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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

三井城址 この山高からずしかれども要害堅固定なり

2007-06-16 23:08:42 | 写真

■尾張を一望

 城郭とは、交通の要衝や産業上の中核地域といった地政学上の重要拠点から、防御拠点となる地域に配置され、抑止力として機能する施設である。1586年の大洪水により木曽川は三井山の麓から現在の位置に場所を換えたとされるが、断崖絶壁と傾斜のゆるい斜面には木曽川を抱えた三井山は尾張を一望する築城に最適の位置にあった。

Img_1883  三井城は、木曽川の北岸に聳える山稜の頂きにかつて存在した城郭の跡地で、すぐ隣には今日も防衛の要衝の一つといえる飛行開発実験団や第四高射群司令部の置かれた航空自衛隊岐阜基地や第369施設中隊の駐屯する陸上自衛隊岐阜分屯地という自衛隊施設がある。

Img_1903  三井城址は名鉄新那加駅や各務ヶ原市役所前から2km程(新那加はもっと近かったように記憶)、山そのものが三井山ふれあいの森として公園化されている。公園の入り口には貯水池のようなものがあり、ここは現在、公園化の工事が進められているが、御手洗があるものの飲み物の自販機は無いので予め購入しておくことをお薦めする。

Img_8024  公園の入り口から山頂までは440㍍、しばしの散歩道である。途中には三井山古墳というものがあり、小さな横穴なのだが墳丘は10㍍程、中央には石室があるとのことで、1400年ほど前に造られたと説明されている。かつて数十の古墳があったが多くは崩落して今に至る。

Img_9012  頂上に向かう途中カメラを名古屋市に向ける。光量などの関係で霞んでいるが名駅の高層ビル群が見える。距離にしてざっと33km、名古屋城やテレビ塔は確認できなかったが早朝の空気が澄んだ時間帯であれば見えたかもしれない。

Img_8035_1  山頂付近にある展望台。櫓のように見えなくも無い。三井山に城が築かれたのは室町時代、この地方の権力者であった土岐忠八郎、その家臣である三井弥一郎により造られたとされる。典型的な山城として機能したが、三井城は美濃国での斉藤氏による謀反に乗じて、1548年に織田信秀の東濃侵攻の際に落城している。

Img_1899_2  三井城はその頂上に本丸を有し、第一、第二、第三の曲輪が構築されていた。曲輪は第一曲輪が全周を構成しているが、第二、第三の曲輪は山の傾斜が比較的緩やかな東側に設けられていたとされる。また、第一曲輪の西側には溜池があったとされ、井戸の掘れない山城の持久戦に備えた準備といえる。

Img_8027  山の海抜は108.8㍍。三井城が築かれるまでは山頂に神社があったが、築城にあたって遷座され、御井神社と天神神社として現存する。江戸時代の文献には、この山高からずしかれども要害堅固なり、と記載されており、なるほど当時の木曽川の位置を踏まえればこの理解は妥当である。

Img_9001  頂上より小牧城を望む。小牧城に3月、展開した際には天守閣(型資料館)が工事中で入城することが出来なかった為、この城址の位置を確認することは出来なかったが、おそらく名古屋城、犬山城、岐阜城、小牧城が望見できたと思われる。

Img_1877_1  反対側を見渡せば航空自衛隊岐阜基地が広がる。写真は川崎重工岐阜工場で、次期固定翼哨戒機P-X、次期輸送機C-X、そして定期検査のP-3C哨戒機やC-130H輸送機が見える。Jwing誌2004年7月号にはここ三井城址から撮影したと思われる基地一望の写真が投稿されていたが、岐阜基地のエプロンには輸送機、戦闘機、支援戦闘機、練習機が翼を休めていた。

Img_3667  ところ変って犬山城。三井城址から15kmほどの距離にある国宝天守閣。三井城も木曽川が大洪水により流れをかえる前には、この犬山城のように河畔に天守閣をかまえていたということになる。三井山の天守閣について、浅学にして資料の有無を知らないが、山頂の説明では二層型の天守閣が描かれていた。

Img_3685  犬山城天守閣から望む岐阜基地の方角。

 管制塔がみえ、CH-47J輸送ヘリコプターがいままさに着陸しようと飛行している。機体の迷彩から陸上自衛隊の機体であり、川崎重工での定期検査にあたる機体であることがわかる。

Img_6100  三井山の方角。四つの稜線が見えるが、右から二つ目の尖った山が三井山である。その左隣、山頂に白いものが見えるが、これは第四高射群のミサイル陣地であり、ペトリオットミサイルが空を睨んでいる。写真の下に見える川は木曽川で、こちら側が愛知県、対岸が岐阜県。

Img_5725_1  再び所換わって対岸の岐阜県は金華山の頂上に威容を誇る岐阜城。織田信秀が東濃を制圧し、引き継いだ織田信長が築いた城郭である。犬山城と異なり、かつての岐阜城天守閣は岐阜城廃城後、加納城に移築されたため、現在の岐阜城は再建天守閣である。

Img_5826  岐阜城天守閣から三井山の方角を望む、が標高差が200㍍以上ある為に中々見つからず、岐阜基地を基点に探す。距離にしてざっと10km、広角レンズにて撮影したのだが、望遠レンズがあれば編隊飛行のような視認容易な被写体は撮影できそうな印象である。

Img_5751_1  三井山。写真右端にあるものがそうである。左端には岐阜基地の芝がみえる。三井山の周囲には幾つもの山が並ぶが、犬山城、岐阜城から三井城を眺めると、その中で高く、また傾斜がきついことが見て取れる。規模は小さいものの、文字通りの山城、航空宇宙博物館や岐阜基地などだけではなく、一つ立ち寄るに値する城址である。

HARUNA

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コメント (4)
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