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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県飯山市、照里長峰神社のスギです!!

2018-09-17 06:37:54 | 巨樹・大木
照里地区は、飯山市役所の北約7kmのところ

県道95号線を北へ常盤地区の北側が照里地区です

飯山市立城北中学校への入り口を過ぎるとまもなく

県道95号線沿いに長峰神社が東向きに鎮座します

東側に入る道路脇に車を止めさせて頂きました



県道に面した参道入口です

石段を上ります

拝殿です

拝殿手前左側に杉の大木が在ります

本殿は幣殿の無い形で後ろ側山の斜面に建っています

拝殿脇(南西側)から目通り幹囲約4mでしょうか

拝殿前から見上げました、綺麗な杉です

では、隣の光明寺参道入口を撮影してからケヤキを見に行きましょう
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長野県飯山市、寿顔戸加保戸神社(八幡様)の大ケヤキです!!

2018-09-16 06:21:25 | 巨樹・大木
寿地区は、飯山市役所の北約6kmのところ

国道292号線の藤ノ木信号を北へ県道409号線を進みます

寿地区に入って県道411号線を西へ、すぐ北へ入る道を上がると

正面にケヤキの巨木が在ります

加保戸神社の鳥居の前に車を止めさせて頂きました

正面にケヤキの巨木が見えて来ます

加保戸神社境内です

南側から見上げました目通り幹囲6,2mの巨木です

東側から


手水が流れています



加保戸神社社殿です、新しく建替えられたばかりですね

社殿の前から見ました

北側から

北東側から

では、次へ行きましょう
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長野県飯山市、旭正行寺のイチョウです!!

2018-09-15 06:21:11 | 巨樹・大木
正行寺は、浄土真宗本願寺派の寺院です

飯山市役所の北約3kmのところ、旭地区の北東端近くです

国道292号線藤の木信号から県道409号線を北へ

家並みが切れた所で右手に見えて来ます

庫裏の前に駐車場が有りますので利用させて頂きました



参道です

山門です

鐘楼が東側の丘の上に有ります

本堂前右手に親鸞聖人様の像が有ります

本堂です

山門の左手に目的のイチョウです

山門を入った東側から

北側から

西側から

市指定天然記念物の標柱です


説明板です
  飯山市指定文化財
   正行寺のイチョウ
     平成10年5月18日指定
 このイチョウは雄木で、飯山市内では二番目に太く
胸高幹囲は675cmです。
 イチョウは中国産で、宋時代の「鴨脚」の音読み「
ヤーチャオ」のなまったものと考えられています。
 市内ではこのほか雄木で胸高幹囲1400cmの神
戸のイチョウ(県指定)と雌木で胸高幹囲630cm
の大川のイチョウ(市指定)があります。
 イチョウは、イチョウ科イチョウ属イチョウの一科
一属一種で、この実をギンナン(銀杏)といって食べ
ます。イチョウの授精の仕方が変わっていて、その仕
組は明治29年(1896)日本人によって明らかに
なったものです。
   飯山市教育委員会・宗教法人 正行寺


南西側から

では、次へ行きましょう
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長野県飯山市、旭大川大川神社の二本スギです!!

2018-09-14 07:23:40 | 巨樹・大木
旭大川地区は、飯山市役所の西北西約5kmのところ

国道292号線を西へ妙高市方面へ進みます

大川トンネルの手前で県道503号線を南へ入ります

まもなく「大川地区地域交流センターふれあい」の前を

西への道路を上ると右手に赤い鳥居が見えて来ます

鳥居の前を通り境内へ入る事が出来ます

広い下側の境内に車を止めさせて頂きました

右手に赤い鳥居が見えて来ました

大川神社です

参道入口の赤鳥居の懸額には村社の文字が有ります

参道の石段の上に目的のスギが見えています

二本の杉が上下に接近して在ります

石段を上がって来ました、根元から見上げます

境内東側から、上側の杉が太いようです

境内西側から、目通り幹囲は下側のスギが4,5m、上側のスギが5,2mの巨木です

石段上の建物は神楽殿のようです

拝殿はもう一段上です

本殿覆い屋です

改築の記念碑です
  

地蔵堂です

縁起です
  大川清造翁生地蔵縁起
 大川清造翁、明治32年9月26日東京府南葛飾郡隅田村に
生まる。幼にして硝子業界に入り20才にして父と共に独立、
艱難辛苦を克服し隆盛の一途をたどる。60才にして業を子に
譲り宿念の信仰一途に入る。
 翁、幼きより信仰心篤く、33才の折り霊感により、祖先を
祭る当地大川神社に導かれ、以後種々の霊験を授かる。翁授か
りし霊感を広く世人に施さんと精進を重ね、遂に一切の災は因
縁にあり、幸はこれをのぞくにありとの真髄を会得するに至り
、具現せし奇蹟幾多に及ぶ、神のお告げにより自ら生地蔵と稱
し、自らの五体を信者に貸し難病平癒に供す法力を得、常時村
民の願いに応ずべく当地に身代り地蔵建立を念ぜしが、不幸病
に仆れ昭和53年3月7日不帰の客となる。
 大川地区民・信者一同翁の志を心とし浄財を投じここに本尊
を祭る。
 願わくば子々孫々に至るまで永く有難き霊験を授けられんこ
とを
  昭和53年11月吉日   宗教法人 大川神社


帰り際に鳥居脇の大川翁の碑から杉を見ました

では、次へ行きましょう
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長野県飯山市、静間神社のケヤキ二本です!!

2018-09-13 05:35:14 | 巨樹・大木
静間地区は、飯山市役所の南南西約3kmのところ

山裾の道路沿いに飯山高校が有ります

高校の東側すぐ下側に静間神社が鎮座します

北側道路脇に車を止めさせて頂きました

参道入口です

静間神社です

静間神社鳥居の後ろにまず一本目のケヤキが見えています

石段を上がると根元に穴のあるのが分かります

東側から見上げました

拝殿です

本殿覆い屋です

拝殿前から見ました

もう一本は、本殿裏側に在ります

北側から、目通り幹囲5,3mの巨木です

東側から

では、次へ行きましょう

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長野県飯山市、伝静間氏館跡です!!

2018-09-12 08:50:53 | 城跡・館跡・陣屋跡
静間地区は、飯山市役所の南南西約3kmのところ

山裾の道路沿いに飯山高校が有ります

高校の東側すぐ下側に伝静間氏館跡(静間神社)が有ります

北側道路脇に車を止めさせて頂きました

静間神社の敷地は、嘗ての館跡です

石段と鳥居です

説明板が有ります
  静間神社と伝静間氏館跡について
 当該の静間神社境内は静間小太郎館跡と伝承されているが、静間
小太郎についての史料は現存していない。ただし、関連の静妻(志
津摩・志妻・志津間・閑妻)氏については「保元物語」や「平家物
語」などの「軍記物語」に散見し、平安末期の静妻氏の存在は明ら
かであろう。
 NHK放送のテレビ番組「平清盛」でおなじみの保元の乱(11
56)を記す「保元物語」では平清盛と同様、後白河天皇方として
の源義朝の配下に志津摩太郎・同小太郎(各写本により字は異なる
)などが見える。
 また、「平家物語」には越後の平家党の城氏の配下に閑妻六郎が
見えるが、善光寺平の横田川原合戦で城氏が源氏の木曽義仲に敗退
し、静妻氏も衰退したと推察される。
 清川の対岸のやや下るところには北畑館があり、伝承では小倉四
郎太夫の館などあるが、静妻氏との関連については明らかではない

 これらの館跡は支配下の集落や水田地帯を一望する高台にあり、
静妻氏以降も若槻新庄静妻郷の地頭やその代官が居住することがあ
ったであろうし、甲越合戦時代には飯山城の防御線としてこれらの
館跡が利用された可能性もある。
 したがって、厳密には現在の静間神社境内が平安末期の館の遺構
を残しているとは断定できないが、神社敷地には土塁が現存し、以
前は館跡の西・南・東に廻っており、その外側に空堀の跡も散見し
た。館跡東側の郷倉の西では箱堀状の空堀が発掘調査されている。
 古来より武将の館跡として村の要であったこの地が、安土桃山時
代ごろには神社敷地となっており、江戸初期には諏訪社・明神社(
伊勢社)の二社が飯山城代の皆川氏より神領寄進や安堵をうけてい
る。
 その後、江戸後期以降に諏訪社が現中町交流センター敷地に移り
、明治時代には静間村社となっていた。
 ただし、現静間神社の建物は中町組の神明社として引き継がれ、
明治42年に田草神社・屋敷諏訪社が静間村社諏訪社に合祀され、
大正13年に無格社伊勢社(現館跡の中町組氏神)に村社諏訪社・
大山衹社(大久保組の山の神社)・無格社伊勢社(字松尾の北畑組
氏神)が合祀された。
 すなわち、上記6社が合祀されて、静間神社と改称されたのであ
る。なお、その他に数社が合祀されているかは不明である。
 静間神社の本殿は安政4年(1857)再建伊勢社に建築物、祝
詞(のりと)殿(幣殿)は大正13年の建立、拝殿は建築年代不詳
である。
 なお、昭和50年代の聞き取りでは、静間神社門前の3祠につい
たは、南から館跡土塁上にあった祠・中町区梨の木地籍のおっしゃ
んじ(御石神か?)からの祠・中町区水野氏宅から移動された祠と
なっている。
 毎年の9月第3土曜日・日曜日に行われる静間神社例大祭は3台
の屋台が繰り出し、老若男女こぞって屋台曳きに当たる。笛太鼓の
伝統音楽を奏で、提灯がゆれる屋台の様子は、近隣地域のみならず
、県内でも特色のある祭りとなっている。ちなみに、屋台は蓮地区
のものと同様、飯山市の有形民俗文化財となている。
 以上のように、静間神社は先住民の歴史の中に鎮座し、地域の良
民の信仰の要であり、住民同志の連携を深める場所でもある。
   (平成24年9月吉日  文貴静間区および静間神社)







境内南側には土塁などの痕跡は見当たりません

本殿の載っている部分が土塁の跡だそうです

西側から確認できます

では、次へ行きましょう
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長野県飯山市、神戸の大イチョウです!!

2018-09-11 06:22:24 | 巨樹・大木
神戸地区は、飯山市役所の北東約6kmのところ

国道403号線を東へ、木島平村に入ったところで県道38号線を北へ

県道38号線を進むみ、案内板が有りますので従って進みます

大イチョウが在るのは千曲川右岸の台地の上です

周りに畑や墓地が広がる中に大イチョウが在ります

大イチョウのまえに駐車場があります



県道38号線沿いの案内板です

家並みの切れ間から左手の高い所に大きないちょうの木が見えます

ここからは畑の中の狭くて急な道路に成ります

大銀杏です、駐車場から

根元に鳥居が有ります、懸額には「銀杏三寶大笊神」とあります

南西側根元です、株立ちの太い幹です根元には石の祠があります

県指定天然記念物の標柱です

根元東側に小さな社が枝の下に隠れるように有ります

説明版です
  長野県指定天然記念物 神戸のいちょう
    昭和37年9月27日指定




枝の下にもぐって幹を見まし(南東側から)


北東側から

北側から

北西側から

西側から

では、次へ行きましょう


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長野県木島平村、穂高長光寺の大イチョウです!!

2018-09-10 18:52:53 | 巨樹・大木
穂高地区は木島平村役場のの北北東約2kmのところ

城山(標高600m)の西麓、飯山市との境近く

地区の一番奥に、長光寺が有ります

大イチョウは入り口参道右手に在ります

参道入口に車を止めさせて頂きました



南から進むと、寺の入り口に大銀杏が見えて来ます

参道を覆う様に見事な大イチョウです

南西側から見上げました、根元には御堂があります

説明版です
  木島平村指定文化財
 天然木念物(植物)大イチョウ
  推定樹齢  不明
  胸高幹囲  880cm(指定当時720cm)
  樹高    推定30m
 昔、三尺坊真蹟という偉いお坊さんが神戸(飯山市神戸)
より杖として持ち帰り、この地にさしたのがこの木だといわ
れています。その時、逆さにさしたので下より上が太く、逆
さイチョウとも言われています。
 以来、長光寺では三尺坊真蹟を象徴する霊木として、鎮防
大燭の霊佛が宿るものとし、毎年この霊佛を象徴する御札を
印刷して信者に分けてきました。
 このような大木は長野県には、県下最大の大木で太さ11
mの神戸のイチョウ、松本市入山辺の先手のイチョウ、東筑
摩郡生坂村の乳房イチョウ、長野市吉田のイチョウ(太さ約
8,6m、樹齢約900年)があります。
  昭和47年11月15日指定
              木島平村教育委員会



参道石段をイチョウの枝が覆いかぶさっています

本堂ですが無住の寺になってしまっているようです

北西側根元から見上げました、根元の岩の上には石の祠が有ります

本堂脇から見ました


東側から

では、次は神戸のイチョウへ行きましょう
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長野県飯山市、下木島鳥出神社の大ケヤキです!!

2018-09-09 09:21:46 | 巨樹・大木
下木島地区は、飯山市役所の東北東約3kmのところ

国道403号線で千曲川を渡り木島信号を北へ入ります

県道38号線の北側の住宅地の中です

地区の中程に案内板が有ります

長野県指定天然記念物、信州木百選巨木・・・150m進むと右手に神社が鎮座します

参道西側に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました

参道入口です

村社 鳥出神社です

参道入口両側には陰陽石でしょうか

手水舎です

大きな石碑が有ります

由来記が在ります
  鬼の伝説
 この神社には誉田別尊(ほんだわけのみこと)
応神天皇をまっています。
 江戸時代は八幡社と称していました。
 明治6年に八幡宮に、明治44年に鳥出神社と
なって現在に至っています。
 創建年代は南北朝時代(1380~)といわれ
ます。
 大昔、この付近に一匹の大鬼がいて、あちこち
の村を荒し回っていたそうです。村人は皆この鬼
を何とかしなくてはと思っていたところ、ある秋
の日の夕方、一天にわかにかき曇ってすぐ暗闇と
なり、同時に天地おも割れんばかりの「ウワーン
」という大声がひびきわたり、大鬼の胴体だけが
鬼神堂付近の草むらから見つかり、その鬼の頭が
上木島の照明寺大門のあたりに転がっていました、
そして誰言うともなく鬼の頭のあった方を「下鬼
島」と呼ぶようになりました。
    飯山の風土記より・・・
       地域のいきがいづくりを記念して
    平成11年4月吉日




赤い鳥居を潜って直角に曲がると社殿です

目的のケヤキは社殿の前に在りますが~


大きな根張の跡が痛々しく、幹の6割を削り取られてしまっています

南東側から、幹を削り取った時の鋸の跡も見えます

残念な姿になってしまっています元々は目通り幹周り9,2mもありましたが~

南側から


北東側から

北側から

社殿の北側には鬼がまつられているのでしょうか

社殿南側には庚申塔や主夜神の石塔が並びます


鳥出神社の大ケヤキの標柱です、県指定天然記念物からは除外されてしまったようです

では、次へ行きましょう
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長野県中野市、岩井日里御宰建神社のケヤキです!!

2018-09-08 06:32:36 | 巨樹・大木
岩井地区は、中野市役所の北約9kmのところ

千曲川右岸の中野市の北の端にあたります

県道414号線が千曲川の土手道となる東側

旧道沿い地区の中ほどに日里御宰建神社が鎮座します

手前の道路脇に車を止めさせて頂きました




南側から近付きます

境内への入り口です



日里御宰建神社です


手水舎です

入り口北側のケヤキです


境内に入って直ぐにケヤキの巨木が在ります

鳥居です

鳥居を潜って境内内側から見ました

南側から見ました、目通り幹囲7,5mの巨木です

拝殿です

本殿は覆い屋の中です

境内南側のけやきです


社殿の西側にもケヤキの大木が並びます


境内社です


拝殿前には嘗てあったであろう巨木の痕跡が有ります

では、次へ行きましょう
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長野県山ノ内町、夜間瀬宇木のエドヒガン(千歳桜)です!!

2018-09-07 06:17:42 | 巨樹・大木
夜間瀬地区は、山ノ内町役場の北北西約5kmのところ

県道434号線を北へ、リンゴやブドウの畑の中を進むと

中野市との境近く道路交差点脇に宇木のエドヒガン(千歳桜)があります

西側に駐車スペースが有ります


東側から山道を上ってきました正面に目的のサクラです

東側の横道から

東側から



長野県指定天然記念物の標柱です


宇喜の千歳櫻の石碑です

説明板です
 長野県天然記念物
   宇木のエドヒガン
  昭和42年5月22日指定
  下高井郡山ノ内町大字夜間瀬字赤禿所在
 県内のサクラの古木のほとんどはエドヒガン(別名アズマヒガン)
で、これはそのなかでも一・二をあらそう巨木である。
 古くから月見桜とも見返り桜とも言い伝えられていたが、昭和3年
昭和天皇御大典を記念して「宇内万邦歓喜」の文字の中から、宇木に
ちなんで「宇喜の千歳桜」と名づけられた。
     長野県教育委員会・山ノ内町教育委員会





根元から見上げました

北東側根元から


西側の駐車場から見ました

周りにはリンゴや

ブドウの畑が広がっています

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長野県中野市、赤岩谷厳寺のシダレザクラです!!

2018-09-06 05:45:33 | 巨樹・大木
台風21号が過ぎたばかりの北海道で地震(震度6強)です

被害が出ています、余震で更に被害が大きく成らないように

注意が必要です、気をつけてください


では、今日の投稿です


赤岩地区は、中野市役所の北約6kmのところ

県道414号線から県道434号線へ徐々に高度を上げて

高社山(標高1352m)の西側登山口へ向います

登山口が谷厳寺の入り口に当たります

境内に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました



参道です

六地蔵様です

境内への入り口です

カエデの参道を進みます

山門です

本堂です

目的のシダレザクラは、山門右手陰の在ます

揺厳枝垂櫻の石碑です

本堂前から見ました目通り幹囲4,5mの大木です


山門西側には鐘楼です

側の石碑は玄奘三蔵法師立像石碑です

説明板です
  玄奘三蔵法師立像石碑 
   お釈迦様のウンチ(運智)をつかむ
 「カンジーザイボーサツ・・・ギャーテーギャーテーハラソー
ギャーテー」とお唱えする「般若心経」(全文262文字)は、
だれでも一度くらいは聴いたことのある有名なお経です。般若心
経は、紀元1~2世紀頃インドで生まれました。
 しかし、経典般若心経の翻訳僧は、28歳の時中国からインド
へ渡りお釈迦様の運智(幸運な知恵)を学び持ち帰った「玄奘三
蔵法師」(602年~664年)という中国の高僧であったこと
は余り知られていません。物語「西遊記」に登場するヒーロー役
僧侶は、この玄奘三蔵法師がモデルなのです。
 人間には煩悩が108個あると言われています。試しに、玄奘
僧石碑の下部にあるホールに手を入れてみませんか?あなたに見
合うウンチ(運智)をつかむことができ、煩悩が一つ消え、きっ
とお釈迦様の幸運の知恵(運智)が授かると思います。

手を入れてみることはしませんでしたので、まだ煩悩は108個
残っていますね~


では、次へ行きましょう
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長野県中野市、中央中日野神社の御神木(けやき)です!!

2018-09-05 06:27:49 | 巨樹・大木
台風21号の被害は無かったでしょうか

風が強かったので風による木々への被害を心配していました

では今日の投稿です



中央地区は、中野市役所のすぐ北側です

県道358号線の中町信号の北西側に

南南西向きに中日野神社が鎮座します

東側の参道入口鳥居脇に車を止めさせて頂きました


参道入口鳥居です

古い手水鉢です

拝殿です

本殿は社務所の間から屋根だけが覗けました

由緒記です
 中日野神社由緒
祭神 天照大御神 豊受大神  天児屋根尊
   軻遇突智神 建御名方神 誉田別尊
   猿田彦神  八坂斗賣神 高市神
 豊受大神は当社の主祭神にして、文亀3年(1503)
領主高梨氏の請により伊勢神宮の紳師職従五位上渡會正秀
神主、豊受大神の御霊代を此の地に奉迎し神明宮と称す。
天正6年(1579)、洪水の為社殿流出せしが、慶長8
年(1604)再度御霊代を奉迎し社傍に旅屋(旧社務所)
を設け、以来毎年12月伊勢より下向、神勤し中野町他5
3ヵ村へ大神宮の大麻を頒布せり、明治維新後は伊勢社と
改称し当町の産土神とす。明治42年南宮神社又その境内
社たる伊勢社、秋葉社、猿田彦社、弥栄社、又伊勢社の境
内社たる春日社、八幡社、弥栄社すべてを合祀し同時に社
号を中日野神社に改称許可せらる。


拝殿の左手に目的のケヤキです

南西側から目通り幹囲5,9mの巨木です

西側には境内社の陣屋稲荷社です

神馬舎です

中には耳の長い白いお馬さんがいました

こちらにも由来があります
  中日野神社御神馬「白馬」由来伝
 江戸時代の中野は、南北に谷街道、東西に草津街道が交差
する交通の要のちとして栄えていた。
 元和4年(1616)から32年間、中野の地を支配した
のは旗本の河野氏勝・氏利父子で中野村に陣屋(政庁)を置
いた。この間、河野氏の指図のもと、有力な住民が主体とな
って中野の町場づくりを行った。このときつくられた街並み
が、現在の中野商店街の骨格を形成したといわれている。
 このような中、寛永10年((1632)住民の願いによ
り、河野氏利はこれらの街路での九斎市(月9回)を許可し
た。
 市の日には、これらの街路において地元住民はもとより、
近在の農民や他所からも商人がやってきて、農産物や紬・木
綿布などをはじめ、さまざまな物資を商い賑わった。
 河野氏利は白馬に跨り、治安維持のため見回り、住民から
は白馬さんと親われ尊敬されていた。
 その後時がたち、氏利が所替えで中野を去るとき、中日野
神社の境内に馬舎を建て白馬を献上していった。
 白馬なきあとも、住民は河野父子の功績を称え、この恩を
永く伝えようと木の白馬を作り馬舎に奉納した。
 以来、白馬は九斎市の神として崇められ、商売の神さま、
何事も「うまく」いく神さまとして、ひろく信仰をあつめて
きたと、言い伝えられています。

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長野県中野市、中野如法寺の銀杏です!!

2018-09-04 06:16:22 | 巨樹・大木
如法寺は、中野市役所の北東約2kmのところ

目印は中野地区の北東端にある日本土人形資料館です

箱山峠への道を進み日本土人形資料館への案内板に従って進みます

坂道を上って日本土人形資料館の駐車場に車を止めさせて頂きました




日本土人形資料館です

目的のイチョウの木は向かい側の観音様の上の如法寺にあるようです

東山公園の案内板が有ります如法寺は右下に書かれています

大悲閣観音堂への参道です

入り口の六地蔵さまの前を東へ入ります

こちらが寺への参道です杉並木になっています

もうすぐです

境内入口の石段です

鐘楼があります



本堂です

境内東端のイチョウを本堂前からみました

南側から見ました、土手の上です

土手の下に回ります

北東側道路から見ました


土手下から見上げました

天然記念物標柱です

説明板です
 中野市指定天然記念物
  如法寺のイチョウ
 イチョウは中国原産で、和名は「鴨脚」
(葉が鴨の脚あとに似ている)という。宋
時代の音読み「ヤーチャオ」がなまったも
のといわれている。雌雄異株でこの木は雄
木であり、実(ぎんなん)をつけない。
 イチョウは、病虫害に火熱に強く長命で
各地に巨樹古木がある。この木は市内最大
で胸高幹囲6,13m、樹高約25m、地
上約3mで六つの大枝に分かれている。
 イチョウは、太い枝のもとからときに乳
房に似た気根を出すことがあり、昔から乳
の神として信仰されてきた。
 この木は、聖武天皇の乳母であった紅白
と白紅の姉妹が植樹したと伝えられる。そ
のいわれから根元に祠がまつられ、遠方か
らも多くの人がお参りに来たという。
(紅白の墓と伝えられる墓石の一部が、弘
法堂の東側に残っている)
 このイチョウの葉が黄葉して、全て落ち
ると市内北部が根雪になると言い伝えられ
ている。
  昭和60年4月26日指定
  中野市教育委員会




土人形館側の車道入口から見上げましたが、イチョウの木が分かりません


土人形館駐車場入口に満州開拓者殉難慰霊碑です


東側の巡り逢いの丘公園には土人形の月の兎を模した石の兎がいました

では、次へ行きっましょう


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長野県中野市、間山盛隆寺のイチイです!!

2018-09-03 07:21:54 | 巨樹・大木
間山地区は、中野市役所の南南東約4kmのところ

県道54号線を南へ、目印は中山晋平記念館です

記念館の入り口を過ぎて日帰り入浴施設ぽんぽこの湯方面へ

間もなく盛隆寺の参道前にでました

駐車場は参道中程の墓地脇に有りますので利用させて頂きました


参道入口です

六地蔵様です

盛隆寺です

参道を進むと

手水舎です

墓地入口には観音堂です

山門は楼門形式です

山門の脇に目的のイチイの木が在るようです

本堂です

本堂まえから見ました

天然記念物の標柱です

楼門脇から見上げました

北東側から見ました

説明版です
 中野市指定天然記念物
   平成16年3月31日指定
  盛隆寺のイチイ
 イチイは、イチイ科イチイ属の常緑高木で、全県に分布
するとされていますが、当地以北で自生木と確認されてい
るものは栄村にある1本のみです。
 イチイは、防風、防火に役立つといわれ、神社、仏閣、
民家などに多く植えられています。
 このイチイは、胸高幹囲が401cmに達していますが、
いまだ樹勢がよく、衰えをみせていません。胸高幹囲が4
00cmを越えて衰えをみせない大木は貴重です。推定樹
齢は350年以上と考えられています。
  平成17年11月設置    中野市教育委員会

では、次へ行きましょう
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