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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

東北方面隊創設50周年記念行事詳報② 式典参加部隊入場、飛行場地区埋め尽くす隊員

2013-10-22 23:35:22 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆東北方面隊2000名以上の隊員が集結

 東北方面隊記念行事は当方にとり2006年以来の展開となった2010年度記念行事、詳報第二回の掲載です。

Simg_9914 式典開始時間の到来と共に参加部隊が続々と更新し会場へ入場してきました。この行事は東北方面隊創設50周年記念行事、東日本大震災より半年前の記念式典ですが、東日本大震災という国難の矢面に立ち向かった隊員の、その直前の姿、ということで今見ますと感慨深いものも。

Simg_9910 他方、飛行場地区での自衛隊記念行事と言いますと、当方も八尾駐屯地や明野駐屯地に木更津駐屯地などなどと、幾つか撮影した機会もあるのですが、飛行場地区で行われる方面隊記念行事というのは、ここ東北方面隊の創設記念行事くらい、というもの。

Simg_9909 即ち、当方にとり方面隊記念行事と言いますと、多くの機会に撮影した伊丹駐屯地の中部方面隊記念行事の印象が強いのですが、伊丹駐屯地は面積の限界があり、此処まで多くの人員が展開することはできません、式典参加の隊員がざっと視界を見回すほどに入場する様子を見ますと、多いな、と。

Simg_8384 東北方面隊は、司令部を仙台駐屯地に置き、隷下に神町駐屯地の第6師団、青森駐屯地の第9師団を有する、第6師団は東北南部の防衛警備に当たると共に首都有事の際には輪s熱詩応援へ向かう師団、第9師団は冷戦時代にソ連の圧力を受けた青函地区の防衛警備を受け持つ師団、ともに掛かる重責は大きい部隊でした。

Simg_9915 整列した部隊、人員規模は2000名を越えるとのことで、師団普通科連隊戦闘団に匹敵する人員規模です。この2000という規模は、日常生活ですと実感しにくい規模ではあるのですが、並ぶと広角レンズの写真でも端から端まで隊員が埋める、という写真の構図となるのが分かるでしょうか。

Simg_8393 威容を以て並ぶ連隊旗も、多く、神町第20普通科連隊、多賀城第22普通科連隊、福島第44普通科連隊、郡山第6特科連隊、神町第6後方支援連隊、青森第5普通科連隊、秋田第21普通科連隊、弘前第39普通科連隊、岩手第9特科連隊、八戸第9後方支援連隊、多賀城第38普通科連隊、とずらり並ぶ。

Simg_8395 執行責任者である第6師団長久納雄二陸将が入場します。久納師団長は、西部方面隊幕僚長を経ての師団長着任、半年後の東日本大震災において師団管区が津波被害と原子力災害に見舞われ、師団全力を挙げ災害派遣に出動、その手腕から、この式典より約一年後、陸幕副長として昇任しています。

Simg_9947_2 東北方面隊は、川内駐屯地の東北方面総監部の下、上記の第6師団、第9師団とともに、方面隊直轄部隊として、方面施設部隊に第2施設団、新隊員と即応予備自衛官を所管する東北方面混成団、多連装ロケットシステムMLRSと地対艦誘導弾により長距離打撃力と対艦攻撃を担う東北方面特科隊、など。

Simg_8394 対戦車ヘリコプター隊と多用途ヘリコプター隊に野整備隊を統合した東北方面航空隊、ホーク地対空誘導弾による後方策源地防空を担う第5高射特科群、方面隊部内での通信網確立と指揮命令系統に電子情報戦を担う東北方面通信群、重整備と兵站輸送の全般支援や方面隊直轄部隊の整備支援を担う東北方面後方支援隊など。

Simg_9944 更に東北方面隊の直轄部隊としては、東北方面会計隊、東北方面衛生隊、東北方面指揮所訓練支援隊、東北譜面情報処理隊、東北方面警務隊、東北方面音楽隊、東北方面補給処、と言った部隊を方面直轄部隊として運用しています。

Simg_9943 隷下には、駐屯地として青森県内に青森駐屯地、弘前駐屯地、八戸駐屯地。秋田県内に秋田駐屯地。岩手県内に岩手駐屯地。山形県内に神町駐屯地。宮城県内に仙台駐屯地、多賀城駐屯地、霞目駐屯地、大和駐屯地、船岡駐屯地、福島県内に福島駐屯地、郡山駐屯地が配置されています。

Simg_9937 駐屯地は上記13か所となり、更に仙台駐屯地の分屯地として反町分屯地と1か所の分屯地が配置されています。方面隊管区全ての県に駐屯地が置かれているほか、陸海空の共同機関として地方協力本部が置かれ、地元と密接な関係を構築しているといえるでしょう。

Simg_9949 方面隊創設記念行事ということで、一般来場者の数は凄いこととなっています。ただ、招待席はそこまで充足率が高いわけではないらしく、式典はいよいよ開始されるというところではありますが、椅子席には空席が目立っていました。東北方面隊記念行事は、一般スタンド席などの設置が無く、一般来場者には見えにくい行事というのが残念なところ。

Simg_9960 式典参加部隊が集合したところで、警務隊の車両に先導され、東北方面総監君塚陸将が入場してまいりました。いよいよ東北方面隊創設50周年記念行事が始まりました。続くのは方面隊旗、記念行事の詳細については、次回紹介することとしましょう。

北大路機関:はるな

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中部方面隊創設53周年記念行事・伊丹駐屯地祭2013 PowerShotG-12撮影速報

2013-10-13 23:10:53 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆本日撮影、伊丹駐屯地祭2013

 本日、伊丹駐屯地祭へ行ってまいりました。EOS-7DとEOS-50Dとともに撮影に展開しましたが、取り急ぎG-12での写真を。

Chimg_7876 伊丹駐屯地祭は、本日、0800時の伊丹駅前にはシャトルバス乗り場前にかなり長い列が伸び、諦めて市営バスで伊丹駐屯地へ向かいますと、0900時の開門前にかなり長い列が伸び、ううむ、何処まで行っても行列か、とおもいつ並びますと意外に早く手荷物検査へ到達できました。

Chimg_7911 伊丹駐屯地には中部方面総監部が置かれており、同じく伊丹市に或る千僧駐屯地には第3師団司令部が駐屯、元来は朝鮮戦争における米空軍伊丹基地の拡大と共に駐屯地も集まり、今日では中部日本陸上防衛における一大拠点として育まれています。

Chimg_7921 もともと中部方面総監部は暫定的に宇治市の、現在の大久保駐屯地に置かれていましたが、京阪神地区の防衛には大阪中心部に近い地域への駐屯が必要、という観点から移転し今に至ります。そして伊丹が選ばれましたが、ここは空港の近く、朝一番からどんどんひこうしていました。

Chimg_7940 本日の伊丹市は晴天に恵まれ、絶好の駐屯地祭日和、というところでした。しかし、乾燥しきっていますと逆に車両が巻き起こす砂塵がきになり、カメラが損傷しないよう風向きに注意しつつ撮影地を選ばなければならないなあ、と思いつつ手荷物検査を経て駐屯地へ。

Chimg_7959 撮影位置は、どこにするべきでしょうか。式典会場周辺を歩きます、観閲行進を中心に撮影するならば経路沿いに、訓練展示を中心に撮影するのならば一般に開放されているスタンド席へ、どちらにするか考えた結果、やはり方面隊行事でなければ見れない装備もあるという事で観閲行進重視の撮影位置へ。

Chimg_7965 今年度の伊丹駐屯地祭は訓練展示が行われる、とのこと。一時期、周辺住民への配慮、と言いますか実際には苦情から訓練展示を全く行えなかった時期が続きましたが、近年は、もちろん火砲の空包使用には制限が無いともいえないのですが、訓練展示をおこなえるようになりました。

Chimg_7977 方面隊行事は、隷下の第3師団、第10師団、第13旅団、第14旅団と方面隊直轄部隊から代表の部隊が参加し、観閲行進の規模は師団行事相当、というところでしょうか。もう少し規模を期待したいのですが、伊丹駐屯地の広さに限界があるので仕方ありません。

Chimg_8068 仮に近傍の第3師団司令部が置かれる千僧駐屯地と、ここ伊丹駐屯地との間で、交通規制を引くことが出来、例えば西部方面隊のように市街パレードを行うことが出来たならば、これはこれで大変な注目と観客が集まる、と思うのですが、どうなのでしょうかね。

Chimg_8003 観閲行進は例年通りの装備でした。撮影は、EOS-7DとEOS-50Dに広角ズームと超望遠ズームを装着しつつ、予備としてG-12を三脚上に固定しレリーズにより一眼レフと同時撮影する、という方式で撮影です、2011年の東千歳駐屯地祭で初めて試しましたが、定番の撮影方法として定着しました。

Chimg_8036 G-12に広角部分を担当させますと、ズームレンズで様々な方向を撮影している際にとり逃す事がありませんし、広角ズームのEOS-7Dから超望遠ズームのEOS-50Dへ持ち帰る瞬間に、撮影を継続させておけば、やはりその刹那の撮影機会を逃すこともありません。

Chimg_8051 観閲行進の撮影を完了しますと、そのまま、撮影位置を転換するか少々考えました、前回の撮影の際には直ぐに訓練展示へ展開してしまい、移動の時間が無いように感じたのですが、訓練展示開始といわれつつも開始まで若干の時間がありました、今年もそう信じて、移動をすることに。

Chimg_8093 訓練展示は野戦方式で実施し、装甲化された仮設敵に対し、我が方も軽装甲機動車や戦車と火砲に誘導弾を中心とした部隊を投入、レンジャーや航空部隊支援と共に目標を制圧する、という内容でした。戦車と火砲も発砲、榴弾砲の射程が伊丹駐屯地から大阪城まで達すると放送され、驚きの声が上がる一幕も。

Chimg_8115 訓練展示の陣地転換は見事正解ですが、人が非常に多く、多少撮影の自由度は失われますが、ライブヴューア撮影により片手で上げて勘に頼る撮影法を取らざるを得ませんでした。しかし、角度の面から最初の位置から撮影するよりは良好な位置からの撮影となったように思います。

Chimg_8132 装備品展示は無人機などが今年も展示されましたが、最も注目は広帯域多目的無線機で、背負い式ですが、HF波とVHF波にUHF波のマルチバンド方式も新装備が展示されていました、聞けば先月入ったばかりという事で、操作端末がタッチパネル式であるところが注目でしたが、更に3kgと軽量なのも印象でした。

北大路機関:はるな

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豊川駐屯地創設63周年記念行事(2013.10.05) PowerShotG-12撮影速報

2013-10-05 20:58:00 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆日本最大級特科連隊、装備するFH-70は60門!

 F-15の小松航空祭か、八尾の中方航空隊か、いろいろ悩みましたが、日本最大級の特科連隊が駐屯する第10特科連隊の豊川駐屯地へ行ってきました。

Timg_6997 第10特科連隊は全国の師団特科連隊が全般支援大隊を廃止し、もしくは特科大隊を全廃し特科中隊基幹の特科隊へ改編する中、現在も60門のFH-70榴弾砲を装備する連隊として中部方面隊から全国へ抑止力を利かせています。このほか、第49普通科連隊、第6特科群、第10高射特科大隊と多くの部隊が駐屯しています。

Timg_7002 整列した部隊を巡閲する第10特科連隊福元洋一一佐、隷下には五個特科大隊十二個中隊が配置されています。ただ、この壮観も今年度限りで、現在即応予備自衛官を基幹とする第四大隊は廃止されると考えられ、併せて第五大隊も廃止、第4特科連隊のように直掩火力大隊のみの三個大隊編制となるのでしょう。

Timg_7046 観閲行進へ臨む第49普通科連隊の軽装甲機動車、即応予備自衛官を主体とするコア化連隊で、連隊本部は、ここ豊川駐屯地へ置かれていますが、即応予備自衛官の訓練は第10師団管区に加え第3師団管区の一部でも行われており、分散しての訓練をおこなっているもよう。

Timg_7050 重迫撃砲チュ隊の120mm重迫撃砲、中部方面隊には、このほかの即応予備自衛官の普通科隊員は元第13旅団隷下の現中部方面混成団第47普通科連隊が実施、この第49普通科連隊も年度末へ中部方面混成団へ移管されるとのこと、つまり即応予備自衛官主体の普通科連隊は中部方面混成団へ統合されることとなります。

Img_70670
 第10特科連隊情報中隊。全国の特科部隊が大きく削減されつつも特科大隊へ縮小されない背景には、特科部隊には陣地構築への施設作業部隊を含め本部管理中隊が必要であるほか、写真の情報中隊のように対砲レーダ装置や気象測定装置などが装備されていなければ現代砲兵戦を実施できず、火砲を保有する意味が無くなるから。

Timg_7097 他方、特科連隊編成が第10特科連隊の場合維持されるとみられていますが、一部師団では特科隊へ縮小されています。普通科連隊戦闘団編成に際し、特科大隊を充当することはできませんが、特科中隊ならば充当出来る、という話です。しかし、あまり細かくしてしまうよりは、普通科連隊の重迫撃砲中隊に情報小隊を置き、その分特科隊は全般火力支援に充てるべきでは、と思ったりもします。

Img_7123 直掩火力とは、その昔105mm榴弾砲が装備された特科大隊により普通科連隊の支援と敵迫撃砲の制圧を任務として二個特科中隊基幹の特科大隊で実施されていました。対して全般火力支援は対砲兵戦と長距離火力支援へ155mm榴弾砲の四個特科中隊基幹の第五大隊が実施していました。

Img_7101 現在は榴弾砲の155mmへの統合という趨勢に応じ、全ての部隊が155mm榴弾砲を装備していますので、全般支援と直掩火力の意味合いは薄れましたが、対砲レーダ装置などの支援を受けるという意味で、師団長が最後の火力を展開できるという第五大隊の意味は小さくは無いのでは、と考えるもの。

Timg_7150 この特科連隊が大きく削減されるのは非常に残念で、コンパクト化という意味にて火力戦闘車の開発が開始されましたが、運用自体も、普通科連隊は重迫撃砲中隊に門数以外の観測小隊や小型対迫レーダを装備する情報小隊などを新編し、その分特科連隊は師団長最後の手札、として維持されるべきなのでは、とも。

Timg_7160 第10高射特科大隊、本部管理中隊情報小隊の対空レーダ装置と低空レーダ装置、これらの情報を師団対空戦闘情報システムへ送り、これをもとに対空戦闘を展開すると共に防空警戒情報を師団各部隊へ送ります。レーダー情報が無ければ対空戦闘は実施できません。

Timg_7168 第1中隊の93式近距離地対空誘導弾、小隊ごとに必要に応じ連隊戦闘団へ配置させ、近接防空に当たります。上記の対空戦闘情報と自動連動しているため、その射程内に接近した目標へ即座に対処することが可能、乗員は車両から離れ遠隔操作し対処もできます。

Img_7175 第2中隊の81式短距離地対空誘導弾C,このC型は従来型よりも射程が延伸されています。レーダーを搭載した射撃統制車両に四連装発射装置を2両がセットとなり、師団後方策源地や火砲拠点などの防空を担います。4セットが配備されており、これも第二次大戦中に空からの攻撃に悩まされた反省からの装備ですが、二個中隊の防空能力はかなりのもの。

Timg_7205 第6施設群、大久保駐屯地第4施設団の隷下部隊です。装甲ドーザや地雷原処理車など、本来師団施設大隊に装備すべきものを集中装備していますが、これは装備の更新への問題と共に、師団施設大隊の連隊戦闘団への組み込みに際しての編成の難しさもあるのでしょう、必要に応じ師団を支援します。

Timg_7305 G-12はここまで、流石に観閲行進に続いて実施された訓練展示はG-12で追随できるものではありません、発砲焔が映っていまして頑張ってくれましたが、やはりEOS-7DとEOS-50Dの独壇場です。こうしたかたちで、豊川駐屯地へ行ってまいりましたので、第一報として掲載しました。

北大路機関:はるな

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第10師団創設51周年記念行事・守山駐屯地祭PowerShotG-12撮影速報

2013-09-29 22:33:55 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆縮小改編控えた名古屋市内の師団駐屯地

 本日、第10師団司令部の置かれている名古屋市の守山駐屯地へ行ってまいりました。

Mimg_6483 第10師団は司令部を置く名古屋市の第35普通科連隊、愛知県南部は豊川市の第49普通科連隊、三重県の第33普通科連隊、北陸金沢の第14普通科連隊を基幹とし、東海北陸地方を防衛警備管区とする中部方面隊隷下の師団で、2002年の拡大改編により四個普通科連隊基幹へと増強され、戦車大隊や特科連隊を増勢した強力な師団です。

Mimg_6488 守山駐屯地は前述の通り名古屋市守山区にあり政令指定都市名古屋市へ1962年の第10混成団から第10師団へ拡大改編を受けて以来、此処に司令部を置いています。この駐屯地へは名鉄瀬戸線守山自衛隊前駅から交差点を越えて直ぐで、便利な立地にある駐屯地の一つ。

Mimg_65090 防衛省は今年度末の師団改編に際して、隷下の第49普通科連隊を大津の中部方面混成団へ移管、第10特科連隊は第4大隊を廃止、隷下の普通科連隊は79式対舟艇対戦車誘導弾部隊である対戦車中隊を廃止、このほかの隷下部隊も効率化され、恐らく戦車大隊も縮小、師団として縮小改編を受ける事となっています。

Mimg_6556 今年度は、併せて三年に一度の陸上自衛隊中央観閲式実施年でもあり、その関係か今年度行事ではスタンド席が少なく、一般用スタンド席は皆無、代わりに十列椅子席が用意され、年々増加する来場者をその規模の座席で収容できる訳もなく、混雑度度合は当方が九年連続で足を運ぶ中で最大の規模となっていました。

Mimg_6660 こうした守山駐屯地ですが、決して広くはないものの行事の撮影位置は多く、多くの来場者と反比例して縮小される一般開放地区の中で、どの位置から撮影すれば観閲行進や訓練展示を良好な位置から撮影できるのかを工夫しつつ機動展開を繰り返し、いろいろと改編前最後の情景を撮影することが出来ました。

北大路機関:はるな

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東北方面隊創設50周年記念行事詳報① 精鋭部隊と東日本大震災半年前の仙台霞目駐屯地

2013-09-24 23:34:44 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆戦後最大の国難に立ち向かう自衛隊の精鋭

 東北方面隊創設50周年記念行事、今回より陸上自衛隊関連行事詳報として新しく掲載を開始します。

Timg_8360 東北方面隊、宮城県、青森県、岩手県、秋田県、山形県、福島県、以上を防衛警備管区とし、第6師団と第9師団を中心に部隊を配置しています。そして、この式典は創設50周年記念行事として、2010年9月26日に行われました。この式典から、僅か半年後、この方面隊は未曽有の国難への矢面に立つことを迫られたことは御存じの通り。

Timg_8360_0 東北方面隊の管区を東日本大震災が襲ったのは2011年3月11日のことです。これが何を意味するかと言えば、この式典に参加した指揮官が、隊員が、巨大地震と歴史に残る津波災害、そして我が国初の原子力災害へ立ち向かう第一線に臨んだことになるわけです。

Timg_8359 東北方面隊は方面総監部を仙台市宮城野区の仙台駐屯地に置いており、800m四方の広大な駐屯地ですが、記念式典は多くの部隊と隊員が参加する為、3km南の仙台市若林区にある、ここ霞目駐屯地の霞目飛行場地区において実施されています。この駐屯地には東北方面航空隊等が駐屯し、滑走路を含め周囲は1.1km四方と広く、大規模な行事も行いやすい。

Img_8374 50周年ということで、戦車部隊は近傍の大和駐屯地第6戦車大隊だけではなく、岩手駐屯地の第9戦車大隊の74式戦車も展開していました。もともと、ここ東北方面隊記念行事は、例えば痛み駐屯地の中部方面隊記念行事よりも参加部隊規模が大きいのですが、今回は特に大規模となるもよう。

Timg_8365 当方は前日、海上自衛隊呉地方隊大阪湾展示訓練を撮影し、大阪港へ接岸すると同時に仙台へ向かいました。二日間で二つの行事へ足を運ぶことは当方も稀有な事例ではないのですが、大阪湾から仙台へ12時間で移動し撮影、という強行軍はこの時くらいのもの。

Timg_9890 東北方面隊創設50周年記念行事ということもあり、広い会場を存分に活用すべく、会場の端々に既に多数の車両が展開しており、観閲行進や訓練展示に臨む車両群が見えました。特に隷下の第9師団は青函地区の防衛に当たるため重装備を揃えており、加えて隷下の第6師団はC4ISR実験師団として先端通信装備で固めています。

Timg_9889 そして訓練展示の準備でしょうか、FH-70榴弾砲が既に会場へ式典前に布陣し、射撃準備を整え偽装網を被せ待機しています。更に後方にも砲架を畳み自走状態で待機中のFH-70が見え、かなりの火砲が参加する訓練展示になるのだな、とこちらも意気軒昂に。

Timg_8375 さて、この霞目駐屯地ですが、仙台駅や仙台駐屯地、多賀城駐屯地からシャトルバスが運行されているほか、駐車場も多く、仙台駅からの場合は仙台駅から5kmほど離れているため、自家用車が一番早い交通手段となります、しかし、流石に大阪から仙台まで車で、というのも無理ですので、当方は夜行バスを利用し、仙台駅から始発バスを利用しました。

Timg_9895 大阪湾展示訓練から如何に仙台へ展開するのか、そもそも展示訓練の入港時間、特に上陸できる時間や駅までどのくらいの位置に停泊しているかは未知数ですので、大阪から仙台空港まで旅客機というのは、時間的に非常に投機的です、それならばどうするのか。

Timg_9905 新幹線利用の場合は、新大阪駅から東京駅まで、のぞみ号利用、東京駅から仙台駅まで、やまびこ号利用、というのは定番ですが、大阪港駅へ1800時頃には進出している必要があり、確実性を考えると厳しいところ、東京駅まで進出し、翌朝の始発で、やまびこ号にて仙台へ、というのも、出遅れる可能性は否定できません。

Timg_9904 寝台特急北斗星利用など考えたのですが、そこで、いろいろ試行錯誤した結果、近鉄特急にて大阪から名古屋まで進出し、名古屋から名鉄の仙台行夜行高速バスを利用し展開する、これならば乗りかえ時間に余裕を持てるし、万一特急やバスが遅れた場合でも代替交通手段がある、こうして決定し展開した、というもの。

Timg_9902 仙台駅に到着し、シャトルバスを待つこと50分、流石にそこまで早く並ぶ人はいないとみえて、第一便で霞目駐屯地へ展開することはできたのですが、既に開門後で自動車組の方が最前列付近を確保しているという状況、ここ東北方面隊記念行事は当方二回目ですが、明らかにこの50周年行事は人が多い。

Timg_9906 聞けば皆様、少なくない方々のお目当てがブルーインパルスの飛行展示ということで、成程、陸上自衛隊行事ではなかなか見かけないサンニッパレンズやゴウヨンレンズなどが後方で砲列を敷いています。ただ、最前列付近は、霞目駐屯地からブルーインパルスが離発着するのではなく、すぐ近くのホームベース、松島基地から展開するという事で人口密度には余裕がありました。

Timg_8392 しかし、観てみますと既に海上に端の方には米軍機、米陸軍のUH-60A汎用ヘリコプターが駐機していました。聞けば訓練展示の前段で災害派遣展示を行うとのこと、すると訓練展示は模擬戦ではなく災害派遣展示なのか気になりますが、隊員さんに聞いてみると、普通の戦闘訓練展示を行う、ということ。

Timg_9899 ただ、訓練展示の前にも射撃は行います、という事をお教えいただき、はて、訓練展示前の発砲、105mm榴弾砲の空包で音楽演奏でもやるのかな、とおもいつつ、取り敢えず式典前に整列する車両を撮ってしまおう、ということでレンズを左右させてゆきます。

Timg_8369 一通り撮影し、一息ついているところ、周りの地元の方々と雑談に花が咲いた頃、音楽隊の拍子と共に式典参加部隊の入場が始まりました。待機車両に対空レーダ装置や通信車両などが目立ちますが、航空部隊は別途霞目駐屯地から仙台駐屯地などに前進し待機中です。しかし、入場する部隊、会場も広いが人数も多い。

Timg_8368 待機位置まで進むだけなのですが、翩翻と翻る連隊旗に大隊旗、中隊旗、部隊は会場へ進入するのではなく、待機位置まで前進するのみ、それでもかなりの人数です。今回は部隊入場までに会場の様子を哨戒しましたが、式典開始までの様子は、次回にお伝えしましょう。

北大路機関:はるな

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精鋭第14普通科連隊 金沢駐屯地創設63周年記念行事展開PowerShotG-12第一報

2013-09-08 22:43:51 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆先ほど帰ってきました

 金沢駐屯地創設記念行事へ行ってまいりました、G-12の写真ですがとりあえずご報告までに。

Psgimg_4097 百里基地航空祭や八戸展示訓練に帯広駐屯地第5旅団創設記念行事と自衛隊行事が広く実施された今週末ですが、当方は六年ぶりに金沢駐屯地へ展開しました。前日から金沢にて夜の豪雨の最中少々不安も感じましたが、万全の防滴装備で行事へ臨んだものの、雨は上がり本日は晴天行事で実施です。

Psgimg_4228 六年ぶりの金沢駐屯地祭ですが、装備面で改善したものもあり、なるほど、と思ったものも。帰路、金沢から福井で少し散策し、さきほど。金沢は今年二度目、国鉄急行型も見ることが出来ましたし、485系も現役特急で活躍、やはり北陸本線は長大で奥深いですね。

北大路機関:はるな

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富士総合火力演習と雨天豪雨時対応 2008年富士総合火力演習の写真から

2013-08-24 00:25:36 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆荒天下の富士総合火力演習、傾向と対策

 ここ数日間、“富士総合火力演習雨天”という検索文章が増えています、いよいよ明日富士総合火力演習本番という事で本日はこちらの話題を。

Fs_img_3907 富士総合火力演習、幸いにして当方は富士にて豪雨に見舞われたことがあまりなく、数年前に一回それはそれは凄いことになりましたが、夜間演習でしたので、逆に悪天候時らしい写真を撮影することが出来ました。したがって、あまり参考にはならないかもしれませんが。

Fs_img_3785 まず第一に、落雷の危険などが無い限り、富士総合火力演習は実施されます。なお、落雷に関しても会場近くに避雷針が多数配置されており、避雷針より4m以内に立ち入らなければ、という安全上の配慮は為されています。ただ、いくつかの注意点があります。

Fs_img_3762 注意点として、富士総合火力演習は数万の来場者が集まる我が国最大の公開実弾演習ですので、会場の人口密度はかなりのものとなり、従って傘は豪雨でも使用できません。雨合羽、雨衣等で雨を防がねばなりません。ポンチョなどは海上売店でも5000円ほどで売られていますが、コンビニなどで小型のものを事前に用意するのが理想でしょう。

Fs_img_3886 ただ、傘が不要か、と問われれば、そうでもなく、演習中の見学席では使用することはできませんが、御殿場駅や駐車場とのシャトルバスの待ち時間が長くなりますので、この時間帯を考えて折り畳み傘の用意は必要です。長い傘は着席時に邪魔となりますので、ご配慮を。

Fs_img_3819 富士総合火力演習、雨天時に必要なのは敷物です。折畳椅子などは広報の方の邪魔となりますので、当然使用禁止、巡回の隊員からも注意されますが、レジャー用の薄手敷座布団は座っているところに雨滴が沁み込むためあればいい一品、晴天時でも座布団は重宝するものですが、ね。

Fs_img_4160 もうひとつ、雨天時に絶対必要なものは大型のポリ袋です。当方は京都市指定家庭ごみ袋を数枚携行しているのですが、折りたたんである状態では傘ばならない一方、これはいよいよ豪雨が本番となった時、カメラバックにその他小物まで全てを放り込んで防水措置を執るために重宝します。

Fs_img_4336 ポリ袋と豪雨、2006年東千歳駐屯地祭で痛感したもので、昨年の岐阜基地航空祭の豪雨、2009年のサンダーバーズ飛来浜松航空祭でも大活躍ですし、最悪、敷物替わりとして沁み込みを防止するのにも使えますし、カメラの防滴カバーなどの補完用にも活躍すること間違いなし。

Fs_img_3970 なお、富士総合火力演習は雨が飛ぶだけではありません。もちろん、的に向かって銃弾砲弾が飛びますが、それ以外に観客席へ飛んでくるものは雨滴のほか、風向きによって泥飛沫が飛んできます。泥飛沫は戦車などの車両が泥濘を生み、それがヘリコプターのローターで飛沫となて飛ぶもので、これは最前列から一番離れたスタンド席最上段にも来ますので、レンズを拭く装備も必須です。

Fs_img_4022 カメラ用防滴装備は、勿論必須です。コンパクトデジカメなどでしたら防水のものがありますし、何よりコンパクトですので袖口に仕舞いこむ器用な雨天時対応も可能ですが、一眼レフは銀塩やデジタル問わず、防滴が必要です。最悪はコンビニ袋でも代用できなくはありませんが、レンズフードとともに防滴用の専用のものを専門店で購入するのがお勧め。

Fs_img_4053 なお、富士の天候は急変します。御殿場駅前が曇っていても、東富士演習場は豪雨で、数時間東富士演習場の総合火力演習が実施される畑岡地区が豪雨に見舞われていても、帰路に通ったすぐ近くの板妻駐屯地付近の路面が乾いていた、なんて話も聞きます。

Fs_img_4174 雨天時と晴天時問わず、当方ならばどうするか、という視点ですと、まず0630時前には畑岡地区に行き、点検射という早朝の戦車や火砲に装甲車や航空機の点検射撃を撮影しておきます、撮れるものは早めに、ということ。早く行けばシート席最前列や一般用スタンド席が確保できますから、ね。

Fs_img_4262 演習は豪雨で中止にならないのか。これは、実を言いますと段階に寄りますが、在ります。まず、視界不良時は支援戦闘機などの近接航空支援の展示が行われません。また、対戦車ミサイルなどの射撃にも視界は安全管理上影響します、これは照準装置で目標を感知示威別出来ても、安全員が直接確認できないからです。

Fs_img_4322 そして火砲や戦車砲も、例えば90式戦車や10式戦車に89式装甲戦闘車などは熱線暗視装置を搭載し、霧を含めた悪天候時でも正確な照準は出来ますが、これは実戦ではなく演習、したがって、まあ、雨天時に限らず強風時の土煙も含めてですが、安全員が的を確認できない場合は射撃が出来ません。

Fs_img_4482 過去には、前段演習と後段演習の大半が安全員から目標を確認できないほどの豪雨と霞が覆ってしまい、後段演習がいよいよ時間的に厳しくなってきた、という時間帯になり漸く的を確認できる状態となったため、戦車が一斉に展開して物凄い勢いで連続射撃をしたこともありました、その日当方は豪雨の中横田基地に行っていたのですが、ね。

Fs_img_4416 結果的に、当方は過去の様々な自衛隊行事での雨天の教訓から、カメラバックには以下の通りの防滴器材を、たとえ快晴の予報でも携行しています。カメラバック用レインカバー、カメラ用防滴カバー、大型ポリ袋数枚、超小型折り畳み傘、以上を詰め込んでも意外と嵩張りません。

Fs_img_4493 また、多少でも曇りの予報がある際には薄手のレインコート(YAMAMOTOで購入したフランス海軍仕様)、予備超望遠レンズカメラ用防滴カバー、電子機器から文庫本までを含めた防水用ビニールの準備、こんなところの装備を大型のカメラバック用サイドバックに詰め込み傾向たこともあります。

Fs_img_8966 一方、一転して快晴と猛暑の可能性もあります、日焼け防止措置は必要で、長袖と帽子は常に携行しているほか、水分補給も忘れてはなりません。先日の舞鶴展示運連では1?ミネラルウォーターと500mlペットボトルを携行しました、熱中症は生命の危険につながります、油断は大敵です。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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第4師団創設58周年 福岡駐屯地創設62周年記念行事詳報⑫ 装備品展示と師団司令部

2013-07-31 23:26:33 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆都市部と離島を護る第4師団の装備品展示

 福岡駐屯地祭の行事がすべて終了し、当方も次の目的地佐世保へと向かうべく移動を開始しました。

Fimg_5031 そして、式典終了と共に装備品展示を眺めつつの撤収です。装備品展示は開門と同時に開始されていたのですが、何分初めて足を運ぶ行事ですので撮影位置を考えねばなりません、このためやむを得ず装備品展示は後回しという事で式典会場へ急ぎ、結果素通りした、というはなし。

Fimg_6706_1 74式戦車に描かれた第4戦車大隊の部隊マーク、三又が数字の“4”を描き、戦車部隊に相応しい徽章と数字を摂りあわせて仕上げています。74式戦車そのものは広く見ることが出来るのですが、第4戦車大隊の部隊マークとともに、というと、この管区でしかなかなか見ることが出来ない。

Fimg_6749 93式近距離地対空誘導弾と96式多目的誘導弾システム、高機動車を基本とした機動性の高い、片方は戦術防空システムで片方は戦術地対地ミサイル、特に96式多目的誘導弾システムは北部方面隊の一部師団と旅団に装備されているほかは方面隊装備であるため、壱岐対馬を防衛する第4師団ならではの装備と言えるやも。

Fimg_6717 96式多目的誘導弾と93式近距離地対空誘導弾の並びを背後から、この96式多目的誘導弾は先日旭川駐屯地祭で観ましたが、この時点では富士学校の装備位しか見たことが無く、実戦部隊の装備としては初めてだったかもしれません、真駒内にはありませんでしたし。

Fimg_5029 81式短距離地対空誘導弾C型、通称短SAM-C,ちなみにこの装備については、後継の11式短距離地対空誘導弾の装備がそろそろ始まるはずなのですが、最新装備が研究用に導入される高射教導隊へも、今年度の下志津駐屯地祭高射学校記念行事には展示が無く、まだ装備実験隊に配備されているのみ、とおもわれます。

Fimg_6730 装備品展示、小銃、プライバシー配慮で一部加工してありますが、少年が構えているのは64式小銃、国産初の自動小銃で旧軍の九九式軽機関銃のような短連射での正確な火力制圧が可能な自動小銃をめざし、国産開発されたもの。専守防衛での陣地戦では最大限の威力を発揮できるでしょう。

Fimg_6735 89式小銃との並び、89式小銃は軽量で最小限の部品点数にて故障が少なく堅牢な設計で知られるアーマライトAR-18のライセンス生産での経験をもとに豊和工業が軽量で瞬発火力に優れつつ、遠距離での命中精度を維持するという相反する難題を前に具現化した小銃です。持ってみると重量が同じという東京マルイのエアガンとは重量バランスが違うのに気付く。

Fimg_6743 永世中立国スウェーデンが開発した傑作携帯無反動砲84mmカールグスタフ、文字通り小型の大砲で、対戦車用ではありますが、このほか陣地破壊や突撃破砕射撃に照明弾発射と煙幕展開にも活躍します。映画ガメラⅢではイリスに対し第37普通科連隊が使用したものの効果はありませんでしたが、ゴジラvsビオランテでは致命的な生物剤をゴジラ体内へ投射する用途に活躍、宇宙戦争では米軍がバリアーを展開できないトライポットに射撃し、破壊していました。

Fimg_6712 久留米第4特科連隊のFH-70榴弾砲、何故かこのFH-70とは相性が良いようで、空包射撃の発砲焔常連装備です。しかし、富士総合火力演習では最小射程というに等しい3kmの距離で射撃するため装薬が少なく、その分発砲焔が出ないのが少々残念です。ヤキマ演習場で最大射程射撃を行うと、凄い、のだとか。

Fimg_6692_1 化学防護車から96式装輪装甲車に87式偵察警戒車と、横一列に並んでいる様子、我が国は厳しい道路事情から装甲車が小型となり、結果海外製の装甲車を導入した場合公道を走れない、というため、独自の装甲車体系を構成しています。それが横一列に並んでいる。

Fimg_6689_1 第4特殊武器防護隊、ハッチ部分に重なってマークが描かれているのが興味深い。こちらの車両も将来的には後継のNBC偵察車へ置き換えられることとなるのでしょうが、前述の車幅制限上、必要な容積を確保しようとすれば車高が大きくなり、これが秘匿性を押し下げるため見つかりやすくなり、厳しいところです。

Fimg_6697_1 96式装備装甲車、本車について、構造が凝りすぎて複雑化、車体が不自然に細が無いがた安定性に影響、装甲が近年の車両と比較し厚くない、などなど一部で意見があるようですが、昨年、米軍が横浜港から機動性に優れたストライカー装甲車を饗庭野演習場に持ち込んだ際、車幅が大きすぎ高速道路を自走できず、結果輸送車に搭載し夜間輸送を行ったと聞き、やはり大きい車両は使えない、と痛感しました。

Fimg_6694 そんな96式装輪装甲車は第4戦車大隊の装備です。実は、大型輸送ヘリコプターCH-47JA一機分の予算で三個中隊と本部中隊所要の96式装輪装甲車が導入できるのですが、我が国は装甲車よりもヘリコプター調達を重視したため、普通科部隊へ装甲車が十分行き渡らず、戦車部隊の本部車両となっているのが実情だったりするところ。

Fimg_6701_1 87式偵察警戒車、これまでの特殊でも述べましたが25mm機関砲を武器として威力偵察を行う装甲車です。ただ、この火力と防御力で反撃された場合、生き残れるか疑問ですので、偵察隊へは開発中の105mm砲搭載の機動戦闘車と、複合センサーを搭載する近接戦闘車偵察型を併せ、戦場監視と威力偵察を併せて行うべきと考えます。10式戦車が充分あれば、あの戦車は情報伝送力が大きいので任せられるのですが、ね。

Fimg_6699_1 第4偵察隊のマーク、そして発煙弾発射装置を見ますと本車が初期型であることがわかります。初期型は74式戦車と同じこの形式の発煙弾発射器を搭載しており、中期型からは90式戦車と同型の発煙弾発射器となっています。発射時はこの型式の方が派手に煙幕が展開するのですが、後期型の方が前面へ素早く煙幕が展開します。

Fimg_6750 そして軽装甲機動車、二両に小銃班を分譲させ、木目細やかな火力密度を展開する装甲車ですが、東日本大震災の教訓と今後の島嶼部防衛を考えた場合、電子装置の被膜化による防水措置と、簡易吸気用シュノーケルキットを開発して、揚陸時に海水に沈む程度や渡渉程度は行えるようにするべき、と考える装備です。高機動車やトラックについても同様ですが。

Fimg_6722 野外手術システム、観閲行進の際にも説明しましたが、この装備は移動式の病院装備なのですけれども、病院法の関係上野戦病院は厚労省の許可が無ければ設置できないため、東日本大震災のあの瞬間までは、この装備は実は移動式の医療実習教材と法的に扱いが同じだった、とのこと。

Fimg_6727 しかし、東日本大震災では、それまで法的に移動式の手術実習用教材という曖昧な位置づけであったものが、即座に移動病院施設となった、との話を聞き、実は名称や法的位置づけに拘るのではなく、実態さえ整っていえば緊急時には対応できる、と痛感したのを思い出しました。

Fimg_6724 この装備について気になっていたことは、手術時の感染症対策を確実に行えるのか、という事でしたが、聞いてみますと手術による感染症は野戦病院なので通常の病院のような対策は行言えないが、通常の病院へ搬送していては助からない人命へ究極の応急処置を行うのが、この装備、とのことでした。法律と平時手順を守って死ぬよりは、リスクを冒して人命を助ける、なるほど。

Fimg_6758 こうしたかたちで、装備品展示を一通り撮影し終え、当方は福岡駐屯地を後にすることとしました。九州で初めての駐屯地祭への展開、そして離島と都市部を抱える第4師団の装備を余すところなく見ることが出来たのは、良い天候とともに非常に意義があるものでした。

Fimg_6774 第4師団司令部。こうして福岡駐屯地祭詳報は今回を以て完結とします。第1回掲載の2月15日より今回の第12回まで長きにわたりお付き合いいただきありがとうございました。次回からは総集編を経て新しい陸上自衛隊行事詳報掲載へと新展開します、お楽しみに。

北大路機関:はるな

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富士学校開校59周年富士駐屯地祭(2013.07.07) PowerShotG-12撮影速報

2013-07-16 23:43:12 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆富士学校祭へ行ってきた

 先週の富士学校祭、中々写真が整理できず例によってG-12の写真を紹介しましょう。

Fsimg_7417_2 富士学校長武村誠一陸将、第四師団長より富士学校長へ転任された方で、北大路機関では第四師団創設記念行事詳報にて紹介した方です。部隊巡閲に並ぶのは富士学校とその隷下に或る富士教導団の隊員、それに装備、富士学校は陸上自衛隊の普通科特科機甲科の装備研究と戦術研究に専門教育を行うところ。

Fsimg_7464_2 富士教導団長市野保己陸将を先頭に観閲行進、今回の写真は当方がEOS-7DとEOS-50Dを以て撮影する最中、暇そうにしていた付き合い十年以上のマブダチであるアカさんにG-12の操作をお願いしたもの。つまり、Weblog北大路機関創設以来初めて、当方が撮った写真が一枚もない写真記事といえるかも。

Fsimg_7468 教導団本部付隊の観閲行進、背後には後述する96式多目的誘導弾システムが、更にその背後にもやはり後述する89式装甲戦闘車が見える。富士教導団は、教育部隊であると共に、後方支援部隊や防空部隊を欠いているものの、装甲車や火砲と戦車を有する強力な機械化部隊でもある。

Fsimg_7471_2 教導団本部の装備となっていた96式多目的誘導弾システム、射程が大きく遮蔽物や掩砲所からの間接式直接照準が可能な光ファイヴァー誘導方式の戦術ミサイルシステム、システム構成要素が多く複雑であるため従来の無反動砲の延長のような対戦車ミサイルほど運用は単純ではないが、発射装置三基で京都市全域に当たる地域をカバーできるもの。

Fsimg_7481 偵察教導隊の87式偵察警戒車と偵察オートバイ、偵察隊は戦車部隊と同じ機甲科部隊であるので、その戦術研究や新装備試験などは、ここ富士学校で行われています。それにしても、富士学校祭は車列の後ろにまた車列が見えるため、画面に迫力がでてきますね。

Fsimg_7494_2 軽装甲機動車、大量調達により今や陸上自衛隊の象徴的な装備となり、国際貢献任務にも派遣され知名度は高い。普通科部隊では小銃班の機動や火力拠点の分散機動運用に対戦車ミサイルの機動にも用いられ、偵察隊での偵察や航空自衛隊では基地警備等にも活躍する。

Fsimg_7485 普通科教導連隊の観閲行進、広報に車両が続々続きます。富士教導団は、団本部、普通科教導連隊、特科教導隊、戦車教導隊、偵察教導隊、教育支援施設隊を中心に編成されています。連隊旗を先頭に82式指揮通信車の観閲行進が進む。

Fsimg_7499_2 普通科教導連隊第一中隊の89式装甲戦闘車、35mm機関砲と射程4kmの対舟艇対戦車誘導弾を暗視装置を含めた火器管制装置とともに搭載し、高い機動力を有し戦車と協同するもの、防弾鋼板で40mm程度の装甲を有し、乗車戦闘を想定し装甲に防護された車内から89式小銃の射撃も可能です。

Fsimg_7503 89式装甲戦闘車は上記の通り高い能力を有しており、戦車部隊との協同を最大限行うことが可能な車両で、北部方面隊へ四個連隊所要の調達が考えられていましたが冷戦後の予算縮減で戦車を中心とした第七師団の一個普通科連隊にのみ半数が充足されたのみ。

Fsimg_7511 第二中隊は軽装甲機動車を装備、車上で構えているのは01式軽対戦車誘導弾、射程1500mの非冷却型熱画像誘導方式誘導弾で特に車両などの熱源を瞬時に安置し即座に照準し射撃でき、対戦車ミサイル防護を行う車両へのタンデム弾頭を搭載し、貫徹力は非常に大きい。

Fsimg_7516 第三中隊は高機動車を装備、1990年代に大量配備され、普通科部隊の自動車化を一挙に推し進めたほか、多目的誘導弾や重迫撃砲に地対空誘導弾やレーダ装置などの機動力強化も一挙に推し進め、一両でも多く欲しいと部隊に言わしめた、自衛隊近代化の象徴ともいえるひとつ。

Fsimg_7520_2 第四中隊の96式装輪装甲車、普及型装甲車といえるもので、路上での高い機動力と不整地突破能力をもつ。北部方面隊では第七師団を除く全ての師団と旅団普通科連隊に一個中隊が装備され、中央即応連隊や戦車部隊本部と後方支援連隊戦車直接支援隊などに装備されています。

Fsimg_7527 対戦車中隊と重迫撃砲中隊、対戦車中隊は中距離多目的誘導弾や79式対舟艇対戦車誘導弾を装備、重迫撃砲中隊は120mm重迫撃砲RTを装備、とくに120mm重迫撃砲は射程が大きく、命中精度も高いため、普通科部隊の直掩火力として運用されている。

Fsimg_7542_2 中距離多目的誘導弾、発射後照準や間接照準が可能な世界最深の対戦車ミサイルで、ミリ波レーダと光学照準器と共に一両に纏められている。射程と即応性に連続発射能力が高く、今後普通科中隊対戦車小隊へ広く配備される。今年度予算調達分を含め約60両が調達され、今後も続く。

Fsimg_7532 こちらは79式対舟艇対戦車誘導弾、赤外線有線半自動指令誘導方式の第二世代対戦車ミサイルだけれども、弾頭重量が33kgと大きいため、戦車の他上陸用舟艇などを撃破することも出来、射程も比較的長い、が、発射装置や誘導装置は重い。

Fsimg_7543 特科教導隊、第一中隊と第二中隊はFH-70榴弾砲を装備しています。スウェーデン製FH-77,アメリカ製M-198と比較され、陸上自衛隊へ導入されたもの。M-198は性能不足、FH-77は牽引時の機動力に制約が付くという形で、英独伊共同開発のFH-70が陸上自衛隊へ採用されました。

Fsimg_7547 特科中隊は82式指揮通信車により指揮されていたのですが、本年度は96式装輪装甲車で観閲行進へ、特科中隊の指揮でも82式指揮通信車は車高が高いものの多数の無線機を詰め込んだ装甲車にほか成らないため、このような通常の装甲車でも代用できるもよう。

Fsimg_7553 FH-70,高性能だが高価格なので、こんな高価格なら自走榴弾砲を、と開発国では普及しなかったものの、牽引砲で高性能と国土の運用に合致した陸上自衛隊は大量配備を決断、特科部隊より第一次大戦中に設計され第二次大戦中に改良された火砲を一挙に過去のものとした装備だが、後継の火力戦闘車へ将来的に置き換えられる。

Fsimg_7559_2 特科教導隊第三中隊の99式自走榴弾砲、射程40kmの52口径砲を搭載し、自動装填装置と情報共有型火器管制装置により迅速な展開と濃密で精密な射撃に瞬時の離脱が可能、中隊指揮車両が82式指揮通信車から96式装輪装甲車に変更になっていて、これが今回気付いたこと。

Fsimg_7564 99式自走榴弾砲は自走榴弾砲の運用が可能な北海道の地形に対応するべく北部方面隊の師団特科連隊と旅団特科隊に集中配備されており、従来の旧式化した75式自走榴弾砲を間もなく完全に置き換えることになる。それにしても52口径155mm榴弾砲の砲身は、本当に長い。

Fsimg_7573 203mm自走榴弾砲、陸上自衛隊最大の火砲で、軽量な長砲身を有する技術的特色があり、90kgの砲弾を最大30km先まで到達させられる。設計はアメリカで空輸を想定し開放型戦闘室を採用、軽量化している。主に方面隊で運用され、高付加価値目標や施設攻撃といった重要局面などで火力支援に派遣されるもの。

Fsimg_7585 多連装ロケットシステムMLRS,これは203mm自走榴弾砲の後継として装備開発され、かなり高価な装備ですが陸上自衛隊は約90両を導入、当初は面制圧火器として運用されていたが、近年は単弾頭型精密誘導弾へ置き換えられ、民生被害を局限し榴弾砲のような目標制圧能力を付与されるに至りました。

Fsimg_7593 88式地対艦誘導弾、ミサイルにデジタルマップを内蔵し地形匍匐飛行で洋上に進出、射程は180kmあり内陸部に秘匿し上陸へ迫る船団を撃破でき、発射器16両で一個連隊を編成し、同時に96発を投射、三斉射分の弾薬と共に運用されています。敵からすれば、島が不沈のミサイル巡洋艦になったようなものだから、これがあれば上陸できないほど厄介でしょう。

Fsimg_7598 303観測中隊、相手からの砲撃を逆算し瞬時に敵座標を標定する対砲レーダ装置や索敵用無人ヘリコプターの運用、遠距離では弾道に大きな影響を与える気象観測などを行う部隊で、写真の車両には見慣れない標定装置のようなものが見える。後ろにみえるのは気象観測用の80式徽章測定装置JMMQ-M2だ。 

Fsimg_7603 対砲レーダ装置JTPS-P16,師団と旅団全ての特科連隊や特科隊に装備されており、この装備密度は米軍を除けば世界的に見ても例外的、40km以内の50°の範囲を警戒し、同時に18の目標を評定し、相手の砲撃と共に火砲の位置を特定、有効な反撃が出来る。

Fsimg_7616 教育支援施設隊の施設作業車、現代戦を行うには戦術研究でも施設科部隊の支援が必要だけれども、施設学校は勝田駐屯地にあり、施設科部隊の訓練体系は架橋や補給維持など全て富士学校と共通するものではなく、そして富士からは遠いため富士教導団が独自に施設教導隊とは別に隷下部隊を有していて、教育訓練を実戦的なものにしています。

Fsimg_7611 同じく教育支援施設隊の81式自走架橋柱と92式地雷原処理車、戦車や装甲車は高い不整地突破能力を有するが、それを防ぐための様々な障害による地帯行動が行われるため、施設科部隊が無ければ何も進むことが出来ない、という事も。

Fsimg_7624 戦車教導隊の観閲行進、戦車の機動力という概念を再構築させる機動力と、従来戦車を越える打撃力に正面を中心に側面を含め防御力を高めた陸上自衛隊最新装備、世界の戦車は防御力過多による重量化を進み身動きがとりにくくなる中、自動装填装置の採用で防御区画を効率化し生存性を高めたのがこの10式戦車ということ。

Fsimg_7632 10式戦車はC4Iシステムによる情報共有と共同交戦能力を付与するとともに、既に90式戦車が採用した自動装填装置と自動追尾装置を更に高度化させ、アクティヴ式サスペンションにより衝撃を抑え高い行進間射撃の連続能力を有すると共に、無段式変速機と併せ加速力も大きく向上、理想的な戦車と言えるでしょう。

Fsimg_7641 90式戦車、戦車教導隊第2中隊の戦車で、120mm滑腔砲・1500馬力エンジン・複合装甲、という第三世代戦車の三要素を有しつつ、90式戦車以外ではフランスのルクレルクやロシアのT-72/T-80戦車とその派生型が装備する自動装填装置、90式戦車以外ではイスラエルのメルカヴァⅢBAZ、メルカヴァⅣが装備する自動追尾装置を搭載する。

Fsimg_7640 90式戦車は狭隘な日本国土での戦闘を想定し、重量を50tと同世代戦車より一割程度抑えており、このため正面部分の防御は極めて高いものの側面部分の防御力は同世代戦車では初期と同程度に割り切っている。その分、打撃力を重視し自動追尾装置を搭載するほか、乗員数を3名として自動化し、その分乗員区画を各国戦車の4名分よりも抑え、有人区画を複合装甲で守る構造だ。

Fsimg_7646 戦車教導隊第3中隊の90式戦車、この90式戦車は第3世代戦車では比較的軽量であるものの本土では重く、北海道の北部方面隊へ集中配備されている。このため、先ほどの10式戦車は44tに抑えられており、現在の第三世代戦車は増加装甲により概ね63t程度となっているので、実に三割軽量ということになる。我が本土へ敵が侵攻した場合、重量の大きな戦車は運用地形が限られるため、相手の戦車が入れない地域から一方的に撃破できる、ということ。

Fsimg_7656 74式戦車、戦車教導隊第4中隊の車両、対戦車ミサイル時代の到来に際し機動力と打撃力を重視した第二世代の戦車で、地形を利用する油気圧懸架装置により車体傾斜能力を有し、地形防御を得意とする。第二世代戦車は、第一世代対戦車ミサイルであるソ連製サガー9M14でも400mm、改良型9M14P1で520mmの装甲を貫徹するため、これに耐えられる重装甲となると機動力を確保できるエンジンが無く、動けないため、防御を絞った。

Fsimg_7663 このため地形防御を活かすべく74式戦車は車体傾斜能力により地形の一部から砲塔を出して射撃を行う機能を持つ。なお、第三世代戦車はセラミックとチタン合金を併せ防弾鋼板換算で1000mm近い防御力を有する軽量な複合装甲が開発され、1200~1500馬力の戦車用エンジンへ技術的目処が立ったため防御力を両立させた。なお、74式は第二世代戦車では後発で開発されたため、弾道コンピュータを搭載するなど、注目点も多い。

Fsimg_7751 訓練展示模擬戦、ここまでアカ氏とShin氏と並んで雑談しつつ、撮影していたのだけれども、当方は別位置へ陣地転換、G-12は元の撮影位置にて託していったので、早い話、当方が見ていない情景を見事に写し取っているもの。ズームに時間が掛かり、正直G-12で模擬戦というのはなあ、とおもっていましたが、意外と撮れるのは観ての通り。

Fsimg_7731 情報収集に先行した87式偵察警戒車、暗視装置と25mm機関砲を以て敵の有無を捜索し、反応を以てその敵の規模を探す、富士教導団では偵察教導隊に装備されているもの。模擬戦だと仮設敵が限られ、実際なら偵察隊だけで撃破できそうなことも多々あったりする。

Fsimg_7755 しかし、今回の仮設敵は74式戦車の小隊に支援された歩兵部隊、87式偵察警戒車は装甲車だけれども、105mm戦車砲弾は新型砲弾により今なお侮れない威力を持ち、第二世代戦車は避弾を重視した形状の砲塔を有するため25mm機関砲では対抗できず、こんなものと遭遇すれば機動力を活かして一挙に離脱するしかない。

Fsimg_7767 特科部隊の射撃、訓練展示に何故か99式自走榴弾砲が参加しておらず、今年度の富士学校祭訓練展示は近年では小規模なものといえるやも。しかし、G-12,一眼レフになれるとズーム操作が遅くこれが気がかり、同じコンパクトデジカメでもFUJIFILM-X-10/X-20なんかはレンズをダイヤル式にズームするので、一眼レフのように感覚的に扱えます。

Fsimg_7679 航空偵察に切り替える。ちなみにこの前日を含め数日間の有無が続いており、この日も張れるのか本当に不安だったが奇跡的に晴れたもの。それでも濃霧は近づいていたようで、観閲行進と装備品展示に航空機は参加できず、この訓練展示終了後は帰ってゆきました。

Fsimg_7764
 障害除去に教育支援施設隊の92式地雷原処理車が展開、ただ、広大な東千歳駐屯地を例外として普通の駐屯地では発射できないため、発射動作のみの展示となっています。処理用爆薬投射ロケットにより地雷原を一挙に無力化するというのが、この装備の任務で戦車用通路を啓開します。

Fsimg_7779 96式装輪装甲車の展開、今回の訓練展示では仮設敵に74式戦車、攻撃側が90式戦車と10式戦車、双方ともに空包射撃を行いましたが、120mm滑腔砲用の新開発された空包は構造上仕方ないのですけれども音が軽く、発砲焔では74式戦車の砲が勝っていたといえるやもしれません。

Fsimg_7787 降車戦闘に移行するも反撃を受け負傷者が出た、という想定で負傷者の搬送も展示されました。戦車が盾となり、装甲車が後方に搬送する、というもの。96式装輪装甲車は機動力が高い音は認めるのですが、もう少し大口径機関砲弾の直撃に耐えられるような装甲車も必要ではないでしょうか。

Fsimg_7807 負傷者の改修に合わせ、富士教導団は攻撃前進に移り、増援部隊とともに相手を制圧、状況終了となりました。今年はかなりの混雑でしたが、それ以上に心配された天候がどうにかなって、当方も一定の撮影成果を収められたところ。加えて、様々な旧交を温められ、撮影を完了しました。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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第4師団創設58周年 福岡駐屯地創設62周年記念行事詳報⑪ 航空機着陸と迫力の太鼓演奏

2013-06-26 22:41:42 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆訓練展示状況終了後の駐屯地祭

 普通科部隊の突撃とともに戦車部隊の前進、これをもって仮設敵は陣地を放棄、我が方が奪還し訓練展示模擬戦の状況は前回、終了しました。

Fimg_6586_1 状況終了の号令と共に式典の完了が放送され、招待者は祝賀会食会場への誘導が開始、初夏の快晴の下で他の来場者も飲み物売り場や自販機へ、装備品展示会場や或いは装備品展示会場へ、と歩み始める最中、AH-1S対戦車ヘリコプターのローター音が聞こえてきます。

Fimg_6536_1 そして先ほどの訓練展示仮設敵陣地の奥からは82式指揮通信車が、さては先ほどの訓練展示の結果に不満がある仮設敵増援部隊が逆襲してきたのでしょうか、状況再開ッ!、と、まあ、そんなわけはなく、こちらは装甲車体験乗車の様子で、車上には見学者の姿も見える。

Fimg_6598_1 AH-1Sは、地上展示へ、福岡駐屯地へ着陸してきたのでした。目達原駐屯地の機体ですが、福岡駐屯地の式典会場であれば、ヘリコプターは充分着陸できるため、この式典会場、本来のグラウンドとして使える訓練展示終了後に装備品展示へと着陸してきたわけです。

Fimg_6610_1 この日は五月なのですが、流石というべきか、九州は暑かった、しかし、式典終了後でしたので、来賓用のテントと座席が開放されたので、テントの下で椅子に座りながらの撮影です。小型の折畳椅子は飛行機で持ってきているのですが、座ってみると来賓席、やはり椅子は大きい方がいい。

Fimg_6658_1 ヘリコプターの着陸と前後して、太鼓演奏、式典前にも行われていましたが、行われました。腕力と統率については折り紙つきで、各駐屯地の太鼓保存会から参加がありました。この種の太鼓では年間を通じて練習ができ、継続的に全員集まっての演奏、自衛隊は日本最大の太鼓保存機関なのでは、と毎回太鼓の演奏の水準の高さに感心します。

Fimg_6665_1 対馬元寇太鼓も、対馬元寇太鼓は、韓国最強の王という世宗大王が18000名の大軍で対馬を攻めた1419年の応永外冦にて、対馬領主宗貞盛が手勢600名を以て果敢に反撃、戦力差30倍をものともせず、朝鮮の和議の申し出も去らねば元寇と同じく皆殺し、と突っぱね、対馬を守り切ったことで有名ですが、その宗家の館跡が今の対馬駐屯地、太鼓も直接かは不明ですが当時からの伝統があるものです。

Fimg_6556_1 UH-1J多用途ヘリコプターも着陸してきました。地上で誘導している隊員の姿が見えます。対馬への侵攻があった際には第四師団隷下の対馬警備隊が対処すると共にこのUH-1が、第四飛行隊と西部方面航空隊より増援を以て対馬に駆けつけるのでしょう。ただ、対馬警備隊はレンジャーが多い自衛隊の最精鋭部隊の一つ、応永外冦を考えると、さっさと増援に展開しなければ対馬警備隊だけで片付けてしまうかも。

Fimg_6566_1 この写真もテントの下の座席から撮影したのですが、日差しは凄いものの敷けが少ないので日陰に入るだけで気持ちいい、そして先ほど買った冷えたお茶が美味い。ただ、幾列にも並ぶテントの下の座席、快適かもしれないけれども、後ろの方に座った人は何も見えないような気もしますね。

Fimg_6642_1 続いてOH-6D観測ヘリコプターが、この機体を貼ると誰とは言いませんが、BK-117で置き換えるべきでエンジンはどれこれが良い、とかUH-1の写真を貼るとOH-1のエンジンをUH-1に移植させろ、と勝手に持論を押し付けてくる方がいますが、正直凄く迷惑です、BK-117なら他に該当記事があるのだからそこに書き込めばいいのだし、変に無関係なことを書き込まれると他のコメント投稿者を萎縮させてしまうので迷惑、自覚してくれないと困る。

Fimg_6647_1 と、まあ、この写真を撮影した時にはそんなことは考えずパチパチとっていたのですが、お隣のご老人、ご家族でお見えの方のようですが世間話に意気投合しまして、このあたりや宿泊した久留米のあたりの名物や名所旧跡など、いろいろ教えてもらいました、今度はしっかり観光もしたいぞ。

Fimg_6656_1 着陸した航空機はエンジンを停止すると、地上展示の準備を開始します。ちなみに車両や火砲の装備品展示会場は別の場所、正確には正門からこの式典会場までの途中に用意されています。なかなか見ない装備やここだけの部隊マーキングもあり、しかし撮影位置確保の方が重要だ、と示威店前には見るのを断念したところです。

Fimg_6522_1 さて、ご老人と弾んだお話も余り長く引き留めては、とお開きにして、ご縁があればまたお会いしましょう、と挨拶し、こちらも展示の装備品を撮影するべく移動を開始します。先ほどの太鼓演奏の部隊が撤収しているところに出合いました。

Fimg_6676_1 AH-1S,地上展示の準備が完了しましたので、グラウンドへ立入が出来るようになりました、背景の空には旅客機が飛んでいますが、これは福岡空港が近いから、空港ビルまでは6kmほど、空港敷地滑走路の端までは3kmくらい、ちなみに新幹線の博多駅までは空港までと同じ約6kmです。

Fimg_6677_1 駐屯地最寄駅はJRだと南福岡駅、西鉄だと雑餉隈駅、駐屯地すぐ隣には、航空自衛隊西部航空方面隊司令部の展開する春日基地があります。福岡駐屯地の災害派遣初動車両、装備品展示会場へ向かう途中に並んでいるのが見えました。

Fimg_6684_1 この写真は東日本大震災の翌年、ここ福岡駐屯地からも東日本大震災へは災害派遣部隊が出動し、様々な任務に就いた、という話を装備品展示にて隊員さんから聞くことができました。これについては、書きだすと長くなりますので、次回紹介することとしましょう。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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