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ヨハネの黙示録10章

2021年09月14日 07時05分25秒 | ヨハネの黙示録
1.もはや時は残されていない(10:1-7)
黙示録の一つの特徴は、著者ヨハネの視線が、天と地、交互に向けられながら、神の啓示を解き明かしていくことです。この10章では、再び視線は天に向けられ、そこで起こっている事柄が語られます。
1節、「もう一人の強い御使い」は5章2節では、「巻物を開き、封印を解くのにふさわしいものは誰か」と大声で告げています。ここでこの御使いは、一方の足を海に、他方を地に下ろしています。それは、全世界を支配し、そのすべてにかかわるメッセージを持っていたことを象徴しているのでしょう。そして何か意味あることを叫ぶのですが、それを書き留めることは禁じられます。ただ一つ許されたことは、「もはや時が残されていない」ことを私たちに伝えることでした。ここで「時」と訳されたギリシア語はクロノス。経過する時間としての時です。つまりこれ以上、時間、クロノスは存在しない、終わりが来たということでしょう。侵略、戦争、飢饉、疫病、様々繰り返されてきた人類史の危機的状況の中で、人類には、悔い改める機会が十分与えられてきて、もはやこれ以上の延期はないというわけです。そして6章10節で聖徒たちが「聖なるまことの主よ。いつまで裁きを行わず」と叫ぶのですが、その問いに答える時が来た、と言うわけです。
7節、神は、いよいよ奥義を実現されます。奥義は、ギリシア語でムステリオン、いわゆるミステリー、隠された秘儀を意味します。それは一般的な意味では、ごく限られた人しか達することのできない知識を指しています。しかし聖書ではそうではありません。確かに、それは代々に渡って長い間隠されてきたことですが、今や、イエスによってすべての国の人々に知らされたものとされます。使徒パウロは、それを福音であるとし、その中身は、キリストにある罪の赦しのみならず、キリストにあって異邦人とユダヤ人が一つとされることであると語りました(エペソ3:1-5)。つまり、ヨハネの黙示録では、7章9節で述べられたあらゆる民族、国語、部族の者がキリストにあって一つにされるという、教会の完成について語っているのです。どうでしょう。もはや時が延ばされていないというのは、地球を滅ぼすカウントダウンが始まったというのではなくて、教会の完成がもう間近だ、と言うのです。黙示録のメッセージを完成ではなく、滅びを伝えることが中心、と真逆に受け止めている人は多いのではないでしょうか。黙示録は1章で述べたように、基本的に、読者に幸いを語ろうとしているのです。
2.とって食べよ(10:8-11)
 8節、ヨハネはその大声で語るみ使いに近その手にある巻物を受け取るように語られます。するとみ使いは、それを与えて「取って食べよ」と命じるのです。古い文語訳の聖書では「食い尽くせ」つまり完全に消化して自分のものとせよ、と言っています。「腹には苦いが口には甘い」というのは、エゼキエル書に出てくる表現(3:1-3)を使ったもので、旧約聖書のエレミヤも同じ経験をしています。もちろん、エレミヤの経験は文字通りというわけではなく、聖書を読み味わうというものでしょうが、エレミヤは、神のことばを食べるとそれは楽しみとなり喜びとなったと語っています(エレミヤ15:16)。しかし、この黙示録では、それは単に甘いだけではなく、苦さもあるのです。よく言われることは、悔い改めない人々に対する神の怒りと裁きのメッセージが同時に語られているからだというものです。罪の赦しを信じ受け入れる人にとって、それは甘い優しいことばですが(詩篇19:9-10)が、拒否する人には、厳しい罪の告発であり、その報いを明らかにするものだからだ、と(2コリント4:1)。けれども、注意すべきは罪の赦しを信じ受け入れているヨハネのお腹の中で苦くなっていることです。ですからこれは、福音そのものの作用というよりも、福音を語る人の経験を語っているのです。つまり、人に向けて罪の悔い改めを語ることは、それほど用意ではないこと、そしりを受け、嘲りを受ける、そんな苦みを味わうことだ、と言っているのです(エレミヤ9章)。確かに、罪の赦し、そんなものはいらないよ、死んだら終わり、それでいいじゃない、と耳を貸そうとしない人はいくらでもいます。それは、福音を語る者にとって、本当に残念で、悲しく、苦い経験です。けれども聖書は語るのです。たとえ皆が嘲って、聞こうとしない、そうであっても、福音の完成は近づいている、と。滅びが近づいているというのではなく、キリストにあって一つとなる祝福の時が近づいている、というのです。だからこそ、福音の恵みを語らなくてはならない、ということでしょう。では今日も良い一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズです。「9章の背景となるいなごの災い、そこには、旧約聖書の何書を背景としたパロディがありますか?」答えは①ヨエル書でした。ヨハネは、旧約聖書にある様々なモチーフを使いながら、黙示録を書き進めているといえます。では、今日の聖書クイズを一つ。神のみ言葉を食べて、「それが楽しみとなり、心の喜びとなった」と語っている旧約の預言者は誰でしょうか?答えはまた明日、今日もよき一日となるように祈ります。

<天草さんのフォローアップ>          
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