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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

再論普天間移設問題,辺野古移設問う沖縄県民投票明日実施-本当に飛行場施設移設は必要か

2019-02-23 20:01:46 | 国際・政治
■普天間基地に問題があるとは
 普天間飛行場移設予定地の辺野古沖に軟弱地形が発見され90m級のくい打ちが必要となりました、工期も費用も増大します、そして、です。

 沖縄では23日日曜日、普天間飛行場移設の是非を問う住民投票が行われます。翁長知事の遺志を受け継いだ玉城デニー知事、民主党政権時代に普天間の名護市移転を県民に説明した本人だったようにも記憶しますが、普天間移設是非か無回答かを県民投票で決めます。投票結果に法的拘束力はありませんが、改めて県民の意思が明確に示される事となる訳ですね。

 24日実施の沖縄住民投票は、“普天間飛行場の代替施設として国が名護市辺野古に計画している米軍基地建設のための埋立てに対する賛否についての県民による投票”といい、地方自治法に基づく辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票条例を根拠とし、辺野古埋め立てへ“賛成”“反対”“どちらでもない”という民意を問う県民投票です。

 海兵隊は沖縄へ必要か、と問われますと必要、としか答えようがありません。自衛隊は沖縄で徹底的に地上戦を展開するならば、中国の軍事脅威へ対抗できるでしょう。しかし、海兵隊は地域安定、日本周辺地域で武力紛争を起こそうとする勢力に最大限のリスクを与える事で戦争を封じ込めている、残念ながら憲法上専守防衛を維持する日本に代替は無理だ。

 在沖米軍、特に海兵隊は台湾有事における緊急介入戦力です。台湾海峡有事の際には普天間のMV-22に名護市恩納村キャンプハンセンの第31海兵遠征軍MEUが搭乗し自国民救出へ即応介入する体制を堅持する。すると中国が台湾海峡を越える事は米軍の巨大な戦力との戦闘を意味する、環太平洋地域の米軍部隊だけで中国海空軍を圧倒できるでしょう。

 抑止力という構図は、つまり中国が台湾へ武力侵攻できぬ理由として、確実に海兵隊との戦闘、米軍と全面衝突は必至、故に中国は侵略を思い留まる、抑止力の構図です。在日米軍に頼らねば日本の安全は守れないのか、と指摘はあるかもしれませんが、在日米軍は日本が戦場にならないよう、圧力をかけている。本土決戦主義の専守防衛日本とは違いわかりにくいかもしれません。

 ただし、普天間を移設する必要があるのかについては一概には言えません。申し訳ないが何度か普天間を実際に見ましても特段危険には思えません。そして、移設費用は2400億円が最低でも要する、そんな費用を掛けるならばイージスアショアでも建てた方が良い。更に県民の安全の為に移設するといわれても反対世論が大きい、ならば無理に移設せずとも。

 キャンプシュワブ沿岸部、奇しくも普天間飛行場移設先に選定された名護市辺野古では滑走路施設埋立予定地に軟弱地形が発見され、90m杭の敷設が必要となったことが判明したばかりであり、当初見積もりの移転工費2400億円を大きく超過する懸念が生じたばかりです。ダムや河口堰建設ではないのですから一旦決定の工事を貫徹する必要へはやや疑問も。

 普天間飛行場について、辺野古移設断念普天間飛行場維持、嘉手納基地統合案、那覇基地統合案、下地島と鹿屋航空基地と岩国航空基地部分移転案、もう少し検討する余地は無い物でしょうか。特に普天間飛行場を京都周辺の基地や空港と比較した場合、埋め立て新設の舞鶴航空基地を除けば、特段住宅地に近すぎるという危険性は感じないのですが、と。

 岐阜基地、早速普天間飛行場とは全く無関係な基地の話題から始まることをお許しください。普天間飛行場は住宅街の真ん中に在る、と言われるところなのですが、当方が新型機の撮影へ年に何度も通う岐阜基地等は文字通り住宅街の真ん中にあります。北陸の小松基地や名古屋空港隣接の小牧基地、大阪のヘリコプター部隊八尾駐屯地等も似た立地という。

 沖縄の基地の現状を見て欲しい、とはよく言われた話なのですが、当方はてっきり、誘導路のすぐ隣までマンションが並ぶような状況を想像していました、誘導路に耕作地があったという読谷飛行場の昔話を勘違いしたのか。こういいますのも、まだブルーインパルスがT-2だった時台に当方が生まれて初めて行った岐阜基地等は誘導路の隣が住宅街です。

 岐阜基地周辺を散策し、城郭見物や名所旧跡に札所巡りを堪能した後に改めて普天間飛行場を見ますと、何しろ米軍基地ですので緑地帯に余裕がありまして、云われる程の街中に浮く飛行場、という印象は無いのですよね。沖縄の基地の現状を、という方はもしかしたらば在沖米軍基地は視ていても、本州の自衛隊基地は余り知らないのではないでしょうか。

 普天間移設問題について、名護市辺野古への埋め立て工事への繰り返される地元の巨費を見ていますと、そもそも普天間飛行場は移設しなければならない程の危険な飛行場なのか考えさせられます。そもそも2003年に当時のラムズフェルド国防長官が、普天間飛行場を世界一危険な飛行場として問題視した事が始まりですが、岐阜と比べればそうは思えません。

 普天間飛行場を俯瞰風景に収める嘉数高台公園、沖縄戦での激戦地嘉数から見下ろす飛行場施設は、確かに大平原の小さな基地とは言えません、ただ、この規模の飛行場の立地は本土では珍しくは無い。すると問題は新型機MV-22か、と問われますと、岐阜基地や小牧基地では新型国産機が飛行できるか失敗かの初飛行を最初に飛ぶ飛行場であったりします。

 問題は夜間訓練の騒音か、と問われますと、それは訓練移転を今後日本全体で考えてゆく必要がある、例えば岐阜基地も週に何度か夜間飛行訓練を行う点についてHPでの広報があります、基地移転ではなく訓練移転で、例えば土用日曜日の他に飛ばない確実な曜日を日米で検討する、その為の訓練代替地として補助飛行場を建築する、建設的な議論が必要です。

 普天間飛行場は安全な荒野のマリーン飛行隊、というつもりはありませんが、過度に危険とも言えない。しかし県民の意志に辺野古移設は埋め立て反対だが、普天間飛行場の海兵航空部隊は移駐してほしい、民意があるのであれば、しかし決定は決定、と強行するのではなく、特に移設先である辺野古沖の軟弱地形問題もあります。例えば嘉手納統合案等、余地は無いのでしょうか。

 嘉手納基地統合案は2005年に日米合意へ至った在日米軍再編日米交渉において提示されたとされる試案の一つです。ただ、この嘉手納統合案は日米合意の翌年に当る2006年に日本側へ返還された読谷補助飛行場か、嘉手納基地北部住宅地区飛行場地区転用、つまり北部住宅地区そのものを何処かへ新設しなければ成り立たない計画であり、今日的には難しい。

 読谷補助飛行場は1943年に陸軍北飛行場として創設されました。これは南方への航空部隊展開経由地と共に沖縄本島防備強化を期して緊急に土地を収用し突貫工事で造成された歴史があります。沖縄戦では初期に航空部隊を喪失し、米軍着上陸後には米軍が占領、読谷飛行場となります。そして戦後に嘉手納基地補助飛行場として2006年まで維持されました。

 読谷補助飛行場は2000m滑走路と1500mエプロン地区を有する飛行場です。2000m滑走路では第二次世界大戦後、戦闘機等がジェット機化し大型化する最中に充分ではないとの視点から、専ら補助飛行場や落下傘訓練場として転用されましたが、1996年を最後に落下傘訓練は嘉手納基地内と離島である伊江島補助飛行場へ訓練移転された事で転機を迎える。

 2006年に読谷補助飛行場は、当面運用の可能性が無いとして日本側へ返還されました。読谷村を中心に中南部都市地域と北部観光地域を結ぶ重要経済地域として再開発が試みられ、読谷平和の森球場や滑走路跡地を利用した直線道路等が観光地化されています。ただ、当初案のような高層ホテル群再開発事業や、大規模リゾート施設等は建設されていません。

 読谷補助飛行場を再接収する事が出来れば、嘉手納統合案は必ずしも不可能ではりません。これは読谷補助飛行場を航空基地化するのではなく、嘉手納基地北部に新飛行場を建設し、基地住宅地区等を読谷補助飛行場跡地へ集約する事で可能となるでしょう。ただし、読谷補助飛行場跡は読谷村役場や読谷中学校等も建設、これらの移転は現実的ではありません。

 嘉手納統合案は、読谷補助飛行場が嘉手納基地の補助飛行場であったからこそ実現した提案、といえるのでしょう。米軍にも利点があり、嘉手納基地へ複数の滑走路を併設する事で基地機能の有事における盤石性を高める事が出来ますし、最大の脅威である北朝鮮や中国弾道ミサイル脅威から一カ所の基地施設へミサイル防衛部隊を集約する事が可能です。

 問題点としては、普天間飛行場は有事の際に第1海兵遠征軍や第2海兵遠征軍といった米本土の海兵航空部隊増援の拠点となります。嘉手納基地も有事の際に第5空軍が米本土や環太平洋地域からの増援部隊集結の拠点となります。したがって、嘉手納基地には戦闘機等300機、普天間飛行場には海兵隊機300機が集まり、この集約を嘉手納でも実行可能か。

 読谷補助飛行場、米海兵隊は主力のCH-46中型輸送ヘリコプター後継へMV-22可動翼機を導入した際に総数を減じていますので、嘉手納基地へ集約し収容できる可能性は残ります。しかし、不可能となれば、普天間から名護市辺野古を除く何れか移設する場合、嘉手納へ統合する場合、有事の余裕を考えれば読谷補助飛行場位置づけは変わり得ましょう。

 2010年に普天間飛行場移設撤回を当時の民主党政権が発表した際、嘉手納基地統合案は有力な案、と当初考えられました。しかし、現実は読谷補助飛行場再接収という実行不可能な案を内包していました。ただ、現在の普天間飛行場を普天間補助飛行場へ格下げし、常駐部隊を一部嘉手納基地北部へ滑走路移設する事は、不可能ではないようにも思います。此処からもう少し論点は続くのですが、長くなりましたので此処までで前篇としましょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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コメント (11)
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