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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】厚木基地フレンドシップデイ米海軍航空百周年【4】基地散策(2011-09-11)

2018-01-28 20:03:57 | 在日米軍
■厚木基地一般公開の活況
 厚木基地フレンドシップデイ米海軍航空百周年、第四回は列線展示から保存展示機地区等を巡る。

 第五空母航空団は、原子力空母ロナルドレーガンの艦載機部隊です。空母ミッドウェー、空母インディペンデンス、空母キティーホーク、原子力空母ジョージワシントン、原子力空母ロナルドレーガン、と空母は除籍や整備で交代しても空母航空団はそのままでした。

 第五空母航空団の編成は、2018年の時点では第102戦闘攻撃飛行隊、第27戦闘攻撃飛行隊、第115戦闘攻撃飛行隊、第195戦闘攻撃飛行隊、第141電子攻撃飛行隊、第125早期警戒飛行隊、第12洋上戦闘飛行隊、第77洋上攻撃飛行隊、以上から編成されています。

 第102戦闘攻撃飛行隊、愛称は“ダイヤモンドバックス”、F/A-18F戦闘攻撃機を運用しています。機体番号100番台を冠したF/A-18Fを運用しており、この100番台の機体番号はモデックスナンバーで、空母甲板で一見して所属飛行隊が分かるように付与されています。

 第27戦闘攻撃飛行隊、愛称は“ロイヤルメイセス”、F/A-18E戦闘攻撃機を運用する部隊です。モデックスナンバーは200番台を付与されており、海軍空母航空団は稼動戦闘機12機を定数としており、予備機等も含めF/A-18E/F 戦闘攻撃機が13機が配備されている。

 第115戦闘攻撃飛行隊、愛称は“イーグルス”、モデックスナンバーは300番台です。F/A-18E戦闘攻撃機を運用している。空母航空団飛行隊定数は空軍や航空自衛隊飛行隊より少ない。しかし航空団隷下の飛行隊数全体が多く航空団を構成する戦闘機数は同等かそれ以上だ。

 第195戦闘攻撃飛行隊、愛称は“ダムバスターズ”、モデックスナンバー400でF/A-18E戦闘攻撃機を運用する。今回掲載の写真は改編前で、当時はF/A-18C/D等も残っていました、海軍は実に年間50機以上ものF/A-18E/Fを調達し、空母航空団の近代化を進めています。

 第141電子攻撃飛行隊、愛称は“シャドウホークス”、モデックスナンバーは500番台で、EA-18G電子戦攻撃機を運用する飛行隊です。今回の掲載写真を撮影しました2011年当時はEA-6電子戦機を装備していました、しかし現在はF/A-18E/F派生型へ統合されている。

 第125早期警戒飛行隊、飛行隊愛称は“タイガーテイルズ”、自衛隊も採用、最新鋭のE-2D早期警戒機を装備するモデックスナンバー600番台の飛行隊です、2017年に第5空母航空団へ編入されていまして、この2011年当時は機種もE-2C早期警戒機を運用しています。

 第12洋上戦闘飛行隊、モデックスナンバーは610番台で愛称は“ゴールデンファルコンズ”、MH-60S多用途補給支援ヘリコプターを装備しています。攻撃の名を冠したヘリコプター部隊ですが、対潜哨戒等は主任務ではなく戦闘捜索救難任務や艦隊輸送任務に用いるもの。

 第77洋上攻撃飛行隊、モデックスナンバーは700番台で愛称は“セイバーホークス”、MH-60R統合多用途艦載ヘリコプターを運用、LAMPS軽量空中多目的システムの運用を担う対潜ヘリコプターでありミサイル誘導や対水上攻撃等を担うヘリコプター部隊です。

 飛行隊ごとに厚木基地一般公開では飛行隊パッチや飛行隊識別帽等、各種グッズが発売されています、パッチは1000円から2000円程度、識別帽は2500円から高くとも4000円程度となっています。一般公開でしか入手できず、これが航空機愛好家の一部を惹きつける。

 毎年確実に販売されているのではなく、運用する機種が新型となればパッチも当然新型に置き換わる、また、ローテーションで航空団から飛行隊が別の航空団へ移管され米本土へ帰国する事もありますので、日本国内で欲しい人は飛行隊が交替で帰国する前に揃えたい。

 ミッドウェー艦載の第五空母航空本国内で、というよりもアメリカ本土以外で唯一常時観る事が出来る飛行場という事で首都圏航空機愛好家は時間を見つけ自慢の撮影機材を基地周辺に並べました。米海軍公式、と非公式の艦載機応援団体が写真集を多く出しています。

 京都から厚木基地、といいますとあまりなじみがありません。山口県の岩国基地よりは厚木基地の方が距離では近いのですが、京都からは航空自衛隊小松基地や岐阜基地、小牧基地、陸上自衛隊の八尾駐屯地や明野駐屯地、海上自衛隊小松島航空基地の方が馴染み深い。

 この厚木基地ですが、2011年当時はそれ程、保安検査が厳しいという印象は無く、アメリカ大阪神戸総領事館や防衛省本省と比べれば、という印象です。しかし、昨今では本籍地記載運転免許証や住民基本台帳、旅券等により確実に国籍を証明しなければなりません。

 横田基地や横須賀基地では抽出検査となるのですが,運転免許証ICカード式への移行に伴い本籍地確認には所轄警察署が管理する暗証番号が必要となり、また住基ネットカードを置き換えるマイナンバーカードが国籍を証明できず、国籍確認用に用いる事が出来ません。

 横須賀よりも保安検査が厳重、というのは入場者全員が国籍証明を行う点にありまして、しかもエアバンドレシーバー持ち込み禁止等の制限もあります。この事を非難する訳ではないのですが、日本の身分証制度が一枚で確実に身分証明できるシステムの不備が寂しい。

 普天間飛行場と比べれば厚木基地の入場はまだ、厳しすぎない、という声もあります。沖縄の普天間飛行場は、移設問題に揺れる最中ですが、年度によっては一般公開の際に一眼レフが禁止、一定以上の望遠レンズが禁止、という年度があります。コンパクト機種のみ。

 嘉手納基地ではそれほどの制限がありませんし、同じ海兵航空部隊の岩国基地でも制限は無し。しかし、一眼レフを愛用するユーザーにはコンパクト機種を必ずしも携行はせず、望遠ズームならば下手なズームレンズよりも超望遠を想定したコンパクト機種もある。

 自衛隊の基地では、一般公開に限れば基本的に撮影機材は脚立使用制限や三脚制限というものはありますが、機材に関しては規制がありません。入口で駄目です、と云われる可能性を考えますと、ちょっと縁遠くなる印象、それならば事前応募制にしては、とさえ思う。

 まあ、いろいろあるのですが、厚木基地は活況です。近年では周辺自治体からの騒音苦情から一機たりとも編隊飛行や機動飛行等飛行展示を行う事は出来ないものの、実任務飛行を一般公開の時間帯に併せて離陸する、一種の展示飛行代替のような工夫を行っています。

 厚木基地の難しい位置づけは首都圏近郊で、周辺には横浜市と川崎市に相模原市という政令指定都市が並ぶ中で、空母航空団を配置している点です。飛行場は通常1800mの滑走路を有しますが、空母の全長は330mに過ぎず、頻繁な陸上空母発着訓練が必要となります。

 墜落事故の懸念は常にありますし、実際過去には海軍航空隊のファントムが市街地へ墜落する事故が発生しており、万一再発したならば、周辺人口の増大から死傷者数が一桁多くなる懸念がありまして、一回でも事故が起これば。日米同盟そのものを揺るがしかねない。

 岩国航空基地への第五空母航空団移転事業は2005年の米軍再編日米政府間合意により決定しました。同時に決定した普天間飛行場移転事業は地元住民反対で頓挫していますが厚木からの岩国移転は岩国拡張工事完了と共に開始されており、厚木基地は現在転換期にあります、こうした中、敢えて2011年の活況を掲載しました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】厚木基地フレンドシップデイ米海軍航空百周年【3】地上展示(2011-09-11)

2017-12-17 20:12:55 | 在日米軍
■F/A-18Eスーパーホーネット
 F/A-18E戦闘攻撃機、愛称スーパーホーネット、ライノ、厚木航空基地と移転先の岩国航空基地でも空母航空団を象徴する戦闘機です。

 F/A-18Eは航空自衛隊次期主力選定においても候補となりました、F/A-18Eは結局開発メーカーであるボーイングがF-15Eへ候補を一本化する為、早々に取り下げられる事となりましたが加速性と機動性に他の機種へ一歩譲るもののF/A-18Eの搭載力と発展性は高い。

 次期戦闘機としてのF/A-18Eですが航空自衛隊が当面必要としていた機数として42機を提示していた点から、もともとF/A-18Eが望み薄であったことは確かです、航空自衛隊の他の装備体系とまったく適合しませんし、F-35のように少数運用を念頭とした設計でもない。

 F-35は第五世代という新世代戦闘機であり、F/A-18Eは4.5世代戦闘機と既存機種を拡大改良した機体でしかありません、そして42機のためだけに補給体系を整備する事は現実的でもありませんし、遠い将来F-15J戦闘機の後継機が必要となる時期には陳腐化している。

 しかし、F/A-18Eは幾つかの視点から42機という機数に限らず広く後継機選定を実施していたならば、条件は転換したと考えています、即ちF-4戦闘機後継機に留まらず、RF-4偵察機の後継として、また航空自衛隊が必要性を度々示唆する電子戦専用機として、という。

 偵察機は予備機含め40機程度の需要がありますし、専用電子戦航空機は現在C-1改造のEC-1電子戦訓練支援機を用いていますが専用機が確保出来れば有事の際の電子戦に加えてレーダーサイト等への文字通り実戦的な訓練に用いられ、電子戦機と偵察機で60機となる。

 対領空侵犯措置任務緊急発進も選定当時は2016年の1100回という激増する状況ほど深刻なものではありませんでした。そして現在の新戦闘機調達は42機に抑えられていますが、これは現在程中国北朝鮮と周辺情勢が緊迫化する事を必ずしも想定していなかったのです。

 偵察航空隊を増強し、偵察ポッドを搭載したF/A-18Eを配備しておけば、有事の際には防空支援任務にも用いられる、実際偵察機としてのF/A-18Eは、2011年の東日本大震災において第8空母航空団のF/A-18Eが偵察ポッドにより被災地情報を収集、提供してくれた。

 電子戦専用機はEA-18GというF/A-18Fの派生型が充てられていますが、電子戦器材を日本にそのままアメリカが提供し、内部情報を提示するというほど楽観的には考えられません、防衛装備庁が開発している電子戦器材をF/A-18Fに搭載するという方式が現実的です。

 航空総隊司令部直轄部隊として、試案としての一例ですがF/A-18Fの偵察航空隊と電子戦航空隊から成る総隊司令部航空団、というようなものを編成し配備するならば戦闘機用と併せ100機程度のF/A-18Eが必要となり、年産15機程度というライセンス生産が出来た。

 42機では現在の新戦闘機F-35では三菱FACOとして最終組み立て施設を日本国内に配置し、ノックダウン生産を行うのみです。航空機稼働率を維持するためには国内での最大限の整備基盤と国内に予備部品供給基盤が必要で、その為にはライセンス生産が望ましい。

 このライセンス生産ですが42機で製造終了する機体に対し完全に実施するのは非効率です。毎年数機の生産では関連メーカーが生産ラインを維持不能で、それこそ5機や6機では採算が合わない。月産1機でも採算を割り、現実的には年産15機から17機が採算点とも。

 財務省はF/A-18Eを推していた、と仄聞した事があります、自衛隊次期戦闘機選定の中に在って最も格安の機種であったのが理由という。仮に数を揃えなければならない状況となれば、増勢は財務省が最も反対の施策でしょうが、結局F/A-18Eに収斂していたでしょう。

 F/A-18E/Fは第4.5世代戦闘機に過ぎませんが、同数程度であれば中国空軍のSu-30戦闘機も同世代機である為、充分対抗できます。そしてF/A-18E/Fであればライセンス生産を行う事で日本国内に高稼動率の基盤を構築できる、意味は限られた機数で対抗できること。

 稼動率は重要な問題です、稼動率50%の場合は戦闘機100機が必要な場合に200機を揃えなければなりません、半数は飛べないものの整備員と操縦士は確保せねばならない為に維持費も高騰する、しかし稼働率を95%まで高められるならば100機飛行には106機で済む。

 同型機を輸入で安価に取得するが必要なのは100機なのに200機を揃える事は軍拡にも映りますし、財務当局へも国民へも軍拡ではなく現状維持だが配備数は大幅に増やしている、という実情を説明させねばなりませんし、飛ばない飛べない航空機維持の費用も負担です。

 半数のみが飛行できるという稼働率50%ですが、ちょうど韓国空軍や台湾空軍のF-16がこの程度となります、欧州NATO諸国はもう少し高く75%程度ですが、これは欧州全体で共通運用基盤として部品プールと相互整備支援協定を軍事同盟のかたちで締結しているため。

 航空自衛隊が韓国空軍や台湾空軍と出来ればタイ空軍やマレーシア空軍、インドネシア空軍と同型戦闘機を採用し、集団的自衛権行使の問題を解決した上で同盟条約の機能を果たす相互支援体制を設け、運用プログラムや共通運用基盤を整備したならば、直輸入で済む。

 ただ、防衛費の抑制よりも憲法上の一国平和主義の堅持がまだまだ日本国内では優先されますので、この選択肢は現実的ではありません。すると、結果的に一国自己完結の防衛力整備を目指す事となり、調達はライセンス生産と重ね国産開発へと収斂してゆく訳ですね。

 F-35を新戦闘機として導入する我が国ですが、F-35の共通運用基盤は専守防衛と一国防衛主義の限界を示すものともなります。可能性ですが三菱FACOにおいて整備される器材は豪州空軍のF-35や、韓国政府が懸念していますが韓国のF-35も受け入れる余地はある。

 F-35の三菱FACO設置は日本が開発参加国でもなく、優先顧客でもないにもかかわらず設置に漕ぎ着けた点で、日米交渉を相当入念に実施し、日本側の要望と必要な稼動率や運用思想と運用基盤を必要とする我が国防衛政策の丁寧な説明と交渉が反映されたのでしょう。

 三菱FACOを一つの成果といえる我が国ですが、しかしF-35の計画時点で日本が参加する可能性を模索すべきでした。ただこれは武器輸出三原則の当時の運用である第三国供与禁止により多国間国際共同開発への参加を自らその可能性を拒否していたことに起因します。

 F-35の国際開発に参加しているならば、勿論、開発費高騰と開発遅延は当然のように国会において追加負担の可否を大きな議論の対象としたでしょうし、第三国供与への多国間国際分業に基づく日本によるF-35生産参画へは神学論争のような激論を呼んだかもしれない。

 F/A-18E/Fという選択肢は、そうした意味で無難な選択肢、となっていたのかもしれません。安価ですし、それなりに使えます、ただ、その条件は現在の様に情勢が緊迫化し、最低100機、戦闘機以外の支援用に更に100機程度の調達を短期間で行う場合に限ります。

 防衛計画の大綱は270機の戦闘機により日本を防衛出来得るとしています。すると稼動率が半分まで低下した場合は、予備機と訓練機等で540機が必要となります。しかし大綱の整備目標を上限と解釈する風潮からこの整備は現実的ではなく、運用基盤が重要となる。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】厚木基地フレンドシップデイ米海軍航空百周年【2】列線巡行(2011-09-11)

2017-12-03 20:05:44 | 在日米軍
■第五空母航空団艦載機列線
 厚木基地フレンドシップデイ米海軍航空百周年、前回に続き列線を巡行してゆきましょう。

 アメリカ海軍航空母艦空母航空団拠点としての厚木基地は1973年の空母ミッドウェー横須賀前方展開が決定した事を受けての施策、ヴェトナム戦争での親米南ヴェトナム敗北を受け、アジア地域での共産主義勢力拡大阻止へ北東アジア地域の重要性を認識した為です。

 空母ミッドウェーは第二次世界大戦中末期に建造され、仮に太平洋戦争が長期化していたならば太平洋戦線に投入されていたであろう大型空母、当時量産されていた大型空母であるエセックス級をさらに上回る規模を有しています。これが横須賀へと前方展開しました。

 F-4N戦闘機は1973年より厚木基地へ前方展開する事となります。当時航空自衛隊にはF-4E要撃機が最新鋭戦闘機として配備開始、F-104戦闘機が数の上で主力であり、朝鮮戦争時代のF-86も支援戦闘機としてまだ維持されていた時代に、厚木へF-4Nがやってきた。

 F-4J戦闘機が1977年より第五空母航空団へ配備となり、厚木基地へと前方展開しました。1977年と云いますと航空自衛隊では国産初の超音速戦闘機である三菱F-1支援戦闘機が完成し、漸く老兵で旧式、支援戦闘機としてのF-86が置き換えられてゆく時代にあたります。

 F-4S戦闘機が第五空母航空団へ配備されたのは1981年、この年は航空自衛隊の転換期の年度でもあり、F-15J戦闘機初号機が岐阜基地へ到着した年度でもあります。F-4Sはアメリカ海軍が最後に制式化したF-4戦闘機改良型で、レーダー性能が大幅に強化されました。

 A-7攻撃機も1973年より1986年まで配備されています、コルセアⅡの愛称で知られる攻撃機は、サイドワインダー空対空ミサイルを搭載し制空戦闘も展開可能な攻撃機で爆弾搭載量は後継機のF/A-18Aホーネット戦闘攻撃機よりも大きく、議会で問題視されたほど。

 A-7E攻撃機はA-7A攻撃機の電子機器を一新した改良型としてアメリカ海軍へ配備され、1977年より交替しました、小型で小回りが利くと共に爆弾搭載量が大きく空対空戦闘が可能である、この性能はアメリカ空軍が戦術対地攻撃機として検討するなど、評価は高い。

 A-6攻撃機も1973年より第五空母航空団の一員として厚木へ前方展開しました。イントルーダーの愛称で知られるA-6攻撃機は地形追随装置や精密航法装置と精密爆撃計算機を搭載し、空中戦には対応しませんがアメリカ議会が海外供与禁止筆頭に挙げた機体のひとつ。

 A-6B攻撃機から第五空母航空団厚木前方展開に参加していまして、夜間低空攻撃能力を持つ貴重な攻撃機として位置付けられています。爆弾搭載量8t、対艦ミサイルハープーンを4発搭載し対艦攻撃も可能であり、戦術核B-61の運用も可能、航空母艦打撃力中枢を担う。

 A-6E攻撃機は1991年まで厚木基地へ前方展開しています。複合高感度光学照準装置、レーザー誘導爆弾用照射機,TRAM目標探知攻撃複合センサーを追加搭載し電子装備も一新したもので、亜音速機故に軽視されますが航続距離も5200km、今日でも通用する性能です。

 EA-6プラウラー電子攻撃機としてA-6イントルーダーの派生型はつい最近まで現役となっていました、それだけA-6攻撃機の基本設計は優れていたのですが、後述するF/A-18の基本設計が超音速時代にふさわしくEA-6EAはEA-18グロウラーにより代替され今に至る。

 F-14A戦闘機は空母ミッドウェーでは運用不能でした。ミッドウェーは第二次大戦末期の設計で、大戦中の主力大型空母エセックス級は1950年代末期の設計であるF-4戦闘機を搭載出来ず小型のF-8クルセイダー戦闘機に甘んじた、しかしミッドウェーにも限界がある。

 F/A-18A戦闘攻撃機は1985年にF-4戦闘機の後継機として導入されました。F-14は搭載出来ないものの、いつまでもF-4運用を継続する訳にはいきません、搭載能力でA-7やA-6に一歩引く機種ながら開発後中距離空対空ミサイル運用能力付与により空戦能力を高めた。

 F/A-18A戦闘攻撃機は最盛期、空母ミッドウェー艦上に3個飛行隊が、海軍航空隊の飛行隊編成は空軍や航空自衛隊の飛行隊編成より小規模で、海上自衛隊の飛行隊に近い規模ですが並んでいた訳です。しかし、空母はミッドウェーからインディペンデンスへ替わる。

 インディペンデンス前方展開により日本周辺の海軍力は大きく転換しました。同時期にアメリカが百年以上アジアの海軍拠点としていたフィリピンのスービック海軍基地がピナトゥボ火山噴火に伴う情勢変化でフィリピンへ返還され、横須賀のポテンシャルが高まった。

 フォレスタル級航空母艦4番艦として1959年に竣工したインディペンデンスは、初代国防長官となったフォレスタル海軍長官時代の超大型航空母艦構想により端を発するもので、単なる海軍の位置戦力投射手段から核戦力拠点を含む戦略兵器へと昇華した最初の型式だ。

 F-14A戦闘機の厚木基地前方展開は、空母インディペンデンス横須賀前方展開と同時、1991年に実現します。F-14A戦闘機は長射程のAIM-54空対空ミサイルと同時複数交戦能力により極めて高度な防空能力を有し、可変翼を採用するあの優美な機体は今なお郷愁を誘う。

 F-14A戦闘機の厚木時代は、しかし短かったようで、1991年に前方展開を開始しましたが2003年にアメリカ海軍航空隊はF-14A戦闘機の主任務である艦隊防空任務がイージス艦により大半を実施でき、戦闘爆撃機であるF/A-18E戦闘機を後継機とし退役することになる。

 F-14A戦闘機が厚木基地へ、仮に冷戦時代に前方展開していましたらば、北海道への北方有事の際には同盟国アメリカ海軍航空隊の強力な抑止力が、首都東京への軍事圧力に対しての無言の鎮めとなったようにも思います、アメリカ空軍のF-15は沖縄に居ましたからね。

 F/A-18C戦闘攻撃機は1991年に前方展開となりました、F/A-18A戦闘攻撃機の改良型で海兵航空部隊へも配備されている機種です。中距離空対空ミサイル運用能力を有し、世界を見ればこのF/A-18C戦闘攻撃機を防空任務への主力とする空軍も少なくはありません。

 F/A-18C戦闘攻撃機は、スペイン空軍やオーストラリア空軍とカナダ空軍などなどアメリカの同盟国が運用していますし、中立政策で我が国でも平和第一主義を掲げるフィンランド空軍やスイス空軍が運用しています。対地攻撃能力と防空能力など、均衡が取れている。

 F/A-18E戦闘攻撃機は2004年より第5空母航空団へ配備されました。F/A-18E戦闘攻撃機の設計はF/A-18C戦闘攻撃機の機体規模を大幅に大型化し、低視認性としてステルス性を強化した新世代戦闘機です。空気取入口形状等が新旧で全く違うのが顕著な識別点です。

 F/A-18E戦闘攻撃機の設計は多用途性を重視しており、空母航空団の打撃力強化へ大きく寄与しています。一方、機体構造重量の増大に対しエンジン出力増大が追いつかず、新旧比較し、加速性能や運動性で劣っている点がある。なにやらA-7とF/A-18Aを思い出す。

 F/A-18E戦闘攻撃機は現在第五空母航空団の主力として実に四個飛行隊が配備されています。ミサイルキャリヤーとしてミサイル運用能力を重視しているとも言われますが、しかし、格闘性能も相応に高く、機体の拡張という点ではF-16CとF-2の関係に似ていますね。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】厚木基地フレンドシップデイ米海軍航空百周年【1】基地入場(2011-09-11)

2017-11-12 20:00:39 | 在日米軍
■第五空母航空団日米友好行事
 アメリカ海軍100周年行事として行われました厚木航空施設第五空母航空団日米フレンドシップデイ、今回からその様子をお伝えしましょう。

 厚木基地、といいますと海上自衛隊厚木航空機とを示すと同時にアメリカ海軍厚木航空施設を意味します。厚木航空祭はWINGSとして2000年まで盛大に行われ、二日間で実に56万名という小さな政令指定都市並みの来場者で大いに賑わった事で知られるところです。

 アメリカ海軍空母航空団の海外における唯一の拠点でもある厚木基地は、神奈川県に位置し、横須賀基地へ前方展開するアメリカ海軍航空母艦、海外へ前方展開するのはフィリピンスービック基地閉鎖以降、日本が唯一となっていますが、この重要な艦載機の拠点です。

 厚木ウイングス、厚木基地航空祭は2000年を最後に実施されていません。2001年同時多発テロ以降の対テロ警備問題、更に首都圏の厚木基地が抱える重大な周辺人口増大に伴う騒音問題により、航空基地祭が出来なくなってしまった、という厳しい事情がありました。

 さくら祭り、として厚木基地は毎年春にアメリカ海軍が、そして秋に海上自衛隊が航空基地を一般開放していました。昨今は日米共同開催となり一回のみとなっていますが、規模は大きく縮小され、飛行展示は実施されないものの、地上展示を中心に実施されています。

 今回紹介します厚木基地日米友好祭は2011年9月10日に実施されました。九月とはさくら祭りも大きく移動したものだ、と思われるかもしれませんが、2011年3月11日東日本大震災により厚木基地は首都圏における横田基地と並ぶ重要な米軍拠点となっていました。

 東日本大震災は先進国で一日に一万数千もの人命が失われ数万の人命が危機に曝されるとともに世界最悪規模の原発事故を誘発という、第二次世界大戦後では戦災を含めて空前の大災害であり、アメリカ軍も四軍合同対日支援作戦“トモダチ作戦”を展開していました。

 アメリカ海軍は自衛隊の10万名規模の災害派遣を航空機や情報収集などでの支援を行うと共に、自衛隊が展開した事で顕在化の徴候があった周辺国による日本周辺海域での軍事行動へ空母戦闘群を含めた膨大な戦力で抑止し、結果自衛隊は災害派遣に専念出来た訳です。

 厚木基地へ話題を戻しますと、2011年は四月下旬や五月上旬に例年行われている厚木基地さくら祭りを開催できる情勢では無かった訳です。実際、当時の菅内閣、厚木の直前まで菅内閣でしたが、原発事故の情報を充分開示させず世界から大きな疑念を集めていたころ。

 アメリカ政府は名古屋京都以東の地域からの自国民退避の可能性を示唆し、時際のところ福島第一原発事故が制御不能となった場合、東京や仙台は今世紀いっぱい人が住めなくなるのではないかと真剣に危惧された時期であり、そんな時期にさくら祭りは開催できない。

 厚木基地日米友好祭は、これら事故が一旦は鎮静化し、九月に改めて実施する事が出来た訳です。なお、菅内閣はこの二週間前の8月30日に総辞職、当時の民主党代表選により野田新総裁が当選、衆議院首班指名選挙において野田内閣が指名された、そんな時期でした。

 綾瀬市と大和市に位置する厚木基地は、総面積506.9 ヘクタールという広大な敷地にあり、滑走路は2450m、アメリカ海軍第5空母航空団と海上自衛隊航空集団司令部が置かれています。飛行場施設は広大ですが滑走路を挟み、海上自衛隊とアメリカ海軍が共用している。

 相模鉄道本線さがみ野駅より徒歩20分、という立地にありまして、都心からも小田急線を相鉄線に乗り換え、気軽に足を運ぶことができる航空部隊行事です。WINGSの二日間来場者56万、と聞くと一歩引いてしまいますが、現在は飛行展示も無く往時程は混雑しない。

 日本海軍が1938年に建設した厚木飛行場が現在の厚木基地の始りです、厚木海軍航空隊がおかれると共に首都防空に活躍した厚木第302海軍航空隊が展開しています。しかし1945年の終戦と共に厚木航空部隊は終戦を拒否し単独交戦継続を宣言、厚木事件が発生します。

 厚木事件は航空部隊指揮官のマラリア悪化に伴い自然鎮圧となり、厚木基地の太平洋戦争は終り、8月28日にマッカーサー連合軍総司令官が専用機により厚木基地へ到着、日本への第一歩を歩む様子は歴史教科書にも載る今への日本戦後史への第一歩ともなっています。

 アメリカ陸軍航空軍第3爆撃群、第49戦闘群、第374輸送群が展開し東京周辺の哨戒任務に当たると共にフィリピンより第5戦闘機軍団夜間戦闘飛行隊が展開します。意外にもこの頃の厚木は陸軍飛行場であり、キャンプ座間第二野外物資集積所としても機能しました。

 アメリカ海軍飛行場としての厚木基地は1946年の木更津飛行場アメリカ海軍航空運輸支援集団厚木移転により始まりました。1949年には完全撤収検討が本格化しましたが1950年の朝鮮戦争勃発に伴い横須賀基地や横浜港等に近い厚木基地は最重要施設へと転換します。

 エセックス級空母が大量に維持されていたアメリカ海軍は、日本海軍より接収した横須賀基地へ複数の空母を前方展開させ、この空母艦載機の整備補給拠点や陸上訓練拠点として厚木基地は重要視されるとともに拡張工事を実施、朝鮮戦争中に現在の規模となりました。

 海上自衛隊創設後も厚木基地の重要性は変化せず、多くの空母艦載機が配備されていたことから海上自衛隊草創期には訓練以外での厚木基地使用は実現せず、厚木基地は長くアメリカ海軍航空隊専用の飛行場という位置づけで、朝鮮戦争停戦後はヴェトナム戦争が始る。

 ヴェトナム戦争期にはアメリカ海軍は常時三隻程度の航空母艦を南ヴェトナム沖に遊弋させる通称“ヤンキーステーション”を展開させ、北ヴェトナム空軍への航空優勢維持や近接航空支援、航空阻止任務へ空母航空団はその威力を最大限に発揮することとなりました。

 フィリピンのスービック基地はヴェトナム戦争時におけるアメリカ海軍の最大拠点となっており、特にスービック基地は太平洋戦争会背に膳からのアジア地域におけるアメリカ海軍の拠点で、朝鮮戦争時の最前線であった横須賀基地は今度は後方拠点となっていました。

 1968年にヴェトナム化政策として、ヴェトナム戦争におけるアメリカ軍の関与を順次縮小し北ヴェトナム軍への対処を南ヴェトナム軍へ移管する施策が進められますと、同時にアジア地域でのアメリカ海軍行動は徐々にその必要性を低下させる事となり、厚木も変化が。

 香港にイギリス海軍拠点が維持され、オーストラリア海軍に航空母艦があった時代、第二次世界大戦後にアメリカが運用を開始した横須賀基地や厚木基地よりも、戦前からの拠点であるスービック基地への回帰する動きが顕在化します。ただ、全て返還のリスクは高い。

 アメリカ海軍は日本への厚木基地返還を提示すると共に、厚木基地の民有地移行へは懸念を表明しました、要するにアジア情勢の転換により厚木基地を米海軍が必要とする状況は一時縮小するが、朝鮮半島有事や台湾海峡有事の際には再度使用する、という視点ですね。

 海上自衛隊航空集団司令部は、当時千葉県の下総航空基地に置かれていました。アメリカ海軍の撤収意向を受け、海上自衛隊は航空集団司令部を厚木へ移駐し、下総には航空教育集団司令部を置く方針を提示、これにより日米共同の厚木基地という歴史が始まりました。

北大路機関:はるな くらま
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アメリカ合衆国海兵隊キャンプ富士日米フレンドシップデイ二〇一六(2016-05-07) X-20撮影速報

2016-05-08 23:18:36 | 在日米軍
■キャンプ富士2016
 ゴールデンウィークの5月7日、静岡県御殿場市のアメリカ海兵隊キャンプ富士日米フレンドシップデイ二〇一六が開催されました、LAV-25,AAV-7,M-1161,M-777様々な装備が展示されましてその様子を紹介しましょう。

 LAV-25はアメリカ海兵隊が1982年に軽装甲車計画として導入した装甲車両で、スイスのモワク社が開発したピラーニャ装輪装甲車をGMカナダ社がライセンス生産中でカナダ軍へ納入されていた装備を原型として25mm機関砲を搭載する軽装甲車として制式化されました。海兵隊はLAV-25を758両調達し、内422両が25mm機関砲搭載型となっています。車幅は2.5mと日本の道路運送車両法に適合するほど小型であり、C-17輸送機には6両も搭載可能です。

 M-242機関砲はLAV-25の主武装で、全溶接構造を採用するLAV-25の重量は12.79tと非常に軽量に抑えられています。これはCH-53重輸送ヘリコプターでの吊下げ空輸を念頭とした設計であり、GMデトロイト社製ディーゼルエンジンは装輪装甲車として時速100km/hという高い路上速力を誇ると共に668kmの航続距離を誇ります。加えて9.7km/hでの水上浮航能力を有し、沿岸部での自走航行も可能、と。

 海兵隊におけるLAV-25の任務は海兵軽装甲偵察中隊での機械化戦闘任務で、車体後部には背合わせ式に左右各3名の6名が乗車可能となっています。車長、砲手、操縦手、以上乗員は3名で車長は分隊長を兼ね下車戦闘を指揮する。一方、1990年代後半よりLAV-25の延命計画が開始され、25mm増加装甲を設置し14.5mm重機関銃弾への耐弾性を付与するなど生存性を向上させ、暗視装置を熱線暗視装置へ換装し夜間戦闘能力を近代化しました。

 LAV-M自走迫撃砲、海兵大隊迫撃砲小隊用の支援火器として運用されるもので、M-252迫撃砲を車体内に搭載している、81mm迫撃砲で海兵隊では可搬性が高い60mm迫撃砲とともに直掩火力に充てている。迫撃砲の搭載に伴い25mm機関砲搭は取り外され、戦闘室上天蓋を開放し射撃する。車体内には94発の81mm迫撃砲弾を搭載し、迫撃砲操作要員は3名が乗車しています。

 LAV-AT自走対戦車ミサイル発射機、エマーソンTOW連装発射装置を搭載するもので、射程3750mの有線誘導方式対戦車ミサイルです。連装発射機は射撃時に情報に延伸し遮蔽物から掩蔽しつつ射撃が可能で、乗員は発射要員含め4名、戦闘室にはTOW用弾架が設置されており、14発を収容する。射撃時に2発を射撃した後、発射機を上方に向け収縮させ、乗員は車内より天蓋から再装填、陣地変換しつつ戦闘継続が可能、というもの。

 AAV-7,海兵隊の両用強襲車両で、水陸両用装甲車としては最も成功した装甲車両、陸上自衛隊も採用しました。元々アメリカ海兵隊は1941年に来たるべき対日戦に備え太平洋島嶼部での強襲車両を必要としていました。日本軍は当時上陸用舟艇に当たる大発や装甲艇等先進的な両用戦装備を開発しており、海兵隊は珊瑚礁を踏破し海岸線へ海兵を輸送可能な車両として、湿地帯交通用の水陸両用車を原型としてLVT-1を開発しています、装軌式で履帯駆動法しい推進を採用、洋上を12km/hで航行可能、生産数は8351両に上りました。

 LVTP-7として現在のAAV-7は1972年に制式化されました。これはLVT-1の後継として朝鮮戦争期より開発が開始されたLVTP-5が35名という大人数を輸送可能であったが車体が大型化しすぎた事を受けて、戦闘車両としての生存性を確保出来る規模に抑え、且つ水上航行能力を考慮したもので、戦闘重量25.7t、21名の海兵を収容し水上を13km/h、陸上を72km/hで機動するものとして開発されています。生産数は輸出用を含め1414両に上るとのこと。

 M-777榴弾砲、イギリスのヴィッカースが1998年に超軽量155mm榴弾砲として開発したもので、砲システム重量は3.2tと従来の39口径155mm榴弾砲と比較し半分程度に抑える事に成功しました。陸上自衛隊が運用するFH-70榴弾砲が9.6t、従来米海兵隊が装備していたM-198榴弾砲が7.2tです、M-777はこの軽量化により従来105mm榴弾砲を空輸していた多用途ヘリコプターでも155mm榴弾砲が空輸可能となり、最大射程24km、射程延伸弾を使用すれば30kmの最大射程を誇る。

 新榴弾砲は、まず陸軍が採用し海兵隊が続きました。M-198の後継として大幅に軽量化され、FH-70榴弾砲やFH-77榴弾砲のような自走能力は付与されていませんが、空輸により迅速に展開する事が可能となりましたが、これは従来火砲と比較しアルミ合金とチタン合金を大胆に採用し、その上で砲架を四脚式、つまり従来のW形状からX形状というかつての高射砲型の形状を採用した事で実現した軽量化です。現在はBAEシステムズ社が製造と販売を対応しており、同社ではトラック後部に本砲を搭載するガンポーター簡易自走砲を提案しています。

 M-1161/1163グロウラー近距離輸送車、海兵隊がMV-22可動翼機に搭載するべく開発した小型戦術車両で、MV-22の格納庫には1.5mまでの車両しか搭載出来ない為、新設計された車両です。元々海兵隊はケネディジープとして知られるM-151を原型として開発する計画でしたがシャーシ部分の小型化を敢えて行うよりは再設計の方が妥当とされ、ジェネラルダイナミクス社により2009年に発表されました。

 M-1161は人員輸送型、M-1163は迫撃砲牽引型です、M-1161は12.7mm重機関銃を搭載し4名分の座席が配置されています、車体に箱乗りする事で11名まで機動可能、という。M-1163はEFSS120mm重迫撃砲牽引型です。EFSS120mm重迫撃砲はフランスのトムソン社製120mm重迫撃砲として2009年に採用された最新装備で海兵隊は66門を採用しています。

 EFSS120mm重迫撃砲、射程延伸弾を使用した場合の最大射程は13kmという優秀迫撃砲で、海兵隊は従来の81mm迫撃砲と155mm榴弾砲の中間を担う新装備として導入された最新鋭装備なのです、が、日本では120mm重迫撃砲RTとして、1994年から全ての普通科連隊重迫撃砲中隊若しくは本部管理中隊重迫撃砲小隊に装備されているもので、目新しさは、ありませんね。

 M-1163は120mm重迫撃砲を牽引するもので、陸上自衛隊では巨大な高機動車を重迫牽引車として用いています、海兵隊は小型化の必要性から高機動車よりも遥かに小型のM-1163を牽引車として採用していますが、残念ながら重迫撃砲牽引時にM-1163には迫撃砲弾を3発しか搭載出来ません、このため、砲1門に対しM-1163を2両配置し、うち1両を弾薬牽引車としています、こうしなければMV-22に搭載出来ない為仕方ないのですが、弾薬牽引車には専用弾薬トレイラーを牽引させ、こちらに36発の120mm砲弾を搭載します、この車両、MV-22を導入する自衛隊にも必要な装備だ。

 MTVR7t中型戦術車両、オシコシ社製新型トラックで1998年より配備が開始されました、12.7tの重量級車両でボンネット方式の車体を採用し迫力がある車両、従来のM-939戦術車両の後継として海兵隊に採用されたもので、海軍施設部隊にも採用されました。車幅2.5mという割には大型に見えるのですがその筈、車高は3.65mあり、エンジン出力は440hpもある。

 MTVR7t中型戦術車両は迫力だけではなく、兵員輸送の基本車両や、各種クレーンなどを搭載し野戦での回収作業に用いられるほか、後部に防弾区画と重座を複数設置し、輸送車両の梯団護衛任務へ車体上部には12.7mm重機関銃架を標準装備、車両の多くは装甲キットを装着し待伏せ攻撃などに対応する装甲化策がとられています、シュノーケルを装備し、全部水没している状態でも運転手にはシュノーケルからのダクトを用いて呼吸を維持しつつ、どう見ても無茶しているようですが、車体が天井まで全水没しても渡渉可能、という。

北大路機関:はるな くらま
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アメリカ軍相模原総合補給廠倉庫火災、備蓄の医療品などが爆発

2015-08-24 23:59:21 | 在日米軍
■相模原総合補給廠の任務と現状
本日未明、神奈川県相模原市の米軍相模施設、通称相模原総合補給廠にて倉庫火災が発生しました。そこで本日は相模原総合補給廠についてみてみましょう。

相模原総合補給廠は我が国首都圏の米軍施設の一つで、火災は倉庫火災ながら爆発は断続的に続き、先日発生しました中国の天津爆発事故を一瞬彷彿させるものでしたが、大きな被害には至りませんでした、相模原総合補給廠は広大であり爆発が発生した倉庫は住宅街まで500mの距離を隔てており、爆発の危険から備蓄物資の確認が完了するまで消防による放水を避けていたためでした、備蓄されていたものは医療用空気ボンベであったため、有毒物漏洩や爆発による二次被害は生じていません。

医療資材と架橋器材に可搬内陸燃料配送装置が相模原総合補給廠の主要備蓄資材でして、医療資材倉庫、相模原総合補給廠に備蓄され今回火災により炎上したものは米軍が西太平洋地域に配置する最大の医療資材倉庫で、連続して爆発した事から医療用空気ボンベが備蓄されていたものと考えられます、事故発生後、在日米陸軍司令部は事故現場写真を公開しており、焼けただれたボンベが多数火災現場に並んでおり、出動した消防関係者の話でも現場近くにはボンベ破片が散乱していたとの証言がありますので間違いないでしょう。

第35補給支援大隊が相模施設を管理しており、特に可搬式病院施設が備蓄され、医薬品冷蔵倉庫が複数配置ているのは環太平洋地域では相模原だけです。可搬式病院施設とは文字通り移動式の総合病院です。移動式の総合病院と云いますが、自衛隊の野外手術システムとは比較にならないほどの設備を有しており、病床2000、24時間で数百件の外科手術が可能となっています。緊急時には4000病床まで拡大できる施設で、全般はカナダ製可搬式折畳シェルター百数十基に収容し機動可能です。

このカナダ製可搬式シェルターは風速25mにまで耐える高硬度のもので、統合空調システムにより熱帯地域や極地の低温下でも医療任務が可能とのこと。加えて、有事の際には装軌車回収整備大隊が展開します。手術設備はもちろん、術後ケアなどの設備が可搬式となっており、多くの医療設備は使用しない状況でも一定期間で新型と置き換えられ、我が国の総合病院設備と比較した場合、相違点と云えば鉄筋コンクリート式の建物に入っているか、可搬式シェルターに収まっているのみ、というところ。

これだけの規模の可搬式病院施設が米軍により維持される背景ですが、これはイラク戦争規模の戦闘が極東地域において発生する場合に想定される軍団規模の部隊が膨大な戦傷者を出した場合の素早い戦力回復を想定している為です。自衛隊であれば、有事の際には基本的に国土での戦闘を念頭としている為、例えば大量の戦傷者が発生した場合では、まず野外手術システムにより致死状態に至るのを防ぎ、広報の病院施設に入院させることが出来ます。

日本では日本のインフラが使えるのですが、米軍の場合は自国インフラが遠距離で使用できず、そして展開先の救急救命インフラを全く利用できない状況を想定しなければなりませんので、総合病院がそのまま移動できるだけの体制を平時から構築しておく必要があります、そして広域の医療支援を同時に対応させることとなっており、例えば米軍はアフガニスタン派遣に際し、一箇所の医療拠点に戦傷者対処を統合化し、UH-60多用途ヘリコプター36機を戦傷者の救急搬送に専従させたほど。

そして首都圏三拠点が有事の際に有機的に機能します。横田基地と横須賀基地に厚木基地が首都圏の米軍基地として一般によく知られていますが、横田基地と横浜ノースドック、そして相模原総合補給廠、この三箇所が米軍の後方支援関連設備として重要な位置づけを担っています。有事の際、それこそ米軍が十万単位で行動するイラク戦争規模の有事が朝鮮半島や台湾海峡に北海道等で発生した場合、嘉手納や三沢や岩国に佐世保と普天間は第一線部隊の拠点となりますが、首都圏の施設は後方支援拠点となる。

横田基地は第5空軍司令部と在日米軍司令部が置かれ米本土と太平洋地域からの物資航空搬入拠点となり数百機の輸送機が展開、横浜ノースドックは施設内の1350m岸壁と500m岸壁に同時に7隻の大型輸送船を接岸させ陸軍第17地域支援群港湾司令部と米会場軍事輸送司令部が運用できる。そして相模原総合補給廠は補完する医療物資をはじめとした備蓄品を横浜ノースドックと横田基地より展開させ、空いた施設へ装軌車回収整備大隊が展開し、第一線において損傷した装甲車両の整備と戦力回復を担うもので、この三施設は国道16号線とJR横浜線でも繋がっており、米軍の重要な後方拠点の一つ。

我が国首都圏の米軍施設は、極東地域を中心とした西太平洋地域最大の兵站拠点を構成しています。例えば、米軍備蓄燃料は横浜市の鶴見と小柴の八戸に佐世保周辺と沖縄を合計し1100万バレルもの燃料が備蓄されており、環太平洋地域では米本土を除けば全体の半分にも上り、ハワイやグアム、在韓米軍施設等とはけた違いの備蓄量を誇ります。これだけの燃料が在日米軍施設に備蓄されている背景ですが、最大のものは我が国の石油精製能力が環太平洋地域で最大規模のものであり、航空燃料や艦艇燃料などを確実に高品質のものを確保するには、我が国に施設を置き、日本企業から調達するのが確実を考えられた為です。

必要なものを必要な場所で友好国が有しているならば提供を願い出ればいい、発想はここでしてしかも日米は同盟国です、そこで逆をみてみましょう、自衛隊が海外での大規模訓練設備を利用する場合や新装備試験を行う場合は米本土やハワイの施設を利用しますが、これは自衛隊が安定して展開し得る海外の訓練先と、更に訓練に必要なインフラが揃う設備が米国しか考えられない為で、双方、必要なものを融通し合えるところで互恵関係を構築している、といえるでしょう。

なお、相模原総合補給廠は、橋本内閣時代と小泉内閣時代に返還交渉が行われていますが実現しませんでした。これは軍団規模の部隊が展開する本格的な有事の際しか活用しない設備であるため、我が国周辺では所謂周辺事態が発生するまで機能しないもの、一見無駄に見えるのですから使わないのであれば返してほしい、という本音があったのでしょう、国道16号線とJR横浜線沿いにある大型の施設ですから、使わないのであれば首都圏経済圏にとり有用な用途がある、という視野に基づきます。しかし、平時には用途がありませんが、有事の際には絶対必要となる施設ですので、アメリカ側は返還できない、としたものでした。

ただ、この設備、我が国にとり無駄になったのかと問われたらば、否定します、新潟中越地震と東日本大震災の際に実際に備蓄品が同盟国の危機へ提供されています、最たるものは避難所冷房設備でした、医療設備用に大量に保有していた可搬式のクーラーが新潟中越地震と東日本大震災の際に多数提供されています、自衛隊にはそれほど多くの可搬式クーラーの備蓄はありません、大規模有事に備えていたからこその同盟国の備蓄が恩恵となったといえるでしょう。

北大路機関:はるな くらま
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原子力空母ジョージワシントン 母港横須賀を米本土へ出港、核燃料交換へ

2015-05-19 23:23:23 | 在日米軍
■さよなら!ジョージワシントン
 本日、横須賀を事実上の母港として前方展開する米空母ジョージワシントンがアメリカ本土へ出港しました。

 横須賀を出港したジョージワシントンの飛行甲板には”さようなら”の人文字が描かれ、東京湾にて海上自衛隊の最新ヘリコプター搭載護衛艦いずも、が合流、その全通飛行甲板には”ありがとう ジョージワシントン”を示す人文字が描かれ、帰途を見送りました。

 ジョージワシントンはニミッツ級原子力空母で、従来の通常動力空母キティーホークの後継として2008年に横須賀へ前方展開を開始しました。キティーホークの後継に原子力空母を充てるか、最後の通常動力空母となるジョンFケネディを配備されるかは、当時の米軍再編と前方展開に併せ大きな論議を呼んだことを思い出します。

 原子力空母ロナルドレーガンが続いて横須賀へ配備されるとのこと。横須賀をアメリカ本土へ向け出港したジョージワシントンは、原子力空母の定期整備として最も重要な核燃料交換を含む炉心交換を行うため数年間第一線運用を退きます、このためジョージワシントンに代えロナルドレーガンが日本へ前方展開し、サンディエゴにて乗員の多くが移乗するとのこと。

 海上自衛隊ではヘリコプター搭載護衛艦へ、いせ、ひゅが、等旧国名を当てますが米海軍では航空母艦へ人名を当てます、実はこの関係で日本配備の原子力空母を選定する際に米国防総省部内にて幾つかの討議がありました、当初はハリーSトルーマンの配備が計画されましたが、トルーマン大統領が日本への原爆投下を命じた大統領として、見送る事に。

 カールビンソンも、対日戦準備への海軍力増強を進めた議員という事で断念、セオドアルーズベルトは日露戦争の講和を仲介した事で有名ですがこちらが炉心交換に入らねばならない関係上不可能と、エンタープライズは老朽化が進み過ぎ不適当、そこでジョージワシントンかエイブラハムリンカーンを、となり、日本でも知名度が高いジョージワシントンになった、とのこと。

 原子力空母ロナルドレーガンの日本到着は秋ごろとなる予定で、ロナルドレーガンは東日本大震災における日本救援作戦トモダチ作戦にて主力を担った航空母艦です。中曽根総理との日米関係強化の際の有名な大統領の名を冠した空母の日本前方展開となるわけです。

北大路機関:はるな
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P-8A哨戒機撮影成功!エアーフェスタ展開時撮影、那覇基地周辺の米軍機

2014-12-16 23:28:54 | 在日米軍
◆P-8Aポセイドン 
 那覇基地航空祭エアーフェスタ2014展開の際に撮影しました米軍機の写真を本日は幾つか。

 P-8A哨戒機、ボーイング社が多用途海上哨戒機737MMAの開発名称にて米海軍のP-3C哨戒機後継機として開発、2013年より運用開始となった最新鋭哨戒機で、昨年12月に嘉手納基地への前方展開が開始したばかりの新鋭機、対潜哨戒重点のP-3Cに対して海上情報優位全般を運用の主軸においた航空機で、AN/APY-10レーダーとソノブイを駆使し情報を解析、艦艇や潜水艦を捜索する航空機です。

 KC-135空中給油機、米空軍が実に750機という大量導入したKC-135は老朽化のたびに延命改修と近代化改修を続けてきましたが、航空自衛隊のKC-767と同系列のKC-46Aが後継機として選定、更新速度は現時点で遅いようですが徐々に置き換えが始まる。大量のKC-135導入の背景は、冷戦時代にB-52を常時戦略核を搭載し一定数飛行状態におく核戦略哨戒任務を確立させ、必要ならば飛行中のB-52だけで弾道弾などによる奇襲へ対処できる態勢を構築していたため、その大量のB-52への給油の必要性から大量導入されました。今となってはけた外れの悪夢のような態勢ですが、同時にアメリカの物量というものを考えさせられます。

 C-17輸送機、従来の長大な滑走路と支援設備を要した戦略輸送機とその拠点から前線へ輸送する小型の戦術輸送機という分担を米本土から第一線へ一機種輸送任務を達成する戦域間輸送機という新しい区分を誕生させた航空機で、重量の大きなM-1A2戦車も渡洋輸送が可能です。今回の沖縄展開は米軍基地まで回る時間はありませんでしたが、那覇基地航空祭やその翌日に、この三機種を撮影、特にP-8Aは初見の航空機でありましたので、驚きました次第です。

北大路機関:はるな
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サンアントニオ級ドック型輸送揚陸艦佐世保配備へ、米海軍旧式化したオースチン級を代替

2014-02-12 23:32:36 | 在日米軍

◆最新ステルス揚陸艦配備と機雷戦艦艇近代化

 NHK等の報道によれば、米海軍は最新鋭のサンアントニオ級ドック型輸送揚陸艦の佐世保配備を決定したとのことです。

Img_3619 佐世保基地には強襲揚陸艦ボノムリシャールが配備されていますが、加えてホイットビーアイランド級ドック型揚陸艦と旧式化したアンカレッジ級ドック型揚陸艦等、揚陸艇の母艦として洋上より重装備部隊を輸送する両用戦艦が配備され、在沖米海兵隊と共に西太平洋上における平和と安定の重要な抑止力となっています。このうち、アンカレッジ級が来年2月に置き換えられるとの発表です。

Img_7794 今回配備されるサンアントニオ級ドック型輸送揚陸艦は、旧式化したオースチン級を置き換えるもので、同型は1960年代に設計され、12隻が建造されたものの老朽化が進み現在は佐世保に残るデンバーが同型艦で最後の一隻となっています。オースチン級は満載排水量17500t、旧式ですがLCACを運用出来、CH-46中型ヘリコプターも甲板係留で6機搭載可能、古くとも実用性は高いのですが、古くなりすぎました。

Img_0189 佐世保基地の主力は満載非水量16200tの穂イットビーアイランド級で、エアクッション揚陸艇の運用を前提に建造されたため、四隻のLCACを運用可能です。ここへ最新型のサンアントニオ級が配備されることとなります。同型は2006年に一番艦が就役したばかりという最新鋭艦で、アメリカの西太平洋重視の姿勢を端的に示すものと言えましょう。

Img_3372  サンアントニオ級はドック型揚陸艦を基本とし、戦車揚陸艦機能と輸送揚陸艦機能等を集約した設計であると共に高度なステルス設計を採用した新世代の揚陸艦で、満載排水量25600t、ステルス性を大胆に取り込んだ外見からは恐らく我が国の報道ではステルス揚陸艦として紹介されることとなるかもしれません。

Kuramaimg_8768 このほか、米海軍は佐世保に前方展開させているアヴェンジャー級掃海艦の4隻のうち初期型にあたるアヴェンジャーとディフェンダーの2隻を、後期建造艦であるパイオニアとチーフに置き換える計画を発表しました。アヴェンジャー級の後継に2018年までにインディペンデンス級LCSの佐世保配備が報じられているため、半々の装備となるのでしょうか。

Img_8769  米海軍は深深度機雷対処用のアヴェンジャー級14隻以外の機雷対処は全て航空掃海と汎用艦に置き換えており、そのうちの4隻が佐世保に配備されている事実も、やはりこの海域を如何に重視しているかの表れと言えるでしょう。こちらは今年五月にも実施されるとのこと。

Mimg_6578 このほか、原子力空母ジョージワシントンの定期整備交代へ原子力空母ロナルドレーガンが配備されることは既報ですが、加えて米軍は嘉手納基地の海軍P-3C哨戒機を最新のP-8A哨戒機へ代替しており、空軍は千歳と三沢に嘉手納とF-22戦闘機のローテーション配備を開始、F-35戦闘機の海外最初の前方展開なども岩国航空基地が有力視されています。

北大路機関:はるな

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原子力空母ロナルドレーガン横須賀前進配備へ、ジョージワシントン炉心交換工事受け

2014-01-19 23:29:21 | 在日米軍

◆東日本大震災日米合同任務へ参加艦

 米海軍によれば、海軍は現在横須賀へ前進配備中の原子力空母ジョージワシントンをロナルドレーガンへ置き換える、とのこと。

Img_7174a アメリカ海軍は、空母ミッドウェー、インディペンデンス、キティーホーク、ジョージワシントンと横須賀基地へ空母を前進配備し、太平洋艦隊の最大と言える作戦展開能力を以て我が国との西太平洋を俯瞰するステイクホルダーとしてのアメリカが果たす役割の象徴的存在として位置づけられてきました。

Yimg_5733 現在横須賀へ配備されているジョージワシントンは、従来、蒸気タービン方式により推進する通常動力空母から原子力を動力として推進する航空母艦へ転換されたもので、第二次大戦以来の米海軍が常に実戦において練磨した運用と装備の技術、最大で80機の艦載機を搭載する能力を以て、文字通り世界の海軍が保有する航空母艦と比較し比類ない能力を整備しています。

Img_1977 アメリカ海軍はその集大成として1975年より原子力推進方式のニミッツ級を建造、実質的に無限大の航続距離を有するほか、通常動力空母のような自艦用燃料を必要としないためその分多くの航空機燃料や随伴艦燃料に弾薬と物資を搭載することが可能で、航空母艦はアメリカの国防戦略において主柱を占めるに至りましたが、原子力であるため数年に一度、原子炉の炉心を交換せねばなりません。

Img_7169 今回のジョージワシントンからロナルドレーガンへの交代は、炉心交換に数年を要する為数年間現役を離れる空母ジョージワシントンに代わりロナルドレーガンが配備される、というかたちです。同じニミッツ級ですが就役は2003年と比較的新しく、一番艦よりは多くの部分が改良されています。

Img_2183 横須賀に馴染んだばかりの空母交代は残念ですが、新しいロナルドレーガンも日本と親しい関係があります、中曽根内閣時代のレーガン政権との親密関係は有名ですが、更にロナルドレーガンは東日本大震災に伴う米軍日本救援任務トモダチ作戦へ、定期整備中のジョージワシントンに代わり太平洋艦隊の一員として救助活動に当たりました。

Img_2014 米海軍は、ロナルドレーガンへの交代と共にイージス艦の近代化と増勢を継続、更に沿海域戦闘艦の日本配備を決定しており、更に空母航空団へは遠からずステルス性を有する画期的な新世代戦闘機であるF-35C戦闘攻撃機の配備が開始されるでしょう。アメリカは我が国やその周辺諸国とともに西太平洋の海洋の自由を守るステイクホルダーとしての責務をこうして果たしています。

北大路機関:はるな

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