難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

高齢難聴者と補聴器

2006年06月24日 10時30分12秒 | 福祉サービス
060623_2133~002.jpgまたまた、眉間にしわが。
祖母は、14日、最初に修理に行って帰って来て、テレビを聞いてみると良く聞こえないが我慢していた、その一週間、テレビも字幕のあるのだけ見ていたが、どうにも毎日の生活で困るので聞こえなくて困るので、もう一度行ったというのである。

なんで?と頭を抱えてしまった。
夜の遅い私と祖母はすれ違いの生活で、日常のコミュニケーションもあまりないが、それにしてもである。毎朝、顔は合わせる。私が忙しそうにしているから、補聴器修理に行ったがどうにも聞こえないと言い難かったのだろうか。
日中は、一人で暮らしている祖母には悪いことをした。

それにしても、きちんと対応できない補聴器店、難聴者に理解のない福祉事務所、歩いてすぐ行ける近くにない相談所。日本で補聴器が普及しないのは、難聴に対する社会の理解というよりは、供給側のシステムの問題が大きいのではないか。
10年ほど前に会社に出張で言ったハンブルグには100メートルに補聴器店がいくつもあった。本屋や花屋と同じくらいある。ドイツは補聴器の修理もマイスター制度で厳しい技術の習得が必要だ。補聴器装用技術者、オージオロジストは専門の学校を出ないといけない。

高齢化社会の日本は、補聴器販売を国策で重要産業と位置づけて、利用者サービスの面でも販売店、メーカー指導でもの点でももっと力を入れるべきだ。

先日の補聴器工業会の総会後、メーカーの社長の方々と話していたら、ブルーツースでテレビや携帯電話と通じる補聴器がもうすぐ出てくるという。携帯音楽プレーヤーはipodにお株を取られたが、補聴器とオーディオ・バリアフリー(ラビットの造語)と結びつけたコンセプトの製品は、わが国の一大産業としても良いのではないか。

ラビット 記



補聴器販売店と市役所の対応

2006年06月24日 09時04分35秒 | 福祉サービス

rabit-2006-06-24改.JPG帰宅するなり、祖母が嬉しそうに言う。補聴器の修理に行ったら3万7000円位かかるところ、補聴器屋さんでこの書類を市役所に持って行けば「フクシ」でほとんどかからないですよと言われ、今日市役所に持って行った。
今日、市役所に行ったら、少し自己負担があるがほとんど「フクシ」で対応しますと言われたと報告する。

あ、身体障害者福祉法の修理費の補助だな、自己負担は障害者自立支援法の10%自己負担のことかと聞いていたが、祖母が出した補聴器販売店の修理記録を見ると部品交換サービスとある。良く見ると14日の日付があり、聞くと間違えたと言って、もう一枚出した。
私の眉間にしわが寄る。22日の修理記録には、ボリュウムを少しあげても音が割れると書いてある。14日のも似たようなことが書いてある。つまり、一度足を運んで直してもらったが直っていなかったということだ。
こうした不調は多いはずだが、サービスで済むような部品交換だけではなく、もっと他に原因がないのか調べなかったのだろうか。難聴の高齢者にどうですかと聞いても、音がクリアーに聞こえるかは分からない。体感的に少し聞こえるようになったからもらって帰ってきたという。サービスだから、何度も頭を下げてきろう。
販売店の修理技術、顧客対応には疑問が残る。

祖母は、自宅近くの市役所指定の福祉法対応の補聴器店で補聴器を交付してもらったが、片道一時間かけて行って何度も市役所と病院と店に行かなくてはならならずもう大変だったと。
前に修理を頼んだら一週間預かると言われ、すぐその場で修理してくれる今回行った補聴器店に足を運んだという経緯がある。

さらに、眉間に皺が寄るようなことが。
市役所では、書類を見た担当者がこれは本の少しの自己負担があるがちょっとだけだ、後は役所と補聴器店でやり取りするから大丈夫と言われて、ほっとした祖母。
「おばあちゃん、これは来るのが大変だから、電話してくれれば良いですよ」
さすがに、これには祖母も不快感を示した。電車とバスを乗り継いで1時間半、往復3時間の半日かけて行ったのは電話が聞こえないからだ。難聴者に電話すればよいとは何と理解のない担当者か。

高齢者は、自分で被害を受けているとか、権利を侵害されているということを自覚しにくいだけに、そのケアにあたる人々にはそれだけの理解、対応技術が求められる。特に、難聴というのは本人は何が聞こえているか、話されているかということに気が付かないからなおさらだ。

月曜日に、市役所にファックスすることにした。

ラビット 記