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【くらま】日本DDH物語 《第九回》第二次防衛力整備計画と八〇〇〇t型対潜空母構想

2017-04-08 20:40:11 | 先端軍事テクノロジー
■海上防衛と本土防衛
 日本経済が復興の端緒をつかみつつあった時代、国際情勢は東西冷戦構造の確立と共に防衛政策については様々な視点から討議されていました。

 自衛隊初の空母部隊研究は様々な防衛政策の一つの可能性であり、岸内閣時代に独自防衛力整備の一環として進められ、与党のみならず折しも日米安全保障条約に関する六〇年安保闘争を背景に、防衛力強化を以てアメリカから独立した防衛力整備を期する中道右派野党からも受け入れ得る余地があったとも言われています、こうして必要予算算定等、かなり具体的に計画が進められたとされます。

 第一次防衛力整備計画では、陸上自衛隊180000名及び予備自衛官15000名の確保、海上自衛隊艦艇124000tの整備、航空自衛隊は航空機1300機の取得、以上を以て骨幹防衛力の整備の基盤について一応の体制の確立を期し、防衛費は3年間計4614億円、GNP比1.12%という防衛計画を構築しましたが、第一次防衛力整備計画は航空母艦へ言及はありません。

 陸上防衛力整備が急務であったことが、背景として航空母艦建造への防衛力配分を不可能とさせました。第二次世界大戦後の日本占領軍は、第1騎兵師団、第7歩兵師団、第24歩兵師団、第25歩兵師団、第3海兵師団、が当たりましたが、朝鮮戦争勃発と共に全ての陸軍師団が朝鮮半島へ展開、この穴埋めを行う陸上防衛力が急務であった事情がありました。

 対潜航空艦、第二次防衛力整備計画として海上自衛隊創設から一定の部隊編制の端緒を経て検討されたのは基準排水量8000t程度の全通飛行甲板型護衛艦へHSS-1対潜ヘリコプターを18機集中搭載し、ミサイル護衛艦あまつかぜ、と対潜掃討部隊を編成する研究が海上幕僚監部の研究として挙げられ、実現性を技術研究本部と共に検証したともいわれます。

 アメリカ海軍からの協力と支援が無ければ、この計画の端緒に就くことも難しい状況ですが、ソ連との冷戦構造の急速な醸成が朝鮮戦争を受け対立が確実なものとなった際に、環太平洋地域においてアメリカは強力な同盟国を求めていました。その筆頭は中華民国でしたが、国共内戦の激化と共に中華民国軍は敗北を続け、1955年に最後の大陸拠点を失う。

 新しい環太平洋地域における同盟国として日本の位置づけが国共内戦の結果と朝鮮戦争勃発を受け、非常に大きくなったわけです。最新鋭艦隊防空ミサイルであるターターシステムの日本供与、P-2V哨戒機やHSS-1対潜ヘリコプターの日本供与等、幾つかの施策はその代表例と云え、対潜空母導入の現実性は政府の了承さえあれば充分現実的な施策です。

 構想として、幾つかの研究が為されたようですが、一つには全通飛行甲板を有し、その規模は基準排水量8000t程度、全長155mと幅26.5m程度を想定、甲板下へは全長112m規模の格納庫、飛行甲板と舷側式へエレベータを配置し、全長17mと幅8mという比較的大型のものが設置されるという規模で、建造費は100億円程度を想定し二割程度アメリカ対外援助を期待しました。

 あまつかぜ、海上自衛隊最初のミサイル護衛艦として1960年に建造された護衛艦ですが、対潜空母は護衛艦あまつかぜ機関部等の設計を応用する計画でした。基準排水量3050t、現在の護衛艦はつゆき型を若干上回る程度の護衛艦でしかありませんが、海上自衛隊初の基準排水量3000tを超える護衛艦、最新のターターシステムを搭載する初の艦隊防空艦です。

北大路機関:はるな くらま
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