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ミグ25函館亡命事件から40年【前篇】北海道に突如着陸したソ連最新超音速戦闘機の衝撃

2016-09-06 21:03:32 | 北大路機関特別企画
■ミグ25函館亡命事件から40年
本日は、あのソ連ミグ25戦闘機亡命事件発生から40年となります。北海道に突如着陸したソ連最新超音速戦闘機の衝撃について、今回から少し振り返ってみましょう。

ミグ25函館亡命事件、大変な事件でした、最新鋭戦闘機が突如、日本の飛行場へ強行着陸したのです。ソ連軍のヴェクトルベレンコ中尉がアメリカへの亡命を期して我が国領空を侵犯、対領空侵犯措置任務へ緊急発進しました千歳基地のファントムを振り切って函館空港へ強行着陸を敢行、発生したものです。1976年9月6日、ヴェトナム戦争が一段落し、所謂緊張緩和の時期に当たるこの時点で、まさかソ連の最新鋭戦闘機が日本へ強行着陸を行うなど、想定はしていたとしてもまさか本当に発生するとは、という水準の事態であったことはいうまでもありません。

日本は文字通り一触即発の状態となりました、東西冷戦は欧州とアジア、中東と東南アジアがその最前線となり巨大な、それこそ今日では考えられないほどの緊張を以て対峙しており、その上で現在世界に配備されている核兵器を遙かに上回る戦略核兵器が、北極圏を挟み米ソのあいだより突きつけられていた時代です。核兵器は今日ほど特別な扱いではなく、第一線指揮官水準で戦術核兵器を使用できた時代もあり、これら戦術核兵器の偶発的な使用が、戦域核兵器の応酬につながり、果てはメガトン水爆、戦略核兵器数万発の応酬となる全面核戦争へ展開する危険性が真剣に憂慮されていた時代でした。

ソ連製最新戦闘機ミグ25、これは当時最新鋭、世界最速の迎撃機でマッハ3.2を叩き出す唯一の戦闘機でした。元々ソ連ではアメリカのVB70バルキリー超音速爆撃機計画に対抗するには迎撃機の速度を向上させる必要が大きく、このため運動性能や整備性など戦闘機として優先される様々な要件から特に速度を重視した戦闘機を一機種防空用に配備する必要を受け開発されたもので、現在は更に改良され、ミグ25の設計をもとに編隊間データリンク能力を重視しましたミグ31が配備されています。

我が国は勿論、アメリカはじめ自由主義諸国はこのソ連制裁新鋭戦闘機の情報へ非常な関心を持ちました、速度が世界一速いということは相手に対し攻勢に用いた場合、迎撃機が離陸するまでの時間を相手に与えないことを意味しますので、その性能や搭載機器の水準、機体構造から設計思想や製造技術まで一機実物が手元にあるということは非常に情報の宝庫を得たことを意味します。しかし、それはソ連側にとっても、この戦闘機が意図せず日本へ着陸した、ということは、自国の最先端軍事技術が漏洩する危機にある、ということも示すことはいうまでもありません。

東西冷戦下、相手側の最新鋭戦闘機が日本の空港に降り立った、世界に大きな緊張が走り、我が国へも米軍筋の確度の高い情報として、ソ連軍特殊部隊スペツナズが函館空港へ戦闘機の奪還へ展開するとの情報が寄せられ、異常な緊張に包まれました。日本へソ連軍が展開する、防衛出動を迫られる事態です。実際、ソ連からの国籍不明機による我が国防空識別圏への接近が異常増大するとともに、津軽海峡を通行せず遊弋するソ連艦船が常時確認されるようになり、情報を収集する限りスペツナズ新党の可能性は現実味を帯びてゆきます。

千歳基地は自衛隊創設以来初の戦闘空中哨戒、つまり常時複数の戦闘機を上空で旋回待機する警戒任務を実施、大湊基地と函館基地には駆潜艇が集結しました。津軽海峡では重要海峡であることから竜飛及び松前に警備所が置かれ、大湊地方隊と函館基地という拠点がありましたが、他の地方隊からも増援を受け、駆潜艇と掃海艇が常時警戒すると共に、日本海でも海上自衛隊は護衛艦を展開させ、特に現在の海上自衛隊と比べれば、ようやくヘリコプター搭載護衛艦はるな、ひえい、が就役したばかり、という規模ながら、万一に備える警戒監視体制を強化した訳でした。

函館駐屯地の第28普通科連隊も非常警戒態勢を採り、第11師団より夏祭り名目の装備品展示用に展開した第11戦車大隊の61式戦車と第11特科連隊第6中隊のL90高射機関砲が連隊長指揮下へ編入となり、白老弾薬庫から実弾が搬入、空港へソ連軍機が接近した場合にはL90高射機関砲が迎撃し、待機中の1個普通科中隊と61式戦車が空港に展開するソ連軍を制圧する態勢を執っていた、第9対戦車隊が竜飛岬へ進出するとともに第1戦車団も警戒態勢を執っていた、事件から年月が経つにつれてさまざまな当時の緊張の様子が伝わってきます。

函館空港という、日本本土へソ連軍特殊部隊が降下し破壊活動を実施する、これを日本国家が看過したならば、日本は主権を守れないのではなく守る意志さえない、ということを世界に示し、外交の主導権を筆頭にあらゆるものを失いこととなります。しかし、スペツナズは警察力では制圧できない、自衛隊以外に対応することなどかなわず、結果的に厳しい判断の上で、しかし独立国家として毅然と立ち向かうことが要求されたわけです。第28普通科連隊は、その緊張に立ち向かいました。そしてその上で、僥倖にしてソ連軍の奪還作戦は実行に移されませんでした。ミグ25はその後、日米共同調査というかたちで舞台を函館空港から航空自衛隊百里基地へ移送され、最初の緊張は幕を閉じました。

北大路機関:はるな くらま
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2 コメント

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幻の防衛出動と言われてますね (ハリー)
2016-09-12 02:13:22
こんばんわ。
最近、テレビや書籍で、その内実が紹介されるようになりましたね。個人的には、東日本大震災やオウム事件と並ぶ戦後最大級の危機だったとは思いますが。
それにしても、当時の永田町の無為無策は、冗談かと思われる程で…。文民統制が聞いて呆れます。
そういえば、この事案に関しては、ソ連側の動向が、あまり明らかになっていないような…。
当時のクレムリンはどこまでやる気だったのでしょうか?函館奇襲?北海道侵攻、日ソ開戦?寡聞にして存じません。
ご存知でしたら御教示ください。
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当事者が存命の内に (はるな)
2016-09-23 21:57:18
ハリー 様 こんばんは

朝雲新聞「陸上自衛隊の50年」等にも当時の函館駐屯地の様子を記録した写真が掲載されていまして、記録はそれなりにあるようですね

当時のソ連軍の動向、津軽海峡や奥尻島沖の状況などは防衛庁が記録していますが、クレムリンの意思決定過程、こちらは、逆に当方もソ連側の当事者へ話を聞きたいほどなのですが、ちょっと当方も、と
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