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ハリソン君の素晴らしいブログZ

新旧の刑事ドラマを中心に素晴らしい作品をご紹介する、実に素晴らしいブログです。

「ブログも動きます!」

2025-04-16 16:54:58 | 日記
 
なんと、gooブログが今年11月半ばに閉鎖するそうな。

まぁしかし、最初に始めたブログ(たしかgeocities)も閉鎖になってgooへと引っ越した経緯があり、いつかこうなるのは想定内でした。

閉鎖の予告自体より、そのタイミングにこそ私は驚いてます。なにせ前回の記事タイトルが「動くときが来た。」で、今年は色んな意味でターニングポイント。

ブログ記事のデータは(画像は別として)ダウンロード出来るらしいので、残したい記事は新たな引っ越し先にアップすることが可能……だけど面倒くさいなあ! 今はそんなエネルギー無いよ!



とはいえ、私がもっと自由に泳げる(つまりエロへの規制が緩い)ブログに引っ越す良い機会ではあります。となるとcametan_42さんが推奨されてるブログのうち「fc-2」「livedoor」あたりが有力候補。gooブログ閉鎖は11月18日だそうで、それまでに新ブログを立ち上げ、過去の記事は残したい分だけそっちに移すことになるでしょう。ああ面倒くさい!

しかし、重ねての「とはいえ」、日記は日記、エロはエロ、刑事ドラマは刑事ドラマと、書く場所を区分した方が良いのでは?っていう思いも以前からありました。

特に「刑事ドラマのカタログ」的要素はブログよりもホームページ向きだろうし、これから小説を書いてみるにあたってはパソコンが必要になる(ずいぶん前に処分してしまい、ブログはずっとスマホで書いてました)から、この際ノートパソコンを新たに入手して刑事ドラマ専門HPでも立ち上げようかと画策してます。

そういうことを考えると久々にワクワクする。憂鬱気分はもうたくさん。以上のことを実現させる為にも、出来るだけ早くハードワークとは距離を置くか、スカッとお別れしたいです。さんざんイジメてくれたgoo事務局さんもバイなら!

コメント (2)
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「動くときが来た。」

2025-04-12 20:32:23 | 日記
 
「すぐに辞めるだろう」と私が勝手に予想してたMさん2号は、今も頑張ってます。上司から説教を食らったようで、態度や言葉遣いは幾分マシになりました。

けど、ふとした拍子に本性が表れる。もう大人(たぶん30代半ば)ですから根っこの性格は変えようないし、心身ともに追い詰められるハードワークの中じゃ自我を抑えきれないのもよく解ります。

ちょっと強くなった気でいた私自身も、状況が変わればまあ脆いこと! 根っこの性格は全然変わってないと思い知らされました。昨年後半から体力の衰えも著しく、どうやら、限界が見えて来ました。



謙遜でも自虐でもなく、心身ともに弱い私が、この歳で介護業界へ飛び込んで2年近くも働いて来られたのは、ほぼ奇跡に近い。それは間違いなく同僚に恵まれたからこそ。

職員の数が減って業務内容がよりハードになったこと以上に、精神的に支えてくれた人が次々と去っていき、逆に余計なストレスを与えてくれる人ばかり入って来て、上役たちの「人を見る眼」も信じられなくなって来た。(だからお前も雇ったんだと言われりゃグーの音も出ないけど)

そもそも送迎ドライバーの募集を見て面接を受けた私にとって、ムリをしてまで介護職を続ける理由が、母を見送るというミッションも終えた今、もはや尽きました。

このまま続けてもし倒れたら、誰も責任をとってくれないし面倒も見てくれない。自分の身は自分で守るしかない!

それに性格がどうであれMさん2号の方がずっと戦力になるし、中途半端な老兵は潔く去るしかないと、こないだ決めかけたのですが……



そんな時にたまたまCATVでやってた山田太一さん(昨年惜しくも他界されたレジェンド脚本家)の特集番組を観て、代表作の1つである『男たちの旅路』のシナリオ集を通販で買ったら、その関連商品として「小説の書き方」を指南する本を紹介するメールが届き、なんか久々にビビッ!と来たんですね。

小説、いっぺん書いてみようかな?

そう思ったことは過去にもあるし、たしかタベリスト仲間のgonbeさんがコメント欄で勧めて下さったような記憶もあるけど、エッセイ本はよく読むのに小説には苦手意識があり、これと言って書きたいネタもない私は「そんな畏れ多い!」ってな感じでした。

でも、今なら書けるかも知れない。人間の坩堝たる介護施設なんてネタの宝庫だし、特に母の終末期における私の実体験は、少なくとも親の介護をしてる(あるいはしてた、これからする)人にきっと響くものがあるはず。

「書いてみたい」と思ったし、過去にジャンルは違えど創作でメシを食った時期のある私なら「きっと書けるだろう」とも思い、即座にハウトゥー本を購入しました。



小説家になります!なんて大それたことは言いません。「試しに書いてみよう」程度の思いです。ちょっとしたコンテストのちょっとした賞でも、目標にすれば立派な「生きてくモチベーション」になるだろうし。

ただ、それに人生を賭けて無職になるほどの余裕は無いし、かと言って新しい仕事を1から始めるエネルギーも今はない。あと、いま勤めてる施設(の利用者さんたち)には愛着もあるんです。

だから、もし可能なら、私が担当してる午前中の業務(主に清掃と配膳準備)をそのまま継続し、午後は帰宅させてもらう形(つまり半日パート)にしてもらえないかと、こないだ主任にお願いしました。

気の優しい主任はむしろ「ハリソンさんの夢を後押ししたい」ぐらいの理解を示してくれたけど、その上の立場にいる主査は「おかんむり」みたいだし(これまでも散々ワガママを言って来ましたから)、今回の希望が通る可能性はたぶん五分五分以下でしょう。

けど、それで退職になっても後悔はありません。せっかく顔馴染みになった人たちとお別れするのは寂しいし、戦場から逃げる罪悪感もあるけど、私の人生は私のもの。どう生きるかは私の自由です。

そんなワケで半日パートになるか退職するか、しばし上役たちの判断を待つことになります。どっちにしろ小説には必ずチャレンジするけど、まずは勉強(図書館に通って小説を読みまくる)からのスタートなんで、かなりの月日がかかりそう。長い目で見守って頂ければ幸いです。



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「もうひとりのMさん。」

2025-03-29 17:31:32 | 日記
「今後はとにかく穏やかに生きたい」「目指すは仏」なんて書いたそばから、それを邪魔する者がさっそく現れました。いや、正確には「いた」のに今まで気づいてなかった。

それは例の「Mさん」とほぼ同時期に私の勤める施設に入ってきた、新職員の若い女性。奇しくも苗字のイニシャルも同じ「M」なんだけど、ただの偶然であって全国のMさんを敵に回すつもりはありません。

辞めて行ったMさん1号はまだ、そのタチの悪さを早々に表しただけマシかも知れません。

1号よりかなり若くてちょっと美形のMさん2号は、まあ私がお人好しなせいも多分にあるけど、当初は何ならオレに気があるの?と思わせるぐらいの見事なネコの被りっぷりで、タチの悪さも相当なハイレベル。若いだけにパワーもある。

いわゆるヴァンパイア型の同僚女性は以前からいたけど、Mさん1号と2号はもう、ストレートに“性格が悪い”。面倒だから細かくは書かないけど、それこそ漫画やドラマに出てくるイビリ役のレベル。

数少ないであろう女性読者を敵に回すつもりも無いけれど、オンナの怖さはさんざん思い知ってたつもりなのにまた騙されたよ! 怖い! 本当に怖い!

私より先に何人かの同僚が2号の正体を見抜いてるし、仕事もハードだから長続きはしないだろうと思うけど、もし万が一居座られたら私はもう辞めるしか無いかも知れません。あんな性格の悪い同僚と一緒にいて穏やかな日々を過ごせるワケがない。



ホントにもう、次から次と…… いろんなことを「成長の糧」と解釈するよう努めて来たけど、ここまで来るともう「呪われてる」としか思えません。

ただ、こうしてブログのネタにすると滑稽に感じて笑えたりもする。冷静に考えりゃアホくさい悩みだし、長い人生においてはほんの一瞬の不快感。書いててそう思えて来たから、つくづく私にとってブログは大切な生命線。

とりあえず不快な人物とは出来るだけ距離を置くしかない。関わることは避けられないし、我慢しなきゃいけないことも多々あるだろうけど、この「客観視して笑う」姿勢さえ忘れずにいれば、まあ何とかなるでしょう。



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「ハリソン君という名の仏。」

2025-03-25 23:15:20 | 日記
 
母が他界してから1か月が過ぎ、落ち着いたようなつもりでいてもそうじゃなかったりする不安定な日々。

たとえばファストフード店のカウンターで食事してるとき、隣の席に見ず知らずの老夫婦が座っただけで涙が溢れちゃう。

最近、NHKさんがテレビ放送100周年の特集番組を連発してるけど、“きんさんぎんさん”の元気なお姿が映ろうもんなら号泣ですよ!😭

まあしかし、人生屈指の試練を乗り越えて以前よりは強くなれたし、前向きにもなれたと思ってます。

ただ、いちおう前を向いてはいるけど、どこを目指して歩めばいいのかっていう答えがまだ出てこない。「別にムリしてまで夢を持つ必要は無い」とは以前から思ってるけど、目指す方向ぐらいは決めとかないと、いつかきっと行き詰まる。



あえて望みを言えば、とにかく残りの人生は穏やかに生きたい。いや、誰だってそうありたいだろうけど、実現したらそりゃ“仏さまの領域”ですよね。

今はとりあえず、少しでもそこに近づくことが目標……というより、自力で自分を幸せにできる唯一の道。

思えば「ストレスを溜めない」「いい人をやめる」「手を抜く」「とにかく休む」等々、昨年から読んでる本は「穏やかに生きる」ための指南書ばかり。

書店にそういう本がズラッと並んでるのは、同じことを望みながら出来ないでいる人がいかに多いかですよね。仏さまの領域だから当然なんだけど。



目指すは「ハリソン君という名の神」ならぬ「仏」ですか……

だからって修行・苦行の類はもうけっこう。仕事も学習もリモートで……を通り越してA.I.を使う時代になにやってんだ?って話です。

カンフー映画のビデオを観まくって達人になった『チョコレート・ファイター』の主人公(ジージャー・ヤーニン)みたいな感覚で、私は仏になってやろうかと、いま決めました。



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「気をつけて行きなさいよ。」

2025-03-19 21:56:00 | 日記
 
勝手に心の拠り所にさせてもらってた同僚2人が辞めてしまうと判って、母を亡くした喪失感がまたぶり返してます。

いや〜、まいった。まだ続きますか。もっと修行して強くなれってことですか。キツいなあ。お別れが続くのは実にキツい。

段階的に心の準備ができた母の場合と違って、今回は“寝耳に水”な分だけダメージはより大きいかも知れない。まいった。本当にまいった。もう勘弁して下さい。



母に関しては、亡くなる前は自分が幼い頃(家庭が平和だった頃)の想い出に浸って泣いたりしたけど、亡くなったあとは逆に、自分が実家に戻ってからの日々がふと頭をよぎって涙が出ちゃう。

たとえば病院や介護施設へ送るために母を乗せたマイカーの助手席とか、そのときに少しだけ交わした会話とか、なんでもない光景が今は愛おしく感じられる。決して仲のいい親子じゃなかったのに。

どんな物事も人間関係も、永遠には続かない。いつか必ず終わりがやってくる。それはもしかしたら明日かも知れない。



母が私に対して最後にかけてくれた言葉は、「気をつけて帰りなさいよ」でした。施設でも病院でも私は基本的に無視されてたけど、ごくたまに機嫌がいいとき、その一言だけ返してくれました。

ホントそれしか言わないもんだから、私は内心「そんなに早く出てって欲しいの?」なんて思ったりもしたけど、あれは体力ギリギリの状態にあった母の、息子に対する精一杯の思いやりだったのかも?って今は解釈してます。

会話のない家庭と言っても、私が学校に行くときは必ず玄関まで来て「気をつけて行きなさいよ」と言ってくれる母でした。

ガキンチョだった私は「分かってるわ!」ってなもんだったけど、もう二度と聞けないんだなと思うと、いや〜、キツいです。


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