ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

岩手県花巻市、仲町「観音寺跡の千本カツラ」(市指定)です!!

2024-10-11 06:31:12 | 巨樹・大木
 仲町は、花巻市役所の直ぐ東側です、市役所のある場所は「花巻城」の跡です

 花巻城案内図です、城跡の南東端に観音寺跡があります

 古絵図にも観音寺が下側の枡形が連続する間に記されています、観音寺も一の馬出のような攻撃施設だったのかもしれませんね
     枡形
 円城寺坂までの道は「枡形」という防御施設であり、見通しの利かない様に道を入り組ませた場所をいい、敵の軍勢が道を進むときに、勢いを弱めたり、待ち伏せしたりして簡単に進めないようにするするためのもの。
 花巻城のいたるところに、このような「枡形」は造られました。

 花巻市役所の南西側「花巻市役所前」信号を東(市役所南側)に入って、直ぐに南東へ細い道路を下ります

 間も無く一時停止を左(東)へ出て、約30mで左(北)へ、正面と左手に鳥居が有ります

 左手の鳥居の先にカツラが見えました

 鳥居脇に車を止めさせて頂きました

 鳥居脇の標柱に「観音寺観音堂」の文字の下に小さく「名木 千本桂」の文字が見えます

 参道を進みます

 観音堂です

 説明版です
   延寿寺観音堂の由来
 この観音堂の起源は詳しくわかっていないが、花巻開町の租である「北松斎(きたしょうさい)」も厚い信仰を寄せていた観音堂(観音寺)であったと伝えられている。
 この観音堂(観音寺)は、東国三十三観音の25番札所であり、花巻七観音参りの一つとして賑わっていた。
 しかし、明治政府の神仏分離令(注1)によって観音寺は廃寺となり、観音像(注2)など寺の宝は他の寺へ移され、観音堂(本堂)は西宮野目の「御嶽神社」拝殿として移された。
 現在の「延寿寺観音堂」は、明治の中頃に町内の講中(注3)によって新しく建てられ、新たな本尊として十一面観音立像などが大切に納められ、毎年7月17日の宵宮や12月17日のの年越祭が縁日とされています。
 また、境内にはその歴史を物語るように、樹齢数百年と伝えられる「千本桂」があり、花巻市の天然記念物に指定されている。
 そのほかにも、境内には天保14年(1845年)9月と刻み込まれた「庚申塔」(注4)や嘉永7年(1854年)7月7日と印された当国三十三所塔など、当時の観音巡礼を記念した石碑が建てられてあり、江戸中期の石碑として貴重なものです。
 また、盥水(たらいみず・注5)には享保2年(1717年)奉納と刻まれている。

 注 1明治元年に政府により発令された法令で「神社」と「お寺」を別々にするてめのもので、全国でお寺が廃止になったり合併になったりした。
   2北松斎公の持仏「髻観音(もとどりかんのん・戦の時に兜の中に納めた観音)」や「お前立ち(本尊の前に安置した仏像)十一面観音」などが寺の宝として納められていたと言われている。
   3講中とは、神仏の信者が作った団体。
   4「庚申塔」とは、旧暦の「庚申」の日に体内に棲む「虫(三し)」が天に昇りその人の行いを天帝(帝釈天)に伝えると言われ、その日は行いを慎み、「虫」が出ないよう、徹夜で過ごした。この様な集りを記念して建てられた塔を「庚申塔」といいます。
   5「盥水」は神社でよく見かける石をくりぬいて水をためているもの。

 北側の御堂です

 千本桂を東側から見上げました

 花巻市指定天然記念物千本カツラの標柱です

 南東側から、根元にはモミジも見られます

 南側から

 北側に廻って見上げました、第一世代が無くなって第二世代が大きな株に成長しています

 北側から

 では、次へ行きましょう


  

 2024・9・12・12・30

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 岩手県花巻市、外台「奥州街... | トップ | 岩手県花巻市、四日町1丁目「広隆寺の大い... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

巨樹・大木」カテゴリの最新記事