榛名さんの総監部グルメ日誌
日本三大稲荷というのは日本に十七か十八あるというお話しですがその一つが岐阜県の岐阜羽島駅から南へ行った当たりにあります。

千代保稲荷神社、名古屋空襲について名古屋城の写真とともにその話題を紹介しまして、大須観音が空襲により全焼し、復興の際に神域の多くを民間に払い下げたことで大きく規模を縮小したという歴史に触れましたが、その大須観音は元々岐阜にあったという。

大須観音、名鉄竹鼻線の廃線区間終点として大須駅という駅があり、しかし江戸時代、尾張藩へ名古屋市内の現在地へ徳川家康の命により移転することとなりました。その跡地には真福寺という小寺があるのですが、此処へ向かう途中に千代保稲荷神社を参拝した。

ニャンコが誘ってくれる店はあたりが多い、ワンコが客引きをするお店に入らない場合はその日は良いことが一つもない、飲食店を探す際に、一つの指標にしています。そしてここ、玉家さんというお店で、にゃんこが良い店、と間違いない確信とともに暖簾をくぐる。

串カツを、そう、とりあえず五本、とそして、どて煮も五本、とそれから生ビールを一つ。こう注文しますと、串カツはソースか味噌かを問われまして、なるほどと考える間もなく、では串カツは味噌でお願いします、注文しました上で一息の間もなく直ぐ旨いものが。

ビールを明るい時間帯から頂く、ちょっとした背徳感ではあるのですが遠出している際と店の中の活況という雰囲気とともに呑まれる、まえに呑む、という一口目が早いか醸造された麦の香りが甘みと苦みと醍醐味が広がってゆく、前に更にもう一口と含んでゆく。

味噌カツ、を串カツにしたものというもので、これは京都や大阪ではなかなか見られない、というのも煮込んでいる規模が違うのだから、ここは味噌煮で一点勝負です。味噌煮というのも醸造の産物なのですから、ビールの遠い親戚、ということにもなるのかなあ。

川魚料理、千代保稲荷神社に門前町は、神社そのものは田圃の田園風景の中に鎮守の森が広がるという立地ですが、その門前町は、伏見稲荷大社よりも規模が大きいか。長良川にほどちかい当地は鰻や鯰といった川の恵とともに、もう一つ串カツと土手煮が名物という。

どて煮、さっきまで大鍋でぐつぐつ、というよりも大鍋の神様のようなもので煮込んでいたところですが、もともと土手煮は鉄板焼きを味噌で焼く際にスジ肉を土手のように築いてから焼いていたものが由来といいますが、ここの土手は最初から串で煮られている。

夫婦善哉という大正から昭和初期にかけての大阪を舞台とした喜劇小説でもドテ焼という名で紹介されていましたが、なにしろこの玉家さんの土手焼きも串カツも100円、消費税の関係で110円か、こうお手頃なというよりも安く頑張っているのは印象的です。

串カツで今度はソースの串カツを頂こうと決断してみる、けれどもやってきたのは上から特製ウスターソースを自分で注ぐというもので、ここはステンレスのケースにソースを湛えていてソース2度漬け射殺、という、あれ禁止だったかな、こちら側のとはちがう。

ソースカツを、楽しく頂いたのだけれども、付け合わせのキャベツは、いままでソースに浸していただくことが多かったのですけれども、なるほど味噌も美味しい。そして追加で注文した串カツにも付け合わせでついてきてくれまして、ほほうビールがすいすい進む。

輪中地帯という、この辺りは長良川水害に備えて河川に堤防を築くよりも早く集落そのものを堤防で囲んでいて、輪中集落という環濠集落の凹凸逆版のような地形を造成していました。その輪中地帯で、土手煮なのに土手を築かないというのも、なにか面白いですね。

おちょぼさんとも呼ばれる千代保稲荷神社の門前町、おちょぼさんというのは芸者の下地っ子という意味があったのだけれど、田園風景を進んでゆく先に、こんな風景が広がっている、本来のおちょぼさんではなく、ねこのおちょぼさんに招かれた先のひと時です。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
日本三大稲荷というのは日本に十七か十八あるというお話しですがその一つが岐阜県の岐阜羽島駅から南へ行った当たりにあります。

千代保稲荷神社、名古屋空襲について名古屋城の写真とともにその話題を紹介しまして、大須観音が空襲により全焼し、復興の際に神域の多くを民間に払い下げたことで大きく規模を縮小したという歴史に触れましたが、その大須観音は元々岐阜にあったという。

大須観音、名鉄竹鼻線の廃線区間終点として大須駅という駅があり、しかし江戸時代、尾張藩へ名古屋市内の現在地へ徳川家康の命により移転することとなりました。その跡地には真福寺という小寺があるのですが、此処へ向かう途中に千代保稲荷神社を参拝した。

ニャンコが誘ってくれる店はあたりが多い、ワンコが客引きをするお店に入らない場合はその日は良いことが一つもない、飲食店を探す際に、一つの指標にしています。そしてここ、玉家さんというお店で、にゃんこが良い店、と間違いない確信とともに暖簾をくぐる。

串カツを、そう、とりあえず五本、とそして、どて煮も五本、とそれから生ビールを一つ。こう注文しますと、串カツはソースか味噌かを問われまして、なるほどと考える間もなく、では串カツは味噌でお願いします、注文しました上で一息の間もなく直ぐ旨いものが。

ビールを明るい時間帯から頂く、ちょっとした背徳感ではあるのですが遠出している際と店の中の活況という雰囲気とともに呑まれる、まえに呑む、という一口目が早いか醸造された麦の香りが甘みと苦みと醍醐味が広がってゆく、前に更にもう一口と含んでゆく。

味噌カツ、を串カツにしたものというもので、これは京都や大阪ではなかなか見られない、というのも煮込んでいる規模が違うのだから、ここは味噌煮で一点勝負です。味噌煮というのも醸造の産物なのですから、ビールの遠い親戚、ということにもなるのかなあ。

川魚料理、千代保稲荷神社に門前町は、神社そのものは田圃の田園風景の中に鎮守の森が広がるという立地ですが、その門前町は、伏見稲荷大社よりも規模が大きいか。長良川にほどちかい当地は鰻や鯰といった川の恵とともに、もう一つ串カツと土手煮が名物という。

どて煮、さっきまで大鍋でぐつぐつ、というよりも大鍋の神様のようなもので煮込んでいたところですが、もともと土手煮は鉄板焼きを味噌で焼く際にスジ肉を土手のように築いてから焼いていたものが由来といいますが、ここの土手は最初から串で煮られている。

夫婦善哉という大正から昭和初期にかけての大阪を舞台とした喜劇小説でもドテ焼という名で紹介されていましたが、なにしろこの玉家さんの土手焼きも串カツも100円、消費税の関係で110円か、こうお手頃なというよりも安く頑張っているのは印象的です。

串カツで今度はソースの串カツを頂こうと決断してみる、けれどもやってきたのは上から特製ウスターソースを自分で注ぐというもので、ここはステンレスのケースにソースを湛えていてソース2度漬け射殺、という、あれ禁止だったかな、こちら側のとはちがう。

ソースカツを、楽しく頂いたのだけれども、付け合わせのキャベツは、いままでソースに浸していただくことが多かったのですけれども、なるほど味噌も美味しい。そして追加で注文した串カツにも付け合わせでついてきてくれまして、ほほうビールがすいすい進む。

輪中地帯という、この辺りは長良川水害に備えて河川に堤防を築くよりも早く集落そのものを堤防で囲んでいて、輪中集落という環濠集落の凹凸逆版のような地形を造成していました。その輪中地帯で、土手煮なのに土手を築かないというのも、なにか面白いですね。

おちょぼさんとも呼ばれる千代保稲荷神社の門前町、おちょぼさんというのは芸者の下地っ子という意味があったのだけれど、田園風景を進んでゆく先に、こんな風景が広がっている、本来のおちょぼさんではなく、ねこのおちょぼさんに招かれた先のひと時です。
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