■長浜城と天正地震
この城郭を語る時は常に過去形となるのには理由が在るのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/33/1e281d4dc870373767201e055391b3bd.jpg)
長浜城、琵琶湖に面する城郭です。城下町は江戸時代に彦根藩が重要な交通拠点として整備したという背景がありまして、ここ長濱は湖北の冷涼な気候にあります風光明媚な場所なのですが、駅前に城郭、という迫力とともに古い町並み活気ある町並みが広がります。
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城郭があるというのは良いことです、街の象徴になる。そんなことはバブル時代的な発想、こう思われるのかもしれませんが2019年に尼崎城が再建されて、城下町だ、こう盛り上がっているところを実際に目にしていますから、やはり象徴って大事なのだよね、と思う。
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城郭も、例えば京都ですと西舞鶴の田辺城、城門だけを再建した再建城郭なのですが、これがあるのとないのとでは街の風情がだいぶんと違う様になりまして、もともとは天橋立への乗換駅という町並みを、細川氏の時代に築城したころのにぎわいを取り戻した、と。
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琵琶湖一円をみますと、彦根城、じつは長浜城から見えるのですが、ここが城下町として、ここは国宝天守閣ですのでひときわ大きな観光拠点となっているのですけれど、威勢よい風情をとどろかせています。しかし、琵琶湖一円、昔は城郭の宝庫だったのですよね。
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長浜城、壮大な城郭は琵琶湖に突き出るまさに水の城郭と云う威容を誇っていたとは伝わるのですが、その城址は殆ど琵琶湖に沈んでいます。城郭が琵琶湖に沈んだ背景は、天正13年11月29日、西暦ですと1586年1月18日に発生した巨大地震が城郭を壊した。
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天正地震は歴史地震として過去に記録される数多の地震の中にあって最大規模の巨大地震であったという、この被害は若狭湾から伊勢湾三河湾沿岸と本州を縦断する大被害を及ぼしており、四国や京都にも被害の記録が残ります、ただ、時代が時代故に記録は限られる。
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岐阜県北部の庄川断層か阿寺断層、養老断層や伊勢湾断層と養老桑名四日市断層帯などが、一斉もしくは時間を掛けて一つの地震が連動して動いた等の可能性が指摘されていますが、長浜城に帰雲城、長島城と大垣城といった城郭が破損倒壊しています。損傷城郭も又多い。
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山内一豊の居城でありました長浜城は、長女与祢と乳母が倒壊に巻き込まれ死亡しました、この際に琵琶湖に突き出た天守閣は石垣ごと琵琶湖に崩落したといい、水没した長浜市街地は湖底に下坂浜千軒遺跡として残っているといいます。これが当時の城郭のない理由だ。
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紅葉というのは京都では十一月中旬から、こういう印象があるのですけれども一番早く色づく木々がありまして、実のところこれを紅葉前線の前哨戦と呼んでいるところ。それは桜の木々です。桜は椛が紅葉のきせつにはもう既に店じまいしている印象があるのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/4a/f921126ac730a8a95c0a7af204eea718.jpg)
桜の名所を辿りますと、要するに十月中旬から桜が紅葉している季節という。そして桜の葉たちの紅葉もそれほど朱色紅色に色づくわけではなく、ちょっと赤色を帯びてきたかとおもうと、さっと散ってしまう、その儚さ潔さは桜花の様、こうして秋の始まりがわかる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/83/54a16b60695a9e443fbb0828d4b9bcba.jpg)
花見見物の名所、桜の紅葉は十月中旬というところですが、京都の夏は酷暑、だからこそそろそろ涼やかな季節になったのかなと考えますと、そのころにはもう準備万端というのがおもしろい。こうおもうと、秋というのは気づかないだけで早く近づいているような。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/a3/74e72a953943a0e3c265c00f5c50ef3b.jpg)
晩秋の紅葉の季節となりますと、じつは紅葉の木々の中に遠景では先に葉を落として黒々と異彩をはなっているあたりに、ちょっと歩み進めて近づいていますと、それは一寸先に冬の装いとなっています桜、とそんなことは多いのですね、早めに桜の紅葉を楽しみたい。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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この城郭を語る時は常に過去形となるのには理由が在るのです。
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長浜城、琵琶湖に面する城郭です。城下町は江戸時代に彦根藩が重要な交通拠点として整備したという背景がありまして、ここ長濱は湖北の冷涼な気候にあります風光明媚な場所なのですが、駅前に城郭、という迫力とともに古い町並み活気ある町並みが広がります。
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城郭があるというのは良いことです、街の象徴になる。そんなことはバブル時代的な発想、こう思われるのかもしれませんが2019年に尼崎城が再建されて、城下町だ、こう盛り上がっているところを実際に目にしていますから、やはり象徴って大事なのだよね、と思う。
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城郭も、例えば京都ですと西舞鶴の田辺城、城門だけを再建した再建城郭なのですが、これがあるのとないのとでは街の風情がだいぶんと違う様になりまして、もともとは天橋立への乗換駅という町並みを、細川氏の時代に築城したころのにぎわいを取り戻した、と。
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琵琶湖一円をみますと、彦根城、じつは長浜城から見えるのですが、ここが城下町として、ここは国宝天守閣ですのでひときわ大きな観光拠点となっているのですけれど、威勢よい風情をとどろかせています。しかし、琵琶湖一円、昔は城郭の宝庫だったのですよね。
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長浜城、壮大な城郭は琵琶湖に突き出るまさに水の城郭と云う威容を誇っていたとは伝わるのですが、その城址は殆ど琵琶湖に沈んでいます。城郭が琵琶湖に沈んだ背景は、天正13年11月29日、西暦ですと1586年1月18日に発生した巨大地震が城郭を壊した。
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天正地震は歴史地震として過去に記録される数多の地震の中にあって最大規模の巨大地震であったという、この被害は若狭湾から伊勢湾三河湾沿岸と本州を縦断する大被害を及ぼしており、四国や京都にも被害の記録が残ります、ただ、時代が時代故に記録は限られる。
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岐阜県北部の庄川断層か阿寺断層、養老断層や伊勢湾断層と養老桑名四日市断層帯などが、一斉もしくは時間を掛けて一つの地震が連動して動いた等の可能性が指摘されていますが、長浜城に帰雲城、長島城と大垣城といった城郭が破損倒壊しています。損傷城郭も又多い。
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山内一豊の居城でありました長浜城は、長女与祢と乳母が倒壊に巻き込まれ死亡しました、この際に琵琶湖に突き出た天守閣は石垣ごと琵琶湖に崩落したといい、水没した長浜市街地は湖底に下坂浜千軒遺跡として残っているといいます。これが当時の城郭のない理由だ。
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紅葉というのは京都では十一月中旬から、こういう印象があるのですけれども一番早く色づく木々がありまして、実のところこれを紅葉前線の前哨戦と呼んでいるところ。それは桜の木々です。桜は椛が紅葉のきせつにはもう既に店じまいしている印象があるのですね。
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桜の名所を辿りますと、要するに十月中旬から桜が紅葉している季節という。そして桜の葉たちの紅葉もそれほど朱色紅色に色づくわけではなく、ちょっと赤色を帯びてきたかとおもうと、さっと散ってしまう、その儚さ潔さは桜花の様、こうして秋の始まりがわかる。
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花見見物の名所、桜の紅葉は十月中旬というところですが、京都の夏は酷暑、だからこそそろそろ涼やかな季節になったのかなと考えますと、そのころにはもう準備万端というのがおもしろい。こうおもうと、秋というのは気づかないだけで早く近づいているような。
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晩秋の紅葉の季節となりますと、じつは紅葉の木々の中に遠景では先に葉を落として黒々と異彩をはなっているあたりに、ちょっと歩み進めて近づいていますと、それは一寸先に冬の装いとなっています桜、とそんなことは多いのですね、早めに桜の紅葉を楽しみたい。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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