ささやかな幸せ

SUPER EIGHT、本、美術鑑賞、俳句、お茶が好き!
毎日小さな幸せを見つけて暮らしたい。

あこがれのマチュピチュ ペルー・ボリビアの旅 その3

2018-03-14 22:33:14 | 旅行
 2/11。3日目は、マチュピチュ(現地のケチャア語で古い山)。前日は、雨で何も見えなかったらしい。さて、今日は?


マチュピチュ全景。むむむ?でも、このあと、どんどん雲が流れて行って・・・場所を移動していくうちに、はっきり見えました!




左がウチュピチュ(低い山)、右がワイナピチュ(若い山)


見張り小屋 イチュというイネ科の植物で屋根をふいている


建物の外にある出っ張りは、屋根にイチュという植物をふくためのもの ちなみに、建物の中にある出っ張りは、お守りを引っかけるらしい。


儀式の石 生贄を置いた石だとか。階段は3段。インカでは、3は重要な数字で、過去・現在・未来を表す。大切な所には3が使われている。


王さまの石積みは丁寧


王さまのトイレ 奥の穴がそうだとか 水洗???


太陽の神殿 冬至と夏至に窓から太陽の光がまっすぐに入るらしい


段々畑と思いきや、地震対策で斜面が崩れないための段々


日時計 パワースポットらしいので、手をかざしてパワーをもらおう


リャマ 放牧しているらしい


天体観測の石 ここの場所は屋根がなく、天体観測をしていたらしい。石臼みたいなところに水を張り、水鏡にして天体観測


水に太陽が映っている


コンドルの石 地面にあるのがコンドルの頭。後ろの大きな二つの岩が翼。わかりにくい・・・。


段々畑 段々畑の向こうに見える建物は倉庫

 
 現地ガイドさんからのお話。(メモをしていたが、聞き間違いがあるかも)
 1911年、ハイラム・ビンガムによって発見されたマチュピチュ。ビンガムは、インカの謎の都市ビルカバンバを探していて見つけたらしい。当時は、ジャングルに覆われていたとか。(ビンガムは20年の貸し出しということでマチュピチュの発掘物をエール大学に運び込む。しかし、返却は100年も過ぎてからだった)
 マチュピチュは、インカ第9代皇帝パチャクティの別荘と言われている。マチュピチュが選ばれた理由は、1.守りやすい 2.近くに泉がある 3.太陽・月・星・稲妻の神々と近い 4.知られていない。1443年から90年位建築にかかったらしい。
 インカ時代は戦争が多く、住んでいた人には軍事訓練をしていたらしい。また、アンデス山脈とジャングルの間にあることから、農業の実験研究所のような役目もあったとか。段々畑で農業をし、近くの村と物々交換をしたり、クスコから1週間位で食物を運んでいたりしていたらしい。
 しかし、1533年スペイン人のフランシスコ・ピサロがクスコを征服。クスコから食物が運んで来られなくなったので、マチュピチュを捨てたらしい。
 近くを流れるウルバンバ川の石でマチュピチュを建築。ブロンズののみで彫り、くさびを入れて水をかけて石を割ったらしい。

 Tシャツ、長袖Tシャツ、ユニクロの日焼け防止パーカー、ユニクロのライトダウン、レインコートの上着を着ていく。朝は、ちょうどよかったが、天気がよくなってくると暑くなって、どんどん脱いでいき、最後はTシャツ、長袖Tシャツのみになった。

 電車の時間までマチュピチュ村の民芸品市場をぶらぶら。値段は交渉次第。
 
 ちょうど2月はお祭りの季節なのか、子どもたちが水風船や泡スプレーで水や泡をかけあってキャッキャッしている。大人もバケツで水をかける。一応、観光客は避けてくれているようだが、巻き添えをくう場合あり。下が水で濡れていたり、子どもたちが集まっている所は避けた方がいいかも。

 帰りの電車では、SOLというブランドのベビーアルパカのファッションショー。食べ物や飲み物を給仕してくれた人がモデルに変身。安心のブランドらしく、価格も妥当だと思った。素敵な服で買う人も。試着していた方はお似合い。関西のおばちゃんは、試着で似合っている人を見ると「よう似合っとうで。それ、買い」と言いたくなる。ツアーは、うち以外、関東の方なので、関西色を出さないようにするのが大変だった・・・。でも、関西色がたくさん漏れていたかも!?





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