■台風打払う74式戦車の咆哮
台風と自衛隊行事、重なりそうになりますと憂鬱となりますが、時には打払うべく実施することもある、昨年の今津がそうでした。
今週末は今津駐屯地祭が挙行されます。台風の動きが、と懸念するところですが昨年もそうでしたね。滋賀県高島市、JR湖西線近江今津駅から見上げる高台の頂に駐屯地はありまして、驚くことに箱館山スキー場の近くまで陸上自衛隊饗庭野演習場が広がっています。
湖北は大津とは風情も趣も個性がありますが、中でも近江今津は若狭路と近江を結ぶ地、確かに活況はありませんが琵琶湖の自然と賤ヶ岳から比叡山に至る峰々と琵琶湖の対岸に望む長浜の街と伊吹山、散策してみますと歴史街道には探訪にて得るものは多いでしょう。
今津駐屯地祭、昨年度の行事の様子を紹介しましょう。簡単に言えば流石に中止だろう、と思われた台風接近下の悪天候と共に行事は予定通り行われ、式典を司るスピーカーが雨滴で故障したり、観閲行進が雨煙に霞む、行事進行と共に皆湖西線の運行を心配するなど。
近江今津駅からシャトルバスが運行されていますが、実は駐屯地はそれ程離れていません、それでもシャトルバスを待つかタクシーを利用するのは単純に駐屯地までの道路上にやたらと熊注意の看板が林立する為で、滅多に出ないとはいうがやはり猛獣熊は怖いのですね。
台風接近、それにしても雨煙と霞は凄いものだなあ、改めて昨年の写真を観返しますと妙な迫力を帯びた構図となっています。泥濘の式典会場に泥飛沫を洗いつつ前進する戦車、しかし野分の猛威は発砲焔さえ掻き消し、硝煙は巻雲の如く幕と成りて延々漂うばかり。
琵琶湖を見下ろす高台の駐屯地は玉葱型戦車格納庫が並ぶ情景でおなじみの駐屯地で、式典前には此処玉葱型格納庫前に式典参加の74式戦車がずらりと整列します。各戦車中隊から小隊規模を参加させ、戦車大隊本部の車両等も加わり、ちょっとした規模が並びます。
74式戦車、遂に本年の富士総合火力演習には不参加となった老兵ですが、減ったとはいえ第3戦車大隊と第10戦車大隊の駐屯する今津駐屯地、演習場隣接故の事情といいますか、駐屯地の式典会場が狭い為に展示内容には限界がありますけれども、間近では迫力がある。
第3戦車大隊と第10戦車大隊、北大路機関が初めて行事を紹介しました際には、3個中隊と4個中隊、今津駐屯地だけで7個中隊が置かれていた訳です。102両もの74式戦車が配備され、そして第3特科連隊第5大隊のFH-70榴弾砲20門も今津に配備されていました。
第10戦車大隊も第3戦車大隊も師団改編と共に戦車中隊は2個中隊に激減しまして、これは本土の師団戦車大隊の共通編成なのですが、今津駐屯地の74式戦車も60両程度となってしまいました。そして第3特科連隊は第3特科隊へ縮小、第5大隊も廃止されてしまう。
第3特科連隊縮小改編はそのまま第5大隊廃止となり、全般支援大隊の4個中隊廃止は湖北の街の活気にも影響を及ぼしましたが、訓練展示でもかつては4門のFH-70榴弾砲が並んでいたのですから随分減った印象でした。しかしこの頃から行事来場者は増えましたね。
中部方面移動監視隊と中部方面無人偵察機隊が新編され、今津駐屯地に加わると共に戦車大隊本部の老兵60式装甲車は除籍、73式装甲車は北海道へ転地となり、新鋭96式装輪装甲車が加わりました。本土師団に装甲普通科連隊は無く、訓練展示で活躍する装甲車です。
饗庭野演習場が近い故にグラウンドを訓練場として転用する必要がなく、結果的に狭いのですが、訓練展示などはかなり近い距離で74式戦車の空包射撃と96式装輪装甲車の突撃を見る事が出来ます。そして狭い為に角地で撮影でき、勢い良く方向転換する姿は勇壮だ。
新快速で颯爽と式典終了後には撤収しました、早く帰りたいのではなく長く74式戦車を見上げたいのですけれども、湖西線が止まっては万事休す、琵琶湖今津長浜航路の船便も運休です。実際、二本後続の新快速は湖西線強風運休で動かず台風の威力を実感しました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
台風と自衛隊行事、重なりそうになりますと憂鬱となりますが、時には打払うべく実施することもある、昨年の今津がそうでした。
今週末は今津駐屯地祭が挙行されます。台風の動きが、と懸念するところですが昨年もそうでしたね。滋賀県高島市、JR湖西線近江今津駅から見上げる高台の頂に駐屯地はありまして、驚くことに箱館山スキー場の近くまで陸上自衛隊饗庭野演習場が広がっています。
湖北は大津とは風情も趣も個性がありますが、中でも近江今津は若狭路と近江を結ぶ地、確かに活況はありませんが琵琶湖の自然と賤ヶ岳から比叡山に至る峰々と琵琶湖の対岸に望む長浜の街と伊吹山、散策してみますと歴史街道には探訪にて得るものは多いでしょう。
今津駐屯地祭、昨年度の行事の様子を紹介しましょう。簡単に言えば流石に中止だろう、と思われた台風接近下の悪天候と共に行事は予定通り行われ、式典を司るスピーカーが雨滴で故障したり、観閲行進が雨煙に霞む、行事進行と共に皆湖西線の運行を心配するなど。
近江今津駅からシャトルバスが運行されていますが、実は駐屯地はそれ程離れていません、それでもシャトルバスを待つかタクシーを利用するのは単純に駐屯地までの道路上にやたらと熊注意の看板が林立する為で、滅多に出ないとはいうがやはり猛獣熊は怖いのですね。
台風接近、それにしても雨煙と霞は凄いものだなあ、改めて昨年の写真を観返しますと妙な迫力を帯びた構図となっています。泥濘の式典会場に泥飛沫を洗いつつ前進する戦車、しかし野分の猛威は発砲焔さえ掻き消し、硝煙は巻雲の如く幕と成りて延々漂うばかり。
琵琶湖を見下ろす高台の駐屯地は玉葱型戦車格納庫が並ぶ情景でおなじみの駐屯地で、式典前には此処玉葱型格納庫前に式典参加の74式戦車がずらりと整列します。各戦車中隊から小隊規模を参加させ、戦車大隊本部の車両等も加わり、ちょっとした規模が並びます。
74式戦車、遂に本年の富士総合火力演習には不参加となった老兵ですが、減ったとはいえ第3戦車大隊と第10戦車大隊の駐屯する今津駐屯地、演習場隣接故の事情といいますか、駐屯地の式典会場が狭い為に展示内容には限界がありますけれども、間近では迫力がある。
第3戦車大隊と第10戦車大隊、北大路機関が初めて行事を紹介しました際には、3個中隊と4個中隊、今津駐屯地だけで7個中隊が置かれていた訳です。102両もの74式戦車が配備され、そして第3特科連隊第5大隊のFH-70榴弾砲20門も今津に配備されていました。
第10戦車大隊も第3戦車大隊も師団改編と共に戦車中隊は2個中隊に激減しまして、これは本土の師団戦車大隊の共通編成なのですが、今津駐屯地の74式戦車も60両程度となってしまいました。そして第3特科連隊は第3特科隊へ縮小、第5大隊も廃止されてしまう。
第3特科連隊縮小改編はそのまま第5大隊廃止となり、全般支援大隊の4個中隊廃止は湖北の街の活気にも影響を及ぼしましたが、訓練展示でもかつては4門のFH-70榴弾砲が並んでいたのですから随分減った印象でした。しかしこの頃から行事来場者は増えましたね。
中部方面移動監視隊と中部方面無人偵察機隊が新編され、今津駐屯地に加わると共に戦車大隊本部の老兵60式装甲車は除籍、73式装甲車は北海道へ転地となり、新鋭96式装輪装甲車が加わりました。本土師団に装甲普通科連隊は無く、訓練展示で活躍する装甲車です。
饗庭野演習場が近い故にグラウンドを訓練場として転用する必要がなく、結果的に狭いのですが、訓練展示などはかなり近い距離で74式戦車の空包射撃と96式装輪装甲車の突撃を見る事が出来ます。そして狭い為に角地で撮影でき、勢い良く方向転換する姿は勇壮だ。
新快速で颯爽と式典終了後には撤収しました、早く帰りたいのではなく長く74式戦車を見上げたいのですけれども、湖西線が止まっては万事休す、琵琶湖今津長浜航路の船便も運休です。実際、二本後続の新快速は湖西線強風運休で動かず台風の威力を実感しました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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