平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

持続可能な開発(2005年9月号)

2005年10月01日 | バックナンバー
 東京の国連大学で七月二九日に「未来をつくる教育を考えるシンポジウム」が開かれた。これは、二〇〇二年の第五七回の国連総会において、二〇〇五年からの一〇年を「国連・持続可能な開発のための教育の一〇年」とすることを決議したことを受けての行事の一つである。

 「持続可能な開発」とは日常生活でよく使う言葉ではないが、これは英語の「sustainable development」の邦訳語である。人類はこれまで常に、自然を開発して文明を築き、豊かな生活を享受してきた。しかし、地球は有限である。樹木を伐採しすぎれば、かつての大森林も砂漠と化すし、海の魚介類も、乱獲すれば絶滅する。近年の人類の経済活動は、環境に回復不可能な負荷を与えつつある。今日の私たちが豊かな生活を送るために地球に過度の損傷を与えることは、私たちの子供や孫たちの生存を脅かすことにもつながりかねない。「持続可能な開発」とは、現代の世代が、将来の世代の利益を損なわない範囲内で環境を利用し、物質的要求を満たすべきである、という考え方である。このような理念が最初に打ち出されたのは、一九八〇年の国連の「世界環境保全戦略」においてであった。

 「持続可能な開発のための教育」は、このような「持続可能な開発」を実現するためには、何よりも教育が重要であるとの認識に立って行なわれる取り組みである。シンポジウムの内容は多彩で密度も濃かったので、とてもこの小欄では紹介しきれないが、筆者の印象に強く残ったのは、世界が緊密なつながりの中に存在し、一人ひとりの行動やものの考え方が、世界に思いもかけない影響を及ぼしている、という事実であった。

 たとえば、ヤシの実から採られるパーム油は、洗剤、石けん、マーガリンやインスタント食品などで広く使われている。植物性ということで、地球にやさしい、体にいい、というイメージがあるが、ヤシの木を大量に植えるために、熱帯雨林が伐採されている。それによって生物多様性が失われ、海洋汚染も引き起こされている。原住民の入会地であった森林が、特定の企業の所有地になり、原住民の生活が破壊される。また、味噌、醤油、豆腐、納豆などの材料として、日本人の食生活に欠かせず、健康食品としても人気の高い大豆は、今日、大部分が海外から輸入されている。その輸入大豆の一部は、ブラジルの熱帯雨林を伐採して栽培されているという。

 私たちが「地球にやさしい」「健康的な」食品や製品を、安価に入手しようとすることが、環境破壊に手を貸すことになりかねない。私たちは、まずこうした事実をしっかりと認識し、その認識の上に立って、いかなる行動を取るべきかを考えなければならない。このような「教育」は、子供だけでなく、大人にとっても重要なものである。