ハリソン君の素晴らしいブログZ

新旧の刑事ドラマを中心に素晴らしい作品をご紹介する、実に素晴らしいブログです。

『Gメン'75』#202

2018-09-27 00:00:05 | 刑事ドラマ'70年代









 
☆第202話『Gメン対香港カラテ軍団PART2』

(1979.4.14.OA/脚本=高久進/監督=小松範任)

拉致された父親=ソンを救う為にGメンを裏切り、ヤン・スエにフルボッコにされた挙げ句、ヘロイン浸けにされた草野刑事(倉田保昭)を、更なる衝撃が待ってました。

なんと、ソンは香港コネクションの一員だった!

しかも彼は本当の父親ではなく、草野は幼少時に拾われた戦争孤児で、実は中国人だった!

ここまでやっちゃうと、もうメチャクチャですよねw だけど、これこそが『Gメン'75』なんです。

その時その時のインパクトこそが重要で、ストーリーが脱線しようが設定に矛盾が生じようがお構い無し。面白いと思うことは何でもやっちゃうドラマなんですね。

で、血の繋がりは無くとも、本当の息子と同じように草野を愛するソンは、土壇場で我が身を犠牲にして草野を救います。

そして、再び始まる倉田保昭VSヤン・スエのカンフー決戦!

ついさっきまでヘロインの禁断症状にもがき苦しんでた筈の草野が、嘘みたいに元気いっぱいで死闘を繰り広げw、宿敵ヤン・スエを倒し、ついに香港コネクションを叩き潰すのでした。

しかし、父親を救う為だったとは言えGメンを裏切った草野は、辞職を決意。ソンの遺志を継いで孤児や難民らの生活を支えるべく、Gメンに別れを告げて香港に残ります。そう、彼は中国人に戻ったのです。

つまり、これは香港カラテシリーズ第2弾にして、倉田保昭さんのGメン降板エピソード。翌週の第203話では森マリアさんも降板し、替わって夏木マリ、有希俊彦、千葉 裕を迎えた『Gメン'75』は第3期へと突入して行くのでした。
 
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『Gメン'75』#201

2018-09-26 12:00:22 | 刑事ドラマ'70年代








 
『Gメン'75』と言えば香港カラテ、と連想しちゃうのは私だけじゃない筈です。当時このシリーズはやたら大々的に宣伝されてたし、学校でもよく話題になってました。

草野刑事役の倉田保昭さんは本来、香港に拠点を置くアクションスターであり、現地のスタッフやキャストに顔が利く。そのお陰で実現したシリーズなんだそうです。

前回ご紹介した第105話の香港ロケはほんの序の口で、第175話&176話の『香港カラテ対Gメン』二部作が本格シリーズ第1弾。

もちろん主役は草野刑事。倉田さんの顔で香港のカンフースター=ヤン・スエがゲスト出演し、草野刑事と死闘を繰り広げました。

で、最後にヤン・スエは死んじゃうんだけど、今回の第2弾では「瓜二つの弟」として再登場w、草野刑事と死闘を繰り広げ、最後はやっぱり死んじゃいますw

このシリーズ、ホントかウソか知らないけど香港じゃ視聴率70%だったとか。それだけクオリティーの高いカンフーアクションであり、日本のTVドラマ史上でも類を見ないシリーズでした。カンフーなのに、なぜタイトルが「カラテ」なのか、その理由は誰にも分かりませんw


☆第201話『Gメン対香港カラテ軍団』

(1979.4.7.OA/脚本=高久進/監督=小松範任)

これもまた、物凄いストーリーでした。

草野刑事の行方不明だった父親が、香港で暮らしてることが判明し、香港へ飛ぶ草野。

草野すなわちGメンが入国したもんで、香港コネクション(麻薬組織)が警戒し、幹部を東京へ派遣。驚異的な諜報スキルでその動きを察知したGメンは、幹部を逮捕し、ヘロインを押収します。

Gメン本部の地下取調室(という名の拷問部屋)で幹部に注射器を突き付け、「ヘロインを打たれたくなかったら香港コネクションの正体を吐け」と脅すGメンw

実際にヘロインを打つ描写はさすがに無かったけど、後のシーンで幹部が禁断症状に苦しんでますから、確実に打ってますw

Gメンの取調べ(という名の拷問)は実に合理的で、殴る蹴るなんて面倒なことはしません。他の回じゃ容疑者に防弾チョッキを着せて銃弾を浴びせたりしてましたw

さて、怒った香港コネクションは(そりゃ怒るわw)草野の父を拉致し、その命と引き換えに幹部を釈放するよう草野に要求。

草野はGメンを裏切り、密かに幹部を釈放し、香港へ連れていく。そこで、いよいよ宿敵ヤン・スエ登場! 筋肉が動くたびにメリメリメリメリッ!っていう効果音が入りますw

アーノルド・シュワルツェネッガーがカンフーするようなもんですから、さすがの草野もフルボッコにされちゃいます。

因果応報、今度は香港コネクションが草野を拷問し、ヘロイン浸けにします。国家権力を盾に、やりたい放題やってるからこんな目に遭うw

果たして草野は、無事に日本へ帰ることが出来るのか!?(つづく)

PS. 画像のチャイナ服ガールは、香港で草野の父と一緒に暮らす孤児を演じた、沢井桃子さん(当時25歳)。

『刑事くん』『太陽にほえろ!』『特捜最前線』『大空港』『大捜査線』等の刑事ドラマにもゲスト出演されてますが、この『Gメン'75』にはなんと計12回、全て違う役で出演されてます。(続編『Gメン'82』にもご登場)

プロデューサーか丹波哲郎さんあたりに、よっぽど気に入られたんでしょうねw
 
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『Gメン'75』#105

2018-09-26 00:00:21 | 刑事ドラマ'70年代







 
☆第105話『香港―マカオ 警官ギャング』

(1977.5.21.OA/脚本=高久 進/監督=鷹森立一)

この1本のエピソード(正味45分)の中で、立花警部補(若林 豪)&速水刑事(森マリア)という2人の新レギュラーが初登場し、現職刑事の犯罪という大事件も描き、さらに香港ロケまで敢行!という、盛り沢山を通り越して、いくら何でも詰め込み過ぎなこの作劇が『Gメン'75』の特長です。

それだけじゃありません。銀行強盗グループの逃走車に撥ね飛ばされ、即死した主婦と幼児は立花警部補の愛する妻子だった!

さらに、その主犯格が現役の刑事だった! しかも彼は立花警部補の義弟(妹の旦那)だった!というw、二重三重に悪い偶然が重なりまくる悲劇も『Gメン』では日常茶飯事だったりします。

2003年に刊行されたムック『刑事マガジンVol.01』に切通理作さんが寄稿されたコラムに、こんな記述がありました。

「例えば刑事が犯人を追うと、自分の恋人が事件に関わっていて殺されてしまう。そこまでは『太陽にほえろ!』でも回によっては使う話かも知れません。しかし恋人を殺したのが自分の先輩刑事であり彼女の兄だった……というところまで1本の話で描くと『Gメン'75』独特のノリとなります」

「他にも、定年退職を前にした刑事が勤務最後の日の終わる時報とともに殉職するとか、刑事が退職する日に家出していた娘の死を知らされるとか、刑事が犯人を追いつめたらそれが娘の婚約者でつい射殺してしまったとか、現実的に考えたら万に一つもあり得ないような悲運が起きるのです」

「そしてラストは、親の目の前で子が殺されて終わったり、逆に子の目の前で親が殺されて終わったり、恋人にとりすがる女の姿で終わるなど、ゲスト主役にとって悲劇の頂点で終わる回が多かった」

『Gメン'75』とは、そういうドラマですw 私はそもそも辛気臭いのが苦手だし、その回しか出てこないゲストキャラに感情移入できないし、レギュラーの刑事たちが悲劇の傍観者でしかないのも気に食わない。だから好みに合わないワケです。

けれども、もはや現在のテレビ番組じゃ不可能であろう、この極端すぎる作劇が、今となっては新鮮で面白く感じちゃう。やっぱ、昭和サイコーです!w

そして若林豪さん、シブ過ぎ!

『太陽にほえろ!』の山さん=山村警部補(露口 茂)よりシブい刑事はいないだろうと思ってたけど、立花警部補(後に警部に昇格)も負けてないですね。拳銃を構える姿はまるでジェームズ・ボンド。

画像2枚目をご覧下さい。赤ちゃん用のがらがらオモチャを持ってもシブいのは、世界を見渡しても若林豪さんしかいませんw
 
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『Gメン'75』1975~1982

2018-09-25 12:00:13 | 刑事ドラマ HISTORY









 
1970年代半ば、『太陽にほえろ!』の大ヒットを受け、各テレビ局が刑事ドラマの製作に着手、雨後のタケノコみたいに刑事物がひしめく一大ブームが巻き起こりました。

だけど安易に『太陽』を模倣したような番組はあまり人気を得られず、ことごとく短命で消えて行く事になります。

そんな中で大衆の支持を集め、ロングランを果たしたのがTBSの『Gメン’75』、テレ朝の『特捜最前線』、日テレの『大都会』シリーズ等で、その各番組の辣腕プロデューサーや脚本家の皆さんが後年、異口同音に仰ったのは、こんなお言葉でした。

「打倒『太陽にほえろ!』を目指すなら、同じ事をやっても勝ち目は無い。とにかく『太陽にほえろ!』がやらない事をやろうと思った」

刑事ドラマに限らずとも、やっぱり他者がやらない事にチャレンジした者だけが歴史に名を残すワケで、そんなパイオニア精神で成功した代表的な刑事ドラマが、他ならぬ『太陽にほえろ!』でした。

その牙城を突き崩せるのは、同じようにパイオニア精神を持った攻めの姿勢の創り手だけ、って事なんだと思います。

『Gメン’75』を創った東映+TBSチームは『太陽』よりも先に『キイハンター』というアクションドラマを大ヒットさせたプライドもあり、打倒『太陽』に賭ける想いがひときわ強かったかも知れません。

まず一番大きな特徴は、刑事たちの所属が所轄署ではなくGメン(連邦捜査局)であるという設定。アメリカのFBIみたいに政府直轄の秘密警察で、国際的な犯罪を扱ってスケール感を演出してました。

そしてアンチ『太陽』の姿勢が顕著に表れてるのが、刑事達の呼び名です。『太陽』式にニックネームで呼び合うのが刑事ドラマの常識になりつつあった中で、Gメンはあえて「○○刑事」「○○警部補」など苗字+階級で呼び合うんですよね。

ニックネームの親しみ易さとは対照的にビジネスライクな感じが「大人っぽい」雰囲気を醸し出し、それが『Gメン』のイメージを決定づけたように思います。

それ以上に『太陽』の逆を行ってたのが、レギュラー刑事の心情よりもゲストキャラ(犯人や被害者)のドラマをメインに描いた事。「ハードボイルド」をキャッチコピーにしただけあって、刑事が捜査に私情を挟まない乾いた世界なんですね。

サスペンスやアクション物は好きなんだけど、刑事のヒューマニズムを前面に押し出した『太陽にほえろ!』という番組は何となく気に食わない……みたいに感じてた視聴者層が、その真逆を行く『Gメン』に飛びついたのかも知れません。

もちろん『キイハンター』からのファンも多かったでしょうけど、『Gメン』が大ヒットして7年にも及ぶロングランを果たしたのは、『太陽』とのライバル関係がプラスに作用した事も大きいんじゃないかと私は思ってます。

と言うのも放映当時、中学のクラスメートで「『太陽にほえろ!』なんか幼稚やで、『Gメン’75』の方が百倍おもろいわ!」って、やたらムキになって言って来る奴がいたんですよねw

『太陽』ファンは別に『Gメン』の事を意識してないのに、『Gメン』ファンはやたら『太陽』を目の敵にする傾向があったように思います。それって何となく巨人ファンと阪神ファンの関係みたいで、まぁ私の身の周りだけで起こってた事かも知れないけど、とても興味深い現象でした。

私自身はやっぱり、『太陽』の真逆を行く『Gメン』の作劇には馴染めませんでした。登場人物にどれだけ感情移入出来るか?が私の鑑賞&評価ポイントなので、犯人や被害者のドラマがメインに描かれるとのめり込めないんです。

それは性格として犯罪者に肩入れ出来ないのと、犯人や被害者はその回限りのゲストキャラに過ぎないことも理由に挙げられます。やっぱりレギュラーでずっと出てる刑事側の方が感情移入し易いワケです。

犯人側中心のドラマになると全体的にトーンが暗くなっちゃうのも、私にとっては大きなマイナスポイントです。『Gメン』は毎回ゲストキャラを悲劇のどん底に突き落とし、救いも与えず突き放すようにして終わっちゃう。それをレギュラー刑事達はいつも、ただ傍観してるだけなんですよね。

だから『太陽』とのライバル関係を度外視しても、私は『Gメン』をあまり面白いドラマだとは思ってなかったです。

だけど他の刑事ドラマがやらない事にあえて挑戦するハングリー精神と、それによって輝かしい実績を残した有言実行力はリスペクトしてやみません。

『Gメン’75』と言えばオープニングの「Gメン歩き」(横一列になって真っ直ぐ歩くアレ)とか、『Gメン’75』と言えば「香港カラテ(カンフー)シリーズ」とか、番組独自のスタイルが今や伝説化してるのも本当に凄いと思います。

女性刑事を男性と同等に扱い、容赦なくハードな事をさせるのも『Gメン』の独自路線でした。藤田美保子、森マリヤ、夏木マリ、セーラ、范 文雀、江波杏子など、男性レギュラーより女性レギュラーの方が強く記憶に残ってる位です。

もちろん、圧倒的な貫禄と超マイペースな棒読み台詞が忘れられないボス・黒木警視(後に警視正)=丹波哲郎の存在感、犯人と相撃ちになって殉職した関屋警部補=原田大二郎、カラテの達人で実は中国人の草野刑事=倉田保昭、クール&ダンディーなエリート・小田切警視=夏木陽介、一見ソフトなナイスミドルだけど実は鬼夜叉の立花警部補(後に警部)=若林 豪、といった面々も印象深いです。

宮内 洋、千葉 裕、鹿賀丈史らが参入した番組終盤になると、’80年代という明るく軽い時代を反映してか、ハードボイルドが売りだった筈の『Gメン』にも軽いノリや人情話が目立つようになり、らしさを失ってしまったのがちょっと残念でした。

それでも、アンチ『太陽にほえろ!』としては最も成功したであろう番組『Gメン’75』の存在を、丹波さんの棒読み台詞と共に、私はずっと忘れないでしょう。

TBS系列の土曜夜9時枠にて1975年5月から'82年4月まで全355話、そして'82年10月から'83年3月まで続編『Gメン'82』全17話が、さらに'93年と'00年、'01年には復活版スペシャルも制作・放映されました。
 
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『透明なゆりかご』最終回

2018-09-25 00:00:36 | TVドラマ全般









 
最終回では、お腹で順調に育ってた筈の胎児が、実は産まれても恐らく1週間程度しか生きられない重病であることが判明し、産むべきか否か葛藤する母親(鈴木 杏)と父親(金井勇太)の姿が描かれました。

産まれても苦しみだけ味わう人生なら、産まない方が本当の優しさなんじゃないか? 否、例え僅か1週間でも精一杯の愛情を注いでやるのが親の務めなんじゃないのか?

悩んだ挙げ句に出産し、難病が嘘みたいに元気そうな赤ちゃんを全身全霊で愛する両親だけど、やっぱり赤ちゃんは1週間で亡くなっちゃう。

涙が枯れ果てるくらい号泣させられるけど、両親の選択が正しかったかどうかの結論は示されません。そこには正解も不正解も存在しないんです。

ただ、産んだのは単なる自己満足じゃないかと自分を責める母親に、一部始終を見守って来た看護師見習いのアオイ(清原果耶)が言うんですよね。自分のお母さんにギュッっとしてもらえて嬉しかったって。

「子供がお母さんにしてもらいたい事なんて、それ位なんじゃないでしょうか」

アオイ自身にも、ちょっとした障がいを持って生まれたせいで母親から疎まれて来たこと、だけどそこにお互いの誤解があったことを最近になって知り、ようやく素直に愛を感じられるようになったという背景がある。そうした描写の積み重ねが、究極の悲劇に光を灯してくれるんですよね。

アオイが抱える障がい自体、彼女のおっちょこちょいなキャラクターにちゃんと理由があることを示す、実に見事な設定だと思いました。

第4話で妊婦を死なせてしまった由比院長(瀬戸康史)や、それで残された若い父親と赤ちゃんの存在も、この最終回で必然的に活かされてました。

全10話、無駄と思えるエピソード……どころか無駄なシーン1つさえ見当たらず、緊張の糸が緩むことも全く無く、最初から最後まで我々を画面に釘付けにさせた奇跡のドラマでした。

また、以前の記事にも書いて来た通り、生まれてくる生命と同等に、いやそれ以上の比重で去っていく生命の存在も、残酷さを恐れずストレートに見せてくれたことで、我々がこの世に生きていられることの奇跡、その有難さを実感させられ逆説的に「生きる力」を与えてくれたように思います。

たった1週間しか生きられないと判ってる赤ちゃんを産むことが、正解なのか不正解なのか回答は示されないって書きましたけど、全10話をトータルで観れば答えは1つしか無いんですよね。

誰もが一度や二度は見失っちゃう「生きることの意味」を、この作品は最初から一貫して描いてくれました。そういう明確なメッセージが柱にあるからこそ、我々は毎回胸を打たれ泣かされて来たんでしょう。

クオリティーの高さもさることながら、本作の素晴らしさはそこに尽きるんじゃないかと私は思います。

あと、連ドラ初主演・清原果耶ちゃんの透明感と、脇を固めるレギュラーキャストやゲスト陣の熱演、そして何より原作の素晴らしさ。間違いなく今期ナンバーワンです。

今回のセクシーショットは、アオイの先輩看護師を演じた水川あさみさん。
 
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