北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

令和三年度六月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2021.06.05-2021.06.06)

2021-06-04 20:11:46 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 今週末もCOVID-19影響によりやはり自衛隊行事は行われません。6月6日はノルマンディ上陸のDデイなのに、ね。

 自衛隊関連行事がここまで間隔があいてしまいますと、撮影に関する幾つかの技量や手順と練度というものを喪失してしまうのではないか、というものは素朴な危機感です。文面にし難い独特の技術を、一種の慣熟をもって撮影していますから。もっとも現段階ですと、感染せず、そして健康を害せず、Weblogを維持するということがもう第一となりますが。

 戦車を撮影するにしても護衛艦を写真に収めるにしても戦闘機をカメラで追いかけるにしても、技術が必要となります。戦車を撮影するには、駐屯地一般公開では戦車はどのように動くのか、行進の向きと予測される模擬戦の展開を予測しまして撮影位置を考えねば成りませんし、護衛艦にしても曳船の位置をある程度動きを予測できねば、なりません。

 戦車の動きは読むのが難しい、観閲行進は道に沿って進むが模擬戦は違う、普通科と協同するのか戦車だけか、模擬戦の動きを読むには、前年の記録を探して踏襲すると展開が全く違って撮影一千艇に失敗することもありますので、丹念に会場の土の色と草の流れを見て轍の流れから予行の動きを思い浮かべて撮影位置を考えなければなら無いことも多い。

 護衛艦の場合は、なにしろ改正ソーラス条約の関係で立ち入れる場所が限られていますので、下手に不法侵入とはテロリスト候補者となる危険な行為、航路帯と自由に立ち入れる公園の立地を中心に丹念に調べる、いったん撮影を開始すると陣地変換はできません、船は意外に速く入港しますから、すると一種の艦、いや勘というものが必要ともなるのだ。

 戦闘機の場合は、単純に最前列で航空祭を眺めるよりは誘導路の位置から逆算して着陸後の動きを想像すると最前列に多少あきがある場合でも100m後方に引いた方がよいこともあるのですし、思い切って航空祭の会場をでなければ逆光でなにも写らないことさえあります。その際にはどの時間帯に移動するかも、決断には一種流れを読めなければ、と。

 航空祭なんかは自動車で夜明け前に、というものが王道のようで実は前日から駐車場待ちの渋滞が始まることもあるので公共交通機関の方が遙かに有利な場合がありますし、逆に公共交通機関は全く駄目でシャトルバスが王道ということもある、ロードレーサーを組み立てた方がよいこともあるし、立地上サンニッパのようなレンズが不利な事もあるのです。

 航空祭以外の航空機撮影は、自分で歩いて撮影位置を探すほか無い、当たり前ですが不法侵入はもってのほか、なかには外柵によじ上る方もいますので、注意して逆ギレされるのは悪手ですが、彼らは自分の首を自分で絞めているのだよなあと嘆息しつつ、とにかく不法脱法を退けるにはまともな撮影位置を探すほかない故に、歩き続けるしかないという。

 撮影ガイドブックなるものが販売されていて、堂々と艦艇撮影場所に不法侵入している場所を、大声で入ってよいか確認した、という無茶苦茶な論法にて、しかし現地に行けば不法侵入どころかここ下手すれば事故死定番ポイントじゃないか、と驚かされることもある。するとフネを執るならば海沿いという先入観を捨てた方がよい立地も多いと気づくもの。

 防水は忘れては成らない技術、カメラが壊れては撮影を継続できませんが、カメラの防水を重視しすぎて撮影できなければ写真は仕上がりません。素早く的確に、しかし、撮影時間はどれだけ続くのか、状況終了後の展開は、屋根のある駅やホテルまで防水は持続するのか、次にカメラを整備できるまでの時間はと逆算します。慣れが無いと、厳しいですよ。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・今週末の行事なし

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【京都幕間旅情】陶器神社-若宮八幡宮社,東山区五条橋東に源氏の氏神で幕府の宗祀の社殿

2021-06-03 20:00:40 | 写真
■清水五条の坂道に歴史と陶器
 陶器の並ぶ様子に贈答の品々良し美しを考えつつ散策していますとふと神社に至りました、しかし参拝と共に歴史を視ますと驚くほどに奥深い。

 陶器神社。清水焼の湯呑、京都を思わせる一品は数多思い浮かぶのですが清水焼は意外と多くの方に喜んでもらえます。北大路機関では九谷焼を重宝しているのですが、しかし云われると焼き物は普段使いするものですと案外頂くと嬉しいのですが、それと同じやも。

 六条左女牛八幡宮、こう称される社殿は五条通の京都市東山区五条橋東に在りまして、京阪清水五条駅から清水寺へ五条通り沿いに坂道を往く際、こう手頃なしかし趣味の良い焼き物が店舗に並ぶ界隈に神社は位置しています。そう新しい神社ではないが、興味深い。

 千年近い歴史に在って三度の移転という出来事がありまして、この結果に氏子地域を有さない神社という位置づけとなっています。正式名は若宮八幡宮社、この若宮神社という神社は全国に数多ありますがかつては祇園八坂神社、北野天満宮に並ぶ規模であったという。

 応神天皇と仲哀天皇と神功皇后の八幡三神を主祭神として奉じる社殿、本殿は三間社流造銅板葺となっています。その創建の歴史は古く天喜元年こと西暦1053年、仏説による末法末世の初年にあたる年にあって左女牛西洞院の境内に創建された小さな社が当社でした。

 源頼義が末法の時代、左女牛西洞院の邸宅に石清水八幡宮の若宮を造営したため、左女牛八幡宮や六条八幡宮と称されたものです。源頼義の社殿はそれ程大きなものではありませんでしたが、鎌倉幕府開府と共にその歴史的由来から幕府の宗祀となり、広がってゆく。

 京都には数多歴史が詰まるのは千年の都というその名の通りなのですが、しかし荘園も長屋も寺社仏閣も、京都盆地の広さはそう変わらない訳ですので栄子必衰といいますか、転換点というものがあります。ここもそうですがかつて今より遥か広かった寺社仏閣は多い。

 源頼朝は源氏の氏神として厚く保護しまして、これは同時に源氏との繋がりを重視する室町や江戸の武家政権からの保護を受ける事となりますが、石清水八幡宮の大火に際しては、当社の方から石清水八幡宮に遷宮されるなど、政治的な影響を受ける事も多くなります。

 祇園八坂神社、北野天満宮に並ぶ規模という往時の姿はこの歴史的背景に依拠するもので、嘉禎元年こと西暦1235年には将軍藤原頼経の病気平癒祈祷を執権北条泰時に命じられまして、室町時代には足利尊氏により下賜品や奉納を得られると共に規模を広めてゆきます。

 室町時代、足利将軍家にとっては御所八幡宮社や石清水八幡宮と並ぶ幕府の宗祀という位置づけとなります。もっとも、この政治との近しい関係から応仁の乱に際しては、兵火により社殿を焼失してしまい、足利義輝及び義昭の尽力により再建されるまで時間を要した。

 織田信長、大内義隆、毛利三家、細川、三好、朝倉氏、この安土桃山時代には戦国武将からの寄進を多く集めましたが、豊臣秀吉の京都大改造に際し、東山の地に遷宮を求められ、二度目の遷宮により氏子の多くが遷宮につけないなど、受難といえる状況となりました。

 元和元年こと西暦1615年、徳川家康より神領73石の寄進を受けまして、勿論最盛期の社殿神域ほどの壮大さは有さないものの、現在位置に遷座しまして、併せて当地の特産品と云うべきでしょうか、清水焼との関係から陶器神社と称されるようになってゆきました。

 清水焼発祥之地石碑も並ぶ境内には、意外と光差す広い五条通界隈の、中心部でありながら中層建築物が目立たない立地には穏やかな風と、車の騒音以外に雑踏の音の響かない、日常の静寂という風情とともに、清水寺に至る行程に一抹の香辛料を感じる事ができます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都発幕間旅情】揖斐三輪神社,最澄所縁木曾三川揖斐川総鎮守いにしえの揖斐城址麓に佇む

2021-06-02 20:12:02 | 旅行記
■美濃国揖斐川の歴史を辿る旅
 岐阜県に揖斐川町という町があります。ここは"えびがわ町の妖怪カフェ"というファンタジー作品の舞台ともなっている街です、この美濃国揖斐川を辿る旅を紹介しましょう。

 揖斐三輪神社、岐阜県揖斐郡揖斐川町に所在する神社で旧近鉄養老線、現在の養老鉄道終点と廃線となった名鉄揖斐線の本揖斐駅跡、その中間に位置し、近くには国鉄樽見線、現在の垂水鉄道が。揖斐川総鎮守という社殿は、かつてこの地を治めた土岐氏の山城、揖斐城城台山、その麓に位置しています。

 揖斐川町とは当方にとり若干の友人がいる他、中々に縁遠い場所ではあるのですが、少し前に所用ついでにこの地の神社を参拝する事が出来ました。こういう町との縁は大事にしたい。もう少し山奥へ進みますと、谷汲山華厳寺という荘厳優美な寺院があるとの事ですが、時間の関係で総鎮守へ御挨拶へ。

 大物主大神を祭神とする揖斐三輪神社、揖斐川の上流にあります。揖斐川とは東海道本線の主要駅大垣駅に近く、中京地区では長良川と木曽川と揖斐川の河川を総称、木曾三川といい、この木曾三川の中で唯一旧海軍が巡洋艦の艦名としなかった名が、揖斐川でもある。

 神武天皇の治世下には既にこの地に在ったという揖斐三輪神社は、創建の詳細について確たる伝えが無いのですが、神武天皇の頃まで遡るとも。流石にそれは、といい、しかし奈良時代中期にはこの地の現在地から少し離れた播隆山というところに神社の社殿はあったといい、諏訪大社の祭神、武御名方富命を祀っていたという。

 最澄、延暦年間の803年に比叡山延暦寺薬師如来像の双仏像を背負っての諸国巡幸の際に、この地で横蔵寺という寺院を建立しており、揖斐三輪神社はその際に立ち寄ると共に般若心経を拝読した事で歴史に登場する事となりまして、最澄との所縁というものは、それから播隆山に在って崇敬集めた。

 城址公園を見上げるこの社殿、成程、城山の周りには幾つかの寺院も並んでいまして、神社の石材等も豊富につかわれており、往時の活況を偲びます、石材も再利用されたのでしょうか。社殿などは幾度か遷座を経ていますが、当時の遷座は建材をそのまま移築する様式であり恐らく雰囲気は残っている。

 正和年間の1315年、荒廃していました揖斐三輪神社はその社殿を再興する機会に恵まれます。播隆山は現在の社殿よりも離れた場所にあるのですが、この現在位置というところが、当時揖斐城という山城があったのです。播隆山からの遷座は、もう少しだけあとのこと。

 揖斐氏、土岐氏の支族である揖斐氏がこの地に城郭を造営したのは康永年間の1343年で、揖斐城はここから安土桃山時代までの実に200年間、この揖斐三輪神社が現在あるこの地に在ったというのですが、天文年間の1547年に斉藤道三の侵攻を受け落城、最後は破却された。

 美濃国の城郭は江戸時代には加納城と大垣城に分かれるのですが、揖斐城はそのまま再興される事無く、跡地には城郭ではなく揖斐陣屋が建てられます。揖斐陣屋、天正年間の1577年、播隆山にありました揖斐三輪神社は、城郭破却を受け、その麓である現在位置へ、その前にも社殿があったともいうのですが、揖斐三輪神社が漸くここに遷座します。

 城郭は破却、その跡地に揖斐三輪神社が遷座します。しかし、揖斐陣屋も並びましたので、跡地が揖斐陣屋のかたちで行政中枢となった事により、期せずして揖斐三輪神社は人々が参拝に集う社殿ともなった訳ですね。江戸時代の寛文年間1672年には揖斐陣屋旗本岡田善政により大規模な修繕が行われる事になった。

 西国三十三所観音霊場第三十三札所、としまして谷汲山華厳寺が列せられますと、揖斐三輪神社は最澄がこの地を巡行した際の御縁ある場所としまして札所巡礼の経路ともなり、寛文年間の大修理を受けたままの姿のまま、明治維新、そして昭和の世界大戦を生き抜く。

 伊勢湾台風、1959年に中部地方を襲った戦後日本最大の台風災害、残念な事に寛文年間造営の建物群は、この巨大台風により倒壊します。しかし、散逸した部材を可能な限り用いる事で1961年、鎌倉期の様相を再現し現在の本殿はじめとする建物が再建されました。周りには水の流れが豊かで、歴史ロマンと共に時が流れているようです。

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【防衛情報】米中戦争備える太平洋軍:JLTVにNSM搭載とU-2機新運用,F-35続く第六世代機

2021-06-01 20:19:44 | 先端軍事テクノロジー
■特報:世界の防衛,最新論点
 自衛隊が中国から日本の領域やシーレーンを防衛する際、現在の防衛の取り組みは果たして十分なのか、予算は限られていますがそれ以外に何か不充分なものはないか。

 アメリカのバイデン政権は中国との全面対峙を念頭にアフガニスタン撤収などインド太平洋軍の強化を進めていますが、このアフガニスタン撤収支援の為に北東アジア地域から一時的にアメリカ海軍航空母艦が払底する、皆無となる状況が生じるようです。これは近くオースチン国防長官が横須賀のロナルドレーガンの中東派遣命令を出すとの報道に基づく。

 ロナルドレーガンの中東派遣は、現在中東方面へ展開している空母ドワイライトアイゼンハワーが重整備へ7月にも中東を離れる運用に呼応するもので、バイデン大統領は9月11日までにアフガン撤収を完了するとしている事から、撤収に併せ活性化した武装勢力への抑えが必要とされる為で、北東アジア地域での空母空白は数カ月程度持続する見通しです。

 クイーンエリザベス空母戦闘群が南シナ海と日本周辺へ展開しますし、佐世保にはF-35B戦闘機を運用する強襲揚陸艦ワスプが展開していますが、多数のイージス艦とE-2C/D早期警戒機や空母航空団を運用するニミッツ級航空母艦の打撃力は破格に大きく、十月ごろまで続くロナルドレーガン展開の空白をインド太平洋軍がどのように埋めるのか、関心事です。
■インド太平洋軍の図上演習
 インド太平洋軍と紹介しますとインド軍の太平洋艦隊と云うような印象を与えてしまうのですがアメリカ軍の話題です。

 アメリカインド太平洋軍は台湾防衛に関する図上演習を定期的に実施、将官級指揮官は勿論高度政治判断を求められる状況に備え政治家も参加し実施しています。この図演では2018年と2019年に太平洋軍が中国軍に敗北、その反省を反映し2020年には勝利しました。この条件を元に2030年まで太平洋軍の優勢を維持する為に様々な新戦術や新装備を模索中です。

 自衛隊は専守防衛という枠組とともに行動や運用が極めて制限された状態での強大な中国による攻撃からの防衛を模索しています、これは自衛隊が中国軍を中国本土基地無力化を含め圧倒できる状況では成り立つものですが、現実はシーレーン維持さえ懸念すべき状況となっています。アメリカの非常に踏み込んだ研究には、参考点が多いかもしれません。
■U-2戦略偵察機担うF-35支援
 古い装備でも卓越した性能が何かあるならば開発当時思いもしなかった運用が2030年代にも通用する、そんな一例です。

 アメリカ空軍はU-2戦略偵察機とF-22,F-35等の第五世代戦闘機とのデータリンク試験を実施しました。U-2偵察機は1950年代に開発された高高度偵察機ですが、上昇限界高度は27000mとRQ-4グローバルホーク無人偵察機の17000mよりも遥かに高く、また搭載可能なセンサー重量も遥かに大きく、AI副操縦士の搭載など改良を重ね当面は現役です。

 U-2偵察機にはOSG次世代通信システムを搭載し、F-35やF-22のIFDL飛行滞空データリンクとMADL高度多機能データリンクを接続しました。F-35はF-35同士のデータリンク能力を有していますが、機体間データリンクには見通し線上にF-35が滞空する必要があり、第五世代戦闘機の分散運用という運用前提には必ずしも適合しないものがありました。

 F-35やF-22同士を結ぶ、従来は人工衛星等を用いていましたが安全な戦域外の21000m以上の高高度を滞空するU-2偵察機を低高度の人工衛星に代えて通信中継に用いる事で従来数分を要したデータリンク及びデータ送受信を数秒にまで短縮する事が出来たとのこと。F-35の情報は洋上の艦隊や地上の陸軍部隊とも連接する為、この情報共有にも寄与します。
■アメリカ級揚陸艦四番艦情報
 F-35キャリアーとして新しいポテンシャルを獲得しつつある強襲揚陸艦が更に一隻建造されます。

 アメリカ海軍はアメリカ級強襲揚陸艦四番艦についてハンティントンインガルスインダストリーズ社の間で建造に関する事前契約を更新しました。この契約更新は1億0700万ドルであり、これまでの金額を併せると4億5700万ドルとなります。アメリカ級強襲揚陸艦は最新型で、二番艦トリポリが2020年に竣工、現在は三番艦ブーゲンビルが建造中です。

 アメリカ級強襲揚陸艦は10隻が建造予定、ハンティントンインガルスインダストリーズ社は初の強襲揚陸艦イオージマ以降、アメリカ海軍へ強襲揚陸艦を供給しています。アメリカ級はワスプ級強襲揚陸艦ボノムリシャールが2019年の火災事故により全損被害を受けており、両用作戦群即応体制と強襲揚陸艦勢力を回復させるために建造が求められています。
■NGAD次世代航空支配航空機
 絶対航空優勢を維持するには戦闘機、という従来の通念ですがアメリカ空軍の視点からは必ずしもそれが唯一の回答ではないもよう。

 アメリカ空軍はNGAD次世代航空支配航空機の概念図を公表しました。NGAD次世代航空支配航空機は無人戦闘機と有人戦闘機の過渡的な運用を想定した機体であり、F-22戦闘機やF-35戦闘機などの第五世代戦闘機を補完する航空機であり、部分試作として2019年から2025年までに90億ドルの開発費、2021年だけで10億ドルが計上されています。

 NGAD次世代航空支配航空機の概念図は現行のノースロップB-2爆撃機の主翼を大幅に短縮化しF-22戦闘機に似た水平尾翼を装着したもので、技術的には空軍が開発しているB-21爆撃機の技術要素が翅いされるといい、基本的な航空機を開発した上で順次不具合を運用しつつ修正する、電気自動車の開発と運用方式を参考としたアプローチが組まれるもよう。

 F-22戦闘機やF-35戦闘機などの第五世代戦闘機を補完する航空機という位置づけの通り、NGAD次世代航空支配航空機には戦闘機としての格闘性能のような要素を盛り込むかは現時点で未定であり、B-2とF-22を併せた形状についてもあくまで概念図であるとのことで、更に初飛行の時点についても未知数、そもそも第六世代戦闘機かという点も未知数のよう。
■F-15Eを高速輸送機に応用
 自衛隊が同じ様な運用を行えば高コストで無駄と自称識者に批判されそうですが奇想天外でも手堅い案ならば実験するのが、米軍の強みだ。

 アメリカ空軍はF-15E戦闘爆撃機を用いた精密誘導弾薬高速輸送実験を実施した。これはアメリカ中央軍が検証する試験で戦闘爆撃機に兵装架以外にもJDAM精密誘導爆弾を搭載し、第一線基地へ高速輸送するというもので、任務飛行に搭載できる限界の二倍のJDAMを15発輸送、爆撃任務には対応しないが脅威状況下でもまた極めて短時間で輸送できる。

 F-15Eは第494戦闘飛行隊より6機が実験に参加、2月下旬に在英米軍のレイクンヒース基地からUAEアラブ首長国連邦のアルダフラ空軍基地へ輸送した。有事に際してはJDAMを使い果たした飛行隊のF-15EがAMRAAMにより航空優勢を維持し、その掩護下で大量のJDAMを短時間で第一線に輸送するという。F-15Eの搭載能力は戦術輸送機並みに高い。
■島嶼部防衛はJLTVにNSM
 米軍は島嶼部防衛に軽量装備を分散展開させ目標攻撃の際にミサイルのみ現場に集合する運用を本気でとり組んでいます。

 アメリカ海兵隊はNMESIS海軍海兵遠征部隊阻止システムとして、JLTV統合戦術車輛からのNSM海軍ストライクミサイル発射試験を成功させました。JLTVはアメリカ陸軍と海兵隊に装備されるハンヴィー後継の耐爆車両で、ミサイルを搭載、これは陸上自衛隊が軽装甲機動車に12式地対艦誘導弾を搭載するような極めて異例の運用となっています。

 NSM海軍ストライクミサイルはノルウェーのコングスベルク社製地対艦ミサイルであり、艦載型はNATO海軍はもちろん、アメリカ海軍のLCS沿海域戦闘艦にも暫定搭載され、射程は185kmに達します。今回NMESIS海軍海兵遠征部隊阻止システムとして投入されたJLTVは無人型となっており、離島防衛へ新しい防衛システムの構築が目指されたもの。

 NMESIS海軍海兵遠征部隊阻止システムが開発された背景には、中国海軍及び海軍歩兵部隊による太平洋進出を受け、島嶼部防衛を海兵隊全体で取り組み必要があり、海兵隊2030構想としてアメリカ海兵隊は戦車全廃を含む踏み込んだ改編を全力で進めています。NSMのJLTV搭載は小規模戦闘部隊でも対艦戦闘に参加させる運用改革の一環に挙げられます。

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