ハリソン君の素晴らしいブログZ

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『太陽にほえろ!』#366

2020-07-21 00:00:06 | 刑事ドラマ'70年代










 
☆第366話『真夜中の殺意』

(1979.8.3.OA/脚本=古内一成&小川 英/監督=児玉 進)

さあ、いよいよ泥沼(だったと私は思う)シーズンの幕開けです。

スニーカー(山下真司)の登場編こそアクティブで華やかだったけど、その翌週の#365『その一瞬……!』ではボン(宮内 淳)の殉職により死ぬのが怖くなっちゃったゴリさん(竜 雷太)が、アジトに踏み込むのをためらって犯人を取り逃がし、半ベソをかきながら「ボンは果敢に戦って死んでいったのに、自分は!」とボスに泣き言をぶちまける姿が描かれ、我々視聴者をショボンとさせてくれました。

聖人君子になり過ぎた刑事たちを人間に戻そうとする姿勢は良いと思うんだけど、荒唐無稽だった前回とのギャップが激しすぎて私は戸惑いました。あんなに破天荒なキャラで登場したスニーカーがもう大人しくなっちゃってるし!

続いてこの#366では、狭いアパートで2年間同居したボンが突然いなくなって、顔を毛むくじゃらにして寂しがるロッキー(木之元 亮)の姿が描かれ、我々をますますショボンとさせてくれます。

で、ゴリさんを筆頭に先輩刑事たちが「お前、俺と一緒に住まないか?」って、ロッキーに同棲を迫って来るんですよね!w ガキンチョだった当時の私は聞き流してたけど、今あらためて観ると「何なんだ、このオッサンたちは」って思いますw

仕事で疲れて帰宅した時にあんな毛むくじゃらの大男(しかもイビキ製造機)がいるなんてゾッとするし、ロッキーの立場から考えても、帰宅してまで聖人君子の大先輩と一緒だなんて生き地獄です。しかも断りにくいしパワハラそのものですw

そんな受難続きのロッキーが今回担当したのは、孤独をこじらせた大学生や予備校生が、孤独をこじらせたスーパーの店員(森田順平)にダイナマイトで爆死させられるという、手口こそ派手ながら何とも陰気な連続殺人事件。

で、犯人はアパートの部屋で夜な夜なパソコンを自作するのが唯一の生き甲斐で、それを騒音で妨害されたのが犯行動機なんだけど、被害者の1人はそのアパートの脇にある線路を夜な夜な「シュッシュッポッポ!」って言いながら走ることを唯一の生き甲斐にしてたというw、孤独さには自信のある私でさえ共感ポイントが1つも見つからない、なんともカオスなお話。

しかも、犯人を誘き出すためにロッキーが夜な夜な「ガッタン!ゴットン!ガッタン!ゴットン!ポッポーッ!!」って叫びながらw、暗闇の中、しかめっ面で線路を走るんですよね。カオスとしか言いようがありませんw

唯一の目撃者であるキャバレーのホステス=典江(坪田直子)もアパートに独り暮らしで孤独をこじらせてる。だからロッキー達にかまって欲しくてわざとデタラメな証言をして捜査を混乱させちゃう。カオスですw

「大都会の孤独」は『太陽にほえろ!』定番のテーマではあるんだけど、これじゃ東京で独り暮らしするとみんなガイキチになっちゃうんだと誤解されかねません。

で、犯人を追い詰めたロッキーが言うんです。

「同じだ! みんな同じように独りぼっちなんだ! 独りぼっちだから、手を取り合って、生きているんだよ!」

それで犯人が泣きじゃくって観念するんだけど、独りぼっちなら誰にも負けない私のハートには全く響いて来ませんでした。

だって、ロッキーがいま味わってる孤独と、犯人や被害者たちが味わってる孤独とじゃ、孤独の種類がまるで違いますから!

ロッキーは単純に、それまで二人暮らしだったのが急に一人になって寂しいだけの話でしょう? 職場に行けばみんなから「一緒に住まないか?」って誘われちゃうような人気者を、どう解釈したって孤独とは言えないですよ。それで「みんな独りぼっちなんだ」って、10年早いわっ!(ソーシャル・ディスタンス激怒)

ボンの殉職、その喪失感をここまで引っ張ってくれたのはファンとして嬉しいんだけど、フレッシュな新人刑事を置いてけぼりにしてまで、こんな陰気な話をこのタイミングでやる必要が果たしてあったのか?

ボンがいなくなって寂しくなったロッキーを、もっと楽しい内容で描く方法だってあったろうにって思うけど、こうなっちゃうのがこの時期の『太陽にほえろ!』なんですよね。

日本人の生活が豊かになり、貧しさとか怨恨を動機にした従来の犯罪とは違う、寂しさや虚しさみたいに不可視な動機による犯罪が増えて来た、複雑な現代社会を積極的に反映させる意図が多分あったんでしょう。

決して間違ってはいないんだけど、それより何より今はスニーカー刑事を売り出さなきゃ!って、スタッフさんは誰も思わなかったんでしょうか? それとも岡田さんや小川さんが聞く耳を持たなかったとか? そのへんに「ウチの番組はもう、そういうレベルじゃないから」っていう傲りを感じちゃうワケです。

ロッキーの「ガッタン!ゴットン!」はある意味面白いんだけどw、そういうのは大映ドラマの宇津井健さんに任せましょう。どうしても『太陽~』でやるなら確かにロッキーしか適任者はいないとは思いますがw

あと、ゲストの坪田直子さんが何げにブラジャー姿を披露されてるのはトピックかも知れません。お色気タブーの『太陽~』ではシンコ(関根恵子)以来の快挙かも? そのへんにも番組を大人向けにシフトさせたい意図が感じられます。

ちなみに本作は後期『太陽~』の常連ライターでアニメ『名探偵コナン』シリーズのメインライターにもなられる脚本家=古内一成さんのデビュー作だったりします。

本来はボンを主役にした『最後の審判』でデビューする筈が諸事情で見送られ、最悪のタイミング(だったと私は思う)でのデビューとなっちゃいました。(『最後の審判』は後にボス主演の#372として復活)

古内さんはこの時期に『太陽~』を書くのが本当に苦痛だったそうで、もしドック(神田正輝)が登場してくれなかったら脚本家を辞めていたかも?と語られてたそうです。

つまり、こんな話を書かざるを得ない、ハラスメントに近いパワーがこの時期には存在した……のかも知れません。そういうことも含めて「泥沼」だと私は思うワケです。
 


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1 コメント

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Unknown (moto('91))
2024-03-25 20:51:07
こんばんは。
すみません、私はこの話を再放送で見て、ますます太陽にほえろ!を好きになりました。他の刑事物なら最後は犯人をぶちのめして終わりになるところが、犯人に寄り添って再起を促すかのような言葉を掛けるのですから、特捜最前線を理解できない年齢の私には、非常に響きました。再放送の約半年後、学校の劇の脚本の題材にしようとしていたので、特にクライマックスはかなり心に響いたのだと思います。同じ理由で、NEWジャングルの「浩平が泣いた」も好きですね~。もっとも、1988年らしくないとは感じましたが。
上辺だけの好景気は1990年後半になると多くの人はうんざりしていましたし、1995年には同じく暗さに驚かされた「駅STATION」などという作品もあったのですから、太陽もあと何年間かこらえていたら、また受け入れられる時代になっていたかもしれないな、と、想いを馳せています。

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