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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

榛名防衛備忘録:機動師団までの道筋、管区隊・甲師団・沿岸配備師団・総合近代化師団

2014-01-07 23:52:34 | 防衛・安全保障

◆機動師団までの陸上自衛隊戦略単位の変遷
 機動師団と機動旅団という新しい概念が導入されるようですが、すると現在の総合近代化師団・総合近代化旅団はどうなるのか、というのが本日のお題です。
Img_5195 陸上自衛隊は警察予備隊時代の1950年より管区隊・混成団制度を画定、複数の普通科連隊を有する管区隊が15000名の規模を以て全国全域を警備し、高度に機械化された一個連隊を基幹とする機械化混成団が機動運用し、管区隊が構築した防衛線において機動打撃力による敵部隊の殲滅を期する運用を採りました。ただ、混成団の機械化に関する予算が充分捻出できない、という悩みがあり、第7混成団以外機械化は実現しませんでした。
Jimg_1665 1962年に陸上自衛隊は師団制度を開始します。管区隊と混成団の基盤的防衛力と機動運用部隊の区分を廃止し、師団制に移行し、2000名の人員を有する連隊戦闘団を基本単位とし、四個普通科連隊から成る甲師団と三個普通科連隊から成る乙師団に分け、警備管区の能力均衡化を図っています。広い警備管区は甲師団が、その他の警備管区は乙師団が、それぞれ対応する、というかたちです。
Img_3660a 連隊戦闘団の編成は、普通科連隊の規模が管区隊編成時代と比較し縮小されたため、連隊の下に大隊を置かず大型の中隊を運用するというかたちでしたが、普通科連隊一個に特科大隊を直掩火力として、戦車中隊を打撃力として師団より配置し、師団は後方策源地での補給整備支援と防空、特科全般火力支援大隊と対戦車隊を以て必要な局所支援を行う方式が採られ、非常に実戦的な編成といえました。
Img_1637 ただし、完全に均等と言えばそうでもなく、ソ連軍の圧力を最も受けていた北海道は第7師団が普通科連隊を縮小し戦車連隊を方面隊の戦車団から造成し機甲師団へ改編、その他の師団も機械化が重視され、普通科連隊の一個を装甲化し、火砲を自走榴弾砲化、打撃力を高める改編が行われました。本州以南の部隊は普通科部隊の自動車化も進まず輸送隊のトラックの支援を受けており、火砲は牽引砲です。
Gimg_4493 これが東西冷戦の終結と共に陸上防衛体制の転換という政治的必要性が生じ、再考されることとなりました。無論ほかにも、沖縄返還に伴う南西防備の新任務へ対応する混成団新編や冷戦末期に敵の水際での撃破を洋上撃破を構想し、地対艦ミサイル部隊の新編が行われ、部隊編制の画一化原則が崩れた事、必要な装備数が増大しその他の運用体系に影響が生じた、ということは否めません。
Img_0795 沿岸配備師団・沿岸配備旅団、戦略機動師団・戦略機動旅団、政経中枢師団、機甲師団、以上の名称はこうした流れの中で羽田内閣時代に構想されました。これが1995年の橋本内閣時代に1976年以来の防衛大綱改訂が行われ、陸上自衛隊の師団について一部を旅団とし、その防衛力の地域格差の発生を機動運用により補う、という方式が考えられたわけです。

Gimg_9378 沿岸配備師団・沿岸配備旅団は、戦略上の要衝と緊要地形に隣接する師団と旅団へ打撃力を集中させる目的で改編され、道北第2師団、道東第5師団を旅団へ、道南第11師団を旅団へ、青函地区の第9師団、九州北部の第4師団を、それぞれ改編する構想としました。当時中学生の当方は、需要地域を沿岸配備師団に任せるにも拘らず、何故旅団改編するのかな、と考えましたが。

Img_3683a 戦略機動師団・戦略機動旅団は、平時には警備管区を有しつつ有事の際には全国へ機動展開させるべく装備を一新する運用が構想され、東北南部の第6師団、北関東信越の第12師団を空中機動力を強化し旅団へ、東海北陸の第10師団、山陽山陰地区の第13師団を旅団へ、四国第2混成団を旅団へ、九州南部の第8師団、沖縄第1混成団を旅団へ、それぞれ改編することとしました。実は冷戦時代、第10師団、第13師団、第8師団については北海道への増援を念頭に、第6師団は青函地区への増援が念頭に置かれていましたので、その焼き直しともいえます。
Gimg_2000 政経中枢師団は、首都圏の第1師団と京阪神地区の第3師団より、重装備を持射きって縮小し、市街地戦闘を重視した装備体系と教育体系へ転換することで戦闘において最も難易度が高いとされる市街戦能力を強化するべく改編が行われる、としていました。具体的には重迫撃砲の廃止と普通科中隊の増勢が行われ、火力などは削られます。
Ffimg_5481 しかし、この編成は意外と早く限界が露呈します。まず、北海道の重装備と本州以南の軽装備という体制が固定化しており、沿岸配備師団であっても、青森第9師団と北九州第4師団は従来編成のまま、旭川第2師団は戦車連隊と装甲普通科連隊に自走砲を持ち、格差が生じています。決して、北海道の2個師団を旅団化し余剰となった装備で本州以南の2個沿岸配備師団を装甲化する、という選択肢は採られなかったわけです。
Img_0198 更に、空中機動旅団に改編した第12旅団はヘリコプターの数が当初は100機程度入り全国へ機動展開、と考えられていたのが予算不足で20機しか導入できず、戦闘ヘリコプターについては1機も導入できませんでした。政経中枢師団の誕生で余剰となった対舟艇対戦車誘導弾等が普通科連隊の対戦車中隊に配備されましたが、戦略機動師団でも配備された部隊とそうでない部隊が出てきまして、代替装備である96式多目的誘導弾の配備も進まず、此処でも格差が生じました。
Iimg_0647 止めは政経中枢師団で、第1師団から重迫撃砲中隊と対戦車隊を廃止したものの、市街地戦闘では重迫撃砲による掩護の重要性と狙撃などからの装甲車両の重要性、移動火力拠点ともなる戦車の重要性が認識されるに至り、この問題点を受け第3師団における重迫撃砲中隊の廃止は見送りとなりました。また、市街戦能力を重視しすぎ野戦能力が低下しすぎてしまい、有事の際には相手を市街地に呼び込む形ともなりかねない、限界が生じたわけです。
Img_4392 2004年、小泉内閣時代に入り、1995年の防衛大綱を改訂しよう、という動きが実現しました。併せて、1998年以降、北朝鮮の弾道ミサイル脅威が顕在化し、弾道ミサイル防衛という未知の分野が我が国防衛上の重要事項となったため、海上と地上からの防衛手段構築に多額の予算が必要となる見通しが立ち、この観点から陸上防衛力をさらに削減し予算を捻出するとともに、1995年防衛大綱で志向された機動運用能力を、より安い費用にて実現する方策が模索されます。
Img_2754 総合近代化師団・総合近代化旅団、即応近代化師団・即応近代化旅団、という概念はこの際に誕生します。此処では、要するに総合近代化師団と総合近代化旅団は戦車と自走榴弾砲に装甲車を配備し、即応近代化師団と即応近代化旅団は少数の戦車と牽引火砲と軽装甲車により身軽に機動する、という方式が考えられました。
Img_12680 即応近代化師団・即応近代化旅団、は本州以南全ての師団と旅団が該当し、総合近代化師団・総合近代化旅団は北海道の全ての師団と旅団が該当します。つまり、北海道の師団は重装備で本州以南の師団は軽装備、という冷戦時代からの実情に合わせた編成の下で、可能な範囲内での近代化を行おう、という主旨であるわけです。このほか、北海道は広大な演習場と人口密度の低さから演習場の使用頻度への制約が本土ほどではなく、機械化部隊が最大限演習を行える、という利点もあるのですが。
Oimg_2492 しかし、ここでも問題が生じます、総合近代化師団・総合近代化旅団、即応近代化師団・即応近代化旅団、ですが、師団と旅団の隷下部隊は共に普通科連隊なのです。そして普通科連隊は師団普通科連隊と旅団普通科連隊で大きな違いがあり、師団普通科連隊も対戦車中隊の有無や普通科中隊数に大きな違いがありました。一方で双方ともに有事の際には緊急展開、という運用が為され、異なる部隊に同じ運用が圧しつけられたわけです。
Gimg_1716 その要因は、防衛大綱改訂の旅に戦車と火砲が削られ、戦車と火砲を補う新装備の調達費用が嵩んだことで近代化が進みにくくなり、更に人員削減が公務員削減の潮流として載せられ、機動力を以て人員不足を補う目標が、予算不足で機動力を整備できない、その機動力を補う装備を開発するために装備体系は複雑化を続け、機動力と人員がさらに、という悪循環に陥ってしまいました。
Img_0879 こうしたなか、新しい機動師団と機動旅団、という概念が生まれました。聞けば、機動師団と機動旅団は戦車に代わり機動戦闘車をもって高い機動力を発揮する部隊になるという当初の報道、戦車は北海道と九州に集中するという報道、しかしふたを開けば北海道の機甲師団以外全ての部隊が機動師団と機動旅団に改編されます。すると総合近代化師団の編成は事実上なくなるわけなのですが、北海道に集中する戦車はどうなるのか、本土の即応近代化師団と即応近代化旅団に回されるのか、即応近代化師団・即応近代化旅団は別の名称となるのか、分からなくなります。そして、この20年間の右往左往を見れば不安を抱くな、という方が無理というもの。
Mimg_1807 管区隊、甲師団、沿岸配備師団、総合近代化師団、機動師団、名称は変わってきているのですが、自衛隊発足以来40年間で一回しかかわらなかった戦略部隊の呼称がこの20年間だけで岸配備師団、総合近代化師団、機動師団、と三度変わっています。実際のところ今回も名称だけ変わって終わるのではないのか、最初の二つ以降は無理な部隊縮小と火力縮小の矛盾を予算が確保されなければ無理な手法で補おうとしています、しかし部隊と火力縮小がほかの分野に予算を取られているわけですから矛盾は収まりません。やはり、無理なことはしないようにすればいいのではないか、名称ばかり変えずとも戦車と火砲の数を度外視して様々な任務に対応できる部隊を編成したほうがいいのではないか、こう考える次第です。

北大路機関:はるな

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陸編成の話し始めるとキリがないですが (KGBtokyo)
2014-01-08 15:31:30
陸編成の話し始めるとキリがないですが
日本に欠けているのは一線部隊〈精強)と2線部隊〈後備)の明確な区別が付いていない。
故に中途半端になる。
機動力、打撃力さらにはC4IRまで考えると全部隊近代化は到底無理。
さらに貼り付け型発想が加わり始末悪い。

明確な区別することにより一線部隊は精強化し、当然機動運用する。
沖縄のような最前線除き貼り付け部隊は2線〈後備)部隊として装備や人員も妥協する。
極論すれば戦車も74式でもいい、現状で後方に敵主力軍が強襲するとは考え辛く、特殊部隊や軽歩兵であれば74式で十分役立つ。
火砲もFH-70のままでいい。
装甲車は欲しいが難しければ、高機動車やトラックの装甲強化で我慢する。


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