大好き!藁科川

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川の終わり

2010年08月20日 | 言い伝え&伝承
“川の終わり”という話になった時のこと。
支流の藁科川としては、本流の安倍川との合流点が、川のおしまいということに地名上なりますが、そのような区切り方に、地元の方との会話がほんのしばらく途絶えました。

“えっ?”という小さな違和感。

そこには「川は海まで続いている」という、山里で長く暮らす方の当然の認識があるようで、反対に、川を途中で終わらせてしまっている私たちの考えの在り方に気づかされた間合いでした。

実際、江戸時代より以前、藁科川は安倍川と合流することなく、おおよそ今の河道で、海に独立して注ぎ込んでいたことが復元された古地図から分かります。
この2つの川をくっつけたのは、治水面と水運に配慮し、駿府城を築いた徳川家康とのこと。
川の流れを変えるという大きな為政者のパワーを感じるエピソードです。

さて、その合流点に先日出かけました。
娘の自由研究の石拾いのため、茫漠と広がる石の河原を歩きました。

この辺りには、こんなさびしい言い伝えが残っています。

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『野良の墓』

藁科川と安倍川とが落ち合う川原の芝間を野良島という。昔、歌舞伎に妓女を禁じたので、少年の男子がこれに代わって演じるようになった。これを野良(やろう)といった。ところが世上、男色をもてあそぶことが盛んになった。ここで野良を集めて数度歌舞伎を興行したが、ある時、男色のことから喧嘩が起こって野良が殺された。野良島はその墓であるというが、時代は知れない。それ以来、ここで歌舞伎の興行は絶えたという。(服織村誌)
「藁科物語 第4号 ~藁科の史話と伝説~」(静岡市立藁科図書館.平成12年)

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