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自衛隊発足60周年:1954年(昭和29)7月1日、防衛庁自衛隊設置に関する防衛二法施行

2014-07-01 23:41:20 | 北大路機関特別企画

◆平和国家日本の理想護り、陸海空自衛隊60年

 自衛隊発足、つまり1954年7月1日の自衛隊法と防衛庁設置法の防衛二法施行より、本日60年を迎えました。

Img_9845  始まりは朝鮮戦争、1950年6月25日の朝鮮戦争勃発とともに、戦後我が国の安全保障環境は激変し7月8日、GHQは吉田総理へ警察予備隊編成を求めるマッカーサー書簡を出し、我が国独自の防衛力再建への道を歩み始めました。当時は75000名の要員に対し382003名が応募、8月25日には第一回集合入隊が開始されます。制式訓練開始は1950年8月28日、1952年4月28日には警察予備隊が保安庁保安隊に改編、吉田茂総理臨場のもと神宮外苑国立競技場において保安隊発足式典が行われています。

Bimg_0630 1954年6月9日に自衛隊法と防衛庁設置法の防衛二法が公布され 、1954年7月1日に施行されました、60年前の今日、我が国へ現行憲法下での防衛力、軍隊ではない防衛力として自衛隊が発足したわけです。先立つ6月26日には木村保安庁長官により防衛庁の表札が直筆で仕立てられ、7月1日、越中島の防衛庁本庁舎において自衛隊発足記念式典が行われました。7月8日には統幕議長と陸海空の幕僚長参加の下初の統幕会議が開かれ、名実ともに自衛隊が活動を開始したのでした。

Aimg_1957  日本を取り巻く安全保障情勢は、現在の中国による南西諸島侵攻の危機よりも遙かに切迫したもので、警察予備隊設置当時は朝鮮半島情勢が特に切迫化、数日でソウルが陥落し一挙に南進した北朝鮮軍により韓国軍は釜山橋頭堡に立て籠もる状況となり、戦火はまさに狭い対馬海峡を越え北九州や山陰地方に飛び火しようという状況、僅か五年前の第二次世界大戦でかろうじて回避した本土決戦の危機が武装解除後の我が国へ突如迫った状況、簡単にの緊迫感を説明できるものではありません。

Mimg_2104  自衛隊発足後、日本独自の防衛力が機能を稼働体制に移行させてゆきます。一つの象徴的な出来事は1954年9月24日に実施された、日米北部警備権限移譲式典で、アメリカ陸軍第16軍団より陸上自衛隊北部方面隊へ北海道の防衛警備権限が我が国へ返還された瞬間でした。今日では我が国への武力攻撃が為された際、我が国が主体的に自衛権を行使する手段を選択しますが、この瞬間まで北海道の防衛権限はアメリカ陸軍にあったわけです。

88img_8204  海上自衛隊は自衛隊発足に先立つ1952年8月1日、海上保安庁より保安庁海上警備隊へ改編された際、掃海用船舶など76隻の移管を受けていましたが、今位置の海上自衛隊と比較すれば規模は程遠いほどの僅少でした。海上自衛隊発足に先立ち、日米海軍関係者の間での日本海軍復興を討議するY委員会の努力により、米海軍より第二次大戦型の護衛駆逐艦18隻と中型揚陸艇を改造した特務警備艇50隻の供与を受け、まず、横須賀地方隊と舞鶴地方隊に航路啓開隊を配置するところから始まっており、続いて練習艦隊が発足しています。

Himg_3092  航空自衛隊の新編は、まず1954年2月1日に防衛庁発足を控えた保安庁内に航空自衛隊発足準備室は設置され、特に航空自衛隊発足以前の米空軍が防衛を担う北海道周辺空域では年間40回以上という恐るべき数の領空侵犯事案が発生し、その都度米空軍の警戒管制網に支援され実弾を装備した米空軍機が緊急発進するという緊張化に、我が国独自の防空能力整備への模索が始まりました。そして1954年7月1日、浜松基地において航空自衛隊発足記念式典が祝賀飛行とともに行われました。

Img_0801  陸上自衛隊は、警察予備隊発足と共に陸上防衛配備を開始し1951年3月31日には首都圏を中心に東北南部から東海地区南部までを担当する第一管区隊、北海道全域と東北北部を担当する第二管区隊、近畿北陸東海北部と山陽山陰四国を担当する第三管区隊、九州及び関門地区を担当する第四管区隊が米陸軍歩兵師団の編制に範を採り配置され、保安隊時代には北部方面隊が新編、この下地を元に、陸上自衛隊の部隊配置は決定されてゆきます。装備は米軍供与、旧式ではありましたが合理的な装備体系と共に。

Img_63_81 首都圏及び東海北陸を担う第一管区隊、道北を担う第二管区隊、近畿と山陽山陰四国を担う第三管区隊、九州関門地区を担う第四管区隊、道東を担う第五管区隊、東北を担う第六管区隊、道央道南を担う北部方面直轄管区と警備配置が決められてゆきます。この編成は後に歩兵師団に当たる管区隊と機動支援として機械化旅団に当たる混成団との運用という模索を経て、1962年に小型師団を全国に配置する13個師団体制へと展開し、基盤的防衛力の基礎固めを行うに至りました。

Img_6903  海上自衛隊は、海上警備隊時代にまず、太平洋岸警備と掃海を担う横須賀地方隊と日本海側警備と掃海を担う舞鶴地方隊が配置され、続いて自衛艦隊のもととなる船務隊の新編が決定しました。そのもとで海上自衛隊発足と共に自衛艦隊、横須賀地方隊、呉地方隊、佐世保地方隊、舞鶴地方隊、大湊地方隊が配置され、加えて掃海隊群の新編が決定しました。自衛艦隊は第1護衛隊群、第2護衛隊群、警備隊群、と今日とは比較にならないほど小さな編成です。

Avimg_9983  しかし、1953年1月14日に行われた米海軍船舶引渡式により第二次大戦型とはいえ水上戦闘艦の配備が開始されており、同年9月16日には戦災被害残る館山航空基地において回転翼飛行隊新編式、12月1日には鹿屋航空基地において固定翼機飛行隊新編式が挙行、海上航空部隊の再建にも着手されていました。その後、自衛艦隊に護衛艦隊と共に潜水艦隊と航空集団が新編され、海上航空部隊と水上戦闘艦部隊及び潜水艦部隊による我が国土防衛とシーレーン防衛の能力が整備されてゆきました。

Timg_70820  航空自衛隊は、まず航空機搭乗員と整備員の養成より開始しなければならず、文字通りゼロからの出発です。発足に先立つ6月22日に松島基地においてT-6練習機による米軍主導の訓練が開始、発足式典は連絡機によるものとなりましたが、11月6日には第一期操縦学生13名が操縦課程を修了しました。1955年4月1日、防府基地において第一期新隊員の入隊式が執り行われ、通信と操縦に重点が置かれ編成が進められてゆき、航空管制に基づく防空体系構築という難題へ挑みました。

Aimg_2354  旧海軍航空隊や陸軍航空隊出身者が多数を占める操縦要員ではありますが、既に時代はジェット機の時代、芦屋基地においてジェット機要員練成が大急ぎで開始され、1955年1月19日、初めて航空自衛官によるF-86F戦闘機の飛行が初展示されました。他方で1956年9月20日には三菱重工小牧工場にてF-86F戦闘機国内組み立て初号機の納入式典が行われ、1958年1月17日には全天候戦闘機F-86D最初の4機が日米相互防衛援助協定に基づく引き渡しを受け、米空軍施設の移管とともに防衛力は急速に形成されてゆきました。

Gimg_0092  伊勢湾台風、阪神大震災、東日本大震災。自衛隊発足後は、様々な事案が発生しました。特に災害派遣については特筆すべきでしょう。1959年9月26日の伊勢湾台風では死者4700名、行方不明者400名という大被害を東海地方に残し、1995年1月17日の阪神大震災では阪神地区を中心に死者5500名、マグニチュード7.2の直下型地震による大被害を与えました、そして忘れることは無い2011年3月11日の東日本大震災では太平洋岸全域が津波による被害を受け原発事故と共に多大な被害を残し、死者は2万に迫りました。

Img_7507 東日本大震災では自衛隊災害派遣は延べ1000万を超え、上記災害派遣では時には殉職者を出しながらも懸命な救援救助捜索に尽力しました。災害派遣は主任務ではなく傍流の一つではありますが、その即応性の高さを見せる事により、周辺国に対し、我が国への軍事的挑戦を行う際にはこの即応性を以て迅速に対応する、という視点で機能しているともいえ、併せて自衛隊と国民の一体性を改めて共感する、旧軍とは違い国民のための防衛力なのだ、という視点を示しているのかもしれません。

Img_7165 ルース台風、狩野川台風、伊勢湾台風、三八豪雪、チリ地震津波、日暮里大火、新潟地震、新潟7.17水害、十勝沖地震、41台風26号災害、45青ヶ島豪雨災害、酒田市大火、52有珠山噴火、御巣鷹山日航ジャンボ機墜落、55北陸豪雪、伊豆大島三原山噴火、雲仙普賢岳噴火、北海道南西沖地震、阪神大震災、地下鉄サリン事件、ナホトカ号座礁、東海村臨界事故、平成有珠山噴火、新潟中越地震、東日本大震災、伊豆大島土石流、自衛隊の歴史は同時に災害と戦う国民と共にありました。今後も国民と共に、災厄へ立ち向かう事でしょう。

Gimg_6444  自衛隊の歴史は1990年代より国際貢献がその歴史に書き加えられることとなりました。国際平和協力法、PKO 協力法、周辺事態法、日米新ガイドライン法、 テロ対策特別措置法、イラク復興特別措置法、改正防衛省設置法、海賊処罰対処法、以上の一連の法整備と共に一国平和主義ではなく、国際社会の一員として工業製品のみではなく平和の輸出という新しい協調が求められることとなったわけではありますが、自衛隊発足当時には、それ以上に90年代初頭には、ここまで我が国が主体的に国際平和へ関与するとは、考えられませんでした。

Aaimg_5246  現在も続くソマリア沖海賊対処任務はもちろん、国連PKOへの参加だけでも国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)自衛隊カンボジア派遣、国際連合モザンビーク活動(ONUMOZ)、自衛隊ゴラン高原国際連合兵力引き離し監視軍(UNDOF)派遣、 国際連合東ティモール支援団(UNMISET)派遣、国際連合ネパール支援団(UNMIN) 連絡要員派遣、国際連合南スーダン派遣団(UNMISS)自衛隊南スーダン派遣など、更にルワンダ紛争自衛隊ルワンダ難民救援派遣と、派遣の実績を着実に積み重ねています。

Kimg_6849 国際人道支援任務派遣でも自衛隊ホンジュラス派遣 、トルコ北西部地震国際緊急援助活動物資輸送 、インド西部地震自衛隊インド派遣、自衛隊イラン地震空輸部隊派遣 、イラク復興人道支援任務派遣、スマトラ島沖地震自衛隊インドネシア・タイ派遣、 パキスタン地震自衛隊パキスタン派遣 、ジャワ島中部・ジャワ島南西沖地震自衛隊インドネシア派遣、ハイチ地震自衛隊ハイチ国際緊急援助活動 、自衛隊パキスタン洪水派遣、平成25年台風第30号自衛隊フィリピン派遣と実績を重ねています。今後もこの趨勢は続くことでしょう。

Gimg_1723 我が国防衛力は、冷戦構造とともにソ連の軍事圧力を最も顕著に受けた北海道防衛を重点化し、特に機甲戦力と地形防御を主軸とした基盤的防衛力整備と、空中機動部隊整備による機動展開能力の重点整備、更に高射特科部隊の重層化による野戦防空能力の強化という、三点を主軸に展開してゆきました。しかし、冷戦構造崩壊後、脅威正面の多様化を背景に陸上自衛隊は今世紀より、基盤的防衛力から部隊の緊急展開能力を強化する統合機動防衛力整備へと転換を迎えているところです。

Img_8143 海上防衛力は、今日、中国海軍の増勢を背景にその能力に関する討議が様々な識者により展開されていますが、冷戦時代におけるソ連太平洋艦隊の原子力巡航ミサイル潜水艦部隊や大型巡洋艦隊の圧力と比べれば、脅威対象は数分の一、対して海上自衛隊は数倍に近代化を果たしています。しかし、シーレーン防衛は海洋の自由という国際公序の具現化という多国間協調により為されるものであり、この部分が集団的自衛権論争により国際公序の履行に限界を設定しているという、この点の問題を討議せねばならないでしょう。

Mimg_7093 航空防衛力に関しては、航空優勢確保に関して、航空自衛隊要撃機による対領空侵犯措置任務の頻度が冷戦時代の最盛期に近づき、戦闘機部隊と運用体系に関する再構築の必要性が指摘されている中、質的向上により如何にこの問題に対応するかという難題が突き付けられると共に、1990年代より指摘される弾道ミサイル脅威への対処、近年は巡航ミサイル脅威の増大に対する対処態勢を限られた予算下で如何に実現し、防衛力の均衡を構築するかが問題とはなります。

Aimg_0792 昨今、我が国を取り巻く安全保障情勢は、戦力の総量ではなく純粋な脅威として、特に日中間において戦後初めての武力紛争危機の瀬戸際にあります。冷戦時代におけるソ連の軍事的圧力と比べれば現在の中国軍は質量共に小規模ではありますが、冷戦時代のソ連は我が国施政下の領域に対し、自国領への武力併合を公言することはありませんでした、しかし、現行では中国がソ連さえ事項しなかった凶行を我が国に対し突き付け、併せて中国は周辺国の多くへ軍事力を背景とした現状変更を示唆しています。

88img_2131_1 また、朝鮮半島情勢は今なお予断を許さない一方、アメリカの防衛に関する韓国化の示唆と北朝鮮の核開発という状況が緊張度を今後高める可能性があり、クリミア半島併合と東ウクライナ情勢を巡る欧米ロシア間対立は即座にロシアの対日軍事圧力へ展開しました。併せて、中国は建国以来、地べとと東トルキスタン武力併合、インドやヴェトナムにソ連への侵攻、フィリピン島嶼部占拠、中華民国台湾政府への恫喝等、世界の火薬庫というべき状況を進行形で推移させ、長大なシーレーンに支えられる我が国には重大な関心事と言わざるを得ません。

Aimg_0875  国際貢献の開始と共に我が国は世界の平和への祈りから行動へ、という関与を基本とした安全保障政策への転換を果たしました、併せて国家安全保障戦略の指針が2013年に示され、積極的平和主義として平和祈念から平和構築に進む意思を我が国は明確化しましたが、これを実力に依拠した予防外交を以ての国際平和実現へ展開させることができるのか、自衛隊創立60周年は、現在の平和を未来へ託す上での周辺国の軍事挑戦へ、如何に対応するか、という課題とともに迎えた、と言えるでしょう。

北大路機関:はるな

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2 コメント

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キリシマです (キリシマ)
2014-07-01 23:44:27
キリシマです

自衛隊60周年、政府と自衛隊は戦後の長い厳しい時代を上手く舵取りして乗り越えてきましたね、今後とも日本と世界の平和を祈願する次第
コメントありがとうございます (はるな)
2014-07-02 01:34:47
コメントありがとうございます

自衛隊の防衛力整備は、此処に十年間を見ただけでも大きう発展し、加えて自衛隊の活動と任務全般の増大、周辺国の軍事圧力も増加度合も大きくなっています、今後の展開、外交と防衛の共振、安全保障政策の長期展望など、大きな関心を以て見守りたいですね

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