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東京勤務、田舎暮らし Can you imagine 2-hr commute for one way ?

生まれ育った田舎に暮らし、毎日2時間かけて東京の下町へ。
オタク第1世代の会社員 「たぬきねいり」 のささやかな日常。

度量衡

2009年11月05日 | 昔の話

ものを測る単位にはいろいろあります。

技術的な単位は私が学生の頃に国際的にMKS単位という制度ができて
m(長さ),kg(質量),sec(秒・時間)を基準単位に統一がはかられました。  表面的には。


現実には今でもインチや尺などの単位が通用するのも当然ですが、
もっと私の身近なところではMKSの単位系に混じって
kgf (キログラムフォース) という重さの単位が流通しています。

これは質量の単位であるkgに地球の重力加速度9.8m/s2をかけあわせたもので、
大概の場合地球で話をするんでこれでいいじゃん、て話になります。

しかし、この単位に長さをかけあわせたkgf・cmという単位がトルクの単位で
最近まで生き残っていて MKS単位のN・cmとごっちゃになってお客さんとの話が
こんがらがることがあります。

と、ここまではまじめな話。


ふざけたところでは
ガンプラ(ガンダムのプラモデル)1個の価格と箱サイズをすべての基本とする
1ガンプラ という単位も島本和彦氏(漫画家)によって開発(?)されていました。


私が若い頃は当時いた会社内で「1たぬきねいり」
(たぬきねいりには私の本名がはいります) という単位が流通していました。

これは朝一番に千葉から電車に乗って
鈍行だけで夕方ユースホステルに着けるまでの距離を指すのだそうで、
当時所属していた会社で連休明けにそんな話ばかりしていたら
そんな単位が出来てしまいました。

今考えれば馬鹿にされてたんですね。(当時気づけよ。)


ちなみに、1たぬきねいりは北だと600km(青森県カワヨグリーンYHのあたり),
西だと800km(広島県瀬戸田YHのあたり)を指していました。

西の方が新快速で関西圏を高速移動できたのと、
なじみのYHで遅くにチェックインできたこともあって距離がかせげています。

ここまで無理をしない0.5たぬきねいり(300~400km)で
西は奈良YH,北は仙台道中庵YHまでは
18きっぷの有効期間であればその日の気分で行っていたものです。


最近は腰が重くなって0.1たぬきねいりも行けません。
文化の日もごろごろのお父さんをやっていて、 これではいかんなぁ、と
若かりし日を懐かしんでしまいました。


軍艦島'92(3)

2009年09月05日 | 昔の話

1992年の廃墟への旅を続けます。(今回も画像をクリックすると拡大します。)

長崎県 端島。 17年前にしてこの荒れ様。


高台ハイツ(笑)。 

使われているときは多分、本当に「山の手」で、管理職用だったりとか、
そういうことってありそうですよね。 賃貸ですよね。ここ。


さて、目を野に転じてみましょう。

石炭輸送用の設備(ベルトコンベア)の脚だそうです。


他の人が撮った近年の写真と較べてみてください。
時の流れを感じることができます。

ここで初めて人物入りの写真をば。
平成の荒野を歩く昭和の若者たち(笑)

軍艦島で忘れてはいけないのが山頂の祠です。


第2次大戦前の施設ですし、炭坑での仕事は命がけですから
神様への願掛けは当然です。


一等地に鎮座されています。

さて、アルバムに撮りっぱなしにしていた写真も尽きてきました。
1992年の軍艦島への旅はこれにて終了とします。

1991年の軍艦島への旅が間もなく始まります。
(いつからやろうかな)


軍艦島'92(2)

2009年09月04日 | 昔の話

承前。
ようこそ、軍艦島へ。(以下、写真はクリックで拡大します。)


そもそも軍艦島って何? ていう話からはじめないといけませんね。

軍艦島というのは、長崎県 端島 に作られた昔の炭坑場です。
そこがたまたま島であったため人口密度が当時(1915~1974)としては
異常なぐらい高くなってしまい、島自体が住宅のようで傍目には軍艦のように
見えたことから「軍艦島」の二つ名がついてしまった訳です。

昨日のブログに全景を載せていますが、480m×160m、全周1,200mの小さな島に
炭坑労働者とその家族を中心に最高で5,000人以上の人が住んでいました。
で、島の中に理容室やら病院やら映画館やらスナックやらと、およそ生活していて
思いつくような施設はすべてあった訳です。この狭い場所に。

私は嫌ですね。そんなところに住むのは。
でも、それが生活の糧だったんですよね。きっと。

結局、石炭→石油のエネルギー革命の影響で1974年に閉山、
無人島になってしまいました。

で、私が行ったのはそれから18年後のことです。
で、もう、この荒れ具合ってどうよ。




建物も見てみましょう。
下の写真の建物は近年風化が進んで窓がだいぶ割れてきているようです。






次回、もうちょっと軍艦島にお付き合いください。


軍艦島'92(1)

2009年09月03日 | 昔の話
今を遡ること17年、1992年9月14日、
私はさるところで知り合った仲間とともに
長崎県の無人島、端島 通称 軍艦島に行きました。

ここが近年、世界遺産への登録の申請をしたりB'zのビデオクリップに使われたりと
観光資源として一気に脚光を浴びています。


私が行ったのは、もちろんそこに連れて行ってくれる人と交渉したりして
無理を通して道理を引っ込めた訳で、良いことをやっている訳ではありません。

そんな訳で、これをブログに載せるのはナンだなぁ、と思い、
ずっと掲載を控えていました。

しかし、近年に他の方が軍艦島を探訪した記録(これとか)を見て
自分の持っている写真と比較して思った以上に時の風化作用が厳しいものだと
わかりました。

で、今後、朽ち果てていく島の記録のひとつとして自分の持っている写真は
やはりアップするのが写真好きの義務だと思い、写真をアップすることにしました。

建物内部の写真はどうもいまいちなんで、外部のがれきの写真のみの掲載です。

ちなみに、写真は、当時売られていた「写るんですパノラマ」と
コンパクトカメラと一眼レフが混ざっています。
古いスキャナでプリントを読み込んでいるのでいろいろアレですがご笑覧ください。


長崎のコンビニで食料と水を買いこんで 近くの高島までは定期便の船に乗り、
そこから地元の人はみんな知っている ある手段で軍艦島に向かいます。

まずは全景から。


勉強のために上から見てみましょう。


もう少し寄ってみましょう(クリックで拡大します。)



次回、上陸後の写真です。



台湾豪華高速バス

2009年06月21日 | 昔の話
5年ほど前、台湾に出張したことがあります。

その時、同僚に
「台湾のバスで、普通の料金でも乗れる豪華路線バスがある」
という話を聞き、移動手段に組み入れてみました。

今思えばもっとバシバシ写真を撮っておくべきだったと後悔しているのですが、
今日、たまたま写真を整理していたら内装写真がでてきました。

これです。

派手ですねぇ。  目が痛い程の赤。
車内ですから。ホテルのロビーじゃありませんよ。

ただ、車内設置のトイレとか、見えないところは駄目でした。至らないなぁ。


そうそう、この出張の時、時計買ったんですよ。

私は時計はデジタル・アナログ併用派なんですけど、
当時日本ではデジアナって絶滅危惧種になってしまったんで
わざわざ台湾で買ったんです。日本メーカーのやつを。

これなんですけど、日本で使用すると冬場の夜に針が止まるんです。
使用するグリスが温度域で違う可能性はありますよね。
それさえなければいい腕時計でした。

この腕時計、今は現役を退いて我が家の棚を飾ってくれています。
傷だらけになって、お勤めご苦労様でした。

金ならある?

2009年05月09日 | 昔の話

15年前、まだ独身の頃の話。
当時の会社の先輩に『男の見栄』について語っていただいたことがあります。

先輩 「たぬきねいり君、ほれた女が困った顔していたらとりあえず『金ならある』って
    言ってやるんだぜ。本当にあるかどうかじゃなくって、男の心意気っていうのは
    絶対伝わるはずだから。」

当時は言われたことをギャグとしてしか受け止めてなかったんですけどね。


その会社を辞めて数年、我が家は二人目の子供を授かりました。
生まれた子は先天性の病気を持っていて、
生まれてすぐ、産婦人科を退院するとともに専門病院に入院することに。

で、完全看護の病院に入院することになりました。
入院初日、妻が看護婦さんから入院の案内を伝言してくれました。

子供用のおむつだなんだといった追加のこまごまとした費用がかかる、といった話です。
街に出て買い物をしたり洗濯とかすれば多少は安く済むのでしょうが、
精神的にも肉体的にもこれ以上の負荷を妻にかけたくありませんでした。

妻の困った顔を見ていたら、ふと、先輩のひと言を思い出しました。

つとめて、なにごともなかったようにひとこと。
私  「あぁ、金ならあるから必要なものは見繕って適当に注文しといて」
妻  「(笑)」

すかさず空気を読んだ看護婦さんが茶化してくれます。
看護婦さん  「いやぁ、そこまでいうお父さん、初めて見ましたわ。」

もちろん、不測の事態でお金なんてありません。
多分、妻もそんなことはわかっています。
でも、心意気は伝わったと思います。


後日譚。
それからしばらくして、偶然、街でその先輩にお会いしました。

そこで、先輩のひと言がとても救いになったことを申し上げると、先輩がひと言。
「そんなこと言ったっけか?  今じゃ金ならある、んだったら欲しいよね。まったく。」

もちろん、先輩一流の照れ隠しなのですが、
本当に、金ならある、んだったら欲しいですよね。(笑)


酒の不始末

2009年02月17日 | 昔の話

某大臣が酒の不始末(?)で辞任されたそうです。
まぁ、国政をあずかる50代の人があれではどうかと思いますが
男だったら酒の不始末のひとつやふたつ、皆さん持っているかと思います。
私はあります。

十数年前、私は前の会社のよんどころない事情もあり、
当時の同僚の伝手で今の会社に中途入社しました。
それまで勤めていた業界と近い業界の技術者としての雇用でした。

で、歓迎会していただいたんですよね。
私も当時30歳ちょい、いろいろと嫌なものも見てきたし、
粗相なく歓迎されるつもりだったんですよ。
で、二次会になって、先輩とさしで飲むことになったんですね。

これまた粗相なく、お話を拝聴しているつもりだったんですが、
この会社でひとつの仕事を一生懸命やってきた先輩には
私の職を変えてへらへらしている態度が気に入らなかったんでしょうね。
「お前はそうやって世渡りしてきたのか」というようなことをおっしゃったんですね。

ここで、もともとは短気な私のおつむのネジが2~3本、ポンポンと飛びまして。

とはいえ、この業界での実績のまったくない私のこと、
出来ることといえば先輩のくださった杯を黙って飲むことぐらいでした。

自分の言い分をこらえている分だけお酒のピッチが上がっていきます。

結局、おごっていただいたのですが、その際、さらに厳しいことをいわれます。
(ここらへん、ちょっと際どいので全部は書きません。
が、多分、今後も忘れることはないでしょう。)

で、完全に潰れてしまって東京某所の路上でつぶれて寝てしまったんですね。
しかもクレジットカードとかの入った背広を他人のものと間違って着て。

幸いなことに背広もカードも後日、無事に帰りました。
翌日、酒臭い体を引きずって会社は行ったものの上司に
「みっともないから帰れ」と言われる始末。

以後、妻からは、
「飲んだ時はどんなに高いホテルでもいいから泊まって」
といわれています。

そんな訳で、某大臣の酩酊した(としか思えない)あのお姿には許されないとはいえ
ちょっと同情しちゃうんですよね。


ちなみに、私がそのときお酒を飲ませていただいた先輩は尊敬に値する方ですし、
そのときに言われた言葉のいくつかは、それからの私の技術者としての生き方にも
決定的な影響を与えています。

あれから十数年、お酒にのまれることは大分なくなりました。(まだ、まれにのまれる。)

あのとき心に描いた理想の技術者たる自分に近づいているか、
悪戦苦闘は今日も続きます。


スキャナー復活

2008年12月02日 | 昔の話

EPSONのスキャナーGT-6600Uを持っているのだが、最近は使えなかった。
Vistaに対応してくれなかったからだ。
いろいろやってあきらめました。
ところが出張用に貸与された会社のノートPCがXPなので使ってみた。

機構部分をチェック。
多少、カビがスキャン用のガラスの内側にでているけど、なんとか使えそうだ。

スキャナ用のドライバのインストールをしたけれども、
最近の画像ソフトはTWAINに対応していない。(あんなにメジャーだったのに!)
TWAIN対応の画像取り込みソフトもダウンロードしてなんとか使える状態に。

何を取り込もうかな。
昔のアルバムを久しぶりに開いてみる。
ちょっと照れくさい、懐かしい思い出があふれる。

若い頃、特に出かけていたのは広島県にある瀬戸田という小さな町。

こんな小さな港のある柑橘類の生産が主力の小さな町。
当時は三原か尾道から船で行くしかなかった。
ちょっとした観光地とちょっとした土産物通り、そして喫茶店。
私の20代はこの町の思い出にあふれている。

上の写真の小山からみた風景がこれ。

この風景が好きで、何枚も、何枚も写真を撮った。
山からおりて隣の丘に出ると町を一望できる。

この風景も好きだった。

しまなみ海道がつながって、この町はどうなったのだろう。
きっと住んでいる人が自分たちのことを考えて使いやすい街に変わっていってるのだろう。
ノスタルジーはそこに住んでいない人の特権だ。

私の瀬戸田は1990年代のままアルバムのなかにある。
次の訪問はいつだろう。
その時に私はどんな瀬戸田を見ることができるだろう。