難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

聞こえる人はすごい!? 聞こえない問題の理解のために

2008年02月10日 20時21分51秒 | 生活
080210_1505~001.jpg080210_1506~002.jpgおはようございます。
聴覚障害者コミュニケーション講座の講師も耳の日記念日のパネラーも大丈夫ですよ。
それだけ一生懸命に考えているのですから。

中途失聴・難聴者の理解を得るためにこういう話し方もあると思います。参考にして下さい。
5番目以降は説明を考えてみて下さい。

聞こえる人はこういうことが出来るんです。スゴイ!シリーズ10連発。

その1.「クリスマスツリーのイルミネーションを見て彼とロマンチックな話をした。」

二人ともクリスマスツリーを見ながらきれいだねとかユカちゃんも綺麗だよって話しているのかも知れませんね。
これは、聞こえない私は出来ないんです。何故か分かりますか?
相手の顔が見えないからです。暗いところや光を浴びている時もだめですね。
聞こえる人は下を見てても背中合わせでも話が出来るんですね。すごいですね。
その2.「友だちと居酒屋でわいわい話が盛り上がる。」

中の仲良しの仲間とのおしゃべりって楽しいですよね。
私はこれが一番苦手なんです。うるさいところは補聴器も役に立たないんですよ。いろんな声がワーってなっちゃうんです。

その3.「おはようございますの挨拶で相手の気持ちがわかる。」

えっ、何のことっ思いました?相手の声で元気かどうかわかるってことありません?何か失敗したとか悩みを持っていそうなことが分かる時ってありますよね。
難聴者は声の調子で相手の体調や精神状態は推し図れません。
顔色や仕草でいつもと違うなと分かることはあります。

その4.「分からない時はすぐ電話で確認する。」

仕事でも遊びでも分からない時はすぐ電話しますね。
しかし私は電話出来ないのでどうしようか考えてしまいます。近くの人に尋ねるのもこんなこと聞いたら恥ずかしいと思っちゃうんです。

その5.「テレビのニュースやドラマが話題になる。」

その6.「行ってみたいカルチャー講座や資格講習会がある。」

その7.「会社の企画会議の発表で忙しい。」

その8.「架線事故で電車が遅れたのでバスで行ったことがある。」

その9.「「Allways夕陽ヶ丘の3丁目」を見て懐かしかった。」

10.「電子レンジや洗濯機が終るまでは一服している。」

最近の洗濯機は終るとピッと鳴るんですね。聞こえるって便利ですね。離れていてもわかっちゃうんですから。


まだあると思いますが、聞こえなくて困ることは具体的な事柄を話すと分かりやすいかも知れません。
上記のシーンは1対1の場合は何番と何番、相手が多数の時は何番ですとか。
テレビや電話の情報通信機器の利用は何番、一般の人が受けられるサービスや教育の機会が得られないことは何番と説明して整理する。

その後に、聞こえない人が社会参加するためには
(1)社会の理解を広めること
(2)社会の聞こえのバリアフリーの環境整備を充実すること
(3)聞こえの問題を広げて頂くボランティアを増やすこと
(4)要約筆記者の派遣や難聴相談支援が受けられる制度をしっかりすること
難聴者の立場から診てくれる難聴の専門医や補聴器店を増やしたりすることも大事です

(5)中途失聴・難聴者協会を大きくすることも


ラビット 記



介護職に要約筆記は必要なのか

2008年02月10日 09時06分46秒 | 要約筆記事業
080204_0738~001.jpg介護を受けている人たちは高齢の難聴者が多い。
介護サービスに関わる専門職に要約筆記が必要なのか。

要約筆記はそれ自体が専門性のあるコミュニケーション支援サービスであり、社会福祉法第二種事業に指定されている。
要約筆記者が介護職を目指すことは当然あるが、要約筆記はコミュニケーション支援技術の一つであり独自の専門性を持つ。対人援助においても違う専門性が求められる。

共通しているのは、支援対象者の権利を守る立場で、社会福祉サービスを担っていることだ。
通訳といっても、言語通訳との違いもここにある。

いま活動している要約筆記者は要約筆記奉仕員カリキュラムに基づいてあるいはそれに満たない内容で学んだ人びとで、専門性は不十分というより、それを求められていない。


介護の現場で介護者に求められるのは、要約筆記(通訳)技術というよりは、聞こえの低下した対象者に対する理解と適切なコミュニケーション方法の技術ではないか。

難聴とは何か、聴覚障害は何を差すのか、聞こえない人はどういう心理的問題を持つのか、聞こえない人のコミュニケーション方法はどういうものか、難聴者支援の社会資源の種類と連携方法などが考えられる。

筆談は書いてコミュニケーションするが聞こえない人が分かりやすい書き方、機材というのはある。
ノートテイクは要約筆記の一つの方法で話し手の言葉を聞こえない人に書いて通訳するもので、支援者が対象者と直接コミュニケーションするための筆談とは違う。


全難聴の開いた「聞こえのケアマネジメント」講座は高齢者生活支援センターや介護施設、聴覚障害者情報提供施設などから申し込みが殺到したことがあったように、社会のニーズは強い。


ラビット 記



コミュニケーションについて考えた 言葉ではないこと

2008年02月10日 08時52分56秒 | 生活
080209_1835~003.jpg080209_1853~001.jpg昨日は朝から聴覚障害者自立支援センターの会議だったが、会議中に実妹から墓参りについてメールがあり、その返事をしていた。

会議後に、あの時はろうの人が話すので見て見てと呼んでたよと教えてくれた。しかもみんながメールして呼ばれているのに気が付いていないのを見ていたそうだ。

これは、会議中に自分の気持ちがそこにないということを示していたことになる。
つまり、自らコミュニケーションを閉ざしてしまったのだ。
これは、聞こえる、聞こえない以前の問題だ。日頃、コミュニケーションの重要性を主張しているのに、反省。

要約筆記者のコミュニケーション技術も専門性の一つにあげられているがこれは要約筆記でコミュニケーション支援することを指しているのではなく、現場で通訳のために依頼者や利用者、話者、手話通訳などと良好な関係を作ることを指している。
つまり「空気」が読めなくてはそれを伝えることも出来ない。

話し手の言外の意味をつかんで伝えるところには関係しているだろうか。


ラビット 記
写真は土曜日の夕方からの雪



人工内耳装用時の補聴器の聞こえに付いて

2008年02月10日 06時41分52秒 | 人工内耳
080211_0639~001.jpg補聴器と人工内耳の関係では新しい現象も医師に報告した。

両方を併用している時、補聴器のボリュウムがもう少し欲しいと思う時がある。しかし、人工内耳を外すと補聴器がうるさく感じる。補聴器はフルパワーで出力しているのだが、人工内耳から聞こえてくるピーピージリジリという音に邪魔されて良く聞こえない。
そのため人工内耳を外すと補聴器の音だけになりよく聞こえるようだ。

医師と補聴器装用技師と相談して、音量の問題と言葉の聞こえをメリハリを付けたものにするために、低音を下げたプログラムを登録してもらった。
出力は130dBsplに設定したが、前のは140dBsplもあったということだ。
テレコイルにすると低音が強調されると聞いたので、高音失墜型の難聴には良いが、気を付けて聞いてみよう。


ラビット 記





人工内耳50日目の聴力検査の結果。

2008年02月10日 06時36分29秒 | 人工内耳
080211_0634~001.jpg2月8日に、補聴器外来に行った際に人工内耳と補聴器の聴力検査の結果を聞いて来た。

人工内耳および人工内耳と補聴器併用の聴力検査の結果は興味深い。
検査を受けたのは人工内耳装用後50日目にあたる。マップはP4、まだフラットのマップにする前のだ。補聴器はオチコンのSUMO DM。

人工内耳は、単語と文章の成績が低い。補聴器は逆に子音と単音節が低い。これは聞き取りの経験の差だと考えられる。補聴器は聞こえない音や声でも単語や文章を類すして補完しているが、人工内耳はまだオンそのものが明瞭に聞こえないので補完が出来ないからだ。

     人工内耳のみ 人工内耳と補聴器併用
◯子音    27%      41%
◯単音節   22%      35%
◯単語    10%      68%
◯文章    13%      85%

人工内耳はP3のフラットなマップを聞いている。検査の時はよく聞こえていたP4はうるさく感じるので使っていない。
最近はP3でも自分の声が少し聞こえるようになって来た。

人工内耳は補聴器と併用しているが、そのために人工内耳に馴れるのが遅れているのだろうか。前に犬の鳴き声を聞いた時、それが何の音か分からなかった時は「ピーピーギーギー」と聞こえていたが、犬の吠えるのを見ると「ワンワン」と聞こえる。

音と補聴器の実際のオンの記憶が一致しないと効果がないのだろうか。そうすると補聴器の音は人工内耳の音を隠してしまうので、人工内耳と実際の音なり言葉とは一致させる機会がない。


ラビット 記





地上デジタル移行のセーフティネットに効果的な障害者対策を

2008年02月10日 06時03分58秒 | バリアフリー
080209_1853~001.jpg070716_1901~002.jpg1月28日の情報通信審議会 情報通信政策部会地上デジタル放送推進に関する検討委員会(第34回)の議事録が公開されている。
http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/joho_tsusin/joho_bukai/080128_1.html

資料がpdfなので、視覚障害の方にはアクセスしにくいと思われるが、前回の会合で、衛星放送によるセーフティネットの検討内容が告されている。
http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/joho_tsusin/joho_bukai/pdf/080128_1_5.pdf

これは、地上デジタル放送の難視聴地域に対して、NHKと在京民放キー局の番組を衛星放送BSで再放送することでカバーする、そのための考え方を議論したものだ。地方で見られるのはNHKとその地域の系列の民放局だけでキー局全てが見られる訳ではない。


そこで、出された意見は
・「経済弱者」だけではなく、技術弱者も考える必要がある。
・「経済弱者」の範囲をどのようにするか問題だ。生活保護所帯とかNHK受信料免除所帯とか。
・「経済弱者」(貧困所帯)とは別に、障害者にはどのような支援が必要か、設定、設置など何らかのサービスを検討する必要がある。
・アメリカは申請方式だ、調査しておくべきだ。


支援対象者が、経済的弱者、高齢者などとともに障害者もあげられているが、どういう障害者を想定しているかは明確でない。
内閣官房では、「デジタル放送の移行完了のための関係省庁連絡会議」を開いて、来年6月のアクションプランの策定のための検討を行っていると報告されている。


これは、我々は知らなかったが、対応を協議する必要がある。
検討会の議論は、全ての国民が支障なく見られるようにきめ細かい対策が必要という基調がある。デジタル波が届かない難視聴地域対策を講じる他に、高齢者等理解が難しい人々に一軒一軒回っても対応する必要があるというようなことまで議論されている。障害者に対して同様の対応をして欲しいと思う。

問題は、障害者の対応の必要性がいわれているのに、具体的な問題を把握していないことだ。障害者=所得の低い人、テレビの設定が困難な人というような受け止め方があり、視聴覚障害者がそもそも放送にアクセス出来ない問題が念頭にないようだ。

障害者放送協議会がデジタル放送への移行にあたって、障害者にセットトップボックスの給付を要求しているのは二つの対策がある。一つはデジタル放送受信機を持っていてもアクセス出来ない人々に対して、もう一つはアナログテレビを視聴する人々に対して対応するということだ。対応の方法はCS通信を用いて、手話と解説音声、
字幕を補完するもので、現在のところ、インターネットによる補完は考えていない。

ここでは、詳しく論じないが、IPマルチキャスト放送にも注意を払う必要があるだろう。IPマルチキャスト放送を放送事業者以外に実施しようとしている動きをネットニュースで報じられているが、それによると、2009年3月までの期限で申請されたIPマルチキャスト放送実施条件をクリアーすることが出来ない(遅延時間2.5秒以内)
ことが問題になっている。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080125/292045/

字幕放送も含めて放送と同じように実施することが要件になっているが、実施された場合我々のアクセスに問題がないのかも確認が必要だろう。


ラビット 記




アップルのipodのCMの手話バージョン

2008年02月10日 02時21分48秒 | 生活
アップルのipdはもう日常風景だ。
通勤路で毎朝すれ違う女性はケースの色を毎日ピンクやブルーとか交換している。

ipodのCMはテレビで見るが踊っているだけだ。しかし、このCMは手話を使っている。Youtubeの動画のコメントを見るとASLのようだが、そのコメントもユニークだ。
正確な訳ではないが、いろいろな議論がある。
「多くのろう者は音楽を聞くことが出来るし、感じることが出来る」、「アップルはデフ・コミュニティにアプローチしようとしている」、「マーケティングとして正しい人々を対象にしている」、「いやしていない、しかしダンスはカッコいい(クールだ)」、「アップルはipodがろう者のためとは言っていない、ASLを理解している人だけがメッセージを受けられる」、「ASLを学んでいるが先生よりこのCMのことを聞いたがろう者は振動を感じる人もおり、音楽はその人それぞれが楽しめれば良いと教えられた」、「全ての会社がアクセシブルなCMを提供することを望む」など。

ろう者は音楽を聞くことが出来ないと人々と思っているとショックかも知れない。
アメリカにはこうした音楽を「感じる」ことを
許容するというより、その人それぞれで良いと積極的に評価する文化があるのだろう。


ラビット 記

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