが、中国とは国柄が違う。占領軍は国柄、国体という言葉も使わせなかった。神道に関することは教科書からも削除したが、神話、伝説をもっと取り上げたらいいと思う。

 白色人種がアジアを植民地にしていた。それが、日本だけが悪いことにされた。だれが侵略国家か。白色人種だ。何が日本が侵略国か、軍国主義か。開国して目をさましてみたら、軍事力強化の立場に追い込まれていた。トウ小平さんが言っていることを無視するのは適当ではないが、また日本の外交当局がそれなりに対応されていいと思うが、日本人の性根を失ってはならない。
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http://d.hatena.ne.jp/rna/20060725

奥野氏が言及している「トウ小平が言っていること」とは、トウ小平が1987年5月5日に発表した、日中関係に関する講話のことを指しているものと思われます。その中でトウ小平は、

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中日関係に何か問題があるとすれば、それは中国の人民が憂慮するように、日本の非常にごく一部 ――その中には政治的影響力のある人物もいるかもしれない―― に、軍国主義復活の傾向があることだ。1世紀余り前から、日本の軍国主義の行いにより被害を受けたのは中国とアジア各国の人民だけではない。日本の人民もまた被害者だった。
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http://j.people.com.cn/2004/12/29/jp20041229_46433.html

と述べています。

「日本の軍国主義の行いにより被害を受けたのは中国とアジア各国の人民だけではない。日本の人民もまた被害者だった」――これは日中が国交回復を行なったときの日中の共同認識でした。

1972年9月に田中首相と周恩来首相の間で結ばれた日中共同宣言では、

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 日本側は、過去において日本国が戦争を通して中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。また、日本側は、中華人民共和国政府が提起した「復交三原則」を十分理解する立場に立つて国交正常化の実現を図るという見解を再確認する。中国側は、これを歓迎するものである。

5  中華人民共和国政府は、日中両国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。
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http://list.room.ne.jp/~lawtext/1972Japan-China.html

とうたわれています。中国が日本に対する「戦争賠償の請求を放棄する」理由づけが、「日本の軍国主義の行いにより被害を受けたのは中国とアジア各国の人民だけではない。日本の人民もまた被害者だった」から、ということだったのです。

しかし、その代わり日本は、「過去において日本国が戦争を通して中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」という道義的な枷(かせ)を与えられたのです。

この共同認識に基づいて、日本は中国に対して、他のアジア諸国に対して行なったような賠償金の支払いをまぬがれたのです。中国への正式な賠償金は膨大な額になったことでしょう。しかし、日本が中国に金を払うことは両国の間の暗黙の了解事項でした。賠償金の代わりに、日本は無償援助も含めた膨大なODAを中国へ行なうことになります。中国側ではこれを「賠償金と等しいもの」と考え、日本側からの当然の支払いとして受け取りました。

ここに両国の「ボタンの掛け違い」が始まります。いわゆる「タダほど高いものはない」ということが起こったのです。

日本のODAで作られた空港や道路や建物にも、日本の援助のことは何一つ記されておらず、中国人はそれらをあたかも自国の力で建設したものと考えました。のちにそのことを知った日本側は不快感をおぼえます。中国政府は日本のODAについて中国国民には何も知らせなかったので、多額のODAにもかかわらず、中国人側には、日本は日中戦争の賠償をしていないという誤解が生まれます。日本側には、中国はいくら援助しても感謝するどころが、恩を仇で返すような反日教育をしている(江沢民時代になってたしかに反日教育が盛んになりました)という反発が生まれました。

中国は、自分は日本に侵略されたのに、その賠償金も取らず、日本を許してやった、と思い、自国を道義的な高みに置くことができました。その背後には、伝統的な中華―夷狄思想も作用していたことでしょう。そこから、日本は歴史認識問題では中国側の認識に従うのが当然、という中国側の思い上がりが生まれ、日本側では、ことあるごとに靖国問題や教科書問題で口出しする中国に対する反感が年々強くなり、ナショナリズムの風潮が高まってきました。

賠償に関する曖昧な解決は、日中関係に非常に大きな禍根を残したと言わざるをえません。賠償金は賠償金として支払い、そこで戦前の日本の侵略行為に関する決着をつけ、両国は対等な関係になっておくべきだったと思います。

さて、「日本の軍国主義の行いにより被害を受けたのは中国とアジア各国の人民だけではない。日本の人民もまた被害者だった」という共通解釈では、戦争の責任は「日本の軍国主義」、具体的には戦争当時の軍部と政治の指導者、すなわち東京裁判で「A級戦犯」として処刑された人々に押しつけられました。悪いのはA級戦犯だけであって、それ以外の日本人民は軍国主義の被害者だ、というのです。しかし、これは歴史の実際に反したフィクションです。

そのA級戦犯が合祀された靖国神社に日本の首相が公式参拝するということは、中国側からすれば、まさに日中国交回復時の共通認識への裏切りということになるのです。

トウ小平の指摘する「軍国主義復活の傾向」というのは、具体的には、1985年8月15日の中曽根首相の靖国神社公式参拝のことをほのめかしているでしょう。公式参拝の前日の8月14日に中国政府は、

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日本軍国主義が発動した侵略戦争はアジア・太平洋地域各国の人民に深い災難をもたらし、日本人民自身もその損害を被った。東條英機ら戦犯が合祀されている靖国神社への首相の公式参拝は、中日両国人民を含むアジア人民の感情を傷つけよう
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 (田中伸尚『靖国の戦後史』岩波新書、169頁)

という声明を出して警告しました。これは、日中国交回復時の共通認識に戻れ、という中国側の要求です。トウ小平は87年の講話の中でもそれを繰り返したわけです。

これに対して奥野氏は、戦前の日本は全面的な侵略国家や軍国主義ではなかった、侵略というなら、むしろアジアを植民地にした白人国家こそ侵略国家だ、と主張したわけです。このことは、世界史的な事実としてはまさにその通りです。日本だけが中国をはじめアジア諸国を侵略したわけではありません。イギリスもアメリカもフランスもドイツもロシアも中国やアジア諸国を侵略しました。また、明治以降の日本の軍国主義は、欧米帝国主義への対抗として発したことも事実です。

奥野氏の発言には、日本だけが悪かったわけではない、という日本人のホンネが出ています。そして、そのホンネにはある程度の事実の裏づけもあるわけです。

しかし、日本にどんな言い分があるにせよ、日本が中国を全然侵略しなかったとは言えません。

昭和天皇は、奥野氏の発言の、戦前の歴史を正当化しようとするようなニュアンスに不快感を表明するために、「一番いやな思い出」という強い表現にしたものと思われます。そして、あとでも詳しく述べますが、天皇の意向を無視した軍の専横な振る舞いこそ、戦前の昭和天皇がいきどおった出来事、まさに「一番いやな思い出」であったのです。

さて、1985年に靖国神社を公式参拝した中曽根首相ですが、その後、韓国、シンガポール、香港、ソ連からも強い批判を受け、翌年からは靖国神社への参拝を取りやめました。その理由づけは、

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昨年夏の公式参拝は、A級戦犯への礼拝ではないかとの批判を近隣諸国に生んだので、わが国の戦争への反省と平和友好の決意に対する不信にもつながりかねない
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 (田中伸尚『靖国の戦後史』岩波新書、175頁)

というものでした。靖国神社公式参拝を定着させて「戦後政治の総決算」を目指した中曽根首相の意図は腰砕けに終わったのです。



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