平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

湯川博士の霊界通信

2005年10月21日 | 最近読んだ本や雑誌から
10月21日の毎日新聞(夕刊)に、湯川秀樹博士の奥様の湯川スミさんのインタビュー記事が出ていました。現在95歳だそうですが、お元気に世界連邦運動と憲法第9条について語っていらっしゃいました。

中間子論によって、日本人で初めてノーベル賞を湯川博士は、アインシュタインの感化を受けて、世連運動にも熱心でした。湯川スミ夫人は、博士の遺志を引き継いで、現在も世連運動をなさっているわけです。

地球マネジメント学会という学会があります。
http://homepage3.nifty.com/earth-management/

その学会通信の中で、米田晃さんという方が、湯川博士の霊界通信の話を書いていますので、紹介します。以下は、第65号に掲載されたエッセイを米田さんの許可を得て、このブログに載せるものです。

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私(米田さん)が親しくしている女性(主婦)が、霊界に居る湯川秀樹博士からのメッセージと湯川スミさん(湯川秀樹博士の奥様)に宛てた霊界からの手紙を受信したことがあったので、その経緯と湯川秀樹博士のメッセージを紹介する。

ただ、湯川秀樹博士(物理学者、中間子論ノーベル科学賞受賞者)の霊界からのメッセージをそのまま記しても本当かどうか疑いを持たれることもあるかと思うので、少し長くなるが、親しくしていた森本よしみさんが霊界の湯川秀樹博士(以下湯川博士と記す)からメッセージを受信したことに、湯川博士が創始した世界連邦世界協会(国連カテゴリーⅡNGO)や湯川スミさんと私が関係していた経緯を知って頂くことで理解を深めることが出来ると思うのでそのことから記すことにする。

子供の頃、科学者になりたい夢を抱いていた私は、成人して湯川博士に憧れ湯川博士の著書を読み、創造性開発研究の一人の師として仰ぎ、学ぶところが多かった。思いは通ずるもので、ある人に誘われて世界連邦建設同盟(現在は世界連邦運動WFAと称する)の会合に出席して、世界連邦建設同盟の会長湯川スミ夫人にお会いした。

この世界連邦世界協会は昭和23年、湯川博士がアメリカのプリンストン高等研究所に招聘されて行った時、アインシュタインと出会って「戦争のない平和な世界を創ろう」と始めた運動であり、湯川博士が4代目の世界連邦世界協会の会長に就任、その後、湯川博士夫人湯川スミ氏が3代目の日本の世界連邦建設同盟会長に就任した。世界連邦世界協会創設の経緯を、湯川スミさん(以下スミさんと記す)から頂いた著書『苦楽の園』(スミさんの半生記:講談社1976年発行)に記しているので、後にその一節を紹介する。世界の人との友好と世界平和に関心を持っていたので会員になり、その時オランダで開催された世界連邦世界大会に、湯川スミ会長他に同行して参加した。その後、全米大会に日本代表団に加わって参加したり、毎年開催する日本大会のスタッフとして、熱心に活動していたので、スミさんと親しくさせて頂いていた。

京都で開かれた婦人大会に出席した時、京都の下鴨にあるスミさんの自宅に案内頂いて、湯川博士がノーベル賞として頂いた宝石が散りばめられた王冠や遺品などを拝見した。湯川博士は大変感性が豊かな方で、漢詩や書を嗜まれていて、多くの書が残されている。その時、スミさんから、湯川博士のこと(後に続く若い学者を育てるために、頂いた賞金をそっくり寄付したこと等)を色々伺い、湯川博士が書いた色紙を頂いた。所属していた横浜支部で、私が提案、世話役をして毎月「国際問題を考える会」を開催したり、青年層に世界連邦運動を広げるために「青年の集い」を企画して、各地で開かれる日本大会に連動して開催することにした。

1995年10月30日、第18回世界連邦日本大会を東京青山の国連大学で開催した時、『地球の未来を見つめて』をテーマに第2回「青年の集い」を、代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターで開催(10月28日、29日)した。龍村仁監督に『私の見た一つの地球』と題した基調講演をして頂き、その時完成していた「地球交響曲」第1番、第2番を上映した。私が、東洋大学の石井薫先生と出会って「地球マネジメント学会」に参加するようになったのはこの時の縁からで、その時、石井先生が学生を連れて参加下さり『環境と地球』《地球のためのマネジメント》と題して講演頂き、石井先生には『環境と地球』分科会に学生と共に参加頂いて地球環境の現状認識、討論を行った。懇親会にはスミさんに出席頂き参加者と交流頂いた。その後、世界連邦建設同盟の理事に就任して、毎回、湯川スミ会長が出席する理事会に同席してスミさんと親しく交流させて頂いていた。まだまだ、記したいことやエピソードが沢山ある。生前、湯川博士と直接お会い出来なかったが、スミさんを通して尊敬する湯川博士とご縁を頂いていた。

また、湯川博士との関係では、京都大学物理学科で湯川博士から学んだ天野仁氏(理学博士、米国国際地球環境大学教授)にご縁を頂いて親しくさせて頂いている。天野氏と出会ったのは、横浜市にある横浜発明振興会が主催した天野氏を迎えた講演会に出席した時で、その後、自宅を訪ねたりして、湯川博士の研究室で弟子として過ごした頃の話を色々伺った。天野氏は湯川博士の弟子だけあって、最先端の物理学の研究者であるが、大変感性が豊で、天体の研究から忍者の研究、日本の伝統文化、歴史などの研究をされており、多数の著書を刊行している。天野氏のことは、高次元の科学について論ずるとき記すことにして、ここでは天野氏が話した、湯川教授の物理学の授業の一端を紹介するに止めたい。

天野氏は、もともと文学部を専攻したかったが、物理学にも興味を持っていた。大学に入るとき文学的なことは歳をとっても学べるが、物理学(理論物理学は数学とも言える)は、頭が緻密に働く若いときにしか学べないから、先に物理学を勉強しようと思い立ち、京都大学の理学部に入学した。そこに湯川教授が居て、人柄に傾倒して、湯川研究室の弟子になった。湯川教授の授業は、物理学の講義をするのではなく、何時も面白く興味を掻き立てる話をして、教えるのではなくて自分で勉強しょうとする思いを持たせる授業であったようである。「物理学は私が書いた本や多くの先人の学者が研究して著した本で勉強すればよい。折角、生徒の皆さんと顔を合わすのだから、本に書いているようなことを話すのは時間がもったいない、本を読んでわからないことがあれば、研究室へ聞きに来なさい」と口癖のように言っていたそうである。天野氏は、湯川博士が亡くなったあと、京都に湯川秀樹記念館を設立したことに貢献している。天野氏に、2002年4月20日に開催した第7回「覚醒ネットワークの集い」の講師として参加頂き、「全宇宙の統一的理解」と題した講演をして頂いた。(つづく)