■さくらの法金剛院
法金剛院が開いているではないかと驚いたのは何も調べず散策し興味赴くままに拝観参拝という当方には在れ今日はその日だったかなと困惑したほどです。
法金剛院。花園駅を降りましてさて昼食はどうしようかと思いましたところに多くの老若男女、いや高齢者の方が圧倒的に多かったか、法金剛院の方へ向かってゆきます。へえっ開けているのかあ、実に新鮮な驚きがありまして、昼食の予定は取りやめるとする。
律宗寺院である法金剛院、かの鑑真が日本につたえた、戒律の研究と実践を宗旨とする宗派で、奈良の唐招提寺を総本山とし、五条の壬生寺を大本山としています。ちょうど桜咲く季節、いや偶然といいますか人の流れには意味があるものでちょっと嬉しいですね。
右京区花園扇野町、こう書くと何処やらわかりにくくなるのですが、京都駅から東舞鶴駅へ向かう山陰線、正確には福知山駅方面へ向かう路線ですが、嵐山の峰々が近くなりますもののまだ街中を高架路線が走るあたりに花園駅があります、遠くに仁和寺も見える。
COVID-19の時代、開けていることに驚きましたのはここ法金剛院は、最も厳格なコロナ対策を行っていたという印象があるためです、いや完全に山門を閉ざしてしまった寺院もありますので、ここと比べれば限定的であっても法金剛院は開いている寺院なのだが。
第三水曜日のみの公開、法金剛院は一か月間に一日のみの公開となっていまして、いや第二木曜日だったか、いや金曜日だったような気もするなあ、と調べていても、時間の空いているときに山門が開いていない、という状況で二年ほど眺めるだけの寺院でした。
関西花の寺二十五霊場、さて開いていないならば入らなければよいではないかとおもわれるかもしれません、もちろんわたしだって閉ざされている山門を超えたりはしないのですが、ここ法金剛院は関西花の寺二十五霊場の一つとなっていまして、是非拝観したい。
金剛院という、舞鶴の美しい三重塔が印象的な寺院は普通に山門を開いているのですから、とは思うのですが。なるほど感染対策に慎重にならなければならないほど、それほど広くはない寺院が駅前、密集状態の三密を懸念するのはある意味で納得は出来るのですね。
双ヶ丘という、昔は普通に入ることができたようにも思う小高い丘といいますか小山が山陰線に迫ってくるのですが、法金剛院はその手前の、いや双ヶ丘も寺域に含まれるのですけれども、文字通り駅前にあります寺院です、前の通りは丸太町通、妙心寺が近い。
丸太町通り沿いの寺院、しかし創建は天長7年こと西暦830年と平安遷都から間もないころの歴史ある寺院で、清原夏野という、桓武天皇時代の皇族であり右大臣を務めた公卿の別荘が置かれていた場所です。確かに山陰線の降下から見る山谷の風景は素晴らしい。
双岡大臣、双ヶ丘に山荘を構えて優美な生活を楽しんだことから清原夏野はこう呼ばれたのですが、池泉式庭園のかたちをとります法金剛院は双岡大臣さんの山荘時代から木々と池泉の庭園が知られたようで、淳和天皇や嵯峨上皇も行幸しているほどの庭園という。
嵯峨上皇も行幸した庭園は、清原夏野の没後にそのまま山谷に還すのはと惜しむ声があったのでしょう、双丘寺という寺となりまして、これが千年を超える法金剛院の始まり。文徳天皇の発願により天安2年こと西暦858年には伽藍が整備され定額寺となりました。
阿弥陀如来をご本尊として奉じています。木造阿弥陀如来坐像は平安時代後期の彫像といい、2020年に国宝指定を受けることとなりました。仏師院覚の作ということですが、坐像ながら2mを超える大きな仏像で、鉄筋コンクリートの仏殿に安置、拝観ができます。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
法金剛院が開いているではないかと驚いたのは何も調べず散策し興味赴くままに拝観参拝という当方には在れ今日はその日だったかなと困惑したほどです。
法金剛院。花園駅を降りましてさて昼食はどうしようかと思いましたところに多くの老若男女、いや高齢者の方が圧倒的に多かったか、法金剛院の方へ向かってゆきます。へえっ開けているのかあ、実に新鮮な驚きがありまして、昼食の予定は取りやめるとする。
律宗寺院である法金剛院、かの鑑真が日本につたえた、戒律の研究と実践を宗旨とする宗派で、奈良の唐招提寺を総本山とし、五条の壬生寺を大本山としています。ちょうど桜咲く季節、いや偶然といいますか人の流れには意味があるものでちょっと嬉しいですね。
右京区花園扇野町、こう書くと何処やらわかりにくくなるのですが、京都駅から東舞鶴駅へ向かう山陰線、正確には福知山駅方面へ向かう路線ですが、嵐山の峰々が近くなりますもののまだ街中を高架路線が走るあたりに花園駅があります、遠くに仁和寺も見える。
COVID-19の時代、開けていることに驚きましたのはここ法金剛院は、最も厳格なコロナ対策を行っていたという印象があるためです、いや完全に山門を閉ざしてしまった寺院もありますので、ここと比べれば限定的であっても法金剛院は開いている寺院なのだが。
第三水曜日のみの公開、法金剛院は一か月間に一日のみの公開となっていまして、いや第二木曜日だったか、いや金曜日だったような気もするなあ、と調べていても、時間の空いているときに山門が開いていない、という状況で二年ほど眺めるだけの寺院でした。
関西花の寺二十五霊場、さて開いていないならば入らなければよいではないかとおもわれるかもしれません、もちろんわたしだって閉ざされている山門を超えたりはしないのですが、ここ法金剛院は関西花の寺二十五霊場の一つとなっていまして、是非拝観したい。
金剛院という、舞鶴の美しい三重塔が印象的な寺院は普通に山門を開いているのですから、とは思うのですが。なるほど感染対策に慎重にならなければならないほど、それほど広くはない寺院が駅前、密集状態の三密を懸念するのはある意味で納得は出来るのですね。
双ヶ丘という、昔は普通に入ることができたようにも思う小高い丘といいますか小山が山陰線に迫ってくるのですが、法金剛院はその手前の、いや双ヶ丘も寺域に含まれるのですけれども、文字通り駅前にあります寺院です、前の通りは丸太町通、妙心寺が近い。
丸太町通り沿いの寺院、しかし創建は天長7年こと西暦830年と平安遷都から間もないころの歴史ある寺院で、清原夏野という、桓武天皇時代の皇族であり右大臣を務めた公卿の別荘が置かれていた場所です。確かに山陰線の降下から見る山谷の風景は素晴らしい。
双岡大臣、双ヶ丘に山荘を構えて優美な生活を楽しんだことから清原夏野はこう呼ばれたのですが、池泉式庭園のかたちをとります法金剛院は双岡大臣さんの山荘時代から木々と池泉の庭園が知られたようで、淳和天皇や嵯峨上皇も行幸しているほどの庭園という。
嵯峨上皇も行幸した庭園は、清原夏野の没後にそのまま山谷に還すのはと惜しむ声があったのでしょう、双丘寺という寺となりまして、これが千年を超える法金剛院の始まり。文徳天皇の発願により天安2年こと西暦858年には伽藍が整備され定額寺となりました。
阿弥陀如来をご本尊として奉じています。木造阿弥陀如来坐像は平安時代後期の彫像といい、2020年に国宝指定を受けることとなりました。仏師院覚の作ということですが、坐像ながら2mを超える大きな仏像で、鉄筋コンクリートの仏殿に安置、拝観ができます。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)