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ヨハネの黙示録18章

2021年09月22日 07時06分43秒 | ヨハネの黙示録
ヨハネの黙示録18章 世の富は過ぎ去る
1.18章の位置づけ(18:1-10)
 アメリカニズム的キリスト教、あるいは繁栄の神学ということばがあります。アメリカには、独特のサクセスストーリーの文化があります。つまり、目に見える豊かさに価値を見いだし、そこを中心にして生きる考え方があるわけです。それがアメリカのキリスト者にも影響を与えており、繁栄が神の祝福の現れであると考えるのです。しかしそのような考えは、世俗のご利益信仰とあまり変わるものではありません。そのようなことのために、何もキリスト教信仰を持つ必要もないでしょう。
 聖書はもっと重要な価値観を教えています。そのような物質主義に囚われた生活は、大淫婦に貢ようなものである、と(1節)。先の17章で、ヨハネは、大淫婦が聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見て非常に驚いた、と語っています(17:6)。つまり、キリスト教信仰を持ちながらも、物質主義的な価値観に毒され、大淫婦の餌食となっているキリスト者に驚いているわけです。実際、ヨハネが書き送った7つの教会の内、ラオディキアの教会は、そのような問題を抱えた教会でした(3:17)。成功を求め、富を求め、繁栄を求める、世の風潮の中で、知らず知らず、キリスト者もそれに染まっていくことがあるものでしょう。しかし聖書は言うのです。4節、「その災害に巻き込まれないように、彼女のところから出ていきなさい」と。悪影響を受けないために分離する、離れなさい、と言います。もはや、モノに囚われて生きていた時代は、十分ではないか、今は神の栄光のために生きているのではないか、というわけですね。そのような意味で、18章は、17章の結論として読むべきところです。
2. 混乱する経済活動(18:11-24)
11節以降、大淫婦が裁かれる、つまり、バビロンに神の手が及ぶことで、大都市での経済活動が全く混乱していく様が描かれています。12節の商品のリストについて、多くの注解者は、生活必需品ではない贅沢品であると言います。つまりこれらのどれがなくても十分幸せに生きていけるはずのものです。その中には、「奴隷、それに人のいのち」もあります。当時ローマ帝国の繁栄は奴隷制度によって支えられていました。ローマ帝国全体に6000万人の奴隷がいたとされます。しかしそれだけの奴隷を動かしたということは奴隷売買によって巨大な富を得ていた、ということでしょう。奴隷や人のいのちまどもが商品化されていく大都市の現実、これは、現代でもありうることではないでしょうか?「聞かれることはない」ということばが繰り返されています。それは、生活音が消失してしまうほどに、無に帰す徹底した滅びが起こるということでしょう(22節)。ローマは結局、繁栄の頂点にあったときに、贅沢のために滅んでいきました。徳川幕府が倒れた原因の一つに、それまで権力と富を握っていた武士階級から富が、商人に移っていったことにある、と言われます。武士が没落し、お金を握った商人が地上の権力者になっていき、幕府が倒れていくのです。
現代は、世界人口の20%の人々が世界の資源の80%を消費していると言われます。どれだけ少数の金持ちが自分のためにだけお金を使っているか、ということですが、神はそのような自己目的化した富の浪費、不正な使用を、決して見過ごされることはない、というわけです。
イギリスの黙示録研究の第一人者であるボルカムという神学者は、まさにこの17-19章は、平和を保障された先進国に対する現代的なメッセージである、と語りました。現代の日本も、おむすびころりん1億個と言われる状況があり、享楽的な雰囲気に溢れています。その雰囲気にいつのまにか影響されて、迫害下で苦しんでいる他国の兄弟姉妹の存在を忘れ、この世の快楽や贅沢にうつつを抜かしているとしたら、その人生は、獣に刻印を押され、淫婦に貢ぐそれと変わらない、大淫婦と共に滅びる人生ではないでしょうか。終末の試練は、迫害だけではないのです。それは世の享楽に惑わされることもそうなのです。今の時代がどんな時代であるか、冷めた目を持って、しっかりとした信仰の歩みを進めさせていただきたいものです。では良き一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に昨日のクイズです。「17章に出てくる大淫婦、これは、何の象徴と説明されているでしょうか」答えは5:18にあるように「大きな都」つまり、贅を尽くし、享楽に浸りきっている大都市のことを言っています。では、今日の聖書クイズを一つ。黙示録を書いたヨハネは、他にどんな書を新約聖書に残していますか?答えはまた明日、今日もよき一日となるように祈ります。

<天草さんのフォローアップ>          
パスターまことの聖書通読一日一章をフォローし、さらに掘り下げにチャレンジしている、天草さんのサイトはこちら⇒「天草幸四郎」http://progress-to.jugem.jp/
私の願いは、聖書が国民の愛読書になることです!


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