北大路機関

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【京都幕間旅情】二条城(元離宮二条城),満開の桜花と満員の城郭と共に堀川御池界隈の散歩道

2019-04-11 20:18:14 | 写真
■堀川御池界隈満開桜並木
 今週が平成最後という京都の桜見頃、というところでしょう、その美しい満開の様子を仕事合間少しだけ散策しつつ眺めて参りました。

 二条城大手門と堀川の桜並木、いよいよ京都は桜が満開です。夜桜見物は今日明日が最高、桜にもいろいろありまして遅咲きの里桜は五分咲きに枝垂桜は五分咲き七分咲き、今週末が平成最後の枝垂桜等桜花を堪能できる幕間、あとは御室桜が咲くのみというところ。

 堀川通りは都大路という名を具現化するような広大な通りです。ただ、この大通りは平安遷都の御所への大路ではなく、実は第二次世界大戦中の防空疎開と防火帯の意味を以てもとある堀川沿いの堀川通りを拡幅させたという昭和の京都改造というべき施策の名残り。

 京都の桜、観桜と洒落込みたいが時間がない、そんな方は多いでしょう。ただ、この堀川界隈、二条城前からの堀川に沿っての散策路であれば、京都駅から市バス9系統で15分ほど、意外に愉しむ事が出来る散歩道です。ただ、堀川は堀川御池から地下に潜ってしまう。

 二条城は京都を代表する桜の名所である、と一文を掲載する為だけに、お仕事を少しだけ休憩するふりをして地下鉄東西線を二条城前駅へ進出しました。市バスは平日でも観光客が凄い事になっていますが、事ここ地下鉄だけは鉄道の輸送力で交通を維持しています。

 観光客の京都集中、しかし日常の中の幕間に広い場所から見事な二条城の桜並木を、と思ったのですが、観光客集中を甘く見ていました、平日のお昼時の時間だから人波にも凪があるだろうとは甘すぎたようでして、こういいますのも入場制限の列が長く続いています。

 円山公園にでも転進したいところですが、時間にも限りがある、ただ、観桜ならばなにも二条城に入る必要はないのです、二条城のある堀川通りこそが、堀川の堀に沿って見事な桜の木々が植えられ南北を連なるという、実は京都屈指の隠れた観桜の名所なのですから。

 堀川、実は個人的に堀川と云えば堀川通り沿いの枯れた水路、という印象でした。文献を紐解けば遡る事1200年と少し、平安遷都に際し鴨川上流からの分流を造成し、運河としたのが始まりです。物流と共に寝殿造に代表される貴族邸宅庭園用の水源ともなりました。

 二条城、これも歴史深い謎の多い城郭です。元々この二条城の堀は京都遷都に際しての重要な水源であり、そして二条城も古くは室町時代に現在の京都御所に在り、豊臣秀吉の聚楽第、その破却後の権力誇示への徳川家康の現二条城、二条城を辿れば歴史がみえるもの。

 新平家物語のロケ地である本法寺、昔は広かったが堀川通り拡張で移転させられた水火天満宮、稀代の祟り神と畏れられサッカーの神様を祀る白峯神宮、SF時代劇のスターで平安時代の名物官僚を祀る晴明神社、堀川通りの掘界隈にはこうした寺社仏閣が並んでいます。

 淀川水系にあたる堀川、しかし、このWeblog北大路機関を創設した当時は水路というよりも幅数十cmのU字溝が掘りの底に続き、U字溝は有事の際、つまり大雨の際等の排水路として機能していました。下水道整備前はその代替として、つまり綺麗な川ではなかった。

 桜並木、これはかなり前から整備されていたようですが、堀川も永らく流水再興事業という、要するに水の都としての京都の堀川に流れを再整備するという公共事業が行われまして、十年ほど前に完成し、今では流水麗しい京都の散歩道として再整備が実現しています。

 堀川界隈を散策しますと京都が見える、勿論前述の通り、第二次大戦中の対空疎開により伽藍や境内の様相を転じた情景もあるのですが、上賀茂西賀茂へ向かう京都駅からの9系統バスを利用、散策を進めてみますと、意外に短時間でも実り多い日常の旅情を愉しめる。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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